<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
    <title>駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久 - WEB本の雑誌</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/" />
    <link rel="self" type="application/atom+xml" href="https://www.webdoku.jp/column/atom.xml" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2008-12-02:/column//8</id>
    <updated>2017-06-01T02:30:32Z</updated>
    <subtitle>85年秋、大学４年のオレは、ようやくサン出版の内定をもらった！配属先は「オタク文化」の雄として輝いた雑誌「投稿写真」編集部だった。</subtitle>
    <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type Pro 6.5.3</generator>

<entry>
    <title>第99回（最終回）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20170601_112310.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2017:/column//8.21780</id>

    <published>2017-06-01T02:23:10Z</published>
    <updated>2017-06-01T02:30:32Z</updated>

    <summary>　27日の仕事納めまでの残り3日間は、「TVトリップ」の対談...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p>　27日の仕事納めまでの残り3日間は、「TVトリップ」の対談、「本の雑誌」の助っ人OBの忘年会、「School Sisters」の撮影、その合間にデザインが上がってきたページの入稿や原稿依頼に明け暮れている内に過ぎて行った。この年は珍しく、仕事納めの後、編集部での忘年会が開かれた。<br /><br />　年末年始は、前の年のように海外には行かず（それでなくても4回も海外ロケにいったのだ）、森さん達とやれ忘年会だ、やれ新年会だと何度（各2回づつ計4回）も飲み会を開いて飲んだくれていた。<br />　<br />　新年の顔合せが済み、「マガジン・マガジン」が発売され、3月号の入稿が終わった１月中旬、オレは社長室に呼び出された。社長室には、社長のほかに副社長とＳさんがいた。<br />「お前、もう4年も投稿にいるんだってな」<br />　社長の開口一番。まるでオレがずっと居座っていたかのような口ぶりだった。<br />「（異動するのを）忘れてたわけじゃないよ。それで、そろそろ異動しなきゃってことで、副社長とも話したんだけど、Ｓくんトコのシュガーがヤバくてさ。リニューアルをすることになったから、お前、シュガーに移ってくれ」<br />　'88年から'89年にかけて、それまでは部数で肩を並べていた「投稿写真」と「ザ・シュガー」の差は歴然としたものになっていた。続くアイドル氷河期の中、部数が落ちているのはどちらも変わらなかったが、「投稿写真」はアイドルマニアを読者に取り込んで踏ん張れたものの、どんどん減っていくアイドルファンが読者の大半を占める「ザ・シュガー」は、それに比例して部数を落としていた。<br />「シュガーですね。いつからですか？」<br />　急に異動だと言われても、引き継ぎもあるので簡単に移るわけにもいかない。<br />「3月号を4月号との合併号にして、5月号は休むから、リニューアル号を出すのは6月号。だから、3月からでもいいんだけど、リニューアルは創刊と同じで手間がかかるから、今、手を付けてる4月号と並行して、準備して4月号が終わったら移ってくれ」<br />「となると、2月の半ばぐらいになりますけど」<br />「それでいいよ」<br />「分かりました」<br />　オレは、一礼して社長室を出た。<br />（オレが、シュガー!?　あんな雑誌できないよ）<br />　何度も書いているように、オレは『ザ・シュガー』のコンセプトと肌が合わなかった。<br />（リニューアルするっってことだから、コンセプトも変わるのかな？　それならなんとかなるだろ）<br />　いつでも楽観的なのがオレの長所でもあり、短所でもあった。<br /><br />　オレが参加する最後の号となる4月号のことは、あまりよく覚えていない。異動の挨拶といってもいなくなってしまうワケではないし、ジャンルが似たような雑誌なので、外部スタッフとの関係も終わってしまうこともない。なので、そのほとんどを「今度、シュガーに移ることになりましたんで、そっちでもよろしく」と簡単に済ませてしまった。よく覚えていないのは、通常進行でルーティン的にこなせる号であったのと、「ザ・シュガー」のリニューアル会議が、3日と置かず開かれていたので、記憶が混濁してしまったようだ。<br />　2月16日、「投稿写真」の編集会議に出て、引き継ぎをどうするか、ザクッと決めた。会議が終わるとデスクに戻り、引出しごと引き抜いて台車に載せる。編集の机は、すべて同じ規格なので中身を移し替えなくても、引出しを取り換えてしまえばよかったのだ。引出しを抜き終えると次は机の上の資料や文具を、折りたたみ式のプラスチックの箱に放り込んだ。<br />「それじゃ」<br />　編集長に挨拶して、台車をフロアのドアに向けて押す。「投稿写真」の編集部に再び戻ることはもうないと思っていた。<br />（さらば、「投稿写真」）<br />　閉まって行くエレベーターのドアを見つめながら、オレは心の中でそっとつぶやいた。<br /><br /></p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第98回</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20170424_131822.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2017:/column//8.21563</id>

    <published>2017-04-24T04:18:22Z</published>
    <updated>2017-04-24T04:22:00Z</updated>

    <summary>　嵐のような製作作業の中、24日のコミケに向けて、前日土曜日...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p>　嵐のような製作作業の中、24日のコミケに向けて、前日土曜日の仕事を終えてから立て看や値札の制作をするため浅草の図鑑舎へ向かう。手配済みの1BOXのレンタカーが、図鑑舎あるマンションの前に止まっていた。既に森さん達の手で作業は進められていて、オレが持ってきた表紙のイラストの拡大コピーで立て看を作れば終了だった。<br />　翌朝、7時に起きて本を積み込む。刷ったのは2000部だったが、いくらなんでも一日で全部売れるとは思えない。ただ、持ってった分が売り切れてしまっても困るので、積み込むのは500部にした。販売係の篁初子とその友人2人は、制服姿のコスプレに着替える。全員がスタンバったところで、車を発進、幕張メッセを目指す。<br />　幕張メッセは、その年にできたばかり、その近未来的なデザインといい、夏に見に行った晴海の会場とは大違いだった。徹夜組も含めて、長い行列を作っている入場者達を横目で見ながら、出展関係者のチケットですんなりと会場に入る。中は、もう大賑わいだ。設営はすぐに終わり、遅めの朝食を取った。<br />　午前10時、いよいよ会場。通路はたちまち原宿の竹下通りのようになり、シマの角に出展している人気サークルには、瞬く間に行列ができる。しかし、オレ達のブースにくる客はいない。<br />（やっぱり、マンガじゃないからな）<br />　ちょっと不安を感じた時、最初の客が現れた。すると、それに釣られるように2冊、3冊と売れて行く。<br />「慣れてる人は、ブースマップにチェックを入れて、限定数の本を買ってから、興味のあるところを回るんですよ。ウチは、限定っていっても2000部だから後回しになってるんじゃないですか」<br />　森さんのアシスタントで、前からコミケに参加しているＫくんが解説してくれた。そうしているうちにもポツポツと本が売れて行く。お昼を過ぎた頃、「私たちも会場を回りたいので、代わってもらっていいですか？」と篁が言うので、オレと森さんが代わることになった。<br />（まさか、作者と編集が自ら売っているとは、お客も思うまい）<br />　オレは、その状況を楽しんでいたのだが、考えてみれば同人誌なら当たり前のことだった（笑）。客を観察できるのも面白い。何度かチラ見しつつ通り過ぎては、3度目でやっと買ってくれる人。どのブースに行っても「まけて!!　まけて!!」と叫んでは少しでも安く手に入れようとする人。「これって、書店でも買える本じゃないですか？」（確かにスタッフ全員プロなので、そう見えるのは当然なのだが）と訊かれ、「違いますよ」と答えると買っていく人。中でも多かったのは、立ち止まって（こりゃ、なんじゃい？）と手に取って、しばらくパラパラとめくったかと思うと一瞬何かに打たれたかのようにハッとして、「こ、これ下さい」と買って行く人だった。おそらくは、制服ウオッチングなるジャンルに無縁でこれまで生きてきて、立ち読みで目覚めてしまったに違いない。新たなる制服オタクの誕生の瞬間にオレと森さんは何度も立ち会うことになった。<br />　その日の売り上げは、本と一緒に作ったポストカード（これはあんまり売れなかったが）も含めて、30万円を突破した。その金を軍資金にして、浅草に戻ってから行った仲見世の中華屋での打ち上げは大いに盛り上がった。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第97回</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20170331_103050.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2017:/column//8.21411</id>

