8月24日(金)音楽会の夜

 ビルの地下にあるバーだった。お茶の水駅近く、ということだけは覚えているが、店名は記憶にない。そのとき、横にいたのはM君だ。カウンター席に並んで座り、あのとき私たちは何を話したのか。

 私には友人が少ない。仕事関係の知人や、趣味(もちろん競馬だ)を同じくする友はいるが、仕事も競馬も離れれば、友と言えるのは昔からずっとM君だけである。高校時代の同級生だ。だからもう五十年以上の付き合いになる。彼は大学で教えていたが定年になり、とはいっても2カ月間中国に行ってくる、と先週電話がきたばかり。精力的に動きまわっている。

 地下のバーのカウンター席に彼と並んで座っていたのは、私たちが二十七歳のときだ。音楽会の帰りだった。その日は、声楽の道に進んだ高校時代のクラスメイトの発表会に行ったのである。カウンター席に並んで座っても、会話はなかったような気がする。その音楽会に現れたT嬢のことを、私は考えていた。会うのは四年ぶりだった。相変わらず、綺麗だった。

 彼女の横にいたのは、私たちの同級生だ。慶応を出たあとは家業を継いだと聞いていた。気のいい男だった。彼がずっとT嬢のことを好きなのは、みんなが知っていた。「あの二人、婚約したらしいわよ」と誰かが言った。そうか、彼の思いがようやく伝わったのか。私はM君の顔を見ることが出来なかった。M君がいまどんな顔をしているのか、それを知るのが怖いような気もした。

 T嬢が婚約したことをM君は知っていたのか。そんなこと、私は聞いてないぞ。

 M君とT嬢が付き合っていたこと、私もT嬢を好きであったこと──わかるのはそれだけだ。あとは、ごちゃごちゃとさまざまなことがあったりするが、いまとなってはもういい。私もM君も、そのころ、宙ぶらりんのところにいた。働いてはいたものの、やる気もなく、ただぼんやりと生きていた。そういう人間に異性を口説く資格はない。T嬢がM君から(そして私から)離れて行ったのもそういうことだと思う。

 カウンター席に並んで座ったとき、私が思い出していたのは、楽しかった日のことばかりだ。特に思い出したのは、ある冬の夜のことだ。M君の家で数人で飲んでいたとき、みんなで車を飛ばしてT嬢の家に近くまで行き、彼女を呼び出したことがあるのだ。夜中の12時だというのに彼女は大通りまで出てきた。なんのことはない、10分ほど話して私たちはまたM君の家に戻ったのだが、その真冬の10分間、T嬢はずっとM君の腕のなかにいた。彼ら2人と、こちら側に男が3人の立ち話だ。そのときのT嬢の笑顔は、実はいまでも覚えている。

 なぜ地下のバーの、カウンター席に並んだ座った夜のことを思い出したのかというと、小野寺史宜『夜の側に立つ』(新潮社)に、似たようなシーンがあったからだ。

 アメリカから帰国した君香から連絡がきて、「僕」と荘介と3人で映画を観に行き、そのあとビアホールで飲み、最後にいくのが地下のバーだ。カウンター席に3人で並んで座り、2杯ずつ飲んでバーを出る、というシーンである。

 そのとき彼らは二十一歳で、男女3人。二十七歳のときに男2人、という私たちのシチュエーションとはかなり違っている。しかし、君香と荘介が以前付き合っていたこと、その日実は「僕」が君香に告白しようとしていたこと(ある出来事のためにその告白は流れるのだが)──つまり「僕」が君香に惹かれていたことなど、私たちと似たシチュエーションもある。昔のことが一気に蘇ってきたのは、そのためなのしれない。

 小野寺史宜の前作『ひと』(祥伝社)のことを思い出す。父親が働いていた店を、主人公の青年が探し歩くくだりで涙が突然こみあげてきて、どうしたんだおれと、驚いたことがある。あとで考えてみたのだが、私もまた父親の過去を探して、横浜から川崎を歩きまわったことがあるのだ。そのときのことを思い出したのかもしれない、と思ったのだが、本当にそうなのかどうか、実はよくわからない。何はともあれ、それは私の個人的な事情にすぎないと思っていた。ようするに、たまたまだ。

 ところが、本の雑誌の杉江由次君がこの『ひと』で、私とはまた別の箇所で泣いたという話を聞き、もしかすると、小野寺史宜の小説のなかに、私たちの感情の襞の奥深くに、直接語りかけてくるようなものがあるのかもしれない、と思ったりもする。私や杉江由次君だけでなく、あるいは全国の読者の感情に、静かに語りかけてくる小説を、この作家は書いているのではないか。そんな気もするのである。