市場界隈 那覇市第一牧志市場界隈の人々

『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』は書籍になりました。

沖縄県那覇市の第一牧志公設市場。戦後の闇市を起源に持ち、70年以上の歴史を抱える市場に通いつめて、界隈の人々を取材しました。浮かび上がるのは沖縄の昭和、そして平成。観光で触れる沖縄とはちょっとちがう、市場界隈の人々の記録です。
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橋本倫史×武藤良子 市場と銭湯

『市場界隈』刊行記念トークショー @2019年5月24日 於:東京千駄木・往来堂書店

橋本 武藤さん、今日は珍しく緊張されてますね。

武藤 はっちとしゃべるの、なんか嫌なんだよね。

橋本 武藤さんはいつも僕のことを「はっち」と呼ぶんですけど----のっけから「しゃべるの嫌」なんて言わないでくださいよ。

武藤 会ってしゃべる機会が多いから、そういう相手と人前で何をしゃべればいいのか、わかんなくなっちゃうんだよね。普段会わない人だと「せっかくだからあれもしゃべろう、これもしゃべろう」となるけど、会うじゃんっていう。

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橋本 たしかに、会って話す機会はわりと多いですけどね。でも、この『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』という本が出版されることになったとき、今日の会場である「往来堂書店」の笈入建志さんから「うちで出版記念トークをしませんか」と声をかけていただいて、最初に浮かんだのが武藤さんだったんです。

武藤 なぜ? はっちの周りには派手な人がいっぱいいて、『ドライブイン探訪』(筑摩書房)が出版されたときは又吉直樹さんや向井秀徳さんとトークしてたじゃん。なぜ『市場界隈』のときはおいらなんだっていう。

橋本 僕は広島出身で、2002年に上京したんですけど、上京して何年かはこの谷根千と呼ばれるエリアに足を運んだことがなかったんですね。それが2010年の春、武藤さんが「一箱古本市に行こう」と誘ってくれて、南池袋にある「古書往来座」の瀬戸雄史さんや、今は仙台で「ボタン」という古本屋をやっている薄田通顕さんと一緒に出かけることになって。まずは「往来座」に集合して、池袋から日暮里まで山手線に乗って、谷中ぎんざを歩いている途中で武藤さんが「ビール4つ」と勝手に注文したことがあって。

武藤 あそこの酒屋は生ビールを売ってるからね。それ、ビール代はおいらが4人分払ったのかしら?

橋本 いや、武藤さんが全員分注文して、各自で払いました。たしかにビールを飲みたい天気だったし、「ビールなんて飲みたくなかった!」ということでは全然ないんですけど、妙にそのときのことは記憶に残ってます。


〇文章と写真

橋本 武藤さんと知り合ったのは10年くらい前ですけど、この10年のあいだによくお酒を飲んで、なくなっていくもの、変わっていく風景についてうだうだ話してきたなと思ったんですよね。それで、武藤さんも少し前に初めての著書を刊行されて。

武藤 金沢の龜鳴屋という一人版元から『銭湯断片日記』という本を出したんですけど。2007年からブログを書き始めて、その中から銭湯に行った日だけを抜粋した本を作ろうという奇特な人があらわれて、一緒に作りました。

橋本 『銭湯断片日記』の中に、僕が出てくる箇所がところどころあって。2010年に目白台の「月の湯」で古本市が開催されたときの記述に、カメラを提げてやってきた僕が出てくるんです。その日、僕は「月の湯」のいろんなとこを写真に収めていて、武藤さんに頼まれて銭湯のペンキ絵を背景にして武藤さんの写真を撮った、と。それを読んだとき、「ああ、10年くらい前はいつもカメラを持ち歩いていたな」と思い出したんです。

武藤 そうだね。はっちとカメラは一緒だね。

橋本 でも、今はそんなに持ち歩いてないんですよね。『市場界隈』には僕が撮影した写真もたくさん掲載してもらってますけど、普段からカメラを持ち歩いているかというと全然そんなことなくて。前にカメラを持ち歩いていたのは「写真で残したい」という気持ちが強かったんだと思うんですけど、今は写真より文章になってるのかもしれないですね。

武藤 それは何で? だって、写真と文章って書けるものや写るものが違うじゃないですか。どっちにも限界があるような気がするから、どっちも残せばいいじゃんねと思うんだけど。

橋本 それはそうなんですけど、どっちもは無理じゃないですかね。だって、武藤さんは絵を描く仕事をしているわけですけど、『銭湯断片日記』は文章で銭湯を記録した本で、銭湯を絵で描こうとはしないですよね?

武藤 描かないねえ。最近『銭湯図解』という本を出した女性がいるんだけど、ああいう図解はいいよね。でも、自分はああいう絵を描けないんで。

橋本 今は描けなくても、そういう描き方を学べば描けるようになるわけじゃないですか。でも、武藤さんはそうではなくて、文章で記録してますよね。これは武藤さんが那覇を歩いた日記を読んだときにも思ったことですけど、あの日記も目に入ってくる情報を細かく書いて、どの道がどう繋がっているかをすごく細かく書いてますよね。あの感じはすごく印象的で、もし武藤さんが絵で市場周辺の風景を描こうという気持ちがあったとして、その上で文章も書いたとしたら、ああいう文章にはならない気がするんですよね。それと同じように、写真で記録しようということを軸に考えると、文章で考えることがうまくまとまらなくなって、その両方を両立させるのはすごく難しいことであるような気がします。

武藤 図解とか断面図を学べば描けるようになるかといえば、向き不向きもあるし、おいらには描ける気がしないね。絵も文章も両方っていうのは、おいらもやらなかったかもなー。ブログは気軽に始められたし、だから続けられたんであって、はじめからきちんと残そうとか伝えようとかしなかったから、出来たことも多いような気がする。那覇の道について書いた文章もだけど、見たものを書くことで頭の中で繋げるという行為が好きなのかもなー、と。「写真なら」と思ってしまうのは、おいらの違う表現への想像力のなさだね。


銭湯を書く、市場を書く

橋本 武藤さんは東京の雑司ヶ谷生まれですけど、小さい頃から銭湯に行ってたんですよね?