    <published>2017-03-31T01:30:50Z</published>
    <updated>2017-03-31T01:45:22Z</updated>

    <summary>　ドタバタしながらも「マガジン・マガジン」の入稿は進み、後は...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p>　ドタバタしながらも「マガジン・マガジン」の入稿は進み、後は前田先生の原稿を残すのみ、早めに入れなくてはならない４Cの4ページ分は受け取って入校したものの、１Cの12ページがまだ上がっていなかった。<br />「14日に他社の分が終わるので、15日から大橋さんのトコの分にかかります」<br />　リミットは18日の月曜日。<br />「大橋、詰めたらどうだ？」<br />　編集長に言われて、15日の夜から前田先生の仕事場に向かった。詰めるといってもただただコタツに入って待つだけ。「トーン貼りとかなら、手伝いますよ」と言ったのだが、アシスタントが2人もいるので、マンガの制作に関しては半素人なオレが手伝うことなど何もなかった。3度の食事は、前田先生の奥さんらしき人が運んでくれた。食事がコタツの上に並べられると、先生は、仕事場から出てきて、ギャグのつもりなのか、<br />「せっくす～」<br />　とか、<br />「おま○こ～」<br />　などと叫んで席に着くのだった。<br />　初日は、徹夜で起きていたのだが、2日目ともなるとその前にも徹夜に近い激務が続いていたので、コタツでウトウトするようになってしまった。<br />　17日の朝、リイド社の編集のＫさんに起こされた。どうやら熟睡してしまったらしい。オレが寝ている内に、先生達も寝てしまったようで、Ｋさんは先生達を起こしに仕事場の部屋に入って行った。<br />（これじゃあ、詰めてる意味がないじゃん）<br />　ちゃんと仕事を進ませなければならないのに寝てしまい、それを他社の編集に起こされるなんて、穴があったら飛び込みたいくらい恥ずかしかった。<br />　前田先生達はサボって寝ていたのではなく、作業が一段落してから、仕上げを残して眠りについたようで、昼を過ぎる頃に原稿が完成した。オレは、原稿を持って会社に戻ると、ネームの張り込みに取り掛かった。不思議なことに余裕のある時には、なかなかまっすぐに貼れない写植は、こんな時は一発で決まる。2時間後には、印刷所の棚に原稿と版下が納まった。<br />　こうして、超過酷な年末進行はヤマ場を抜け、残るは3月号をどこまで進められるかのみとなった</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第96回</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20170228_135549.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2017:/column//8.21211</id>

    <published>2017-02-28T04:55:49Z</published>
    <updated>2017-02-28T04:58:10Z</updated>

    <summary>  サイパンロケから戻った2日後の11月30日、朝日新聞の朝...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p>  サイパンロケから戻った2日後の11月30日、朝日新聞の朝刊にこんな見出しが載っていた。<br />「米の高速道で邦人学生死ぬ　車が横転4人重軽傷」<br />　さして興味もなかったが、一応記事を読んでみると死亡した邦人学生の名は、<br />"志賀真理子"<br />　だった!!<br />　青天の霹靂、新聞を読んでいてこれほど驚いたことはない。仕事で遭うアイドル達は皆、年下なので、自分より先に死ぬヤツなんていないだろうと勝手に思い込んでいたのだ。想定外の事態に何をしていいのか判らないくらい混乱した。事務所に連絡すればいいと気付くまで、ずいぶん時間がかかった。<br />　電話口に出たのは、女性マネージャーのＴさんだった。<br />「あの～、なんといいますか、このたびは...」<br />　電話をしたのはいいが、言葉が見つからない。Ｔさんもそれを察してか、告別式がその日の13時まで、渋谷の教会で行われていることを教えてくれた。電話を切ると編集長にその事を伝えた。<br />　その日のオレの服装は、シャツこそ派手だったが黒のコートだったので、会場でコートを脱がなければいいやと、編集長と一緒にタクシーで渋谷に向かった。教会で行われていたのは、キリスト教式の献花だった。列に並び、オレの番が回ってきた。洋風の棺の中の志賀真理子は、事故死だというのに安らかな顔をしていた。<br />（まだ若いのに...、いろいろやりたいこともあったろうに...）<br />　オレは、会場に入った時に渡された白い花を棺に入れて手を合わせた。死に顔まで拝んだのにかかわらず、オレは未だに志賀真理子が死んでしまったことが信じられないでいる。<br /><br />　12月の上旬は、「マガジン・マガジン」と2月号の撮影・取材・打ち合せとごった煮で進めながら、なんとか2月号分の入稿を済ませた。そして、12月10日から12日まで沖縄に飛ぶのだが、気がかりなことが一つあった。前田先生の原稿が全く進んでいなかったのだ。最初の約束では、11月中にアップするはずが、前の仕事が押してるとかでズルズルと伸びていた。<br />（ロケから戻ったら、催促かけまくらなければ!!）<br />　ところが、鬼の決心を固めて、ロケから戻ったオレに不意打ちの苦難がのしかかる。<br />「１Ｃページが、2ページ空いちゃったんでなんとかしてくれ」<br />　堀川編集長から突然の命令。編集長が担当している及川先生のマンガのページ数を間違えて2ページ多く台割りを切ってしまったらしい。実は、「あぶないマガジン」の時も同じことがあり、急場で「世界風俗ビクワクめぐり　香港編」という企画を立て、原稿はオレ自身が書いてなんとか間に合わせたのだ。その企画は、「マガジン・マガジン」でも続いており、穴埋めには使えない。<br />「またですか!?　そういわれても困っちゃいますよ」<br />　少しあきれたように編集長に言葉を返すと、<br />「そうだよなあ、ギャグ漫画の2次使用でもするか？」<br />「それなら、『劇画悦楽号』の吉田戦車にしましょう」<br />　あれこれと悩んでいる暇はない。すぐに「劇画悦楽号」の編集部に向かい、吉田戦車の原稿を借りてきた。使用許可は、ありがたいことに編集部の方で聞いてくれるという。30分後、2次使用OKの内線をもらう頃には、レイアウトも入稿も済ませ、この一件に終止符を打っていた。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第95回</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20170130_121439.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2017:/column//8.21012</id>

