のこされし者のうた(2)

 週末になると「ビーハイブ」はにぎわった。若い子たちがギターを抱えて店の階段を上ってきて、通りで歌って稼いだ金で飲んでいた。みんなで夜通し即興のブルースを歌った。
 修(しゅう)ちゃんはビーハイブの番長だった。カウンターの一番奥が番長席で、そこが指定席だった。修ちゃんは自宅近くの工場で勤めていて、繁華街からは遠いので週末しか店に来ない。修ちゃんがいない平日はわたしがそこに座って番長を務めた。番長席はすわり心地がよかった。店全体が見渡せて壁によりかかることもできるし、カウンターの中のマスターとも話がしやすかった。
 修ちゃんは客の中では比較的年かさで、ルックスにパンチがきいているので、初対面の人はみな怖がってしまう。くるくるのパーマの髪が肩より下まであるのが森田童子みたいで、夜なのにサングラスをかけていて、服装はちょっと真似のできない、アジアンテイストだった。
 
 修ちゃんと出会ったのは1992年頃だっただろうか。ドラマーのNさんにバンドの仕事のあと「面白い店があるよ」と初めて連れて行かれたビーハイブに修ちゃんはいた。狭い階段を上がった二階にあるビーハイブのさらに中二階、というか二段ベッドの上みたいなところにあるステージの、アップライトピアノでニ、三曲弾き語りをしたら鬼のように見つめられてこわかった。店にいる間中ガンをとばされた。なんだなんだ、こわいじゃないか。
 帰り際ずいぶんもったいをつけて修ちゃんが話しかけてきた。
 「おまえの歌、不良だな」
 そう言ってかっこよく帰って行った。褒めてくれたのだろうなという気がしたが、意味はよくわからなかった。
 
 修ちゃんはビーハイブに来る他の連中と同じの「週末歌手」だった。出会ったころは長渕剛の歌なども歌っていたが、次第にオリジナルの歌が増えてきた。声はしゃがれていて、かっこよかった。楽譜は読めないしギターはコードが3つくらいしか弾けないようだった。ギターというよりは琵琶みたいな音がした。しょっちゅう弦を切っていた。そして「テクニックじゃない、魂で歌うのだ」みたいなことをときたま言うので、それを聞いてみんな引いていた。
 
 ビーハイブの仲間の中にあって当時音楽でお金をもらっていたのはわたしだけだった。若いころからピアノで稼いできたという自負があったから、週末のお楽しみで歌っている君たちとは違うのさと、心の中では思っていた。だけどプロなのかと言われるとよくわからなかった。オリジナル曲もあんまりなかったしクラブでの歌伴やパーティーの仕事がプロの仕事かと言われると自信がなかった。プロってなんだろう。お金をもらうことなのか。CDを出すことなのか。テレビに出ることなのか。プロにもしろうとにもなれない宙ぶらりんなわたしだった。
 
 ビーハイブに来る連中はとにかく、オリジナル曲でなければ、という空気を漂わせていた。ジャズのスタンダードやポップスの弾き語りを長いことやってきたわたしには、オリジナル曲を作ろうという気もなかったし、作れるとも思っていなかった。自分で作ったつまらない歌よりは、古今東西の名曲をくちびるに乗せている方が幸せだった。けれど、しろうとさんだと思っていた週末歌手の若者たちが程度の差はあれ、みな「俺のオリジナル曲」というものを持っているのはうらやましくもあって、それが少しずつ曲を書き始めるきっかけとなった。
 修ちゃんは「荒ぶる魂」の歌で1997年に「因縁果報」というアルバムを出した。田舎に住んでいながらCDが作れる時代になったのだなとびっくりした。
 でも、修ちゃんがプロかというとそうも思えなかった。
 
 修ちゃんは仲よくなってみるとものすごくピュアでまっすぐな人だ。人をだましたり、ずるいことを考えたりしない人だった。ときどきおばかさんだけど。
 ある夜修ちゃんとビーハイブのカウンターに肩を並べて歌い方の話をしている時イソップの「北風と太陽」に例えてわたしが、
 「なんでも力任せじゃいけないと思うんだ」
と言ったら、その寓話を知らなかった修ちゃんは本気で感動したようで、
 「さすがお前は国語ができるなあ」
と言った。そして、ビーハイブにやってくるギターを持った若い男の子をつかまえては
 「いいか、お前は北風くんなんだよ。知ってるか、『北風と太陽』?」
と知ったかぶりをしていた。
 
 家族思いで、ハイスクールスイートハートの奥さんとはラブラブだったし、高校を卒業してすぐ生まれたという子供たちは既に大きかった。そういう経験値から言ってもみんなの番長的存在だった。子煩悩で、翌日の長男のサッカーの試合のために早く帰ったり、「子供が病気だから今日は行けない」とマスターに欠席届を入れたりする人だった。どんだけまじめなんだよ。
 見た目と中身がこんなに違う人を見たのは初めてで珍しかった。わたしの心の中の「変な人コレクション」の上位に入れた。ちなみにサングラスをかけているのは、つぶらな瞳が嫌だからだそうだ。どうやら怖がられたいみたい。みんなで「つぶらくん」と呼んでからかったりした。
 まさか、このつぶらくんがわたしのファーストアルバムのプロデュースをすることになるなんてその時は思いもよらなかった。