武藤 子供のときは雑司ヶ谷にいくつも銭湯があったんだよね。雑司ヶ谷はお寺と神社が多いから、お祭りもいっぱいあるんですよ。そうすると、子供たちで山車を引いたりお神輿を担いだりしたあとに「銭湯行こうぜ」ってよく行ってたよ。家に風呂があったから、そんなに頻繁に行ってたわけでもないけど、わりと行ってたほうだと思う。

橋本 そこは武藤さんと僕でかなり違うところですよね。武藤さんは小さい頃から銭湯に通っていて、今も銭湯によく行っていて、そうした中で『銭湯断片日記』を出版されたわけですよね。僕は今年の初めに『ドライブイン探訪』を出版しましたけど、ドライブインに思い入れがあるわけではないんです。

武藤 それがびっくりだよな。

橋本 小さい頃に家族でドライブに出かける機会はありましたけど、そういうときに立ち寄るのはマクドナルドかファミリーレストランで、ドライブインに入った記憶は一度もないんです。でも、大人になって原付で旅に出たときに、廃墟になってしまった店も含めて、ものすごい数のドライブインがあったんですね。自分は一度も行ったことがなかったけど、だからこそ「こんなにたくさんあるからには、ドライブインの時代があったんだろうな」と思って、今のうちに記録しておいたほうがよいのではと思ったんです。そんな僕からすると、小さい頃から当たり前のように銭湯に行っていた武藤さんが「銭湯のことを書き残しておかないと」と思うに至る回路の方が不思議なんです。

武藤 なんで書こうと思ったのかなー。ブログを始めたきっかけで言うと、絵の展示の告知として始めたんだけど、展示なんて1年に1回か2回しかないから、そのときだけブログ書いても誰も読まないじゃん。それで2007年頃から毎日書いてたんだよ。銭湯に行くか行かないかにかかわらず毎日書いていて、そこにたまたま銭湯に行った日も出てくるってだけで、初めのうちは銭湯のことを書き残そうとは思っていないと思う。

橋本 でも、どこかで視点が変わってますよね。小さい頃はお祭りのあとに皆で行く機会があったとしても、大人になってからは「わざわざ行く」ということになりますよね。どこから上京してきて風呂なしアパートに住んでいるというなら別ですけど、あえて家のお風呂ではなくて銭湯に行く、という。

武藤 これはあんまりしゃべりたくないんだけど、その頃付き合ってたにーちゃんちの風呂が壊れてたから、ふたりで銭湯に行って、家に帰ってご飯食べてみたいな、そういうときがあったんですよ。だから、しょっちゅう行くようになったきっかけはそれだね。そうやって通っているうちに、「違う銭湯も行ってみるか」となるじゃないですか。銭湯の「お遍路スタンプノート」っていうのがあるということも知って、ハンコを押してるうちに、いろんな銭湯に行くのは楽しいなと。一つとして同じ銭湯はないので、途中からは細かく、「ここは湯船が浅い」とか「ここは深い」とか、ペンキ絵がどうだとか書き始めたんだと思う。 あとやっぱり、銭湯に行くうちに、銭湯がどんどん潰れていくのを目の当たりにしたからかな。行かないと、見ないと、書かないと、なくなってしまう、という。だからといって、銭湯のことを書き残さねば、わたしがやらなければ、とは今も思っていない。

橋本 何かを記録しようと思うときに、いろんな回路があるのが面白いですよね。使命感に駆られているというわけでもないけれど、そうして言葉で記録されて、それが一冊の本になるという。那覇の市場を記録する本を出したとなると、普通は「よっぽどその場所に思い入れがあるのか」と思われると思うんですよね。僕は「沖縄が大好きで、学生時代から何度も旅行に出かけてます」というタイプでは全然ないんです。僕は広島出身で、祖母は被爆してるんですけど、学校でも戦争に関する話は何度となく聞いてきたこともあって、戦争を想起させられる場所に旅行で行くことを避けてたところがあるんです。
 でも、今日マチ子さんという漫画家の方が描かれた『cocoon』という作品があって、それが2013年の夏、マームとジプシーという演劇カンパニーによって舞台化されることになったんです。その舞台の稽古が始まるまえに、皆で一度沖縄に行こうということになって、僕も同行させてもらったんですね。その旅の初日が2013年6月23日で、その日は沖縄で組織的な戦闘が終結した「慰霊の日」で、平和祈念公園では毎年式典が開催されていて。その式典の様子を眺めたり、いろんな戦跡や海を眺めたりしているうちに、「こうして一度きたからには、これからも足を運ばないとな」と思ったんですよね。
 それで、僕はライターとして仕事しながら、自分でリトルプレスも作ってきたんですけど、それを那覇にある「市場の古本屋ウララ」というお店で扱ってもらうようにもなって。それは牧志公設市場のすぐ向かい側にある小さなお店で、武藤さんが個展を開催したことのあるお店でもありますけど、そこに直接納品に行っているうちに少しずつ地図が頭に出来てきて。そんなある日、たしか2017年の年末だったと思うんですけど、「古書信天翁」でちょっとした忘年会が開催されていて、そこで「音の台所」さんと出会ったんです。