    <published>2017-01-30T03:14:39Z</published>
    <updated>2017-01-30T03:27:39Z</updated>

    <summary>　1月号の特集は、&apos;80年代の締めくくりとして「アイドルヒス...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p>　1月号の特集は、'80年代の締めくくりとして「アイドルヒストリー80's」と定番の「'89新人アイドル名鑑　BEST25」。これまでは、BEST30だったのにBEST25になったのはラインナップを見ればわかる。宮沢りえ、BANANA、星野由妃、千葉美加、深津恵里、小林綾子、日原麻貴、河田純子、増田美亜、エンジェルス、山中すみか、栗原冬子、佐藤忍、高橋貴代子、成知由梨、田村英里子、川越美和、里中茶美、田山真美子、細川直美、中山忍、西尾えつ子、島崎和歌子、COCO、咲浜小百合、あと5人くらい除いてもいいような顔ぶれだ。<br />　'89デビュー組の唯一といっていい収穫は、宮沢りえだ。ちょうどこの頃、'90年のカレンダーが発売されて、フンドシ姿を披露したのが話題になっていた。それだけでもビックリだったのに'91年には、18歳でヌード写真集『Santa-Fe』を出し、正に度肝を抜かれた。それまでは、落ち目になったり、再起を賭けてとあまりプラス思考とは言えない形で出るのが、アイドルの過剰露出だったり、ヌード写真集だったのだが、宮沢りえはそれを完全に逆手に取った。その影響で、それまで水着のグラビアというとワンピースかビキニかで事務所との格闘があったのだが、宮沢りえのフンドシ以来、水着はビキニまでは当然となり、Tバックやフンドシをやるかどうかが争点と切り替わった。アイドル達も「宮沢りえちゃんもやってるしね」とそうしたオファーにアッケラカンと簡単に応じてくれるようになった。オレも含めた当時の雑誌のアイドルグラビア担当者は皆、宮沢りえに感謝していたはずだ。<br /><br />　11月中旬、予定より2週間遅れで「マガジン・マガジン」のマンガのネームを前田先生から貰うことができた。<br />「巻頭のヌードのコがいないんだよ」<br />　編集長が「マガジン・マガジン」の巻頭ヌードのモデルが見つからないとぼやいている。「あぶないマガジン」は棚ボタではあったが野坂なつみの初ヌードだったので、今回もそれに匹敵する初脱ぎのコを探していたのだ。それを聞いて少し前にモデル志願の手紙が届いていたことを思い出した。<br />「こんなの来てますけど、どうです」<br />　手紙に同封されていた写真を渡す。当時流行っていたイカ天こと『三宅裕司のいかすバンド天国』の司会で相原勇として再デビューした小原靖子に似ていなくもない。そして、小原靖子は編集長のオキニだった。<br />「脱ぎ、できるのかな？　聞いてみてよ。できるようなら、一回面接したいな」<br />　連絡を取ると大丈夫とのこと、早速呼び出し、会社の会議室で全裸になってもらった。<br />「まあ、いいんじゃないか」<br />　編集長のこの一言で、志願モデル・西田ひろみの沖縄ロケが決定した。<br /><br />　11月25日から28日、これで今年４たびのサイパンロケ。2月号の巻頭グラビアの久野博美（'72年11月12日生まれ）の単独ロケだった。これら以外に八ヶ岳、北海道、そして沖縄と国内の泊まりのロケが3回。こんなにロケに行ったのは、オレの編集人生の中でも'89年以外にない。金銭的な面では、バブルの恩恵にオレは全くあずからなかったが、ロケの数だけは恩恵（？）があったようだ</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第94回</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20161226_184757.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2016:/column//8.20819</id>

    <published>2016-12-26T09:47:57Z</published>
    <updated>2017-01-25T03:30:55Z</updated>

    <summary>「マガジン・マガジン」の発売日は、年明けの1月9日に決まった...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p>「マガジン・マガジン」の発売日は、年明けの1月9日に決まった。<br />（ゲッ!?）<br />　それを聞いた時、オレは心の中で嗚咽とも悲鳴ともつかない声をあげた。ただでさえ忙しい年末進行なのに、並行しての増刊の製作、ウラでは12月24日の冬コミに向けての同人誌を作らなくてはならない。<br />（果たして乗り切れるか!!　いや、やるっきゃない!!）<br />　一部、公私混同自業自得とはいえ、地獄の年末進行は、'80年度の最後の年に激烈な様相になる気配濃厚だった。<br />　<br />　まず押さえとかないといけないのが前田先生のスケジュールだ。年末進行時はレギュラーの仕事だけでも手一杯のはず、恐る恐る電話を入れると、なんとかしましょうとの返事。10月18日に打ち合わせをして、４C4ページ、1C12ページの計16ページで、ネームを10月中、原稿を11月末の締め切りとした。かなり早い設定だが、12月に突入してしまう前にもらえるようなら安心だと思ったのだ。<br />　10月下旬は1月号の撮影・取材を2本済ませ、31日から11月3日まで、この年3度目のサイパンに飛ぶ。モデルは諸江みなこ（'71年10月14日生まれ、石川出身）で前回に続き単発のロケだった。<br />　サイパンから帰ると通常通りの'90年1月号の編集作業に入る。まだ、年末進行前なので余裕だ。<br /><br />　そのウラで森さんとの同人誌は、『ミッションスクール図鑑』とタイトルも決まり、一週間ほど会社の仕事が終わると浅草の図鑑舎に向かい、終電ギリギリまで作業して10月下旬早々に入稿が完了した。<br />「27日に校正紙が上がってくるんだけど、どこでやろう？　ここじゃあ広げる所がないよ」<br />　森さんから電話で連絡があった。4面台紙なので校正紙の大きさはB3判、そんなに大きいものではないが、確かに図鑑舎の机では狭すぎる。<br />「大橋くんの会社でできない？」<br />「バレるとまずいけど、会議室なら使っている時はその編集部の人以外、覗くこともないから、大丈夫かな？」<br />　オレは一度電話を切り、総務に行って会議室の予約状況を調べた。ラッキーにも27日は空いている。予約して森さんに電話を掛け返す。<br />「会議室取れたんで、こっちでやりましょう」<br />「じゃ、印刷所から届いたら連絡するよ」<br />　森さんと上原さん、オレの三人で校正作業は3時間近くかかったが、誰かが会議室を覗きにくることもなく、バレずになんとか校了まで漕ぎつけた。<br />「今回、一からやってみて、締め切りに遅れるのがどれだけいろんな人に迷惑を掛けるか分かったよ。これからは、締め切りを守るようにする!!」<br />　校了後の一服をしているオレに真面目な顔をした森さんが、しみじみとした声で語った。オレはその一言を聞いて、森さんがそう思ってくれたことだけでも一緒に同人誌を作った甲斐があったと思った。実際には、その後締め切りをちゃんと守るようになったとは言い難いものの、以前に比べたらそれほど遅れるようなことはなくなった。<br /><br />　こうして3ヶ月で5誌（「投稿写真」1、2、3月号、「マガジン・マガジン」、『ミッションスクール図鑑』）のノルマは、本格的な年末進行に入る前に2ヶ月で3誌になった。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第93回</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20161128_113350.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2016:/column//8.20633</id>

