『歌うエスカルゴ』津原泰水

●今回の書評担当者●ときわ書房千城台店 片山恭子

  • 歌うエスカルゴ (ハルキ文庫)
  • 『歌うエスカルゴ (ハルキ文庫)』
    泰水, 津原
    角川春樹事務所
    770円(税込)
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 私事でございますが、昨年大晦日に何年ぶりかの風邪をひき、調子が戻るまで二週間ほどかかりまして、美味しいものを食べる飲む機会の多い時期、存分に楽しむことが出来なかった反動よろしく現在、遅れてきた食欲の秋ならぬ冬到来。登場する料理の数々に喉が鳴り、更なる食欲を刺激してくれる本作は、2016年夏にアンモナイトの如き黄金色のぐるぐるが表紙の『エスカルゴ兄弟』として発表後約1年、『歌うエスカルゴ』と改題され文庫になりました(そのあたりの経緯は著者あとがきをお読みください)。

 会社の後輩で名物書店員のU君から聞いた『エスカルゴ兄弟』発刊当時の記念座談会の席で食したというエスカルゴうどんや軍艦巻きの話にときめいて以来、三重県は松阪の地に実在するエスカルゴ牧場に焦がれ、次の旅行はここだわ、と心に決めたものの実現しておらず、今年こそはと思っている次第でございます。

 ところで皆様は、エスカルゴを食べたことはありますか? 私はあります! と思っていました、本書を読むまでは......。そしてエスカルゴは陸生の巻貝というのも初めて知りました。

 柳楽尚登はソフィー・マルソー好きの27歳(ラ・ブーム全盛の記憶がバッチリある世代としてはたまらぬ設定)、実家が讃岐うどん屋で調理師免許を持つ編集者。感情が激するとクイーンのどんどんぱ、どんどんぱ、の出だしで有名な《ウィ・ウィル・ロック・ユー》が脳内で響きわたります。社長の高嶋からまるで出向のように解雇を言い渡され、吉祥寺にある立ち飲み屋<アマノ>で働くことに。

 そこは螺旋に異常な愛情を示す写真家・雨野秋彦の実家で(母親は既に他界)、店主の父親が作るモツ煮込みが絶品だが、店主が持病と怪我をきっかけに引退を決め、息子の秋彦がエスカルゴをメインとしたフランス料理店へのリニューアルを計画、尚登を料理人とする前提で話を進めるも、その方針に当初は反発する妹の梓と給仕の婦人・剛さん。作中で梓がファミレスで食べたというエスカルゴは、アフリカ・マイマイという、エスカルゴ・ファームで養殖されているヘリックス・ポマティアとは異なる種別とあり、おそらく自分が食したのもこちらと思われます。

 まずはエスカルゴの研修にと、松阪へ移動中の新幹線車内で、想像をはるかに超えた出来事のあれやこれやを聞かされ、昼間だがビールでも飲むかと秋彦に提案され「いいですね。なんだか僕......投げやりな感じになってます」と返す尚登の呟きに、この作品全体を貫くハイセンスなユーモアを感じます。

 途中お伊勢参りで立ち寄った讃岐とライバル関係にある伊勢うどん屋で、若き日のソフィー・マルソーに似た桜と出会った尚登は、ポマティアの調理法を学ぶ以前に自分は編集者である、いますぐ東京へ帰るとの宣言もあっさり撤回し研修を続行。ちなみにエスカルゴ・ファームは鉄工所の社長・成瀬が始めた事業で、地元では成瀬鉄工所のほうがより知られている、というタクシー運転手によるローカル話もリアルです。尚登はポマティアの奥深い世界を社長の成瀬から学びとり、鉄工所の従業員で健啖家の斉藤三吉と食で友情を結び、開業へ向け一路東京へ。

 秋彦と顔つきがまるで違う妹の梓は、ロシア人とのハーフで秋彦とは血のつながらない可能性が高いというが、梓が雨野家にやってきた経緯が淡々と語られる場面では、店主の男気に加え、父親の「お前の妹だ」の一言で当たり前のように受け入れた秋彦の懐の深さにもグッときます。そんな二人の間で育った梓の、まるで漫才のツッコミのような性格と才能に加え、剛さんの作る死の覚悟が必要なほど危険が伴う料理とは反対の、彼女の舌の素晴らしさの理由や、尚登が思いを寄せる桜の意外な酒豪ぶりに加え、彼女の縁談相手で稲庭うどん店チェーンの取締役・梶原の大物感など、物語の隅々まで味わい深いキャラクターとエピソードに彩られています。津原さんのファンには嬉しい人物の名前も登場。

 季節を問わず楽しめる愛すべき物語ですが、極上のコメディによる笑いで体の免疫力を高め、体の芯からあたたかくなれる今にこそ、もってこいです。ぜひ続編を期待します! 読了後、生姜醤油のほうでチーズキツネを作って食べました。絶品でした。

 最後に、北陸地方の記録的積雪のニュースが流れておりますが、ご当地の皆さまのご無事を祈ります。

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ときわ書房千城台店 片山恭子
1971年小倉生まれの岸和田育ち。初めて覚えた小倉百人一首は紫式部だが、学生時代に枕草子の講義にハマり清少納言贔屓に。転職・放浪で落ち着かない20代の終わり頃、同社に拾われる。瑞江店、本八幡店を経て3店舗め。特技は絶対音感(役に立ちません)。中山可穂、吉野朔実を偏愛。馬が好き。