『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生』佐々木健一

●今回の書評担当者●勝木書店本店 樋口麻衣

  • 辞書になった男 ケンボー先生と山田先生 (文春文庫)
  • 『辞書になった男 ケンボー先生と山田先生 (文春文庫)』
    健一, 佐々木
    文藝春秋
    1,409円(税込)
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 見坊豪紀(けんぼうひでとし=ケンボー先生)と山田忠雄(=山田先生)。

 二人は東大の同級生であり、一冊の辞書「明解国語辞典」をともに作っていました。1943年に刊行された「明解国語辞典」は、引きやすく現代的な辞書として、当時の国民的辞書となりました。

 しかし、そんな国民的辞書を作り上げた二人はやがて決別し、同じ出版社から全く性格の異なる二つの辞書を作ることになりました。ケンボー先生は「三省堂国語辞典」の生みの親として、山田先生は「新明解国語辞典」の生みの親として、別々の道を歩むことになり、以後、二人はその生涯を終えるまで別々の辞書を作り続け、再びともに辞書を作ることはありませんでした。

 本書は、二人がなぜ決別したのか、なぜ一冊の辞書が二つに分かれたのか、その謎に迫るノンフィクションです。ノンフィクションですが、読んでいるときの感覚は、まるでミステリーを読んでいるときのようです。辞書の語釈や用例、証言記録から二人の決別の謎に迫り、様々な事実が明らかになっていく展開は圧巻。辞書の中と外にたくさんの謎とヒントが散りばめられていて、それらが真実に向けて結びついていきます。

 辞書には、ことばの正しい意味が書いてある、どの辞書もほとんど同じようなものというイメージを持っている方が多いと思います。そんな辞書の中に、謎とヒントってどういうことだろうって思いますよね?

 最大の謎とヒントは【時点】ということばの用例の中にありました。

「新明解」第四版の中で、【時点】ということばの用例は次のように書かれています。

 じてん【時点】「一月九日の時点では、その事実は判明していなかった」

 なぜ、一月一日でも四月一日でもなく、「一月九日」という具体的な日付を用例にしたのか。「その事実」とは何なのか。しかもこの「一月九日」という日付は、「新明解」の第四版から突如登場したものであり、第三版までは書かれていませんでした。この用例の日付と、ある証言記録で語られた日付が結びつくことを著者は発見し、具体的には1972年1月9日であることを突き止めます。「一月九日」という日付が、急に意味を持った日付として浮かび上がってきたときの著者の衝撃はかなりのものだったと思いますが、読んでいるこちらも、その衝撃に胸が高鳴りました。

 さて一月九日に一体何があったのか、それはぜひ、本書を読んで確かめてみてください。まさに「事実は小説よりも奇なり」、事実だからこその驚きに、大興奮必至です。

 本書のタイトルは『辞書になった男』。「辞書を作った」ではなく、「辞書になった」であることにも注目です。二人の男たちは、性格や考え方こそ違いましたが、ことばに翻弄され、そして誰よりもことばを愛し、ことばと共に生きた男たちでした。そんな二人の生涯に光を当てた本書は、ミステリーとしての側面だけでなく、熱い生き方の物語としての側面も持っています。

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勝木書店本店 樋口麻衣
勝木書店本店 樋口麻衣
1982年生まれ。文庫・文芸書担当。本を売ることが難しくて、楽しくて、夢中になっているうちに、気がつけばこの歳になっていました。わりと何でも読みますが、歴史・時代小説はちょっと苦手。趣味は散歩。特技は想像を膨らませること。おとなしいですが、本のことになるとよく喋ります。福井に来られる機会がありましたら、お店を見に来ていただけると嬉しいです。