    <published>2016-11-28T02:33:50Z</published>
    <updated>2016-11-28T02:38:42Z</updated>

    <summary>　オタクバッシングと闘ってる（大袈裟）ウラで、森さん達との同...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p>　オタクバッシングと闘ってる（大袈裟）ウラで、森さん達との同人誌作りは着々と進んでいた。宮崎事件で世間の注目を浴びながら、晴海で最後に開かれたコミケを見学に行って冬コミの申込書を手に入れたり、2週間に一度くらいのペースで会議をしたりして、だんだんと形が見えてきた。スタッフも最初の4人に、森さんの友人の間島さんとアシスタントの篁初子が加わり、6人になった。<br />「本文が128ページになりそうなんだよね」<br />　上原さんが大丈夫かと心配そうに言う。通常の同人誌の倍以上のボリュームだ。<br />「A5判なら、紙代はそんなに掛らないでしょうから、大丈夫じゃないですか」<br />　オレはそう答えながらも、実際に積算をしたことがないどころか、積算表さえ見たことがないことに気付いた。「投稿写真」の原価でさえ全く知らない。勘で定価の１/3くらいであろうことは知ってはいたが、全くの新規だと見当がつかなかった。印刷所は、ただのかずみの知っているトコを紹介してもらっていたので問題なかったが、体裁を決めて見積もりを出してもらわないと原価が出ない。<br />（ただのさんが、安くしてもらえるって言ってたし、まあなんとかなるだろう）<br />　最終的な制作費は、100万以上になるのだが、オレは、（いっても5～60万だろう）と気楽に考えていた。<br /><br />　12月号は、前の年と同じフォトコンの発表があったので、やはり同じように5人のアイドル相手に駆けずり回ることとなった。ただ、2回目なので慣れたもの、選考と取材のアポを早めに入れて、9月中にほとんど終わるような段取りを取っておいた。<br />　その入稿が終わりかけた頃、「あぶないマガジン」の2号目を出すことが決まる。1号目の返品率が21％台と好調だったためだ。仮とはいえ、自分が編集人になっている雑誌が売れて、なんだかこそばゆい気分だ。<br />「ただ、"あぶない"ってタイトルが、コンビニから敬遠されてるらしいんで変えてくれって営業が言うんだけど、どうする」<br />　堀川編集長は困った顔をしている。<br />「変えなきゃ、コンビニに入れてもらえないってことですか？」<br />「そうなんだよ」<br />　この頃から、雑誌は書店の売り上げよりもコンビニでの売り上げがグ～ンと伸び、書店中心の営業からコンビニ中心に変わりつつあった。雑誌やジャンルによっては、コンビニを無視することはできない時代になっていたのだ。<br />　二人でどうしようかと相談しているところに社長（現会長）が現れた。<br />「大橋、増刊の誌名、変えるんだって。決まったのか？」<br />「いいえ、まだですけど...」<br />「なら、いいのがあるよ。"マガジン・マガジン"ってのはどうだ。欧米なんかじゃ、同じ言葉を2度繰り返したタイトルがよくあるんだよ。前から考えてたヤツだけど、お前にやるよ」<br />　正直、いかがなものかとは思ったが、社長からお前にやると言われて、結構ですとは言えない。<br />「ありがとうございます」<br />　誌名変更は、悩んでいたのが何だったのかと思うほどアッサリと決まってしまった。ちなみに「マガジン・マガジン」は、売れるには売れたのものの、顔写ビデオの特集で使った顔写された女優の顔のアップ写真がコンビニの逆鱗に触れ、再び一号のみでお蔵になってしまうのだが、社長はこのタイトルをよほど気に入っていたのか、'91年に社名を変更する際にそのまま社名に使い、現在に至っている。<br /><br /></p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第92回</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20161102_121413.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2016:/column//8.20473</id>

    <published>2016-11-02T03:14:13Z</published>
    <updated>2016-11-02T03:20:42Z</updated>

    <summary>　10月号の作業が一段落した8月9日、オレは在宅勤務の時にお...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p>　10月号の作業が一段落した8月9日、オレは在宅勤務の時にお世話になったお礼も兼ねて、サイパン土産を手にただのかずみのアパートを訪ねた。リビングで雑談していると、点けっぱなしになっていた　テレビから緊急ニュースのチャイム音が響く。地震でもあったのかな？　と目を移すと、テロップが流れる。<br />"連続幼女誘拐殺人事件の容疑者、逮捕"<br />（あの犯人が捕まったのか）<br />　チャンネルを換えると犯人・宮崎勤の顔写真やら、本やビデオが散乱している部屋の様子などが映し出されていた。<br />（おいおい、オレと同じ歳かよ。しかもこの部屋、どーみてもオタクじゃん）<br />　ビデオに関しては宮崎ほどではないが、本棚の様子などはオレの部屋と似たり寄ったりだった（たぶん、同じことを考えているオタクは数万人規模でいたに違いない（笑））。<br />（こりゃあ、オタクバッシングが間違いなく起きるな）<br />　今でもそうだが、普通では理解の難しい猟奇的な事件が起きると、新聞やテレビは犯人が影響を受けたものを無理矢理にでも作り出し、魔女狩りめいたバッシングを始める。出版業界の一部では、オタクの存在は当たり前のものと化していたが、新聞やテレビの記者がそこまで知っているとは思えない。宮崎の逮捕で、彼らのペンの矛先は"オタク"に向けられるであろうことは、火を見るよりも明らかだ。オレは、永井豪の『デビルマン』で、人類誰もがデーモンになり得るというデタラメの報告をする大学教授の報道を見た飛鳥涼のような気分になった。<br />（コミケの記事、ペンディングにしといてよかったな）<br />　西荻での一件がなかったら、そのまま取材を進め、「噂の真相」の8月10日発売の号か、その次くらいに記事になっていたはずだ。もし書いていたら、バッシングに油を注ぐにはある意味、絶好のタイミングになっていただろう。<br /><br />　この2、3日後の11月号編集会議、オレは、オタクバッシングから読者を守るため、彼らに理論武装をさせるべく「おたくの逆襲」という企画を出した。<br />「そんな必要あるのかねえ」<br />　編集長は、最初あまり乗り気ではないようだった。<br />「絶対にオタクバッシングは起こります。そんな時にオタクの読者を守ってあげられるのは、ウチぐらいしかないんです!!」<br />　その頃には、OVAのギニーピッグシリーズが、レンタルビデオ屋の棚から消えるといった見当違いの影響が出始めていた。<br />　オレは絶対に引く気がなかった。そんな気迫に押されたのか、ついに編集長の承諾が出た。<br />「分かった、分かった。じゃあ、吉岡さんに頼んで、やることにしよう。俺が担当するから」<br />　承諾どころか、自ら担当まで買って出てくれたのだ。<br /><br />「あの特集さ、業界内の反応がすごくよかったんだよ。中森さんが、そろそろ「投稿写真」書くのを辞めようかと思ってたそうなんだけど、あの特集を見て続けようと思ったらしいよ」<br />　20年後、中野の飲み屋で編集長はオレにこう告げた。<br />「あの時は、考えてみると無茶苦茶でしたね。自分で企画出しといて、結局、編集長に担当させたワケですから（笑）」<br />「世論的にオタクは悪者と傾いていた時に、先陣を切ったのがウチだったんだよなあ。吉岡さんの文章もよかったんだなあ。あの記事が出てから、報道にしても"オタクは悪者"一辺倒じゃなくなっていったんだよ、確か」<br />「オレは芸能担当になって駆け出しの頃、のりピー（酒井法子）の件とか読者に救われてるな～って感じたことが何回もあったんで、恩返しをするなら今しかないって気持ちだけだったんですけどね」<br />　宮崎事件は、良くも悪くも"オタク"という存在を世に知らしめた。最初こそ、キワモノ・珍獣扱いだったが、次第に世の中に受け入れられ、市民権を得て、アキバがその聖地と化し、有名人や政治家までが"オタク"であることをカミングアウトして隠さない世の中になった。もし宮崎勤が、"オタク"でなかったら、ネットの時代になって世界中にオタク文化が浸透することも、海洋堂のフィギュアがニューヨーク現代美術館に展示されることも、宮崎俊がアカデミー賞を受賞することも、もう少し先の話になっていたのかもしれない。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第91回</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20160930_101719.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2016:/column//8.20255</id>

