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1月14日(火)〜1月18日(土)

1月14日(火)

 坪内祐三さん死去。61歳。

 本日より金沢へ取材に行っている浜本とうまく連絡がつかず、夕方やっと伝えることができる。絶句。


1月15日(水)

 まったく眠れず、明け方布団の中で、くの字になって嗚咽。

 目を腫らして出社。『本を売る技術』の初回注文〆作業に勤しむ。

 夜、松戸の「ひよし」にてオークスブックセンター南柏店さんの販促イベント「南柏杯」の決起集会に参加。


1月16日(木)

 矢部潤子『本を売る技術』の見本を持って取次店さんをまわる。窓口は空いており、つつがなく午前中に終える。

 午後、追悼コーナー用にご注文いただいた坪内さんの著作『三茶日記』『本日記』『書中日記』『昼夜日記』『文庫本宝船』を編集の高野、助っ人の重田と手分けし、都内の書店さんを駆けずりまわる。倉庫から移動するのに一日かかってしまい、書店さんそして坪内さんに謝る。

 夜、池袋で待ち合わせし、矢部潤子さんにできたばかりの『本を売る技術』を手渡す。


1月17日(金)

 午前中、座談会収録。

 午後、2月号より連載スタートした「その出版社、凶暴につき」の田代さんと打ち合わせ。進行の確認など。

 夕刻、浦和レッズ仲間のSさんから「そろそろレッズ欠乏症なので明日浦和で飲みませんか」と誘いのLINEが届いたので、「今日飲もう」と返信。浦和駅で待ち合わせする。しばし時間があったのでパルコの上にあるさいたま市立中央図書館で坪内祐三さんの『酒日誌』や『東京』を読む。

 高山商店、和浦酒場が満員で入れず、ふらふらと街をさまよっていると良さげな酒場を見つけ、どうにか席を確保する。その酒場が大当たり。安くてうまくて心地よい。GGRが始まるまで浦和レッズのことをとことん語り合う。


1月18日(土)

 昼前に会社へ行き、2月刊行の『着せる女』のカバーや口絵の確認。著者の内澤旬子さんにもたいそう気に入っていただきうれしいかぎり。デザイナーの川名潤さんのおかげ。さすがです。

 14時50分、三軒茶屋で浜本と待ち合わせし、弔問へ。雪と雨が降る。

1月6日(月)〜1月10日(金)

  • 本の雑誌440号2020年2月号
  • 『本の雑誌440号2020年2月号』
    本の雑誌編集部
    本の雑誌社
    734円(税込)
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1月6日(月)

 仕事始めと言うからつい下を向いて電車に乗るのも嫌になってしまうのであって、ここはひとつ仕事キックオフと言いかえてみる。これから始まる八時間いったいどんな試合展開が待っているのかー!!って気分を盛り上げようとするも、あまり効果なく、どうやら「仕事」という言葉が私をブルーに引きずり込んでいるようだった。我らがマルティノスのように「帰りたくない」と京浜東北線の車中でつぶやいてしまう。

 浜田、高野、小林、松村と新年の挨拶(出社順)。編集発行人の浜本は今日まで休みらしい。

 コンクリートの床や壁が冷え切った社内で「浜田寝るなよ!寝たら死んじゃうぞ!」と凍傷の心配をしつつ、溜まっていた郵便物やFAXを仕分け。取次店さんに電話を入れ、「本の雑誌」2月号の部数確認。二軒の本屋さんから閉店の連絡が届く。絶望。新年の挨拶で伺った書店員さんからもこんな言葉がこぼれ落ちる。

「最近、書店員でいられてることが奇跡みたいって思うのよね」。

 それは私もまったく同感で、よくこんな状況下で本の仕事を続けてられるなと感じるのだった。本の近くで暮らしていけてることに、ただただ感謝の想いしかなく、昨年の仕事納めの日には御茶ノ水から西日暮里まで歩いて帰りながら自然と涙があふれてしまったほど。

