9月27日(木)「競馬ワンダラー」をもう一度

 グリーンチャンネルに「競馬ワンダラー」という番組があった。いまでも再放送をしているからご存じの方も多いかもしれない。日本全国の競馬関連施設(競馬場や場外、牧場などなど)をまわってレポートする番組である。中でも特異なのは、いまはなき競馬場の跡を訪ねる回が多かったことだ。現在は宅地になっている街の路地を車で走りながら、MCの浅野靖典が「このカーブがいいなあ。ここが4コーナーだったんじゃないかなあ」と愉しそうに言うと、なんだか見ているこちらまでもが愉しくなってくる。そういう番組だった。

 競馬場の痕跡がまったくないところもあるが(そういうときは、現在の地図に昔の競馬場のコースを重ねたりする)、団地になっていたり、公園になっていたりするケースが少なくない。あまり古い競馬場だと痕跡がまったくないことが多いけれど、廃止したのが昭和三十年代くらいだと、まとまった土地が突然出現するわけだから、団地などになるケースが多いのである。

「競馬ワンダラー」は全部で6シーズン放映された。私が気がついたのは数年前だ。そのときは全部のシーズンを再放送していたので、表を作りながら録画して観た。なぜ表を作ったかというと、再放送の順番がばらばらだからだ。だから観た回や、すでに録画した回をチェックするために、表が必要なのである。1シーズンが12回から14回。それで6シーズンだから、全部で70回は超えている。北海道から沖縄まで、よくもまあ日本全国に競馬場があったものだと感心するくらいだ。そこを浅野靖典はワンダラー号(という名のワゴン)でまわったのである。はっぴいえんどの「風をあつめて」に乗って。

 第7シーズンがなかなか始まらないのは、もうまわる場所がないということかもしれないが(だったら、これまでの6シーズン全部をDVDにして発売してくれ)、いまでも時々、浅野靖典だったらここをどうレポートするかなあと思うことが少なくない。ちなみに浅野靖典は、『廃競馬場巡礼』(東邦出版)という本も出している(こちらの第2弾は出ないのか)。たとえばこの夏、根岸森林公園に行ってきた。ここは根岸競馬場の跡地に出来た公園である。

 根岸競馬場が出来たのは1866年(慶応2年)。途中で「横浜競馬場」と名を変えて昭和17年まで開催。その後は米軍に接収。1969年に返還され、1977年に公園になったという経緯がある。だからいま、競馬場はない。緑の多い公園がただひろがっている。ただし、スタンドの一部がいまでも残っている。現在も残されているのは、昭和5年に建てられた一等馬見所だ。建てられてから90年近いというのに、いまも堂々と3つの塔屋とともに聳えている。近くまでいって見上げると壮観だ。

 この夏公開された映画、細田守の「未来のミライ」の舞台にもなっていたので、「聖地巡礼」のファンがいるかなと思っていたのだが、誰もいなかった。一等馬見所の横にある小さなバスケットコートで子供たちが遊びに興じているだけだった。

 浅野靖典は当然、「競馬ワンダラー」でこの一等馬見所を訪ねている。そのとき、どういう感想を述べたのか、具体的には覚えていないが(DVDを発売してくれれば、こういうときに確認することが出来る)、私が知りたいのはコースのほうだ。当時の競馬場の部分はそのまま公園になって残っているのだが、地形もほぼそのままならば、とても起伏に富んだコースということになる。それを見たときの浅野靖典の感想を知りたい。

 昔の競馬場の跡地を通りかかるたびに、浅野靖典だったらどういう感想を述べただろうかと思う。この9月には三宮に行ってきたが、生田神社の横に競馬場があったというのでその界隈を歩いてみた。明治2年から明治7年までしか使われなかった競馬場なので、もちろん何の痕跡もない。このあたりかなあと思って歩いただけだ。しかし浅野靖典のような「名探偵」ならば、何らかの痕跡を探し出したかもしれない。「競馬ワンダラー」でこの「生田の馬場」を訪れる回があっただろうか。もう録画も残ってないし、作成した表も見当たらないので確認できない(だからDVDを発売してほしいのである)。

「サンスポZBAT」に藤代三郎名義で「馬券の休息」というコラムを連載して1年が過ぎ、2年目に入った。馬券の話は「週刊ギャロップ」に書いているので、こちらは「競馬周辺の話」だ。競馬場グルメや競馬本の話、そして昔の競馬場の話など、馬券には直接関係のない話を書いている(毎週水曜昼に更新)。根岸森林公園を訪れた話はまだ書いていない。生田神社の横にあった競馬場の話は来週更新の予定。無料なので、ぜひご覧ください。