『永遠のおでかけ』益田ミリ

●今回の書評担当者●ときわ書房千城台店 片山恭子

 弥生賞3連複の配当の、あまりの安さに眩暈を覚えた3月初旬、皆様いかがお過ごしでしょうか。卒業、転勤など別れを経験することも多い節目の季節となりました。私の祖父母と義弟が亡くなったのも、この季節でした。

 今年の1月下旬、待望の益田ミリさんの新作エッセイが出ました。発売直後から多くの女性たちの共感を呼び、静かに熱い視線が注がれている1冊です。母親とはまた違った関係性の父親という人を、じっくり考えてみる機会になりました。性別に関係なく読んで欲しいと思っていますが、例えば自分から父へ「読んで」と差し出すのはどこか違うような気もして、できれば店頭で自ら選んで手に取ってほしいです。

 タイトルだけで涙腺がすでに緩みそうになる本書は、叔父さんの死から始まり、お父さんが病に倒れて亡くなり、それからも続く日常が綴られています。

 益田ミリさんは、東京在住で、ご実家は大阪です。ミリさんのお父さんには、『オトーさんという男』をはじめ、様々な作品で出会いました。短気で感情表現が不器用、だけど愛情深いひと。つまらない話に笑わなくてはいけない状況が人にはあっても、つまらないものはつまらない、という顔を平気でしている正直なひと。屋台などではポケットの小銭でサッとお金を出してくれるところや、パチンコや競馬に一緒に行く話、モルモットの小屋を日曜大工で作っている途中、階段がうまく作れずイライラするのを娘が応援しながら完成へと導くちょっと面倒くさい様子など、いいところばかりでなく娘から見た許せないところも、包み隠さず描かれていました。

 ミリさんの作品には『すーちゃん』で初めて出会いました。シンプルでいて味わい深いイラスト、添えられた言葉の何気なさに胸を鋭く突かれたような、それまでに感じたことがない種類の衝撃を受けたのを覚えています。

『すーちゃん』に出会った頃は、一生このまま結婚せずにいるのかなあ、とのうっすらした予感と不安を抱えており、宗教以外の何か縋れるものが欲しかった時期でした。それから10年の間に発表された作品たちは、程よい距離感で寄り添い続けてくれました。近著『こはる日記』では、こはるが10代最後で髪を切った理由に静かな感動を覚え、『今日の人生』では、地下鉄で「疲れた」と思わず声が出てしまったことなど、同じ経験に首肯連発(『今日の人生』の日めくりカレンダーがあったら買う)。

『永遠のおでかけ』でも、自分のこととしか思えない文章が数多くありました。その中で、「働き盛りの頃の父に寝室があったらよかったのに」という一文があります。

「働いていれば、理不尽なことも起こるもの。寝たいときに寝られる静かな部屋があれば、救われる夜もあったのではないか。」

 ハッとさせられました。自然、父親への感謝が沸き上がってきます。

 数年前に私の父は、がんと脳梗塞を患いました。幸い手術のおかげで、言葉が少し不明瞭ではあるものの、今も元気でいます。一方、妹の夫で、高校生になる姪の父親である義理の弟は、姪が小学校にあがる直前の春、突然の交通事故で亡くなりました。一卵性親子といわれるほど仲のよかった義弟と姪でした。余命宣告の中で生きるのと、突然の事故で別れること、その二つを比べることなど出来ないけれど、幼かった姪が最愛の父親と過ごせないでいることと、もうすぐ47歳になろうとする自分に父親がいること、姪に対しある種の申し訳なさを感じたこともありましたが、本書を読んだ後では、そうした思いを抱くこともまた人生であると思えました。

 父ががんで手術をしたときに呟いた「これで10年は生きられるな」ということばが耳に残っています。お父さん、10年と言わずもっと長生きして。そう素直に言いたい気持ちにさせられました。

「悲しいけどお腹はすく」という、ごく当たり前の現実の連なりが、実直に描かれたミリさんの世界は、命ある限りいつか必ず訪れる死に対し、必要以上に怖れることはないという不思議な安心感を与えてくれます。妙に落ち着く淡々とした文体によるところも大きいと思います。

 この数年、年末に届く喪中はがきで、友人の身内が亡くなったのを知らされることが多くなりました。とりわけ昨年届いた古くからの友人、慕っていた年上の友人からの便り。知らぬ間に深い悲しみを経験していたことに少なからず動揺を覚えるのは、自分にもその日がいつ訪れてもおかしくないからだと思います。

 また自分と同世代の職場の上司と同僚に年下のスタッフの一人は既にお父さんを病で亡くしています。またお父さんを亡くしたばかりの古くからの友人二人と職場の三人には、特にこのエッセイを読んで欲しいと心ひそかに思っています。

 最後に、本エッセイ中最も印象に残った文章を引用して終えたいと思います。この文章を読んだとき、私もこう思える人でありたいと、強く思いました。

「今夜、わたしが帰るまで、生きて待っていてほしかった。母からの電話を切ってすぐはそう思ったのだが、新幹線に揺られる頃には、それは違う、と感じた。これは父の死なのだ。父の人生だった。誰を待つとか、待たぬとか、そういうことではなく、父個人のとても尊い時間なのだ。わたしを待っていてほしかったというのは、おこがましいような気がした。」

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ときわ書房千城台店 片山恭子
1971年小倉生まれの岸和田育ち。初めて覚えた小倉百人一首は紫式部だが、学生時代に枕草子の講義にハマり清少納言贔屓に。転職・放浪で落ち着かない20代の終わり頃、同社に拾われる。瑞江店、本八幡店を経て3店舗め。特技は絶対音感(役に立ちません)。中山可穂、吉野朔実を偏愛。馬が好き。