    <published>2016-09-30T01:17:19Z</published>
    <updated>2016-09-30T01:26:37Z</updated>

    <summary>　在宅勤務は、一週間におよび、やっと会社に顔を出せたのは、翌...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p style="text-align: left;">　在宅勤務は、一週間におよび、やっと会社に顔を出せたのは、翌週の月曜日だった。<br />　9月号は校了してしまっていたので、予備の色校で担当ページのチェックをした。のんびりとそんなことをしていられたのは2日くらいで、すぐにお盆進行となる10月号の打ち合せやら取材やら撮影やらが始まり、忙しいいつも通りの日常に戻った。<br />　7月末の社員旅行の翌日から、5度目となるサイパンに飛んだ。別に日本も夏なので、海外ロケを組む必要があるのか疑問だったが、編集長命令には逆らえない。モデルは、柳原愛子（'74年3月20日生まれ、千葉出身）と吉永みのり（'72年10月14日生まれ、東京出身）。<br />　このロケは、タイフーンにタタられた。到着日の翌日の撮影初日は、ずっと雨で野外での撮影は全くできなかった。その雨も日本で経験している豪雨とは比べ物にならない、バケツどころかプールをひっくり返したと表現したほうがよいような激しさで、ひどい時は車が止まっている状態でワイパーを最速にしても前が見えない状態だった。先発の吉永みのりの撮影は、この台風のため、2日あった撮影日はほとんど仕事にならず、タイフーンが去ったあとになんとか終了した。<br />　このタイフーンは、日本に向かい、ロケから帰国した後に東京にも上陸した。同じ台風に2度も襲われたのは生まれて初めての体験だった（笑）。<br /><br />　10月号から目次のマンガを西原理恵子に頼むことになる。これは、オレの意志ではなく、編集長に代えるように言われたためだ。突然のことで誰にしようか悩んでいたら、お隣の「おちゃっぴー」編集部に移っていた南（武志）さんが、<br />「いいコ、いるよ」<br />　とまるで歌舞伎町の客引きのように見せてくれたのが、「近代麻雀ゴールド」に載っていた『まあじゃんほうろうき』だった。<br />「今日、来るからさ。紹介するよ」<br />　編集長にも『まあじゃんほうろうき』を見せるとOKが出た。<br />　その当時、まだまだ駆け出しだった西原は、イラストの出前のようなことをしていた。<br />「目次のマンガをお願いしたいんですけど」<br />　初対面の挨拶後、早速切り出すと、<br />「どんなのにします？　カエルが主人公の動物マンガでどうですか」<br />　西原の声は、フォークシンガーのイルカによく似ていた。<br />「カエルがカメラBOYやってるってことで？」<br />「そうそう、こんな感じのカエル」<br />　西原は、下書きなしでいきなりカエルの絵を描いた。<br />「今、ここで描いちゃいますね」<br />　枠線を引き始める。イラストはともかく、マンガまで出前で描いてくれるとは思わなかった（笑）。</p>
<p style="text-align: left;">　しかし、このすぐあと西原は売れ始め、結局原稿は取りに行くこととなり、マンガの出前はこの1回だけとなった。<br />　原稿を取りに行くのは、編集として当然の仕事。嫌ではなかったが、西原の原稿取りは別の意味で大変だった。西原のアパートに原稿取りに行くと彼女がメンバーを揃えて待ち構えていて、そのまま２荘、３荘、時には徹マン、たまには飲みに行くことになってしまうのだ。たかがマンガ１ページの原稿を半日以上かけてもらってくるのは不審に思われても致し方ない。オレの性生活を詮索するのが大好きな三橋がニヤニヤしながら邪推して皮肉を言う。<br />「大橋さんは、西原さんの原稿取りに行くと帰りがいつも遅いですねえ～」<br />　流れで彼女の部屋に泊まってしまったこともあったが、神に誓って（誓う必要もないのだが）、彼女とはそーゆーことは一度もなかった（笑）。<br /><br /></p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>90回</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20160901_111647.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2016:/column//8.20063</id>

    <published>2016-09-01T02:16:47Z</published>
    <updated>2016-09-01T02:24:10Z</updated>

