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5月27日(水) 最近驚いたこと3つ

①本の雑誌6月号で驚いたこと

 各氏が選んだベスト40というのがこの特大号には載っているのだが、坪内祐三の選んだエッセイ40冊の表を見て驚いた。なんと、そこに私が本名で書いた『連篇累食』という本が載っていたからだ。

 これは私の料理エッセイをまとめた本で、2005年にぺんぎん書房から刊行された。刊行2カ月後に版元が倒産し、印税をもらうことができなかったということで、大変思い出深い本である。いきさつを書いておくと、2001年に発行人を辞めて顧問となり、しばらくしてから自炊生活が始まったのだが、それを知ったぺんぎん書房のAさんが、料理エッセイをWEBで連載しませんかと言ってきた。で、2年弱、版元のWEBに連載したものをまとめたのがこの本であるのだが、書名がよくなかった。

 実はその十年ほど前、某誌に読書エッセイを連載することになり、タイトルに困って「連篇累読」と付けたことがある。四字熟語辞典を見ていたら、この「連篇累読」が出てきて、そこに「だらだら無用の文章を書きつづること」とあったのである。おお、オレのコラムにぴったりだと借用したわけだが、ぺんぎん書房のWEBに料理エッセイを連載するとき、その「読」を「食」に替えたらどうかと考えた。その一字を替えただけで、「だらだらと無用の料理話を書きつづる」となるわけではないが、気分的にはそういう心境だったのである。つまり、この「連篇累読」というのは私の造語である。雑誌のコラムのタイトルなら、そういう造語でも許されるだろうが、書名にしてはいけない。これではなんだかわからない。ずいぶんあとになって、そう反省したが、もう遅すぎた。

 ようするに、素人が料理を作ったり、料理をめぐる記憶をつづる、無用のエッセイだ。私には愛しい本だが、客観的に見れば、誰にも知られず、ひっそりと消えていった本である。それを知っていたとは、坪内祐三恐るべし。

②テレビを見ていて驚いたこと

 夕方のニュース番組を見ていたら、ご当地コンビニの小特集をやっていた。ようするに北海道だけで展開するコンビニとか、そういう各地限定のコンビニを紹介していたのだが、そこに「スリーエフ」があったのでびっくり。私の町にもあるので(おまけによく見かけるし)、てっきり全国展開しているコンビニだと思っていた。それがご当地コンビニだというのである。神奈川に本社があり、展開しているのは東京、神奈川、千葉、埼玉(だったかな、一都三県だったのは間違いないが、最後の埼玉は聞き間違いかも。ちょっと自信がない)だけで、つまり関東の一部限定で展開しているコンビニだったとは、しらなかった。いや、それだけのことなんですが。

③新保博久『ミステリ編集道』(本の雑誌社)で驚いたこと

 十三人の編集者にインタビューして、ミステリ出版史を浮かび上がらせるという壮大な書で、なかなか興味深い。神保町のパチンコ店「人生劇場」を始めたのが日本文芸社の社長だったなどなど、初めて聞く話が多いのである。

 そのなかでいちばん「えっ」と驚いたのは、角川書店の宍戸健司氏のインタビューだ。そこにこういうくだりがある。

「それから白石一文さんのデビュー作『一瞬の光』(2000年1月)も、人づてに原稿がまわってきた。著者名も入っていなかったんですが、すぐに読んで、「これは凄い」と思って担当を決めてあわてて会いにいきました。そのときはまだ文春の社員で白石一郎さんのご子息だなんて知らなくてね。」

 あの『一瞬の光』を作ったのは(担当を決めて、と書いているから実際に本を作ったのは他の編集者なんだろうが)シッシーだったとは知りませんでした。20年以上前から知っている、旧知の編集者なのに、これまでそんな話を聞いたことがない。そうか、ちゃんと仕事していたんだ。

