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2月25日(木) 平成の「中間小説」

 いやはや、驚いた。「中間小説の定義が変わってきているのを知っていましたか?」とある編集者に言われたのである。え、どういうこと?

 中間小説とその時代、と副題のついた大村彦次郎『文壇栄華物語』には、「中間小説はその発足時においては、純文学と大衆文学の中間にあって、小説本来の面白さを追求する、というのが建前であった」と書かれている。『新潮社100年』にはもっとひらたく、「中間小説とは純文学の作家が書く娯楽小説」という記述もある。

 昭和二十年代から三十年代の前半にかけて小説新潮が部数を飛躍的に伸ばしたのはその「中間小説」が当時の読者に圧倒的に支持されたからで、それが昭和四十年代初頭、五木寛之、野坂昭如などの登場によって若者たちの支持まで集め、小説新潮、オール読物、小説現代などの中間小説誌の全盛期を迎え、やがて現代のエンターテインメントに繋がっていく──というのが私たちの共通認識だ。今年古希を迎える私も、先日四十九歳になったばかりのその編集者も、同じように考えている。

 ところが、最近の若い人にとっての「中間小説」とは全然異なるというのである。彼らにとっての「中間小説」とは、ライトノベルとエンターテインメントの中間に位置する小説だというのだ。その場にいた編集者諸君が全員、「嘘ーっ」と言った。「ほら、ここにも書いてあります」。来年五十歳を迎える編集者が見せてくれたのは昨年の新聞記事で、それを見ると「平成の中間小説」という見出しのもとに、ライトノベルとエンターテインメントの中間に位置する小説が現代の若者たちに支持されていると書かれていた。具体的に言えば、新潮文庫nex、集英社オレンジ文庫、講談社文庫タイガなどの作品群である。あれらはてっきりラノベを入れる叢書だとばかり思っていたが、ラノベではなく「平成の中間小説」だというのだ。「受けるから各社が競って出しているんですよ」と言った。

 ここから先は、四十九歳の編集者から聞いた若い部下たちの話だが、彼らはラノベに飽き足らず、しかし現代エンターテイメントにも「既成の小説」という認識を持ち、その中間にある小説こそ自分たちの小説であると考えているようだ。そのとき酒場にいたのは各社の編集者で、全員が四十代。しばし考え込んでしまった。

 問題は、そういう「平成の中間小説」の代表作家は誰か、ということだ。新潮文庫nex、集英社オレンジ文庫、講談社文庫タイガなどが「平成の中間小説」を収める叢書だとしても(まだ他にもこういう叢書はあるだろうが)、具体的にどんな作家が、どんな作品が、その代表と言えるのか。そのときの結論をここに書く。

 朝井リョウなのではないか、というのがそのときの私たちの結論であった。これが本当に正しいのかどうかはわからない。しかし誰かがそう発言したとき、おお、君に座布団一枚あげる、と思ってしまった。実は私、朝井リョウのデビュー作『桐島、部活やめるってよ』が全然わからなかった。私にわからない小説はたくさんあるから、それだけなら別に珍しいことではないが、明らかに文学ではなくエンタメであるのに、なぜわからないのか、それが理解できなかった。「平成の中間小説」というキーワードを置けば、それが解ける。ようするに、私には理解できない文法で書かれた小説であったからだ。

 米澤穂信もそういう「平成の中間小説」の作家ではないか、というのは個人的な仮説である。実は、この作家も私には理解できない。そうか、新潮文庫nex、集英社オレンジ文庫、講談社文庫タイガなどの叢書を例に出すからわかりにくいのだ。それよりも、朝井リョウや米澤穂信の例を出したほうが、「平成の中間小説」は俄然リアリティを増してくる。気がつくのが遅すぎる。そういう新しい時代が、もう何年も前から始まっていたのである。

2月2日(火) いまいちばん面白いエッセイ

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 亀和田武が「小説宝石」で連載している「夢でまた逢えたら」は、あらゆる雑誌の中でいまいちばん面白いエッセイだ。「小説宝石」が届くと真先にこのページを開くのが最近の習慣になっている。2016年2月号で、この連載は52回。つまり4年以上続いていることになるが、単行本も1冊まとまっている。書名はずばり、『夢でまた逢えたら』(光文社)だ。それも群を抜く面白さだったが、この1年くらいはもっと素晴らしい。このエッセイは最近ますます冴えまくっている。

 たとえば2月号の第52回は、「女嫌いなんだよ、実は俺。こんな文章を目にしたら、私を知る人間からは失笑が漏れるに違いない」との一文から始まっている。最近は、会わなくなった男友達のことを思い出す機会が増えた、というのだ。その一人が大学時代の林屋くんで、ここから音楽の話が始まっていく。