武藤 谷根千にも関わりのある、茂木淳子さんね。

橋本 茂木さんは「音の台所」という屋号で活動されていて、今は沖縄に住んでらっしゃるんですけど、その日は東京に戻られていて。そこで少し言葉を交わしたときに、「牧志公設市場ももうすぐ建て替えになるから、ドライブインのことを書き残しているように、市場のことも書き残して欲しい」と言われたんですね。知らない場所ならともかく、知っている場所でもあるし、そんなこと言われたら書くしかないじゃないかと思ったのが、『市場界隈』を書くきっかけになったんです。


沖縄の戦後がにじむ

武藤 『市場界隈』を読んでて思ったのは、『ドライブイン探訪』に比べると、一つ一つがコンパクトにまとまっていて読みやすかったんだよね。あと、セツナミーの成分が減ってるんだよね。『ドライブイン探訪』を読んでると、最後に必ずさ、はっちのつぶやきみたいなのが入るじゃん。

橋本 ......そんな言い方します?(笑)

武藤 あのつぶやきが完全にウェッティーで、そこがはっちの文章だなと思ってたんだけど、それが『市場界隈』にはなかったんだよね。

橋本 『市場界隈』は30軒の店主に取材した本で、そのうち1軒だけはどうしても何かが漏れ出した文章になってますけど、他のお店に関してはウェッティーではないと思います

武藤 へー。それはもちろん、わざとだよね。

橋本 そうですね。なるべく自分の感情みたいなものは出さずに書こうとは決めてました。それには理由があって、『ドライブイン探訪』で取り上げたお店は北海道から沖縄まで全国に散らばっていて、そこにドライブインを開業した理由も様々だし、その地域の歴史もそれぞれ違っているから、それを取材したときに僕に浮かんでくる感慨もそれぞれ違ってくるんですよ。それを最後の数行に書いて、それを武藤さんは「ウェッティー」とおっしゃってるわけですよね。それで言うと、もちろん『市場界隈』で話を聞かせてもらった方たちの人生も様々で、一軒一軒の来歴は違っているんですけど、その向こう側にあるのは沖縄の戦後のあゆみなんです。それは全体を通して浮かび上がってくるべきもので、一軒一軒に対してそれを書き込んでしまうと、対象を言葉で縛り付けてしまう気がして。ただでさえ沖縄という土地は言葉によってイメージに縛り付けられがちなところがあるので、なるべくさらりとした書き方にしたかったんです。店主の方の人生に沖縄の戦後がにじんでいるのだとすれば、それを言葉で仰々しく書き立てるのではなくて、何気なく読み進めた先でふとした数行の中にハッとしてほしいなと思ったんですよね。沖縄出身でもなければ、「沖縄をこよなく愛してます」なんて言える人間でもない僕が書くのだとすれば、そういう書き方がふさわしいだろう、と。

武藤 それもおかしな話だよね。ドライブイン愛もなければ沖縄愛もないのに、それで本を作ろうっていうのは太い考えだと思うんだけど。

橋本 別に「良いネタ見つけたぜ」と思って取材したわけではないので、愛はないというと語弊がありますけどね。ただ、好きが高じて書いたということではなくて、「この言葉を誰かが記録しておかないと」という気持ちで書いたってことです。

武藤 でも、文章のウェッティー問題は切実で、おいらも根暗なんでウェッティーになりがちなんですよ。こないだ「石神井書林」の内堀弘さんとトークイベントをやったときに、ウェッティー問題について話したんですよ。「ウェッティーな文章はもう嫌だ、もっとカラカラに乾いた文章を書きたいんだ」と。そうしたら内堀さんが「文章というものはウェッティーじゃなきゃ駄目なんだ、僕の文章なんてビショビショですよ」と言われて。その問題をね、今度は夏葉社の島田潤一郎さんに話したら、「僕もね、文章というのはどこか湿ってないと駄目だと思います」と言われたんだけど、「内堀さんの文章も湿ってるんだけど、どこか踏みとどまっていて、それが素晴らしいんだ」と。まあそれだけなんですけど、皆、ウェッティー問題については考えてるんだなと思ったんだよね。


都市と田舎 風景を知る

橋本 冒頭に少し話しましたけど、武藤さんと飲んでいると、なくなっていくものや変わっていく風景について話すことが多いんですよね。僕は2年前まで高田馬場に住んでいたので、武藤さんとはわりと近所でしたけど、そこに都電が通っていて。その線路の脇に新しい道路が通ることになって、今もずっと工事中ですけど、その風景が変わっていく様子を眺めながら飲んだこともあって。あるいは、池袋の西口に「ふくろ」という大衆酒場があって、お店自体は今もあるんですけど、そこにすごく素敵な店員さんがいたんです。

武藤 うん、二階のね。超できる女の人ね。

橋本 その店員さんは常連の皆さんにもすごく愛されていて、その人が最後に出勤する日は常連さんが大勢集まりましたけど、僕も武藤さんも、その日に飲みに行って、変わっていく風景を眺めていて。その、「いつかこの風景も移り変わっていくんだ」ということを武藤さんが最初に意識したのはいつですか?

