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5月13日(金)昔のこと

 びっくりした。なんなんだこれは!
 実はただいま、ミステリマガジンで「書評稼業四十年」という回顧録を連載中である。そのために昔の知り合いに連絡を取っている。近々、会っていただけないですかと。忘れていることが多いので、雑談の機会があれば思い出すこともあるだろう。そうして連絡を取っていたら、そのうちの一人、双葉社OBの新井隆さんがメールの末尾に、昔のエピソードを書いてくれたのである。新井隆さんが了承してくれたのでここにそのメールを紹介する。以下はその全文。

 小説推理にいたころの話ですが、本の雑誌の増刊の表紙のデザインをしたことがあります。
 ある日、目黒さんから電話がかかってきました。
「新井くん、増刊を出すんだけど表紙のデザイナーを紹介してくれる?」
「もちろん、いいですよ」
「でも、急いでいるんだよ」
「何人か心当たりがあるから大丈夫でしょう」
「でも、ギャラがね」
「安くても大丈夫ですよ」
「いや、ギャラが出ないんだよ」
「えっ?」
「それから、急いでるって言ったけど入稿が明日なんだ」
「──」
「新井くん、表紙のデザインくらい出来るでしょ? 明日事務所にきてやってくれない?」
 そんなわけで、デバイダーだの、写植のペラだの、色見本帳だのを持って当時の信濃町の事務所へ行きました。群ようこさんがお茶を出してくれました。
 のんきな時代だったなあ。

 これ、本当なんだろうか。まったく記憶にないので、信じられない気持ちである。新井隆さんはやさしい方なので、「のんきな時代だったなあ」と書いてくれているが、これ、あまりにひどすぎる。新井さんは「自分でも楽しい思い出だったのであの号を保存してあります」と添付ファイルでその増刊号の表紙写真を送ってくれたが、それは1982年6月10日発行の『読み物作家100人集』であった。そうですか、あの別冊の表紙は新井隆さんがデザインしたのですか。

 いまから30年以上も前に出た別冊なので、その表紙を覚えている人も少ないだろうが、私にはひたすら懐かしい。いま見てもいいデザインだと思う。

 私がびっくりしたのは、新井隆さんの昔話に出てくる私が、自己イメージと著しくかけ離れていたからである。私の自己イメージは、「準備万端」「まっすぐ」「堅苦しい」「人見知り」「計画性」「しっかりしている」といったものだ。ところが新井隆さんの昔話に出てくる「目黒」はそれとは真逆で、ひたすらアバウトである。私の周囲にこういうアバウトなやつはいるが、まさか自分がそういう人間の一人であるとは思ってもいなかった。オレって、こんなにいいかげんなの?

 ということは、新井隆さんだけでなく、こういうふうに迷惑をかけた相手がほかにもいるのかもしれない。私も被害にあったという方がいらっしゃるかもしれないので、この機会に謝っておきます。もしも私が他のところでもこれに類することをしていたなら、まことに申し訳ありません。いまごろ謝っても遅いけど。しかし、ひどいよなあ。ホントにびっくりである。

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