    <summary>　9月号の特集は、昨年に続く「第2回夏休み新人アイドルフォト...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p>　9月号の特集は、昨年に続く「第2回夏休み新人アイドルフォトコンテスト」の大々的な告知だ。参加アイドルは、咲浜小百合、田村英里子（'73年1月16日生まれ、茨木出身）、細川直美（'74年6月18日生まれ、神奈川出身）、増田未亜（'72年5月6日生まれ、大阪出身）、山中すみか（'75年5月6日生まれ、京都出身）の5人、第1回と比べても遜色のないラインナップだ。去年、大忙しだったのが身に染みていたので、事務所やスポンサーとの交渉は、「あぶないマガジン」が動き出す頃から、少しずつ進めていたのだ（備えあれば憂いなしってヤツだ）。<br />　準備万端とはいえ、いざ作業に入れば、忙しくなるのは同じこと。7月8日の土曜日、担当ページのほとんどを入校し、遅れに遅れていた特集ページの片観音（本来ならばこちらを一番で入れなければならないのだが）の原稿を受け取ったのが深夜の午前1時過ぎ。文字数をチェックし、リード、キャプションを書いて、写植屋行きの棚に入れるのに１時間ぐらいかかり、それからタクシーで家に帰って、万年床に身を横たえる頃には3時をとっくに過ぎていた。翌日（もう本日）は日曜日、出社の必要はないのが救いだ。<br /><br />「幸久くん、起きて!!　お父さん、危篤らしいよ」<br />　午前7時、義兄の声でたたき起こされた。5月から、ガンで入院していた父がやばいらしい。<br />「すぐ、用意して行きますよ」<br />　と返事はしたものの、危篤になったのはこれが初めてではなく、今回も大丈夫だろうとタカをくくって、そのまま再び眠ってしまった。<br />「まだ、寝てるのか!!　本当に危ないから急いで!!」<br />　義兄の声にただならぬものを感じ、すぐに着替えて、義兄の車で病院へ。病室に着いて、父の手を握った。<br />「なんか、言いなさい」<br />　母がせっつくが、いざこういう場面に直面してしまうと言葉が見つからない。オレが着いて、5分もたたないうちに、叔母が到着する。それとほぼ同時に父に付けられていた計器のピッピッ...という音が沈黙した。<br />　<br />　翌々日が友引だったため、その日の内に通夜、次の日が葬式とあわただしく、長男として葬式の閉めの挨拶をする時にこみあげてくるものがあったが、父の死を悲しんだり、偲んだりしている余裕など微塵もなかった。<br />　編集という仕事は、親の死に目にも会えない因果な稼業と思っていたので、死に目に間に合っただけでもありがたかった。前後に1日でもずれていたらおそらく間に合わなかったに違いない。<br />　ただ因果な稼業には変わりなく、9月号の作業が残っていたので、葬式の日から昼は父の役所関係の手続き、夜はただのかずみの部屋に行って仕事をした。<br />「なんで、ただのさんの部屋で仕事してるんですか～」<br />　原稿や版下のコピーをFAXで送ってくれるよう頼むと案の定、三橋が詮索してきた。今だったら、ネットとメールを使えば在宅勤務で仕事をするのは簡単だが、この頃はFAXがないとそうもいかない。地元なので、古くからの友達も多いのだが、FAXを持っているヤツは一人もいなかった（考えてみれば一般家庭にFAXなんて必要ない）。近所でFAXを持っていたのは、ただのかずみだけだったのだ。それを三橋に言うと、<br />「FAXがあるからって、ファックしてるんじゃないでしょうね」<br />　この状況でよくそんなくだらないダジャレを考えつくもんだとあきれながら、オレは受話器を叩きつけた。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第89回</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20160729_113954.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2016:/column//8.19850</id>

    <published>2016-07-29T02:39:54Z</published>
    <updated>2016-07-29T02:50:55Z</updated>

    <summary>「投稿写真」8月号が発売された頃、「あぶないマガジン」が校了...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p>「投稿写真」8月号が発売された頃、「あぶないマガジン」が校了した。<br />「よーし、大橋の編集長就任記念の打ち上げをやろう!!」<br />　久々の新雑誌の製作が終わって浮かれたのか、堀川編集長が突然打ち上げを決め、たまたまフロアにいた社長（現会長）のOKを取りつけてしまった。確かに表4の編集人の欄には、オレの名前がしっかりと印刷されている。しかし、実質の編集長は、堀川編集長だったので、オレ的には編集長をやった気は全くしなかった。<br /><br />　打ち上げは、西荻窪の店で開かれた。オレは、帰る方向と完全に逆なので難色を示したのだが、<br />「タクシーで帰ってもいい」<br />　編集長の大盤振る舞いの一言で、承諾に翻った。<br />　西荻での打ち上げが終り、森（伸之）さんとただのかずみとオレの3人で、さあどうしようかと思っていると、森さんが、<br />「善ちゃん（上原善二）が近くに住んでいるから、店を教えてもらって一緒に飲もう」<br />　と言うや公衆電話に向かう。タイミングよく、上原さんがつかまったようで、5分ほどで合流した。<br />　その2次会の席でその時、「噂の真相」に秘かに取材を進めていたネタを披露した。<br />「コミックマーケットって、年に3回ぐらい開かれてるイベント、知ってます？　結構盛り上がってるみたいなんだけど、いろいろあるみたいでね。万部サークルといって、一万部以上売り上げて、大儲けしているサークルとかがあったり、そんなサークルを潰すために大手出版社がパロディ本に法外なキャラクター使用料を請求して、払うか解散かと追い込んだり...」<br />「それって、儲かるの」<br />　森さんは興味津々のようだ。<br />「売れるものさえ作れば、ウハウハだと思いますよ。64ページ程度の本で800円から1000円で売ってるんだから。部数にもよるけど、原価は200円くらいでしょ。万部サークル（同人誌を万単位の部数、売り上げるサークルのこと）のスタッフは、マンション買ったり、車買ったりしてると豪勢な話がゴロゴロしてるくらいだから。税務署が調査に動いてるなんて話もあるけど」<br />「俺達もやらない？　ここにいる4人で作れるじゃん」<br />「はあ？」<br />（森さんは、単行本を出しているれっきとしたプロだ。そのプロが、アマチュアのコミケに参戦!?　まあ、最近はプロもコミケで売ってるって話もあったな。上原さんはデザイナーだし、ただのさんは編集もできるし、もちろんオレも...）<br />「で、何の本を作るの」<br />「前から、ミッションスクールだけでまとめた制服図鑑を作ろうと思っててさ。今まで描いたイラストと原稿にすこし足せば一冊作るのには十分な材料があるんだ」<br />（エロパロディを買いに来る客は、制服マニアも多いかも）<br />　オレは決断した。<br />「やってみましょうか。どうです、上原さん、ただのさん？」<br />　二人ともうなずく。<br />「じゃあ、オレはこのネタで「噂の真相」に書くの辞めるわ。それじゃあ、カンパイでもしますか?」<br />　4人でグラスを合わせた。こうした話は、酔ってた時の勢いでその場では盛り上がっても、翌日にはなかったことになっている場合の方が多いものだが、ここでの話は現実のものとなった。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第88回</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20160704_110535.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2016:/column//8.19690</id>

    <published>2016-07-04T02:05:35Z</published>
    <updated>2016-07-04T02:14:00Z</updated>

