第11章 海遊館、京都大学白浜水族館

  〜大水槽、セイタカイソギンチャク、カラッパ、ヒトデのいろいろ、ヒトエガイ、カイカムリ、セミエビ、モンハナシャコ

●大水槽

 胃が痛い。
 漠然とではあるけれど、みぞおちから少し左のところが痛い。
 原因はストレスである。
 何のストレスかというと、ちっとも本が売れないことや、働いても働いても名声が高まっていく気配がないことや、山に登っただけで救急車で運ばれてしまうことなどのほか、妻の態度が冷たいこと、妻の視線が冷たいこと、さらには妻の口調が冷たいことなど、数えあげればきりがない。そのほかには加齢による体力の低下も深刻である。
 不調を訴えているのは私だけではなかった。モレイ氏も先日強烈な腹痛に襲われたそうで、かなりの高確率でガンの可能性が疑われたとのことである(本人調べ)。精密検査したんですかと聞くと、今回は、トイレにおける爆発的な下痢の末、ガンは治ったとのことであった。
 人間歳をとってくると、多大なストレスによって、モレイ氏のようにひっきりなしにガンと闘う回数が増えてくる。とくに男性にその傾向が顕著であるが、その多くはすぐ治るというか、ただの下痢というか、そもそもガン以外の病気の名前を知らないんじゃないか、という無知を晒す結果に終わるのはモレイ氏が証明した通りである。
 このように、おっさんにおいては、加齢による認識力の低下は一足飛びにガンに結びつくので、注意が必要だ。ま、いずれにしてもわれわれの毎日がストレスの連続であることに変わりはないのであった。
 ストレスが蓄積したときは、どうするかというと、やはり水族館がおすすめである。
 それもせいぜいひとりかふたり、多くても三人以内で行き、水族館奥の暗い廊下で水槽を眺めて、静かに気力体力の回復を待つのである。
 和歌山に中規模、小規模の面白そうな水族館がいくつかあるので、行ってみることにした。
 南紀白浜にある京都大学白浜水族館は、無脊椎動物の展示が充実していると聞いており、前々から行きたいと思っていた。そのほかエビとカニ専門の水族館や、海中公園などもあるから、全部まとめて行ってみたい。そしてせっかく和歌山まで遠出するなら、途中大阪で海遊館にも立ち寄っていこうと考えた。

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 海遊館は何年も前に行ったことがある。
 それも一度や二度でなく、五度ぐらいは行っており、だいたいどんなところかは頭に入っている。あまり無脊椎動物はいないというのが正直な印象だ。と同時にイルカやオットセイなど海獣のショーもやっていないので、ではいったい何が売りかといえば、ビルを何層にも貫く大水槽と、そこで飼育されている巨大なジンベイザメなのである。
 ジンベイザメはこの水族館の主役で、その姿はなかなか見応えがある。だが体が大きすぎて、さすがの大水槽でも窮屈そうだった。イルカやアザラシなどでもよく思うのだが、水族館で大きな生きものが飼われているのを見ると、やはり不憫な感じがする。本人は大海原を自由に泳ぎ回りたいと思っているにちがいないからだ。
 今回訪ねてみると、ジンベイザメは昔見たときより小さくなっていた。何代目になるのだろうか。大水槽には大きなイトマキエイもいて、やはり体のサイズに対して水槽が狭く感じられたが、エイはそれほど不憫には感じない。何を考えているか想像できないからだ。
 エイはよくガラス面に張りつくようにひらひら泳いでいるので、外に出たがっているように見えるが、私の推測では、あれはむしろそこが行き止まりであることに気づいていないから、いつまでもああやって泳ぎ粘っているのであって、逆にガラスは壁ではなく地面と思っているふしがある。そもそもエイの多くは、パンケーキみたいな自分の体が邪魔で、世界の上半分しか見えないのである。世界の広さなどたいして興味がないと思われる。
 海遊館は大水槽の周囲を旋回しながら降りてくる構造になっていて、歩いている間、常にこの大水槽が見えるのが特徴だ。ひとつの水槽を水面、上層、中層、低層、底とあらゆる深さで見られるわけである。何層にもわたる大きな水槽がいくつかあり、おかげで来場者は、ずっと大きな水槽に囲まれて過ごすことになる。