5月13日(水)理髪店にて

 その理髪店は新宿の古びたビルの地下にある。しかも奥まったところにあるので、常連客しかやってこない。よくこれで商売してるよなあと思うほど、いついってもがらがらだ。70代の男性2人がやっている理髪店で、つまり同時にできるのは2人まで。3人目がくると待たなければならないが、そういう事態はめったにない。もう30年もその理髪店に通っているが、そういう事態に遭遇したのはこれまでたった二度だけだ。  こちらも年をとったが、その2人も年を取り、いつも「大丈夫かなあ,やってるかなあ」と思いながら行く。いつ廃業しても不思議ではないのだ。彼らも年をとっているが、客も年寄りばかり。私のように会社をやめても散髪のために新宿まで出かけて聞くといった人たちばかりだ。若い客と遭遇したことがない。  先日も隣に座った客は70代の常連客のようで、しかしこの老人がお喋りだった。こういう客は少ない。私はいつも散髪中寝ているのだが、その睡眠の邪魔になることがまったくないほど静かな店なのである。ところがこの老人は新宿にきたのが久しぶりだったようで、テンションあげあげ。政治から経済、芸能にいたるまで、あらゆることを喋りまくる。  おやっと思ったのは、「きょうよう、きょういく、ちょきんがたいせつなんですよ」と言ったことだ。年をとったらこの3つが大切なんだという。貯金はわかるが、どうして教養と教育が大切なんだ?  すると,今日用があること、今日行くところがあること、だという。なるほどね。だから「きょうよう」と「きょういく」なんだ。そして、そういうふうに外に出かけるためには金が必要だから貯金が大切ということか、と思ったら、最後も違っていた。「貯金」ではなく「貯筋」だというのだ。ようするに筋肉をためること。歩くためには筋肉がしっかりしていなければだめだというのである。  結婚式のスピーチの定番である「3つの袋」のような話だが(しかし定番というわりに一度も聞いたことがないぞ)、何かの本で読んだことの受け売りのような気がする。本当にこの老人が考えたことかどうかは疑わしい。そうは思うのだが、妙に耳に残ってしまうのである。「きょうよう」も「きょういく」もあるけれど、「ちょきん」はないなあと振り返るのだ。

5月1日(金)宮城谷昌光の競馬

 宮城谷昌光『随想 春夏秋冬』(新潮社)に、「競馬生活」という項がある。出版社勤務を続けていては小説を書く時間が取れないので会社を辞めたあと、競馬だけで生活していたことがあるというのだ。

 以前もなにかのエッセイで、宮城谷昌光が若い時に競馬をしていたことを読んだことがあるが、そのときは詳しいことが書かれなかったので、競馬とのかかわりがどういうものであるのかわからなかった。今回は詳しく書かれているので大変興味深い。

 小説を書く時間を確保するために会社を辞めたとは言っても、何かで収入を得なければ生活していけない。そこで宮城谷昌光は、競馬で生活費を稼ぐことは出来ないかと考える。大金は必要ない。1週間に五千円あれば生活できる。だから競馬で週に五千円を稼げばいい。
 面白いのはこの先だ。

「部屋からでずに、毎週五千円を得る方法はないだろうか。私は自分の部屋をながめた。机の近くにならんでいるバインダーは、すべて競馬のデータであった。雑誌の編集部にいたとき、競馬特集をまかされたことがあり、さまざまな馬券術をこころみた。ほとんどの競馬評論家に会い、北海道の牧場にも、栗東のトレーニングセンターにも行った。当時としては値段の高すぎる一冊一万円という怪しげな競馬必勝法の本を買い、その必勝法がほんとうに儲かるかどうかを、検証すべく、社員から金を集めて、一か月半ほどの間、実践した。その実践を、誌上に載せた」

 宮城谷昌光は大学の恩師である小沼丹の紹介で、銀座五丁目にある出版社に入ったと本書にあるが、その雑誌名までは出てこない。藤原審爾の小説の担当をしたという話が本書に出てくるので(池波正太郎の連載小説もその雑誌には載っていたという)、競馬専門誌ではないだろう。にもかかわらず、北海道の牧場や、栗東のトレーニングセンターまで行く大がかりな特集を組むのだから、ある程度の規模を持つ雑誌と思われる。

 その編集者時代の遺産ともいうべき競馬データが部屋にあったというのである。そこで、そのデータを活用して、宮城谷昌光は、「1・5倍」の複勝を狙うことにする。一万円を買えば配当が一万五千円。つまり五千円のプラスである。週に一度、それが当たれば希望通りの五千円を稼ぐことが出来る。そこで毎週、週刊の「競馬ブック」を買ってきて、予想をすることになる。

「出走予定馬の着順を自分のデータによって予想し、勝ち負けを争うことのできる馬で、しかも当日のオッズが1・5倍以上になりそうな馬を、金曜日までに選びだした。土曜日と日曜日は競馬場へ行った」

 1・5倍なんて簡単だと思うかもしれないが、余っている金で買うわけではない。毎週確実に当てなければならないのだから、予想も真剣にならざるを得ない。もう必死だったろう。この項の最後に、宮城谷昌光は次のように書いている。

「こういう生活を三、四か月つづけたあと、私は疲労困憊した。小説は、一行も書けなかった。」

 そんなに甘いものではない、ということだろう。週に五千円を確実に稼ぐことはできても、その代わりに何かを失うのである。そうか、そうだよなあと思う。

 今週は京都競馬場で春の天皇賞が行われるが、来週からは、NHKマイル、ヴィクトリアマイル、オークス、ダービー、安田記念と、東京競馬場で五週連続でG1が行われる。生活を賭けず、大金を狙わず、静かに、競馬を楽しみたい。そう思うのである。

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