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5月6日(日)

 4月28日から9連休という、GW休暇だけは大企業並みに手にできるはずだったのに、まさかのお休み2日目に痛風発症。しかも今回は過去経験したことのないアキレス腱と足の親指の付け根の連続発症という壮絶な苦しみにより、連休中は大量のロキソニンを齧ってアウェイ鹿島へ参戦した以外はほとんどベッドの上で過ごす。人生最悪のGW。

 おかしい。連休前にした血液検査では半年間の薬の服用のおかげで尿酸値はセーフゾーン下がり万歳三唱していたのに。あの時、もう痛風とは一生グッバイと痛友をバカにした罰が当たったのだろうか。連休最終日になって、やっと歩けるようになっても遅いのだ。

 ただベッドの上で過ごした8日間に少し自分の人生を見つめ直すことができた。もうすぐ47歳。3年経ったら50歳だ。

 若い頃は人生なんて振り返るほどなかったし、30代は年に一度振り返れば立ち直ることができたけれど、40代になってそれでは足りなくなってしまった。年末年始、GW、夏休み、それどころか三連休、土日、昼休みまで使って、われを振り返らないと、全身全霊、楽な方に進んでいこうとしており、面倒くさいことから匍匐前進してでも逃げようとしている自分がいる。

 それは気力体力減退しているから当然の生存本能なのかもしれないが、充実感や達成感がまったく得られないと日々鬱屈していってしまい、より人生は苦悩混迷しているような気がする。

 充実感や達成感というのはなにも成功したときにのみ得られるのではなく、そもそも人生で成功することなんてそうあるわけではないから、面倒くさいことをこなしたときに得られる充実感が必要なのであった。

 サッカーの試合もそうで、2点先制して追いつかれて引き分けたときはまるで敗戦したかのような怒り悲しみ徒労感を抱えるけれど、2点先制されて追いついたときには試合終了後に仲間とハイタッチして、翌朝新聞を見るまですっかり勝ったかのような気分を味わえるのである。同じ勝ち点1を手にしても充実感や達成感はまったく異なるのであり、その手にして勝ち点1によって優勝したり、降格を逃れたりするものなのである。

 だから成功せずとも、面倒くさいこと、やりたくないこと、鬱屈しいことをしてこそ、人生は充実するのである。

 というわけで痛風の痛みが日々薄らいでいき、かかとが地面につけられるようになることを喜びに過ごしたGWであった。

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