 哀しみのアメリカ旅行から帰って1年近く経ってもぐずぐず別れた彼を思い出しては沈んでいた。いったいなにがこんなに悲しいのか。彼にもう会えないことが辛いのだろうか。わからない。悲しみの根は違うところにあるような気がし始めていた。
 
 父はわたしが23歳の時に母と離婚していて女の人と暮らしたり、暮らさなかったりしていた。彼が帰国する前に一度脳梗塞で倒れて以降、心筋梗塞や胃がんで入退院を繰り返した。手術代や入院費が払えないときもあった。思い余って銀行にも行ったが銀行はわたしなんかにゃお金を貸してくれない。職業がパートじゃ無理もない。結局親戚のおじさんに頭を下げて借りて払った。情けなかった。父は当時市内でピアノラウンジを経営していて、わたしも時々助っ人でピアノを弾いていたが、病気のため、店は結局たたむことになる。
 父のこと、別れた彼のこと、将来のこと、音楽のこと、どれも考え出すとお先真っ暗で吐き気がした。こんなはずではなかった。どこで躓いたのか。どこかへ消えてしまいたいと思うたび美音子のさみしそうな顔がうかんだ。
 
 「おまえもたいへんだなあ」
 いつもわたしをなぐさめて一緒に酔っぱらって話を聞いてくれたけんやが夏になる前に、町を出て行った。放浪癖のあるけんやだったから、周りの人たちは「またか」とちょっと驚いただけですぐに日常に戻った。納得がいかない。けんやのやつ、わたしに何にも告げてはくれなかった。けんやまでもがわたしを置いて行った。あんただけはわたしの側にいてくれると思っていたのに。「行かないで」と言う暇も与えてくれなかった。言うわけないけど。気持ちはささくれていた。わたしはけんやにとって、あんまり大事な友達じゃなかったのだろうか。わたしなんかいてもいなくても同じだったんだろうか。
 
 考え続けてあるとき急に分かった。ヘレン・ケラーの「ウォーター!」くらい分かった。アメリカに帰ったウディへの思いが。
 もう会えないことが悲しいんじゃない。いや、悲しいけど、それよりもたとえ一旦帰国しなければならなかったとしても、「また日本に来るよ」とか、「迎えに来るよ」と言ってくれなかったことが悲しかったのだ。悔しかったのだ。彼にとってはそれだけのわたしだったのだ。ビザが切れたくらいであっさり別れることができるほどのつながりだったのだ。困難があったって、それを乗り越えようと思うほどの愛ではなかったのだ。なあんだ。なあんだ。ははは。なあんだ。ちくしょう。ひょっとしたらわたしは、自分が思っていたほど愛されていなかったのかもしれないよ。あんまり考えたくはないけれど。ははは。それなのにのこのこアメリカまで行ったりして。ばかばか。ばかなわたし。しかもこんな簡単なことに1年も気づかなかったなんて。
 しばし呆然として、泣いたり笑ったりした。

 その夜は深酒をした。ワインで一人酒の手酌酒だった。翌朝は日曜で仕事は休みだった。二日酔いがひどくて頭が痛い。気持ち悪い。母は仕事に出てしまっている。このごろのわたしの素行を見てきっと小言を言いたいだろうに、何も言わずにいる。その沈黙に責められているようでこわかった。母が帰るまでにはすっきりと起きていなければと、死ぬ気で布団をあげたが、だめだ、座っていられない。窓際のソファーに横たわると、知らない間にうーん、うーんと声が出ている。
 台所で何かごそごそと音がすると思ったら娘が水とおにぎりの皿を盆に乗せて持ってきた。かなりぶかっこうなおにぎりが2個。
 「おかあさん、おなかへったでしょ?おにぎり作ったよ。あたしが考えたおにぎりだよ」
 「考えたって何を?」
 既に虫の息である。食べ物を見ただけで血の気が引いた。
 「かぼちゃ、おにぎりに入れてみたよ」
 かぼちゃのおにぎり?よく見るとおにぎりの具に昨夜のおかずの残りのかぼちゃの煮物がご丁寧に細かく切って入れてある。ごはんに包みそこねたかぼちゃが外からでもはっきり見える。こんな時に穀類とはなんて斬新なんだ。斬新すぎて気持ち悪い。でも、食べなくては。体をゆっくり斜めに起こして、うっと戻しそうになりながらも食べた。娘の優しさに、自分が情けなくて、恥ずかしくて涙がこぼれた。ごめんね、こんなだめなお母さんでごめんね。
 「おいしい?」
 「うーん。不思議な味。でも、ありがとう。おにぎりにかぼちゃ入れるなんて誰も考え付かないね。おもしろいねー」と答えた。娘はにこりとした。
 「おもしろい」がうちでは最上級の褒め言葉なのだ。
 なんだか、美音子の笑顔を久しぶりに見たような気がした。
 足でカーテンと窓を開けてもう昼に近くなった光と風を入れる。大きく伸びをして「ぁーーー!」と声を出した。そろそろしっかりしなくちゃなあと思った。それから吐いた。