武藤 『銭湯断片日記』の中に「バイバイ、レンゲ畑」という文章を書いてるんですけど、それははっちが作っていた『HB』にも書いた文章なんだよね。

橋本 今日は『HB』も持ってきたんです。これは2010年に出したvol.7で、結果的に最終号になったやつですね。

武藤 日記にはそれのもっと長いやつを書いてるんだけど、浅草に「常盤座」という劇場があって、そこに一時期通っていた時期があって。そこが閉館になるときに、署名運動をしたりもしたんですけど、あの界隈にあった常盤座や松竹座がバーッと潰されて、ドン・キホーテとかになって。自分が通っていた幼稚園もなくなったし、小学校もなくなって、関わってきたものがどんどんなくなるんですよ。そうすると悲しいじゃないですか。

橋本 ......。

武藤 え、悲しくない? 私は悲しかったんですよ。浅草の「常盤座」は、建物自体もすごい良くて、石造りの格好良い建物だったのに、なんで簡単に壊してしまうんだろうと思ったんですよ。「こんな建物、また造れるはずないのに」って、悲しいというよりは怒ってたんです。でも、結局壊されちゃうんだよね。そこでずっと悲しんでいるのもアレだから、なんとか折り合いをつけようと考え始めたのが、その「常盤座」の頃なのかな。この文章を書いてるときも考えてたし、ずっとぶつぶつ考えてるんですよ。どうしたらいいのか。だけど、ツイッターとかに「どうしてこんな良い建物を壊してしまうのか」って書くやつは嫌いなの。同じ気持ちなはずなのに、そういうのを見るとイライラすんのね。それも「何でだろう」ってずっと考えてるんですよ。

橋本 武藤さんは東京の雑司ヶ谷に生まれ育ってますけど、僕は広島の田舎に生まれ育ったんですね。ほんとに農村みたいな地域なんですけど、何もなかった場所に生まれた人間からすると、新しいものができるのはとにかく嬉しいことだったんです。バイパスが開通したときも、「ミスターマックス」って大型ショッピングセンターができたときも、初めてセブンイレブンができたときも嬉しかったんです。大人になった今振り返ると、バイパスを通すために山が削られて、小さい頃に見ていた風景が消えてるんですよね。その山から田んぼに水を引くための小さな水路があって、落ち葉で水路が詰まっちゃうから、祖母と一緒にときどき落ち葉を取り除きに山に出かけていて。バイパスが開通したことでその風景はもう見れなくなっちゃったんですけど、それよりは「新しいものができた!」っていう嬉しさのほうが強くて。

武藤 東京だと、何かを潰して何かができるから、そうするとまた違うんだよな。これは『ドライブイン探訪』を読んでても思ったんだけど、山しかなかったところにある日突然道路ができるって話が出てくるじゃん。東京に住んでいると道路って昔からあるものだけど、ある日突然大阪とか東京に通じる大きな道路ができるわけだよね。その喜びはいかばかりかと思うし、やっぱり嬉しいのねって思ったんだよね。

橋本 バイパスが開通したのは嬉しかったですね。この道が隣の大きな町----今思うと決して大きな町ではないんですけど----に通じているんだな、と。コンビニができたときも、何が嬉しかったのかと振り返ってみると、都会と同じものがこんな小さな町でも買えるんだってことが嬉しかったんですよね。それで言うと、東京に出てきて初めてam/pmに行ったとき、「東京のコンビニはお弁当を温めるだけでも番号札を持たされて数分間待たされるんだな」と思って、妙に嬉しかった記憶があります。

武藤 初めてコンビニに行った記憶とか、ないんだよな。コンビニが初めて雑司ヶ谷にできたのも、いつなのかおぼえてない。

橋本 だから、ただ空き地だった場所にコンビニやショッピングセンターができたり、だだっ広い風景が造成されて団地ができたりする風景を見て育ったんですけど、自分が東京に出てきて、ああ、風景はこうやってなくなっていくんだなと思ったんですよね。

武藤 なくなるんじゃなくて、上から塗りつぶされていくんだよ。それがおいらには苦しいのかな。


土足ではなく靴を脱いで

橋本 さっきの『HB』というリトルマガジンで、武藤さんに依頼した原稿はもう一つあって。当時、高田馬場に「熊ぼっこ」という中華料理屋さんがあって、そこは24時間営業のお店だったんです。それはもう、ずっとこの場所で営業を続けてきたんだなと一目でわかる佇まいで、その佇まいを目にしたときから、「5年後なのか10年後なのかはわからないけれど、いつかこの景色がなくなってしまう日がやってくるんだな」と思ったんです。それで「熊ぼっこ」に流れる時間を記録してもらおうと思って、「24時間滞在して、ドキュメントを書いてください」と武藤さんに依頼したんですよね。そうしたら「いや、24時間は無理だろ」と言われて、じゃあせめて12時間滞在してくださいということで、「オールナイト熊ぼっこ」というルポを書いてもらったんです。

武藤 うーん、楽しかったな。「熊ぼっこ」のおじちゃん、良い人だったよね。普通は12時間も居座られたら追い出すのに、「いつまでもいろよ」ぐらいの感じだったよね。夜中におかずを作ってくれたり、ビールもサービスしてくれたりさ。汚かったけど、良いお店だったな。