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 海の中にどっぷり浸かっているような味わいがあり、雰囲気はとてもいい。ここまできたら、さらに大水槽の中央を貫く渡り廊下を作って、床も壁も天井もすべて海という体験がしてみたい気がした。
 一方で、贅沢をいうと、小さな水槽が少なく、その点は物足りなく感じる。今回、以前よりは増えていたけれど、さほど珍妙な生きものには力を入れていないようだった。
 それでも「瀬戸内海」水槽によく見るとマダコがたくさんいたり、縦長の大きな水槽に飼われているアオリイカの美しい群れなど、つい見とれてしまったし、チリの岩礁地帯を模した水槽でぐるぐる泳ぐイワシの大群は、ときどき口を大きく開いてイワシの仲間ならではの鉄仮面感を味わわせてくれた。かつて葛西臨海水族園で見たグルクマと同じである。

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 この日順路の終わり近くで特別展をやっていて、モレイ氏はフサギンポを気に入っていたようだ。

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 週末だったこともあってこの日の海遊館は混んでいた。無脊椎動物が少ないので、ここはこのへんにして、京都大学白浜水族館へ向かうことにする。

●セイタカイソギンチャク

 和歌山県の白浜に、京都大学白浜水族館がある。ここは無脊椎動物に力を入れていると聞いており、どうしても行ってみたかった水族館だ。その名の通り京都大学が運営している。
 きれいなビーチのそばに建ち、一般の水族館のような派手な看板はまったくないものの、研究施設っぽいその外観が、逆によそでは見られない何かを見せてくれるのではないかという期待を抱かせる。

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 実はこの水族館、私はこれまでに二度やってきて、二度とも入ることができなかった。一度目は運悪く休館日で、二度目はさらに運悪く改装中だったのである。いつもよく調べないで来て、無念な思いをした。同じ過ちを繰り返さないよう、今回は開館していることを事前に何度も確認しつつやってきた。
 すると、京都大学白浜水族館は開いていた。
 当たり前である。当たり前だが、二度あることは三度あるため、もしかしたら不慮の事故などで臨時休館しているかもしれないと恐れていたのだ。よかったよかった。ようやく念願の無脊椎動物メインの水族館を見物することができる。
 一般の水族館に比べて来館者はだいぶ少ないが、それでもちらほら家族連れなどの姿が見えていた。
 地味な受付を入ると、すぐに大きな水槽があり、魚が泳いでいた。ざっと見て全部魚だったのでスルー。目指すは無脊椎動物コーナーである。
 最初の水槽を過ぎたところからさっそくそれは始まった。
 中央に比較的大きめの水槽があり、そのまわりにたくさんの小さな水槽がぐるっと配置されている。こういう小窓の並ぶ部屋を待っていたのだ。

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 ひとつめはサンゴの水槽で、何種類かのサンゴとイソギンチャクが入っていた。というかサンゴしか入っていない。ふつうサンゴの水槽といえば、熱帯魚なんかもいっしょに入ってにぎやかなものだが、ここではサンゴとイソギンチャクだけ。
 そのあともヒトデだけ、ウニだけ、ナマコだけ、イソメだけといった無脊椎動物一点張りの水槽が並んで、まるで天国のようだ。
 どこの世界にヒトデばかりが何種類もうごめく水槽があるだろうか。ふつうはもうちょっと動きのある生きものもいっしょに入れてあるものである。
 ヒトデはまだいい。少しは愛嬌があるからだ。しかし、ケヤリムシがぎっしり詰まった水槽とか、巻貝ばかりが這いずり回る水槽とか、フジツボしか入ってない水槽とか、フナムシの群れ集う水槽とか、地味にもほどがある。無脊椎動物好きを標榜する私も、さすがにフナムシには共感できなかった。
 とはいえフナムシの水槽があることによって、ほかの水槽が相対的にきらびやかに見えてくる効果があったことは否定できない。イソギンチャクや巻貝がとても派手な生きものに見えたのである。
 最初に私の目にとまったのは、セイタカイソギンチャク族の一種と説明のある生きものだった。

