4月26日(火)この文庫解説がすごい①

  • ドライ・ボーンズ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『ドライ・ボーンズ (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    トム ボウマン,熊井 ひろ美
    早川書房
    1,012円(税込)
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 トム・ボウマン『ドライ・ボーンズ』(熊井ひろ美訳/ハヤカワ文庫)の解説が素晴らしい。以下、その理由を書く。

 まずこの作品が、2014年度のアメリカ探偵作家クラズの最優秀新人賞を受賞したことを紹介してから、小説の舞台となった場所の説明に移っていく。これがわかりやすい。そのくだりを引く。

 舞台はペンシルヴェニア州北東部、ニューヨークとの州境とも近いあたりの田舎町。同州は、地図上ではアメリカの東海岸、ニューヨーク州の左下あたりに位置する。グーグルマップでみるとわかるように、北東部は森と山に覆われ、大きな道路はほとんど存在せず、山の尾根にはさまれた平地に町が点在し、あちこちに州立の狩猟場(ステート・ゲーム・ランド)があるのが目につく。そんな土地にある小さな町、ワイルド・タイムの警察官ヘンリー・ファレルが主人公である。

 何気ない紹介のようだが、まずこの部分に感心する。このあと、ただの山と緑に囲まれた土地ではなく、犯罪者たちが少なくないこと、ガス掘削業者が押しかけて町が混乱していること、そういうこじれた町であることが続けて紹介されるのだが、こういうふうにわかりやすく紹介するのは実は難しい。余計なことを書き加えたり、あるいは舌足らずだったりすることが少なくない。過不足ない紹介とはこのことだ。自分がグーグルマップを見ているかのように田舎町の佇まいが浮かんでくる。

 その次にストーリーの紹介に移るのだが、しばらくするとこういうくだりがある。

 英語にはskeleton in the closet(クローゼットのなかの骸骨)という言い回しがある。家のなかに隠された忌まわしい秘密というような意味で、例えばロス・マクドナルドのミステリで探偵リュウ・アーチャーの暴く家族の秘密などがこれにあたる。本書のヘンリー・ファレルの捜査も、コミュニティ内のさまざまな人間のあいだをめぐって物語を収集して真実に至るというハードボイルド・ミステリの定石を踏んでいる。しかしファレルの暴く骸骨は、いわばskeleton in the land、一家庭のクローゼットよりも深く、広く、大きな土地それ自体に隠されている。

 続けて二つ重要なことが指摘されるのだが、それを紹介すると話が長くなるのでここでは割愛。アメリカで本書を紹介するときにcountry noirという語がしばしば使われていること。そのカントリー・ノワールはジム・トンプスンやフラナリー・オコナーだろうが、嚆矢はミズーリ州生まれのダニエル・ウッドレルであること。ウッドレルの作品にカントリー・ノワールという言葉が与えられた九十年代半ばは、都市を舞台にした正統ハードボイルド小説が衰退した時期でもあったこと。だから、トム・フランクリンの『密猟者たち』、ジョー・R・ランズデール『ボトムズ』、C・J・ボックス『沈黙の森』など、ハードボイルドの血脈を継ぐクライム・フィクションが非=都市に続々と出現したこと──と、解説者は本書の背景を語っていくのである。

 つまり、西部劇の物語が都市に移ることで成立したハードボイルドは、ふたたび都市を離れようとしているのだ、というのがこの解説の結語である。その主題をある絵画を重ねて見るというのも一つの趣向でもあるのだが、これ以上の詳細は解説をあたられたい。

 本書解説の執筆者は、霜月蒼である。書評では「煽りの霜月」と異名を取るほど、ホメの名手だが、この解説ではそういう熱い感情に引っ張られる(それが彼の美質の一つでもあるのだが)自分を極力抑えて紹介者に徹しているのが第一。それでも、

 ファレルの過去──とりわけ亡くした妻にまつわる物語──は捜査行のあちこちに挿入されて徐々に語られてゆく。こちらも本書の大事な味わいなので詳細は記さないが、彼の妻の死の原因が明かされるとき、それが本筋の捜査の物語と響き合って、静かな一人称で事態を語ってきたファレルの心中が、ぐっと複雑さと深みを増して読者の眼に映るだろうとだけ言っておきたい。

 幼い頃にファレルが友人の家に夕食に招かれて目撃した一幕など、すばらしく印象的な光景が随所に埋め込まれている。

 などと、解説者が感じ入った箇所をさりげなく書いていることに留意。ここらあたりは我慢できずに滲み出てしまったとの風情がある。すなわち、小説の舞台となる土地の紹介の手つきが平明でわかりやすいので入っていきやすいこと、背景の紹介の深度が図抜けているので賢くなったような気がしてくること、さらには小説のポイントを巧みに抽出しているので読みたくなること──三拍子揃った解説なのだ。翻訳ミステリーの解説では近年のベストあると申し上げたいのである。