橋本 トイレの床はべこべこでしたね。「熊ぼっこ」、残念ながら何年か前に閉店してしまって。今日、トークの前に読み返してたんですけど、書かれた言葉を読んでいると「ああ、こんなお店だったな」と思い出すんですよね。

武藤 文章を書いておくと、後から思い返せるよね。

橋本 ただ、その当時から感じていた違和感もあって。そうやって店主の方は色々サービスしてくれたし、12時間居座っても怒られないからそこに甘えてやってましたけど、どう考えても筋を通した取材ではないんですよね。

武藤 勝手に行って、勝手に書いてるだけだからね。

橋本 あのとき、ちょっと土足でお店に上がってしまったなという気持ちがあって。取材をするということは、対象から何かをもぎとる作業ではあるとは思うんですけど、どうすれば靴を脱いで上がることができるかってことは考えるようになったんです。それもあって、ドライブインの取材をしていたときは、1軒につき3回は訪れてから話を聞かせてもらっていたんです。
 『市場界隈』でも、月に1度は沖縄を訪れて、1週間くらい滞在して、朝から晩までひたすら歩いてたんです。市場となると、常に賑わっているお店も多くて、特に鮮魚店は観光客で大賑わいなんですね。お客さんの相手をするだけでも大忙しだから、いきなり「取材させてください」とは言えないわけですよ。だから、ひたすら通って、まずは顔を覚えてもらって、そこでお刺身と缶ビールを買ってたんです。公設市場の隅っこにお刺身を食べるためのテーブルが用意されているから、そこでお刺身を食べて過ごしてたんですね。そうやって毎日のように過ごしていたある日、別の鮮魚店の店員さんが、梱包に使えるサイズに新聞紙を割く作業をしながら近づいてきて、「いつも見かけますけど、何されてる方なんですか?」と質問されたことがあって。

武藤 まあ、変な人だよね。

橋本 そう、朝から晩まで毎日のようにいるせいで、不審者になりかけてたんですよね。それで「そうですよね、不審ですよね。いや、文章を書く仕事をしてまして、公設市場のことを取材したいなと思って、毎日歩いて見学してるんです」と答えたら、その若い店員さんが自分の店に戻って、他の店員さんたちに説明しているのが見えて。

武藤 たぶん皆、「アイツは何だ?」「お前、聞いてこいよ」となってたんだろうね。


残したいことば 再訪と記録

武藤 だけどさ、公設市場を取材するとして、お店の選定はどうやって選んだの? ドライブインもそうなんだけど、他にもたくさん魚屋があるなかで、どうやってその一軒を選んだわけ?

橋本 魚屋さんだと「長嶺鮮魚」というお店を選んだんですけど、もちろんそこにはいくつか理由があって。一つには、公設市場というのは一軒ずつが小さな区画でスタートしてるんですけど、店を畳んだ人の区画を別の方が買い取って、今では大きな棚で営業していたりするんです。そういうお店はずらりと魚が並べてあって、観光客もよく足を止めて、写真を撮ったり買い物をしたりしてるんですね。公設市場はもともと地元のお客さんが多かった場所ですけど、今は観光客で賑わう場所になっているので、そういう大店を取材したいなと。それと、ここ数年は外国人観光客が増えていて、中国語を話せるアルバイトを雇っている店も増えているので、そういうスタッフの方がいるお店がいいなと。それに加えて、「長嶺鮮魚」の店主の方は、名物女将というか、ピシャッとした物言いをされる方なので、できればこの女将さんに話を聞いてみたいなと。

武藤 優しく接してくれる人に行きがちだけど、そこはちゃんと頑張るんだね。当たり前っちゃ当たり前なのかもしれないけど、偉いね。

橋本 『市場界隈』は、ただ市場で働く方に話が聞ければいいと思って取材したわけではないんです。那覇の市場は戦前には別の場所にあったんですけど、戦争で焼け野原になり、かつての中心部が米軍によって立ち入り禁止となったことで、現在市場があるあたりに闇市が立って、それが公設市場として整備されたんです。その界隈を取材することは、戦後のあゆみを取材することにも繋がると思っていたので、どこを取材すれば終戦直後から現在に至るまでの移り変わりを描けるだろうかってことを考えながら、毎日のように歩きまわってました。

武藤 ドライブインにしても公設市場にしても、皆、話すのが得意な人ではないじゃないですか。それをよく粘り強く通って、言葉を引き出したなーと。

橋本 何でしょうね。「残さなきゃ」ってだけですよね。

武藤 でも、思い入れがあるわけじゃないんでしょ?

