『一日一文 英知のことば』木田元

●今回の書評担当者●梅田蔦屋書店 三砂慶明

 長い休みがあると、読めるかどうかは別にして、読み返したい本を鞄に入れて持ち歩きます。結局、荷物になるだけで徒労に終わるのですが、哲学者・木田元の絶対名著『反哲学入門』(新潮文庫)は、鞄の中にいれてよく頁をめくっています。まだ実際には二度しか読み通せていないのですが、いつ読み直しても初読時とは違う発見に輝いていて、何度読み直しても読み尽すことができないのではないか、という興奮を味わえるまたとない一冊です。

 木田元には『詩歌遍歴』(平凡社新書)という隠れた名著もありますが、年の瀬に文庫化されたばかりの本書『一日一文 英知のことば』(岩波文庫)がすごいのは、一重に編者が木田元であることに尽きます。

 カントは『純粋理性批判』を書くのに10年の歳月をかけましたが、木田元はハイデガーを書くのに30年近く時間をかけています。それほどの時間をかけて付き合ってきた、ハイデガーの言葉から選ばれたのは、

「思索は言葉をとり集めて単純な語りにする。言葉は存在の言葉である、雲が空の雲であるように。」(『ヒューマニズム書簡』5月26日より)

30年近く読み続けてきた『存在と時間』からじゃないのか、という驚きは本書の魅力の一端にすぎません。『なにもかも小林秀雄に教わった』(文春新書)を書くほど傾倒している小林秀雄からは、

「天才とは努力し得る才だ、というゲエテの有名な言葉は、殆ど理解されていない。努力は凡才でもするからである。」(『モオツァルト 他』12月20日より)

予想を裏切ってど真ん中ストレートの配球にはしびれますし、「丸山さん」と親しみをこめて語る丸山真男からは、

「自由は置き物のようにそこにあるのでなく、現実の行使によってだけ守られる、いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由でありうるということなのです。」(『日本の思想』3月22日より)

とまさしく今読むべき言葉がしっかりとひかれています。

 下世話な読み方かもしれませんが、自分の誕生日の言葉は一体何だろうか、と調べたりするのも楽しいですし、では、木田元自身の誕生日に一体誰の言葉を配置しているのだろうと、頁をたぐっていくと飛び出してきたのは泉鏡花『春昼・春昼後刻』で、「山楝蛇が、菜種の中を輝いて通った」描写を読んでるだけでもめまいがします。

 なぜこの日にこの言葉がという配列の妙味もたまりませんが、この本が尋常ではないのは、1頁目の1月1日に柿本人麻呂、2頁目の1月2日にプラトンの「正しく哲学している人々は死ぬことの練習をしているのだ」からはじまっていることでも明らかです。単純に入浴剤のように毒にも薬にもならない、気持ちよく読めるいい言葉のアンソロジーではありません。木田元が、身体の中にその言葉が溶け込むまで読み尽し、その中でももっとも美しい宝石のような言葉が、366人、366の言葉で表現されています。

 古今東西の偉人たちの英知のことばが、一皿に凝縮されて、まるで満漢全席のように、一日一日と読み継いでいくことができるのはほとんど奇蹟といっても過言ではないでしょう。

 時間に追われて本を読む時間がないというのは現代人の宿命ですが、稀代の碩学が、「せめて一日に数行でもいい、心を洗われるような文章なり詩歌なりにふれて、豊かな気持で生きてもらいたい」と願いを込めた珠玉の言葉を、年はじめから日めくりでめくっていく悦楽を堪能してください。

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梅田蔦屋書店 三砂慶明
梅田蔦屋書店 三砂慶明
1982年西宮生まれの宝塚育ち。学生時代、担当教官に頼まれてコラムニスト・山本夏彦の絶版本を古書店で蒐集するも、肝心の先生が在外研究でロシアに。待っている間に読みはじめた『恋に似たもの』で中毒し、山本夏彦が創業した工作社『室内』編集部に就職。同誌休刊後は、本とその周辺をうろうろしながら、同社で念願の書籍担当になりました。愛読書は椎名誠さんの『蚊』「日本読書公社」。探求書は、フランス出版会の王者、エルゼヴィル一族が手掛けたエルゼヴィル版。フランスに留学する知人友人に頼み込むも、次々と音信不通に。他、読書案内に「本がすき。」https://honsuki.jp/reviewer/misago-yoshiaki