Blue Spirit Blues (2)

 引っ越したアパートから「クラブ・マキ」までは自転車で十分程度の距離だった。出勤は夜八時半。毎日夕ご飯を食べてからお風呂に入って化粧をして出かけた。

 店は三階建てのビルの一階にあり、二階と三階はママの自宅となっていた。従業員はまず裏口から入り、二階の小さな更衣室で着替える。
 そこにはたくさんのピンクや赤や黄色のひらひらの、いかにも「ホステスでございます」といったドレスがずらっと並べてかけてあった。店が衣装まで用意するのかと驚いたが、実際にはそれらのドレスを着ているホステスはおらず、みな私服の延長のような服装だった。
 これらのドレスはずっと前、ナイトクラブが華やかなりし頃のものだったのに違いない。このごろでは誰も着なくなったのだなと、ひとり合点した。

 高級店だった。ビールの小瓶一本で一万円はする店だったのだから。田舎にしては破格の高さだ。
 ホステスは、下は二十代前半から上は五十代ぐらいまで二十人ほどいたが、全員がそろうということはめったになかった。給料日は十日おき、「0」の付く日で月に三回あった。そういう日はしっかり全員出勤である。一方で週末の忙しい日に五人くらいしかいないこともあって、ママがよくぼやいていたっけ。
 ウェイターは、大学生のアルバイトが毎日二、三人。厨房には板さんが一人と時々皿洗いに来るおばちゃんが一人いた。

 店自体は八時に開店していたが、わたしが出勤してもお客のいないことが多かった。そんなとき、ホステスたちはそれぞれ好きな席に座って雑談をしていた。
 わたしはといえば、お客が誰もいないところでピアノを弾いていてもしかたがないのだけれど、彼女たちとの雑談にはなんとなく入れなかった。
 考えた末、お客が入ってきた時にあわてて弾き始めるよりも、ピアノの音が流れているところに招き入れる方がスマートだろうと考えて、お客がいようといまいと時間通りにピアノを弾くことにした。

 初めのころ、ホステスたちとの接点はほとんどなかった。出番が終わるとすぐに帰っていたから言葉をかわすチャンスがなかったのだ。きちんと顔を合わせたのは
「この人マリコ先生だから。今日からピアノを弾くからよろしくね」
 という初日のママの短い紹介の時だけだった。みな、わたしには興味がないようだった。表情のない顔で一瞥されて、一瞬ひるんだけれど、気にしない。わたしだってあなたたちにはなんの感情もないんだからね。と心の中で言う。
 そうだ、ここには友達を作りに来たのではない。お金を稼ぎに来たのだ、お金を貯めて一日も早く東京へ行くのだと気持ちを引き締めた。
 人間関係を作ることの大切さに気付いた今ならもっとうまくやれただろうと思うのだが、当時のわたしはまだまだ青かった。

 店ではじめに親しく言葉を交わすようになったのは厨房の板さん、ヤマダさんだった。
 わたしの仕事は三十分演奏すると三十分の休憩となり、午後十一時までこれを繰り返して帰る、というものだ。休憩している間はカラオケタイムになる。カラオケのリクエストが入りすぎてピアノの演奏時間がずれたら困ると思ったが、不思議とそこはきっちりと時間が守られた。
 休憩時間は二階の更衣室の隣の部屋で過ごすように言われていた。しかしそのうちいちいち階段を上がるのが面倒になって厨房の隅っこの丸い椅子に座って時間をつぶすようになった。

 ヤマダさんが初めて話しかけてくれた時のことは一生忘れないと思う。
「ちょっと、あんた」。ぶっきらぼうな口調である。
「は、はい」とわたし。
「あんた、まさかわしのことハゲだと思ってるんじゃないだろうな?」
 ヤマダさんはどこからどう見てもハゲだったが、あまりに真顔で見つめてくるのでわたしはなんと答えていいのかわからなくてどぎまぎした。

 なんと返したらいいのか。頭付近を見てもいけない気がする。
「あ、あの...」と口ごもり、目を泳がせたわたしにヤマダさんは、
「これはハゲのカツラなんだぞ。髪があるとあんまりもてて困るからハゲのカツラをかぶってるんだ」
と真顔のままで言う。けれど眼鏡の奥の目が少し笑っているような気がしたので、つられてわたしもふふっ、と吹きだしてしまって、それから笑いが止まらなくなった。たしかに、そう言われてよく見るとなかなか顔立ちの整った男前である。ハゲは本物だったけど。

 それからは、付き出しやフルーツの盛り合わせを作る後姿を見ながら、いろんな話を聞いた。わたしより十歳ほど年上で、島根県の隠岐の島の出身。鳥取大学在学中にアルバイトでここに入ってからそのまま居続けていて、厨房のことだけでなく、仕入れ、アルバイトの学生の采配、会計、ホステスさんの出勤スケジュールの管理や、はては従業員の悩みを聞いたりというような用事まですべてをこなしているママの片腕ともいうべき人だとだんだんわかってくる。
 あとで聞いた話では、カラオケの時間がきちんと守られていたのもヤマダさんの仕切りがあったからということだった。

 新しいピアノ弾きは、店でまあまあ好評だった。客も従業員もわたしを珍しそうに見ていた。
 初日は大学の卒業式の時に着た黒のスカートの上にブラウスという地味な服であった。最初の給料でしゅっとしたパンツスーツを買い、それを店で着た。
「女」ということを前面に出して働いている人たちの前で、フェミニンな服を着るのはなんとなく気がひけたのだ。それに、わたしは技術で仕事をしているんだ、「女」ということは関係ない、と思っていた。芸妓のお姉さんに囲まれているときになんとなく学んだことだった。

 ヤマダさんによれば、「マキ」には、わたしが電話したときすでにピアニストがいたという。普段は別な仕事をしている年配のおじさんが、アルバイトで週に何度か来ていたということである。
 わたしが入ることが決まって、ママが
「もう来なくていいわ」
とクビを言い渡したのだ。知らなかった。そのおじさんに申し訳ないような気がすると言ったら、ヤマダさんは
「マリちゃんが『ピアノ弾きはいりませんか』と電話をかけてきた時に、電話をとったのはわしだよ。うちにはピアニストはもういますからと断ることもできたんだけど、なんとなくぴんときて、ママに取り次いだわしのせいなんだから、気にしなくていいよ」
 と言う。

 誰も弾く人がいないピアノに運良くあたって職を得たのだとばかり思っていたので、たとえアルバイトでもわたしのせいで仕事を失った人がいると知って気持ちが沈んだ。そんな気持ちを察してだろう、ヤマダさんがいつもの冗談口調で
「だからマリちゃんにはちゃんと働いてもらわんと困るんだからなー」
 と笑った。
 しかし、そもそも「電話口でぴんときた」のは、きっとわたしが女の子だったからなんだろうなと思う。格好つけても結局はわたしも「女」を使っていたのだな。ああ、男とか女とか、めんどくさい。雇用機会均等法ってどういう意味だったっけ。思わずためいきが出ていた。

Song of 「Blue Spirit Blues(2)」

「湖畔の宿~Cry me a rivers」

from Album「mariko live〜romance〜2004.11.4 at Bunkamura Theatre COCOON」(2005年)