    <summary> 7月号が校了し、8月号の仕込みも「あぶないマガジン」の製作...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p> 7月号が校了し、8月号の仕込みも「あぶないマガジン」の製作と並行することになる。8月号の取材や撮影の合間を縫って、八ヶ岳の麓のスタジオに泊まりがけで野坂なつみのランジェリー撮影に行ったり、表紙用に野球のユニホーム姿の山崎真由美の撮影をしたりと順調に進んでいた。<br />　ところが、3月号のランジェリーグラビアのモデル・片桐綾の初ヌードを取る予定で組んだ北海道ロケで事件は起こる。<br />　集合時間どころか、搭乗が始まってもモデルもマネージャーの事務所の女社長も姿を現さないのだ。<br />「どうなってんだ。大橋」<br />　なぜか同行することになった編集長も心配そうだ。<br />「困りましたね」<br />　携帯電話があれば、連絡くらいは取れるのだが、そういう時代ではない。<br />　そうこうしている内に、出発時間が迫ってきた。<br />　ギリギリになって、ハアハアと息を荒げた女社長だけがロビーに現れた。<br />「急に綾ちゃんと連絡が取れなくなっちゃって...」<br />　言い訳を聞いている時間がない。<br />「状況は後で連絡しますから、先に北海道に行っててください」<br />　スタッフと編集長に先に現地入りしてもらうことにした。<br /><br />　女社長の話では、ヌードになることはちゃんと確認して、昨日の夜にも連絡はとれていたのだか、今朝になっていなくなってしまったということだった。<br />「で、どうするんです？」<br />　既にスタッフと編集長は、北海道に向かう飛行機の中だ。後戻りはできない。<br />「野坂を説得して、脱がせますから、明日の出発でいいですか」<br />　思わぬ展開で野坂なつみの初ヌードの話が転がり込んできた。この事務所は、片桐と野坂が二枚看板で、他に代わりがいなかったのだ。<br />　翌朝、無事に野坂と女社長と共に北海道に向かうことができた。<br />　だが、先撮りした野坂のランジェリーのポジは結局、お蔵入りになってしまった。<br />　梅雨の時期のロケだったので、「北海道には梅雨がない」という噂を信じて、ロケ地を北海道にしたのだが、実際に行ってみると連日雨。牛舎のワラ小屋を貸してくれた酪農家のおじさんにそのことを言ったら、<br />「いや、北海道にも梅雨はあるよ」<br />　との答え。関東では常識に近いこの噂、実は全くのデタラメだったようだ。<br /><br />　「あぶないマガジン」の読者の性体験告白コーナーのイラストは、当時大人気のマンガ家・遊人にお願いした。<br />「おたくの会社のエロの基準はどんな感じですか？」<br />　打ち合せに指定された吉祥寺の喫茶店で遊人は、開口一番こう尋ねてきた。<br />「ウチは、あくまでお上の基準に則ってやってますよ。別に反体制の旗を掲げてるわけじゃないですから（笑）」<br />「そうですか。なら安心しました。最近はそうでもない出版社も増えているようですから、一応訊いてみただけです」<br />　グラビアでヘア解禁となるのは、'91年に発売された篠山紀信撮影、モデル・樋口可南子の写真集『Water Fruit 不測の事態』がきっかけとなるのだが、これはそれ以前の話。しかし、一部のマンガ雑誌では、かなり過激な表現がされているものもあった。<br />「やっぱり、中学生とかも読者にいるんですから、基準は大切ですよね」<br />　遊人は、マンガの過激化傾向を憂いているようだった。<br />　その遊人が、この2年後に起こる有害コミック騒動で有害図書の作者としてヤリ玉に挙げられてしまうのだから、世の中皮肉なものだ。<br />（あんなに表現について気を使っていた人なのに）<br />　連載は中断、単行本も絶版にされてしまった遊人にオレは、心から同情を禁じ得なかった。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第87回</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20160531_175646.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2016:/column//8.19469</id>

    <published>2016-05-31T08:56:46Z</published>
    <updated>2016-05-31T09:07:43Z</updated>

    <summary>　6月号の編集作業が終わろうかという頃、編集長から企画書をワ...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p>　6月号の編集作業が終わろうかという頃、編集長から企画書をワープロで打つよう頼まれた。その頃、社内には緑色の文字が発光するタイプのワープロ一台しかなかった。長く打っていると、雪目のように物の残像がピンクに見えるようになってしまうので、オレは色校前に打たないように心掛けていたようなシロモノだった。その唯一のワープロは、編集フロアではなく、経理部や総務部のある４階フロアの片隅に置かれていた。<br />　入社間もない頃、ワープロを打ちに４階に行って打っていると、<br />「あいつ、打てんのか？」<br />「おおっ!!　両手で打ってるよ」<br />　ホメてるのか、バカにしてるのか分からない声が聞こえてきた。やっとワープロが一般に普及したばかりで、打てる人さえ社内にはあまりいなかったのだ（それなのにどういう理由で購入されたのかは知らない）。<br />　編集長から受け取った企画書の文章を適当に直したり、付け加えたりして（その時はよかれと思ってやっていたのだが、考えようによってはとんでもないことだ（笑））、打ち上がったので、編集長のところに持って行った。すると、編集長は思い出したかのように、<br />「そういえば、この増刊はお前が編集長やることになってるから、お前が書かなきゃいけないんだった」<br />「はあ（オレが編集長!?）。でも、適当に直したり、付け加えたりしましたから、半分、オレが書いたようなもんです」<br />「じゃ、これでいいか」<br />　増刊の話も初耳だったが、オレが編集長を務めるという話も初耳だった。「投稿写真」の増刊自体、入社直後に手伝った「Sailor club」以来だ。<br />　この時点では、まだタイトルも決まっていなかったが、AB判のグラビア誌で、４Cページは、撮り下ろしのヌードが一本、他は「投稿写真」でこれまで撮ったアイドルの水着グラビアを二次使用、１Cページは、マンガと読み物で埋めることになっていた。<br /><br />「マンガ家、誰がいいかな？」<br />　編集長に訊かれた。撮影や企画ページのライターは、作業に入る直前でもセットできるが、マンガ家は下手をすると一年先までスケジュールが詰まっていて、単発の仕事をおいそれと頼めない。早めに押さえておく必要がある。<br />「前田俊夫なんてどうですか？　『うろつき童子』とか売れてましたし」<br />「う～ん、じゃ前田さんで行こうか。大橋が担当な」<br />　と簡単に決められても、連絡先も何も知らない（笑）。とりあえず、「劇画ジャンプ」の編集部に行くと連絡先はなんとか分かった。<br />「これ、結構古いから、もう使われてないかも」<br />　と言われたものの、実際掛けてみるとちゃんと繋がった。一度も会ったこともないのにいきなり電話だけで仕事を頼むのも失礼なので、前田さんの仕事場まで足を運んだ。<br />　前田さんは、執筆歴からして結構な歳（4～50代くらい）かと思っていたのだが、会ってみると30代とまだまだ若かった。とてもおしゃべりな人で、仕事の打ち合わせというより雑談をしにきたみたいだった。スケジュールもうまく合い、その場でカラー4ページを含む16ページの仕事を引き受けてもらえた。<br /><br />「あぶないマガジン」の下準備と並行して、7月号の取材・撮影を進めた。7月号は、アイドル担当ページ改変号に当たり、「日本全国イベント会場マニュアル」のコメンテイターが、姫乃樹リカから本田理沙に、相談室がパンプキンからかわいさとみになった。これまでは両方ともオレの担当だったが、かわいさとみの相談室は三橋が担当することになった。特集は、本田理沙の就任記念も兼ねた「アイドルイベント写真マニュアル」だった。担当したのはオレだが、過去に何回か似たような特集をやっていたので、楽勝にこなすことができた。<br />　本田理沙は、会社のビルの隣のマンションに住んでいて、仕事以外にもコンビニでばったり出くわすことがあった。<br />「私って霊感強いんですよ。この辺ってヤバいですよ」<br />　前にも書いたが、オレはそっちの方はてんで鈍いようだ。<br />「何も感じないけどなあ。ま、歴史のある街だからね」<br />「結構そこらへんにうじゃうじゃいますよ」<br />「そんなことより、こんな時間にアイドルが独り歩きしてちゃダメだぞ」<br />　幽霊よりも人間の方が怖いのだ。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第86回</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20160422_130211.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2016:/column//8.19210</id>