橋本 「思い入れがあるから取材する」とかではないです。

武藤 だってさ、消えゆくものは一杯あるじゃないですか。思い入れがないんだとすれば、どうしてその場所を選んだのかなと。

橋本 偶然出会ったからじゃないですかね。ドライブインも、ZAZEN BOYSというバンドを原付で全国追いかけているときに偶然出会った場所ですし、沖縄も『cocoon』という作品がきっかけとなって毎年足を運ぶようになって、その中で何度か歩いたことのある風景が変わっていくのだとしたら、それは記録しておかなければという。もちろん全部のことを僕一人が書き記すことはできませんけど、せめて目に留まったことは記録しておかなければと思って取材してきた気がします。

武藤 「思い入れがない」とか、「好きじゃない」とか、いろいろはっちは言うけどさ、「一度きたからには、これからも足を運ばないと」とか普通じゃないと思うんだけど。

橋本 そう言われて、「いやいや、自分は普通ですよ」と言い張るつもりはないですけどね。これまで作ってきたリトルプレスの中には、マームとジプシーという演劇カンパニーのことを取材したものが何冊かあるんです。そのうちの一つに、武藤さんに挿画をお願いした『まえのひを再訪する』というのがあって、これは2014年の春に全国7都市で上演された「まえのひ」という作品をめぐるドキュメントなんですね。僕はそのツアーの全行程に同行してたんですけど、これは単なる同行記として書いたわけではなくて、ツアーから一年経った春、「まえのひ」が上演された場所をひとりで勝手に再訪して、一年前を振り返りながら書いたものなんですね。ひとりで勝手に再訪してるって、なんでそんなことをしてるのかっていうと、自分でも意味はわからないんですけど、そうせざるを得ないというか、「もう一度行くことだってできる」と思い浮かぶと、行かずにはいられないんですよね。それは別に、思い入れのある時間にひたりたいとかってことではないんですよね。もう一度あの場所に行って、そのときのことや、そのあとに流れた時間のことや、その時間が過去になっていくことについて考えたいってことですかね。


自分の暮らす町で

橋本 『市場界隈』の取材を始めた頃に、「市場の古本屋ウララ」の宇田さんと話したことがあって。私も市場のことを書いておきたいと思うけど、自分もその向かいでお店を構えているとなると、選ぶってことが難しいとおっしゃっていたんですね。つまり、「どうしてあの店を取材したのに、私の店には取材してくれないんだ」となりやすいわけですね。でも、僕は遠くから取材にきている立場だから、そこは自分の感覚で選ぶってことに対するハードルが低いんです。
 ただ、その一方で迷っていることもあって。ドライブインの取材を始めて、北海道から沖縄まで全国各地を取材して、町の歴史やお店の来歴を聞いてまわっているうちに、ある疑問が膨らんできたんですね。自分とは縁もゆかりもない土地のことをこんなに聞いてまわっているのに、どうして自分が住んでいる場所に対してその目線を向けないんだろう、と。

武藤 ああ、それで『不忍界隈』を作ったんだ。

橋本 そうなんです。ドライブインを取材しているときは、最初は『月刊ドライブイン』というリトルプレスとしてまとめていたんです。その最終号は2018年6月に刊行したんですけど、それと同じ日付に、千駄木・谷中・根津・池之端あたり----不忍通りの近くにあるエリアですね----でお店をされている方に聞き書きをする冊子を創刊したんです。『不忍界隈』はこの「往来堂書店」でも扱ってもらっているんですけど、6号目でストップしてしまっているんです。それは、やっぱり、近所だと難しいところもあって。何が難しいかというと、ドライブインにいるときも市場にいるときも、話を聞くためだけに僕は存在していて、言ってみれば「演技」なんですよ。でも、自分が住んでいる土地だと、その按配が難しくて。

武藤 いや、素で話を聞きに行けばいいんじゃないの?

橋本 素で過ごしている感覚からすれば、話を聞いて書き記すなんて、余計なことでしょう。

武藤 でも、はっちのあとがきを読むと「百年後の君に届け」みたいに書いてあるじゃないですか。そういうことじゃないですかね。

橋本 自分が百年後にいる読者だとすれば、「そういうことを書き残しておいてほしい」と思うんですけど、書かれる側の本人は記録されるために存在しているわけではないし、僕はすごく余計なことをやっているなという気持ちもどこかであるんですよね。もちろん「それでも書き残したい」と思うから取材してるんですけど、生活の圏内でそれをやろうとすると難しいんですよね。

武藤 演技問題はわかんないなー。おいら、演技して銭湯に行ったことないから。

橋本 僕からすると、そこが面白いですけどね。だって、「銭湯のことを書き記そう」ってモードになってるのに、「話を聞き出すためにこう過ごそう」みたいに構えることなく、普通に湯に入って帰ってくるわけですよね。それってすごいことだよなという気がします。


追悼文は書きたくない

橋本 今の話と関連することでもあるんですけど、先日の内堀さんとのトークでは、「武藤さんは他人に興味ないんじゃない?」と言われてましたね。

武藤 酷いよね。銭湯に行くと、風呂上がりにビールを買って飲みながら、「ここっていつからあるんですかー」とか、ちょっと番台で話を聞くんだよね。そこで「昭和何年から」って教えてもらって、「ああ、そうなんすかー」って、私はそのまま帰るんだよね。そのことに対して、「何でそこで帰るの?」「武藤さん、他人に興味ないんじゃない?」と言われたんだけど。

橋本 取材したいと思っているお店に初めて行くときは、僕もそれぐらいあっさりした会話で帰るんですけど、それは2回目、3回目に再訪したときにたっぷり聞くための演技なんですよね。でも、だからといって僕が他人に興味があるわけでもないんですけど。

武藤 興味ないんでしょう?

橋本 「興味がないです」と言うと人でなしみたいになりますけど、武藤さんより僕のほうが他人に対する興味は薄い気がします。

武藤 そんな感じがするよね。たぶん私のほうが他人に興味があると思う。

橋本 取材する相手に関して言うと、個人的に興味があるというよりも、その人の何かが書き残されるべきだという感覚なんですよね。だから芝居がかった振る舞いをしたとしても、とにかく言葉を記録させてもらえる状態に持っていかないとと思うんです。でも、武藤さんはそういう振る舞いをしないですよね?