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 一種とあるから、正確な分類はわかっていないか、もしくはまだ定まっていないのだろう。驚いたのはその見た目ではなく、説明板に書かれていた内容である。こうだ。
 生息場所:各地の水族館の水槽などで繁殖
 ん? 何だそれ。
 水族館で繁殖って、まあウソじゃないのだろうし、実際この水族館でも繁殖しているけども、なんかおかしいぞその説明。
 説明板には続けて
 分布:野外での分布はよくわかっていない
 とあった。
 なんと!
 つまり、採ってきた覚えはないが、気がついたら水槽の中で繁殖していたということのようだ。なんだか知らないが、気がつけばいつの間にか増えていたから、これはこれで見世物にしたという。でも、もともとどこから来たかはわからないという。そしてどうやらどこの水族館にもいるという。まったくもって、なりゆきというか、いきがかり上というか、テキトーな精神によって展示されているわけだった。面白い。
 たしかにそういわれて見ると、どこの水族館にもいたような気がする。説明書きもなしに、あまりにふつうにいるので、とくに気にしていなかった。
 ひょっとして水族館に寄生して生きるウイルスのようなイソギンチャクなのではないか。海での繁殖よりも、水族館に特化することでその勢力を拡げ、最終的に全世界の水族館を生息の場にしていこうという、そんなニッチな生存戦略が垣間見える。
 おそるべし、セイタカイソギンチャク族の一種。
 名前は水族館イソギンチャクにしてはどうか。
 もしかするとイソギンチャク以外にも、いつの間にか増えているヒトデとか、入れた覚えのないエイとか、水族館にはそういう想定外の生きものが実はたくさんうごめいているのではあるまいか。家の水槽なんかでも勝手に身に覚えのない貝とか入ってるときがあるし、会社にもたまに入れた覚えのない社員が混じってたりするではないか。

●カラッパ、ヒトデのいろいろ

 その後、巻貝、二枚貝、ワモンダコなどを見物し、その先のカニ水槽でメンコヒシガニというカニに目がとまった。初めて見たカニである。

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 甲羅が大きく、台地のようになっている。島だと思って上陸したらカニの背中だった、というような事件があったとしたら、その正体はこのカニだろう。まさしく地面に化けているカニなのである。さすがに化けているだけあって、うんともすんとも動かなかった。
 さらにマルソデカラッパやヤマトカラッパも味わい深く見た。カラッパは手足をたたんでちょうど丸っこいカタチに化けている。カラッパのこのハサミの見事な収納具合に私は前々から感心してきた。甲羅とハサミがなめらかに同じ曲面を形成しており、どこにハサミを隠しているのか一見してわからないのである。そうやって丸石のように気配を消して敵を欺きながら、いざというときは一気にトランスフォームしてハサミを繰り出し、闘争体勢に入るわけである。

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 ヒトデの水槽もインパクトがあった。

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 先日観た映画『メッセージ』に出てくるセプタポッドの手みたいだ。ヒトデがこういう姿であることは知っているが、こう大々的に見せられるとじわじわくる。
 この水槽にはこのモミジガイのほかにも、オニヒトデや、コブヒトデモドキ、イトマキヒトデなどがおり、なかでもヤマトナンカイヒトデのキュートな姿にみとれた。

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 ヒトデの魅力は、ぎりぎり擬人化できそうな佇まいにある。顔はないものの、そのカタチや動きにちょっと人間味があって、いや、そんなものはないのかもしれないが、あるような気がしてしまう。
 先日『ウニはすごい バッタもすごい』本川達雄著(中公新書)という本を読んでいたら、ヒトデのことが書いてあった。ヒトデはなぜ五放射相称なのか、その理由を推理していて面白かったのである。
 五放射相称というのは、つまり星形というか、五方向に放射状という意味で、そうなっている理由は、どの方向にも動きやすいため、と考えられているようだ。もし棒のような形だったら、進めるのはおおむね2方向、もしくは前方1方向ということになり、獲物を追ったり、逆に捕食者から逃げたりするのに、方向転換が必要になる。しかし動きがのろいヒトデが、いちいち方向転換していたら時間がかかりすぎる。この形ならどの向きからでも獲物にまっすぐ向かっていけ、かつ捕食者からまっすぐ逃げられるので、五放射相称が進化の過程で採用されたというわけだ。ロボット掃除機と同じ理屈だそうである。
 なるほどよくわかる。ただ欲をいえばさらに上にも下にも自由に動けたら無敵ではあるまいか。あのまま上にドローンみたいにあがっていくとかっこいいと思うが、上にいけばいったでラッコとかに見つかって手裏剣みたいに遊ばれてしまうのかもしれない。

