« 2015年9月 | 2015年11月 | 2015年12月 »

11月17日(火) わが最愛の書

 相変わらずツイッターにはまっている。といっても私の場合、読むだけだが。パソコンでツイッターを読むことが出来ると知ったときから、面白くて面白くて。実名を出さない人も少なくないが、ミステリー関係者ならだいたいわかるので、どんどんお気に入りにいれて、どんどん読んでいく。最近はまったばかりなので、遡って読むことが多く、結構時間がかかる。あっという間に1時間が過ぎていたりする。

 先日発見したのは池上冬樹が、「わが最愛の書」であるバーナード・ショーペン『荒野の顔』を古本屋で買ったというくだり。「わが最愛の書」というのも気になるが、おやっと思ったのは「まだ2冊目だ」と書いていたこと。見かけたら何冊でも買うぞ、という意気込みが伝わってくる。調べてみると、1991年にミステリアス・プレス文庫から翻訳されている。どうやら正統派のハードボイルド小説のようだ。1990年には『大いなる沈黙』という作品も翻訳されている。池上の愛するハードボイルドがどんな小説なのか、とても気になるのでさっそく探究書リストに入れることにした。

 ところで、私の「最愛の書」とは何だろう。バーナード・ショーペン『荒野の顔』と同じころに翻訳された小説でいえば、ケン・グリムウッド『リプレイ』か。超有名作品なので今さら紹介も不要だが、四十三歳の男が二十五年前の自分にタイムスリップするこの小説を、主人公と同じ年齢、つまり四十三歳の時に読んだのが大きかった。

 私は先月、六十九歳になった。来年は古希だ。この年になるとタイムスリップしたいとは思わない。タイムスリップ小説を読むのはいまでも大好きだが、自分がタイムスリップしたいとは思わない。もう一度人生を生きなおすなんて、そんな面倒なことはしたくないい。ところが四十代というのは、いろいろ迷える年代で、もしもあのとき違う道を選んでいたらどういう人生が待っていただろう、とかなんとか、あれこれ考えてしまうのである。そういうときに『リプレイ』を読むと、もうだめだ。高校生のころから生きなおすことが出来るなら、自分はどんな道を選ぶだろうと考えるだけで心が乱れてくる。

「最愛の書」のトップは『リプレイ』だろうが、他にはどんな本があったろうかと考えているときに、待てよ、と思った。池上冬樹が「最愛の書」という『荒野の顔』を私は本当に未読なのだろうか。書名に記憶がないので、未読に違いないと決めてしまったが、本当にそうか。数年前に『極私的ミステリー年代記』を上梓したとき、そのゲラを読んでいて「知らない本」がたくさんあることに驚いたことがある。読んでいるのに忘れている本がこんなに多いのかとびっくりしたことを思い出す。

 そこで調べてみた。1991年に翻訳されたミステリーなら、『ベストミステリー10年』(晶文社/1993年)だ。この本の帯には「1983〜1992 翻訳ミステリー読書案内」とコピーがついているので、私が読んでいるならこの本に新刊書評が載っているはずである。ここになければ本当に未読だ。すると、いやはや、あったんですね。私は池上冬樹の「最愛の書」を読んでいたのです。その新刊書評を引く。

「そこで、バーナード・ショーペン『荒野の顔』を読む。こちらはネヴァダの私立探偵ロスが、二十五年前に事故死した母親の過去に入り込んでいく話で、前作『大いなる沈黙』同様に、またまた人間関係が複雑に入り組んでいる。物語の背後に広大な砂漠の静寂が広がっている魅力も前作同様だが、しかしいくらなんでも登場人物の関係が複雑すぎるのではないか。前作では登場人物の関係図が付いていたが(もっともこれがあっても混乱したけどね)、今回はそれもないので余計にわかりにくい。この複雑さは尋常ではない」

 そうですか。『大いなる沈黙』も読んでいたのですか。その事実を知ると、妙な言い方になるが、ちょっと淋しい。池上の「最愛の書」を探究書リストに入れて、古本屋で見かけたら買うぞ、と思っていた時のほうが愉しい。こんなこと、調べなければよかった、とうなだれるのである。

« 2015年9月 | 2015年11月 | 2015年12月 »