11月24日(木)新聞歌壇のいま
「新潮45」12月号掲載の浅羽通明「鳴呼、新聞歌壇の人生」を読んで驚いた。新聞歌壇がこうなっているとは知らなかった。このリードはこうだ。
「投稿者しか読まない、と言うなかれ。エロもあれば萌えもある。投稿短歌欄には次々人気歌人が誕生し、恋を詠う、生活を詠う」
で、浅羽通明氏はさまざまな投稿短歌を紹介していくのだが、いちばん驚いたのは次のくだり。
子の髪を編み込みにしてやりながら誰と行くのか聞けないでいる
富山の松田由紀子さんの短歌を紹介してからこう書いている。
「2015年1月19日、こんな一首が朝日新聞朝刊に載って、全国の朝日歌壇ファンに衝撃が走った、のではないか。娘の初デートと判ってはいる母親の躊躇。ただそれだけではないからだ。詠われた娘さんが、歌壇読者の皆が知る人気アイドルだからである」
人気アイドルって何だ? と思って読み進むと、ただいまの新聞歌壇を知らない身には意外な事実が飛び出してくる。松田由紀子さんの娘さん姉妹は、2007年に梨子さん8歳、わこさん5歳で、すでに上手な短歌を作っていたというのである。そして2010年ごろからもっともハイレベルだとされる朝日歌壇で入選が目立つようになる。
トンネルが多い列車と聞いたから夏目漱石誘って行った
松田梨子 2010年12月6日朝日新聞朝刊
きっさ店ママのコーヒー飲んでみた苦くて口がガ行になった
松田わこ 2011年1月10日朝日新聞朝刊
今すぐにおとなになりたい妹とさなぎのままでいたい私と
松田梨子 2011年9月26日朝日新聞朝刊
男子たち「そっくりな人見た」と言うねえちゃんだろうな一〇〇バーセント
松田わこ 2014年7月21日朝日新聞朝刊
こういう短歌が次々に載るから、朝日歌壇の読者はこの幼い姉妹の日常と成長を逐一見守ることになる。だからこんな一首も載ったりする。
「わこちゃんが中学生かあ」あちこちでおばさんたちが微笑んだ朝
田村文 2014年3月10日朝日新聞朝刊
わこちゃんもその内きっと恋の歌作るんだろうな揺れるんだろうな
田辺義樹 2013年7月22日朝日新聞朝刊
そしてついにお母さんが「子の髪を」と詠む日がやってきたというわけである。たしかに朝日歌壇の読者にとっては衝撃だったろう。
友チョコをパクパク食べるねえちゃんは質問禁止のオーラを放つ
松田わこ 2015年3月16日朝日新聞朝刊
ママとパパ私でガヤガヤねえちゃんの不器用すぎる恋を見守る
松田わこ 2015年6月14日朝日新聞朝刊
ねえちゃんの大事な人が家に来るそうじ買い物緊張笑顔
松田わこ 2015年10月26日朝日新聞朝刊
夕焼けを二人で全部分け合ったテストが近い日の帰り道
松田梨子 2015年11月2日朝日新聞朝刊
恋人になるといろいろあるんだねホットアップルパイ食べて聞いてる
松田わこ 2016年1月18日朝日新聞朝刊
靴ずれの春の記憶がよみがえる恋に恋していたんだ私
松田梨子 2016年5月16日朝日新聞朝刊
こうして書き写しているだけで、朝日歌壇の読者の方がどういう気持ちで、この姉妹の歌を読んでいたのかが浮かんでくる。
浅羽通明氏はそのくだりでこう書いている。
「初デートに初彼氏。感性豊かで才気あふれる少女の「初めて」を多くの読者とともに追体験できる。こうした文芸、もしくはメディアはちょっと珍しいのではないか。」
本当にそうだ。私が引用したのは、松田梨子わこ姉妹の歌だけだが、他にもさまざまな歌がここに紹介されている。これを読むと新聞歌壇に猛烈に興味が湧いてくる。こんなにドラマチックなものとは知らなかった。今日からでも読もう。そんな気になってくる。浅羽氏が「実に面白い読み物」と紹介していた三山喬『ホームレス歌人のいた冬』(文春文庫)をすぐ買いに走ったのである。