 五〇年代後半から六〇年代半ばまでの、日本語バージョンのポップスに的を絞ったディスコグラフィー『資料・日本ポピュラー史研究』の巻頭に、亀和田武が「糞いまいましいビートルズ」というエッセイを寄稿したこと、それを大滝詠一がラジオで紹介した際、ダニー飯田とパラダイスキングに在籍した佐野修が、スティーブ・ローレンスの「悲しきあしおと」をこんなふうに歌っていた、とカメワダさんは書いているんですね、と愉快そうに喋ったこと。それはこんなふうだ。

 ろーして あのこわん うぉくに サヨナラとぉん 
 いいって しまったのん よぉるも ねむれない~ん
 かえぇってん おくれん

 そのころ亀和田武は「野性時代」に、「漣健児、そしてスウィート・ミュージック」など、日本語バージョン全盛期へのオマージュを捧げた短文エッセイ三本を書いたこと。その趣味が共通していたので林屋くんと仲良くなったこと。そして、こう書いている。

 ある日。林屋くんが、私の家に泊まりにきたとき「これ、カメワダに」といって、一本のカセット・テープを渡してくれた。シリア・ポールの「夢で逢えたら」や、先述した高松秀晴のデビュー曲「山小屋の少女」「星は泣いちゃいやだ」、さらには麻生京子「ハンガリア・ロック」、倉光薫「クライ・クライ・クライ」など、六三年以来、聴くことのできなかった曲がマクセルの46分テープに、まるで腕利きのDJが編集したように、上手に配列されている。

 そして6ページのエッセイは次のように締めくくられる。そうか、いいのかな、こういうふうにエッセイのラストを紹介するのって。私の下手なダイジェストを読むよりも、亀和田武の味わい深い文章で読むほうが遙かにいいと思うのだが、しかしこのエッセイがなぜ素晴らしいのかを語るためには、ラストの紹介は欠かせないのでお許し願いたい。

 世界に一本しかない私だけのテープだ。古いダンボール箱の中から、林屋くん作成のテープを見つけたのは二年前だ。夢で逢えたら。そうか、シリア・ポールの歌を何百回も聴いていたから、この連載タイトルを「夢でまた逢えたら」にしたんだな。やっとそのことに気がついた。

 絶品のラストとはこのことだ。うまいよなあ。「やっとそのことに気がついた」とはいろいろな人のエッセイで読むが、本当はもっと前に気がついているだろ、と思うことが少なくない。ようするに、文章上のテクニックであることが少なくないのだ。しかし亀和田武の場合、以前から気がついていたら、もっと前にこのことは書いているだろう。なんといっても、この連載エッセイは52回なのだ。おそらく古いダンボール箱が出てきて、その中にあった林屋くんのテープを久しぶりに聴いたとき、つまり二年前に、亀和田武は連載タイトルの裏に、シリア・ポールの歌があったことに気がついたのだ。「やっとそのことに気がついた」というのは、文章上のテクニックではなく、本当だと思う。私が驚くのは、ダンボールを発見してから二年間、このネタを寝かせたことだ。私ならすぐに書きたくなる。しかし亀和田武はこのネタだけでなく、すべてをこのように熟成するまで待つのである。エッセイに深みと独特の味わいが生まれているのは、そのためだ。

 大事なことを書き忘れた。実は私、音楽に無知である。だからこの第52回の「夢でまた逢えたら」に出てくる音楽に関する固有名詞はまったくわからない。しかし、阿佐田哲也の『麻雀放浪記』が麻雀を知らない人にも面白いように(何人もの人からそういう証言を聞いた)、亀和田武のエッセイは音楽に無知の人間にも面白いのだ。それが、阿佐田哲也の、そして亀和田武の、言葉の力である。20年ほど前だったか、亀和田武が『1963年のルイジアナ・ママ』という本を上梓したときのことを思い出す。あのときは、LPを買いに走ったが、今回は音が聞こえてきた。

 ろーして あのこわん うぉくに サヨナラとぉん 
 いいって しまったのん よぉるも ねむれない~ん
 かえぇってん おくれん

 そうか、もう一つ書いておく。いつかの回で、バラエテイ・ブックを制作中であると亀和田武は書いていた。さまざまなところに書いてきたエッセイをまとめた本だ。その本の中に、「糞いまいましいビートルズ」も、「漣健児、そしてスウィート・ミュージック」も、収録されるのだと思う。おお、早く読みたい。

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