武藤 はっちの場合はさ、自分で作っているリトルプレスに書くとか、本の雑誌社のウェブサイトに書くとか、目的があってやってるじゃないですか。私はただ風呂に入りに行ってるだけなんだもん。

橋本 文章を書いておいて、それはずるいんじゃないですか?

武藤 だっておいら、ただのブログだよ? 自分のブログに「銭湯に行ったぜ」と書いてるだけで。

橋本 でも、本になってるじゃないですか。

武藤 それは奇特な人があらわれて「本にしましょう」と言われただけで、それを書いてお金をもらおうとか、いつか冊子を作ろうとかそういう目的はまったくなく、ただ日々のこととして銭湯に行って、ちょっと女将さんとしゃべって、「じゃあ」って立ち去るっていう----ずるいって何、ずるくないよ別に。なんで入浴代を払ってしゃべったぐらいで「ずるい」って言われなきゃいけないの。

橋本 『ドライブイン探訪』を出版したとき、何本かトークイベントを開催したんですけど、見汐麻衣さんという方と福岡でトークをしたんですね。そのとき、取材を断られたときの話になって、見汐さんは断る側の気持ちもわかるとおっしゃっていたんです。「私は『あるときはただあればいい』と思うから、自分が生きているあいだのことは、そっとしておいてほしい」と。そっとしておいてほしいと思っている人からすると、何かを書き残そうとするなんて、すごく余計なことだと思うんです。でも、僕は対象がなくなってしまったあとに書くのは嫌なんですよ。風景なら風景が消えてしまって、「今はなくなってしまったけど、懐かしいよね」という態度で書くのは嫌なんです。人に対しても、素晴らしい追悼文というのも多々ありますけど、生きているうちに言ってあげればいいのにと思う節もあって。

武藤 でも、相手が死んでから書けることも多々あるしね。おいら、はっちが早く死んだら書くこと一杯あるよ。あのときこんなこと言われた、このときこんなこと言われた、って。

橋本 それ、全部ネガティブなことな感じがしますね。

武藤 まあ、基本的にネガティブなことのほうが記憶に残るからね。


六度の校正を経て

橋本 武藤さんはわりと、ネガティブなことを軸に考えるところがありますよね。文章についても、「こういう文章を書きたい」ではなく「こういう文章は書きたくない」というイメージが強くありますよね?

武藤 そうだね。人から言われたことも、褒められたことよりも文句を言われたことのほうがずーっと心に残るから、それをずーっと考えてる。それは、はっちに対してもあるんですよ。さっきのウェッティーの話に近いけど、数年前にはっちと飲んでたとき、「もっとカラカラの文章が書きたい」と言ったことがあるんだよね。「もっと短歌や俳句ぐらい、きれっきれの言葉で文章を書けたらいいんだけどなー」って。そうしたら「読み手にとってそれがいいとは限らない」と言われたんだけど、こないだ飲んだときに同じ話をしたら、「今の僕だったら、『それぐらいきれっきれの言葉のほうがいいと思う』って答えると思います」って言いやがったんだよね。何だこいつと思ってさ。

橋本 それはしょうがないでしょう。人の考えは、ある日スパッと変わることもありますから。

武藤 そんなさ、数年で変えられちゃ困るんだよね。あとさ、こないだ(南陀楼)綾繁とトークしたんだけど、数日前に渡したのに、綾繁は『銭湯断片日記』を全部読んでくれて。そしたらさ、トークのときに「悪いけど、本になることを意識した最後のほうの文章は全然つまんない」「ただのうまいエッセイストみたいでまったく引っかからない」って言われたんだよ。まあ、ああ、そう、と思って。はっちもそうだけどさ、嘘をつく人じゃないから、そうやって考えるきっかけをくれるのは嬉しいんだけど、一生許すまじと思ってる。

橋本 でも、そういう言葉を言われたときに、武藤さんは揺らぐんですか?

武藤 いや、考えるよ。私の周りには、なぜか私に忌憚のない意見を言う人たちが多いんだよね。

橋本 武藤さん自身も忌憚がないですからね。

武藤 ああ、なるほどね。でも、そうやって何かを言われたときに腹は立つんだけど、「じゃあ、どうしたらいいんだろう」って考えてるのは好きなんだよね。だって、次に行くヒントかもしれないじゃん。

橋本 武藤さんはなぜそれを考えるんでしょうね? 僕であれば、文章を書くことでお金をもらおうとしているわけだから、自分がどう言う文章を書くかってことは当然考えるべきことなわけですよね。でも、武藤さんは別にお金をもらおうとしているわけではないとすれば、どうしてそんなに考えてるんでしょうね?