    <published>2016-04-22T04:02:11Z</published>
    <updated>2016-04-22T04:07:55Z</updated>

    <summary>  続く6月号では、ちょっとした事件があった。　インタビュー...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p>  続く6月号では、ちょっとした事件があった。<br />　インタビューのためのアポ取りで、「スワンの涙」というドラマの主役が宮沢りえだったので、ダメモトでフジテレビの番宣に電話を入れた。すると、<br />「事務所がOKすればいいですよ」<br />　意外な答え。それじゃあ、と事務所に電話すると担当の女性は、<br />「フジテレビがOKなら」<br />　との返事。再びフジテレビに電話した。<br />「事務所の方でそういうことでしたら」<br />　すんなりとスケジュールを出してくれた。<br />（あの宮沢りえのインタビューが取れた!!）<br />　コサックダンスでも踊り出したい気分だった。ところが、フジテレビの出してくれたスケジュールは、他の撮影と重なっていた。泣く泣く三橋に代役を頼む。　</p>
<p>　取材当日、撮影が早目に終わったので、取材に出た三橋よりも先に編集部に戻ってくるろいでいると、しばらくして三橋が戻ってきた。<br />「どうだった？　宮沢りえは？」<br />　三橋は、難しい顔をしていた。<br />「インタビューできませんでしたよ。「投稿写真」が来るって待ち構えていて、スタジオにさえ入れませんでした。どうなってるんですか、大橋さん」<br />　どうにも納得できないといった表情だ。<br />「え～、ちゃんとアポ取ったのに...。ちょっと事務所に訊いてみるわ」<br />　すぐさま、事務所に電話する。担当の女性が出た。取材の件を切り出すと、そんなことを言った覚えはないという。それどころか、オレと話すのはこれが初めてだというのだ。<br />「じゃあ、あなたの名前を私が知っているのはなぜなんですか」<br />　オレは、荒げそうになるのを必死にこらえた。<br />「さあ、どうしてですかねえ」<br />　完全にトボケようとしている。向こうがその気では、何を言ってもしょうがない。オレは、あきらめて受話器を置いた。　</p>
<p>　おそらく、事務所の担当者はフジテレビがスケジュールを出すとは、思っていなかったのだろう。ところが、フジテレビがすんなり出してしまったので、とんでもないことになったと、自分のミスを誤魔化すために取材をシャッタアウトして阻止、抗議の電話にも知らぬ存ぜぬを決め込んだのだろう。ダメならダメと最初に行ってくれればいいものを（仮にフジテレビがスケジュールを出した後でも）ずいぶんと子供だましな手を考えたものだ。まるで馬鹿にされたようで怒り沸騰だったが、ぶつけどころがなく、泣き寝入りするしかなかった。</p>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>第85回</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="https://www.webdoku.jp/column/ohashi/20160331_102812.html" />
    <id>tag:www.webdoku.jp,2016:/column//8.19054</id>

    <published>2016-03-31T01:28:12Z</published>
    <updated>2016-03-31T01:32:27Z</updated>

    <summary>  3月号の編集作業中、時代は昭和から平成に変わった。噂され...</summary>
    <author>
        <name>本の雑誌社</name>
        
    </author>
    
        <category term="駆け出し編集手帳～『投稿写真』のあったころ / 大橋幸久" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="https://www.webdoku.jp/column/">
        <![CDATA[<p>  3月号の編集作業中、時代は昭和から平成に変わった。噂されていたような書店やコンビニで娯楽誌が店頭から下げられるといった事態にはならず、予定通りに発売された。<br /><br />　4月号が校了し、5月号の準備を始めようかという時、異動の発表があった。<br />　が、またしてもオレの名前はどこにもなかった。<br />（一体、どうなってるんだ!?　4年目に突入だぞ）<br />　オレより、一つ下、二つ下の後輩達は、全員一度は異動を経験していて、歳の近い先輩たちも同様だった。なにゆえオレだけが...と思っても、まさか社長（現会長）に訊いてみるワケにもいかない。<br />（決まったことは、しょうがない。慣れてる雑誌の方がラクなことは、ラクだし）<br />　置いてきぼりにされているような気分は晴れなかったが、この際、前向きに考えるしかなかった。実際、異動に備えて、芸能ページの担当を特集なども含め、引き継いでいたので、オレの担当は、ずいぶん少なくなっていたのだ。<br />　4月号でいうと、表紙・巻頭グラビアの撮影（サイパンロケ）、直木亜弓（ヌード）の撮影、「SCHOOL SISTERS」の特集、「中森明夫のアイドル・シミュレーション」「似な顔絵塾」、特集「アイドル・夢子ができるまで」、「日本全国イベント会場マニュアル」、「TVトリップ」、けらえいこのマンガ、「パンプキンにまかせなさいっ！」（相談室）、目次、「世間流行mono通信」、「アイドルイベント駆け込み報告」、姫乃樹リカの撮影、プレゼントページといった具合だ。この号は、特集を二本とも担当しているが、これは企画を通した者が担当するので、毎月ではない。また4月号ではなかったが、アイドルのインタビューもたまに担当していた。入社したての頃は、担当ページがもっと多かったのに加え、グラビアや投稿ページのネームやほぼ全ページの校正とその版下直しがあって、入稿間際は徹夜の連続だったのに比べれば、人間らしい生活ができる程度までラクになっていた（その分、三橋や奥山は大変だったと思う）。<br /><br />　5月号から、目次のマンガが、けらえいこからただのかずみに変わった。けらえいこから「毎回、アイディアを考えるのが大変だから、ビデオの紹介マンガは続けるけど、目次は降りたい」と申し出があったのだ。元々は、オリジナルマンガだったのをビデオ紹介マンガに変えたのも同じ理由だった。単行本にまとまることはまずあり得ない仕事を頼んでいる後ろめたさもあって、渋々だったが、今回もその申し出を断れなかった。<br />　すぐに、「TVトリップ」のイラストを描いてもらっているただのかずみに電話すると快く引き受けてくれた。彼女に決めたのは、「投稿写真」のキャラクターの"写っ太くん"の生みの親であったことと、これはたまたまなのだが、彼女のアパートは、当時オレが住んでいた埼玉の実家から自転車に乗って行けるところにあったので、原稿取りがラクという理由だった（「投稿写真」はマンガ雑誌ではなかったので、漫画家の起用にはそんなに深く考えていなかったのだ）。<br />　<br /><br /></p>]]>
        
    </content>
</entry>

</feed>