●ヒトエガイ、カイカムリ、セミエビ

 ヒトデのあと、ウニの水槽、ナマコの水槽を通り過ぎると、イセエビの水槽があって、イセエビは鳴く、と書かれていた。第2触角の付け根近くに発音器があり、ギーギーと音をたてるらしい。この水族館は水槽ごとに説明書きがあって、丁寧に読んでいくと面白い。
 無脊椎動物のコーナーはしばらくすると終わったが、その先の珍しい生きものを展示するマリンギャラリーという部屋も、同じように無脊椎動物がいっぱいで、オニカサゴに乗っかるミカドウミウシを見ることができた。オニカサゴのまるで眼中にない表情がおかしい。

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 驚いたのは、ヒトエガイだ。
 水槽の奥に、じっと不気味な姿でへばりついていた。

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 私は何度も水族館に通っているから、これを貝と言われても、そうなのかと思う程度だが、慣れない人はこれが貝と言われたら納得いかないだろう。実はまんなかの鍋蓋みたいに張りついている部分が貝殻で、オレンジ色の中身がはみ出しているというか、もとから殻に入っていないという、そういう生きものなのである。だったら何のために貝殻があるのか。あれは鎧となって身を守るためではなかったのか。
 思えばウミウシも大半が貝殻が出たまま殻を捨てたような生きものだから、これもその倣いだろうけれども、そもそも貝殻に入ってない貝ってどういうことなのか。考えてみるとおかしな話である。
 貝殻という先入観を捨てて貝を考えよ。
 われわれがいつも貝の前でとまどうのは、そういう禅問答のような問いが突きつけられるからにちがいない。
 さらにその先にいたカイカムリというカニの装甲車のような姿にはぐっときた。

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 見るからに勇ましく強そうな顔であるが、その名の通り、落ちている貝殻なんかを背中に背負ってカムフラージュする弱腰なカニである。よく見ると脚が4本しか見えず、後ろ脚4本は背中に何か背負うときにそれを担ぐために使われるのだそうだ。
 このカイカムリは何も背負っておらず、堂々と勝負するタイプらしかった。
 その隣の水槽にはセミエビもいて、
「あの宍戸錠みたいになってる部分は何なんでしょうね」
 とモレイ氏が首をひねっていた。

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 たしかにセミエビは、顔の横に幕のようなものが垂れ下がった姿に特徴がある。形から見て機関車のスカートみたいなものだから、線路の上にある障害物を弾き飛ばすための仕組みと思われる。
 宍戸錠はブロックのアパートのなかに個別にきれいに収まって、まるで機関庫のようだ。出番がくれば、ここから発車して存分に働くのであろう。

●モンハナシャコ

 どこかの水槽からカチカチという音がすると思い、音のするほうを見にいくとモンハナシャコが一匹、こちらを向いていた。

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 モンハナシャコはエビの仲間だ。死肉を食らう生きものというイメージがあって、なんとなく好感が持てない。どこの水族館にもいるし、珍しくもない。ただ、海の生きものはおおむね死肉を食うので、何もシャコだけを蔑視するのはまちがいだろう。
 カチカチという音は、このシャコの繰り出すパンチの音だったと思われる。強烈なパンチで硬い貝殻も叩き壊すそうだ。いったい何をパンチしているのか見てみようと思ったのだが、見にいったときにはパンチは終わっており、叩かれている貝もいなかった。
『奇妙でセクシーな海の生きものたち』ユージン・カプラン著 土屋晶子訳(インターシフト)という本を読むと、シャコはめちゃめちゃ眼がいいと書いてある。人間の眼は、赤・青・緑の3種類の波長を吸収する視物質で3万種類の色調を識別できるが、シャコは12種類の視物質を持ち、何百万もの色合いを識別できるらしい。われわれは水槽の中にいる生きものを一方的に観察しているつもりになっているが、シャコはもっと細かくこちらを観察していたのだ。そのせいか水族館で見るシャコはいつも落ち着きがない。さっきのカチカチ音も、水槽の前を通り過ぎた私への威嚇だったのかもしれない。こっち向いたり、あっち向いたりずっとせわしなく動いていた。
 つづく大きな水槽にはウニがたくさんいて、ラッパウニを見たモレイ氏が、
「おっぱいみたいになってます」
 と報告してくれた。

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 てっぺんに小石を載せるのは、カムフラージュのためだと思うが、かえって目立っている。
 そのほか、エイが踊り狂う水槽や、

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 壁に張りついているコバンザメなども見ることができた。
 壁に張りついて何の得もないと思うが、私が意味もなく水族館をうろうろしてしまうように、きっとコバンザメも意味はないがそうやっていると落ち着くのだろう。
 コバンザメの心の健康を祈ったのである。

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(つづく)