第92回

 10月号の作業が一段落した8月9日、オレは在宅勤務の時にお世話になったお礼も兼ねて、サイパン土産を手にただのかずみのアパートを訪ねた。リビングで雑談していると、点けっぱなしになっていた テレビから緊急ニュースのチャイム音が響く。地震でもあったのかな? と目を移すと、テロップが流れる。
"連続幼女誘拐殺人事件の容疑者、逮捕"
(あの犯人が捕まったのか)
 チャンネルを換えると犯人・宮崎勤の顔写真やら、本やビデオが散乱している部屋の様子などが映し出されていた。
(おいおい、オレと同じ歳かよ。しかもこの部屋、どーみてもオタクじゃん)
 ビデオに関しては宮崎ほどではないが、本棚の様子などはオレの部屋と似たり寄ったりだった(たぶん、同じことを考えているオタクは数万人規模でいたに違いない(笑))。
(こりゃあ、オタクバッシングが間違いなく起きるな)
 今でもそうだが、普通では理解の難しい猟奇的な事件が起きると、新聞やテレビは犯人が影響を受けたものを無理矢理にでも作り出し、魔女狩りめいたバッシングを始める。出版業界の一部では、オタクの存在は当たり前のものと化していたが、新聞やテレビの記者がそこまで知っているとは思えない。宮崎の逮捕で、彼らのペンの矛先は"オタク"に向けられるであろうことは、火を見るよりも明らかだ。オレは、永井豪の『デビルマン』で、人類誰もがデーモンになり得るというデタラメの報告をする大学教授の報道を見た飛鳥涼のような気分になった。
(コミケの記事、ペンディングにしといてよかったな)
 西荻での一件がなかったら、そのまま取材を進め、「噂の真相」の8月10日発売の号か、その次くらいに記事になっていたはずだ。もし書いていたら、バッシングに油を注ぐにはある意味、絶好のタイミングになっていただろう。

 この2、3日後の11月号編集会議、オレは、オタクバッシングから読者を守るため、彼らに理論武装をさせるべく「おたくの逆襲」という企画を出した。
「そんな必要あるのかねえ」
 編集長は、最初あまり乗り気ではないようだった。
「絶対にオタクバッシングは起こります。そんな時にオタクの読者を守ってあげられるのは、ウチぐらいしかないんです!!」
 その頃には、OVAのギニーピッグシリーズが、レンタルビデオ屋の棚から消えるといった見当違いの影響が出始めていた。
 オレは絶対に引く気がなかった。そんな気迫に押されたのか、ついに編集長の承諾が出た。
「分かった、分かった。じゃあ、吉岡さんに頼んで、やることにしよう。俺が担当するから」
 承諾どころか、自ら担当まで買って出てくれたのだ。

「あの特集さ、業界内の反応がすごくよかったんだよ。中森さんが、そろそろ「投稿写真」書くのを辞めようかと思ってたそうなんだけど、あの特集を見て続けようと思ったらしいよ」
 20年後、中野の飲み屋で編集長はオレにこう告げた。
「あの時は、考えてみると無茶苦茶でしたね。自分で企画出しといて、結局、編集長に担当させたワケですから(笑)」
「世論的にオタクは悪者と傾いていた時に、先陣を切ったのがウチだったんだよなあ。吉岡さんの文章もよかったんだなあ。あの記事が出てから、報道にしても"オタクは悪者"一辺倒じゃなくなっていったんだよ、確か」
「オレは芸能担当になって駆け出しの頃、のりピー(酒井法子)の件とか読者に救われてるな~って感じたことが何回もあったんで、恩返しをするなら今しかないって気持ちだけだったんですけどね」
 宮崎事件は、良くも悪くも"オタク"という存在を世に知らしめた。最初こそ、キワモノ・珍獣扱いだったが、次第に世の中に受け入れられ、市民権を得て、アキバがその聖地と化し、有名人や政治家までが"オタク"であることをカミングアウトして隠さない世の中になった。もし宮崎勤が、"オタク"でなかったら、ネットの時代になって世界中にオタク文化が浸透することも、海洋堂のフィギュアがニューヨーク現代美術館に展示されることも、宮崎俊がアカデミー賞を受賞することも、もう少し先の話になっていたのかもしれない。