武藤 絵に関しては、私はリブロっ子で、学生の頃「アール・ヴィヴァン」に通っていて、そこで「ああ、絵ってかっこいいんだな」と思ったんだよね。それで私も絵を描き始めたから、好きが根底にあるんですよ。ところが文章に関しては、私がブログを始めた頃には、イラストレーターでもブログを始める人が多い時期で、結構盛り上がってたんだよね。でも、イラストレーターの人たちの書いているブログっていうのは言葉がポエムっぽい感じで、それが嫌だったの。そのときに、古本が好きなおじさんたちの書いているブログを読みに行くと、みっちり文章が書かれていて、「こっちのほうがいいな」と思って私もそういうブログを書き始めたんだよね。なので、嫌いを排除することから文章は始まっていて。ポエムっぽいものを書かないとか、変なカタカナは使わないとか、写真に一言コメントを添えて載せたりしないとか----そうやって自分が嫌だと思うことを全部なくしていけば、自分にとって良い文章が書けるんじゃないかと思って、嫌なとこつぶしをやっていったんですよ。だけど、それだけでは書けないことが出てくるんですよ、ある日。『銭湯断片日記』はゲラを6校まで出してもらって、6回読み返してるんだけど、そのたびに「下手くそが」って自分に対して思うわけですよ。それで「じゃあどうしよう」と思うんだけど、そうやって考えているのが好きみたい。

橋本 今の話にもありましたけど、武藤さんは6回もゲラを出してもらって、そのたびに大きな修正を加えたわけですよね。それ、すごいことだよなと思うんです。というのも、僕はほとんど直さないんですよ。それはなぜかと考えると、『ドライブイン探訪』も『市場界隈』も、僕が書きたいことを訴える文章ではなくて、誰かがしゃべったことをまとめた聞き書きなんですよね。聞いた言葉を滞りなく配達できればという気持ちが強いので、一度書き上げたあとで、あんまり大きく修正することもないんです。


何でもないことを書く

橋本 武藤さんが「こういう文章は書きたくない」っていう気持ちは、ある部分ではすごくわかるんですよね。『ドライブイン探訪』を出すにあたって、「こういう本にしたくない」というイメージはありましたし、『市場界隈』のときにもそういう気持ちがより強くあったんです。

武藤 それは何が嫌なの? 文章が嫌ってこと?

橋本 誰かのことを書いた本であれば、書く側のことはどうでもよくて、書かれる側のことが大事なわけですよ。そこが濁っている本にはしたくないなと思っていたんですよね。それでいうと、銭湯について書かれている方はたくさんいますけど、武藤さんは読んでるんですか?

武藤 ほぼ読んだことないね。銭湯に行ってるのに、銭湯にまったく詳しくならない人として生きてる。別に銭湯の歴史に詳しくなることに重きを置いてないんだよな。

橋本 じゃあ、何に重きを置いているんですか?

武藤 そこに----ああ、そうだね。そこに行った自分だね。だから、はっちと逆だよね。でもさ、そこでたまたま女将さんがちょろっとしたことを言ってくれたりするんですよ。それって書かないと消えちゃうんだよね。たとえば「妹が生まれた年に銭湯を建て直したんだ」みたいなことを、すごく嬉しそうにいうわけですよ。でも、そんなことって銭湯史に残らないから、「じゃあ書くか」っていう。何だろう、だから、そういう何でもないことを書きたい。

橋本 なぜ?

武藤 なぜ? なんでかなー。でもまあ、消えちゃうからだよね。淡いものかもしれないけど、自分が面白いなと思った瞬間を書きたいっていう。それが何の欲求かはよくわからないんですけど。

橋本 こないだ武藤さんと飲んでいるとき、言われてみればたしかにと思ったことがあるんです。『ドライブイン探訪』にしても『市場界隈』にしても、本を出版するからにはひとりでも多くの人に読んでもらいたいと思って、SNSで告知したり、自分でチラシを作ったり、あれこれやってるんですね。そういうことをひっくるめて、「昔のはっちは、そういう感じじゃなかったよね」と言われて、たしかにそうだなと自分でも思ったんです。なんでそこが変わったのかと考えると、僕の本が聞き書きだからってことに尽きるのかもなと思ったんですよね。誰かに聞かせてもらった言葉を一冊にまとめたからには、より多くの読者に手渡さなければ、と。それは本を出版してモードが変わった部分なのかもしれないなと思うんですけど、武藤さんの中で、『銭湯断片日記』を出したことで変わった部分はありますか?

武藤 文章については考えるけど、職業ライターじゃないから、テーマを決めてそっちに進もうってことはまったくないね。だって、おいらが書いてるのはブログだよ?

橋本 だからこそですよ。お金を稼ぐために書くんじゃなくて、誰にも頼まれてない状況で文章を書こうとするって、日常生活の中でかなり特殊なことですよね。

武藤 すっごい面倒くさいよ。

橋本 何でそんな面倒くさいことを続けようとするんですかね?

武藤 ブログはずっと書いてるけど、嫌になったときはあってさ。『銭湯断片日記』でも、しばらく欠けてる期間があるんだけど、その時期も銭湯には行ってるんだよ。でも、銭湯に行くたびに「ブログを書かなきゃ」と思ってると、うんざりしちゃって。最近も、銭湯に行ってるけどブログに書いてないことが結構あるんだけど、ただ、文章を書くのは面白いんですよ。文章はどうとでもなるじゃん。嘘をつかなくても、どこを取り上げるかによって、良くも悪くもかけるじゃないですか。そういうところは魔法みたいだなと思うんだよね。おいらはぐだぐだ考えてるのが好きだけど、文章ってぐだぐだ考えるのに向くツールなんだよ。だから性に合うのかも。絵も、ぐだぐだ考えるのに合うから描いてる。

橋本 それぞれ違うぐだぐだがあるわけですね。

武藤 ある。そしてどっちも正解がなくて、一生ぐだぐだできるところが好きなんだと思う。