『蜜蜂』マヤ・ルンデ

●今回の書評担当者●梅田蔦屋書店 三砂慶明

 休みの日に草むしりをしていたら、蚊がいないことに気が付きました。あまりの暑さに蚊も生きられない世界になってしまったのでしょうか? 一匹の昆虫が世界からいなくなっただけで生態系は水面下で激変し、私たちが気づく頃にはもはや手遅れになっている──。そのことを教えてくれたのが本書です。

 主人公は文字通り「ミツバチ」です。もう少し正確にいうと、1852年のイギリスと、2007年のアメリカ、2098年の中国の、三つの時代に住む家族の物語を、「ミツバチ」がつないでいきます。原書の題は「ミツバチの歴史」というぐらい、この三つの年代と場所は、実際に人間とミツバチの歴史に大きく関わっています。

 そもそも人間がミツバチを大規模で管理するようになったのは、19世紀半ばに近代的な巣箱が発明されてからです。この巣箱の発明競争に名乗りをあげた一人が、1852年のイギリスでミツバチを研究していた生物学者ウィリアムでした。不遇をかこちながら、いつしか家に引きこもってしまったウィリアムが、無垢の愛を父親に捧げる娘に導かれるようにして、研究への情熱を取り戻していく過程は一見感動的ですが、見事なまでに「いい話」にはなりません。やることなすこと、すべてが裏目にでて、これでもかというぐらいに家族に裏切られ、それでも娘の画期的な発見から研究にほんの少しだけ光がさすという展開は、歴史に描かれなかっただけで、本当にウィリアムは「いた」んじゃないかというぐらい現実感がにじみ出ています。

 2007年のアメリカは、ちょうど2009年に発行された傑作ノンフィクション『ハチはなぜ大量死したのか』を彷彿とさせるディテールで、実際にアメリカで起こった事件「CCD」、すなわち「Colony Collaps Disorder(蜂群崩壊症候群)」と名付けられた現象をしっかりと描き出しています。CCDとは、2007年の春までにすくなくとも北半球のミツバチの四分の一が失踪したという、とんでもない事件です。ABCニュースの報道番組や、アメリカ、カナダなどの主要紙が、こぞって「消える蜂の謎」を掲載し、ふだんあまり世に知られることのなかった昆虫学者たちをお茶の間に引っ張り出しました。

 蜂の不可解な死、消えた死体、その結果、世界が破滅しかねない影響。マスコミがCCDに飛びついてから犯人だと名指したのは、なんと携帯電話の電磁波!!に、遺伝子組み換え作物や地球温暖化、病原菌やダニ、農薬と枚挙にいとまがありません。

 本書では、その2007年を堅実に生きるアメリカの養蜂家のジョージと作家を目指して大学で学ぶその息子が、突然目の前に現れたCCDを前に、はたしてどう生きるのか、をリアルに描きます。

 2098年の世界は、環境破壊が深刻で生物種は激減、人類は存亡の危機にさらされています。主人公のタオは、夫と分かり合えない不満を抱えつつも、息子を育てることを生きがいに、「人工授粉」の仕事で生計をたてています。夫が休日に提案したピクニックの最中、目をはなした隙に最愛の息子が気絶して病院に運ばれ、突然会えなくなります。行政機関に掛け合ってもなしのつぶてで、タオは単身、自分の息子を探すために中国各地を放浪します。

 スラムと化した都市、閉鎖された病院に縛り付けられて餓死させられるのを待つ病人たち。無残に立ち尽くすディストピアを必死に走りぬけながら、タオは息子を探し続けます。病院をたずね歩くうちに、息子を探す鍵は病院ではなく、息子が気絶した原因にあるのではないか、と気づきます。調べ物のために図書館で手に取った一冊の本、「ミツバチの歴史」を読んで、はじめてタオは自分たちの仕事と最愛の息子がなぜ隠されたのかという理由に行き当たります。

 三つの家族の物語が、「ミツバチ」を軸につながりはじめると、怒涛のように自然と人間の歴史が押し寄せてきます。

 1962年、アメリカの生物学者・レイチェル・カーソンは、新種の農薬や殺虫剤が鳥の鳴かない『沈黙の春』をもたらすと警鐘を鳴らしました。人々はカーソンの警告に耳を傾け、DDTは禁止されましたが、私たちが何かがおかしいと気づくのは、いつも手遅れになってからです。私たちが当たり前のようにスーパーで買っている、リンゴ、ブルーベリー、チェリー、メロン、キュウリ、カボチャなど、約100種類の作物は花粉交配をミツバチに頼っています。私たちが食べている牛肉も昆虫が受粉させた植物で育てられたとするなら、やがて牛肉も食べられなくなるでしょう。私たちはミツバチがいない世界で、一体何を食べて生きるのか?

 本書が描くディストピアは、2045年、地球のミツバチが絶滅したことに端を発しています。『蜜蜂』はフィクションですが、これからやってくる未来が、まさしくこのような姿をしているのではないかと思えてなりません。私は本書がフィクションであり続けることを強く望みます。

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梅田蔦屋書店 三砂慶明
梅田蔦屋書店 三砂慶明
1982年西宮生まれの宝塚育ち。学生時代、担当教官に頼まれてコラムニスト・山本夏彦の絶版本を古書店で蒐集するも、肝心の先生が在外研究でロシアに。待っている間に読みはじめた『恋に似たもの』で中毒し、山本夏彦が創業した工作社『室内』編集部に就職。同誌休刊後は、本とその周辺をうろうろしながら、同社で念願の書籍担当になりました。愛読書は椎名誠さんの『蚊』「日本読書公社」。探求書は、フランス出版会の王者、エルゼヴィル一族が手掛けたエルゼヴィル版。フランスに留学する知人友人に頼み込むも、次々と音信不通に。他、読書案内に「本がすき。」https://honsuki.jp/reviewer/misago-yoshiaki