 いい年になるとはなかなか思えないが、本の周りがいい年になりますように。



1月7日(火)

『ごろごろ、神戸。』平民金子(ぴあ)読了。エッセイを読む喜びがすべて詰まった一冊。現代の日常エッセイの最高峰。帯には"異色"とあるけれどエッセイとしては王道中の王道、2010年代後半の街や景色や心情を、時にユーモアを交え、時に詩情豊かに、平静な眼差しで綴られている。

 昨年より御茶ノ水店に異動になられた丸善のSさんとランチ。これまでのお付き合い史上最も近くにいらっしゃるわけで、こんなに心強いことはない。これから頻繁に本のことや販売のことで相談にあがるべし。

 その後、千駄木の往来堂書店Oさんと『本を売る技術』の出版イベントのご相談。こちらも大変頼もしく、やはり大切なのは、まさに"本を売る技術"をもった書店員さんの力なのであった。その力なくして、本が読者に届くことなし! という想いを胸に『本を売る技術』をこの世に生み出す。



1月8日(水)

「本の雑誌」2020年2月号搬入。今号より「その出版社、凶暴につき」の集中連載がスタート。

 高野秀行さんと辺境ドトールで打ち合わせ。データのやり取りがあったのでノートパソコンを開いて、「さすが僕たちIT作家とIT編集者ですね」と胸を張っていると、なんと高野さんが私のパソコンのないはずのところにUSBを挿そうとする。思わず大爆笑していたら、あらま!? まさかこんなところにUSBポートがあったのかっ!!

 2020年を迎え、高野秀行さん、本当にIT作家に生まれ変わっていたのであった。



1月9日(木)

 引き続き、新年のご挨拶と営業。年末年始はわりと売上のよかった書店さんが多く、会話も弾む。やはり営業は楽しい。

 ただし消費税アップからのキャッシュレス決済の増加には、手数料やキャッシュフローの問題で頭を抱えている様子。またまた書店さんだけが苦しめられる問題になりませんように。



1月10日(金)

 今年初のスッキリ隊出動のため、朝8時に高田馬場駅へ。スッキリグリーンの立石書店岡島さんの運転するワゴン車でスッキリイエローの古書現世向井さん、スッキリブルーの浜本とともに依頼主が待つ藤沢へ向かう。今回は庭に建てられたおよそ三畳ほどの書庫を完全整理。

 いつものように浜本がお客様と本の思い出を語り合っている間に、岡島さんと向井さんがどんどん紐で縛り、私がその本を車に運ぶのであった。外での作業ながら気づけば汗が額を流れ、ダウンやトレーナーを脱いで、シャツ一枚で勤しむ。身体を使う仕事はなんて心地よく楽しいのであろうか。

 そして作業している間や道中での岡島さんや向井さんとの会話の楽しいことといったら。同じ本の世界にいるとはいえ、新刊と古本ではまったく別の世界であり、その別の世界のことを聞くのがたいへんたいへん幸せな時間なのであった。

 世の中多くのことがお金で計られることが多いけれど、私はこの向井さんや岡島さんとの会話、あるいは日々書店さんや著者の方などから伺える話ほど財産はないと思っている。お金には変えられないプライスレスで大切なことだとひしひしと感じているのだった。

 帰路の車中でまた二軒の書店さんの閉店の連絡が届く。

1月4日(土)

 書店員さんから退職の報告のメールが届く。去年に続き、同年代の、長い間共に本を売っていただいた知識も経験もある書店員さんがどんどんやめていかれる。天を仰ぐことしかできない。

1月3日(金)

 息子がどうしてもジャージを買いたいというので、娘を送りつつその娘がアルバイトしているスポーツショップに初潜入する。題して「はたらくおねえちゃん」。しかし娘に見つかると家庭外退去処分となるため息子はスパイクケースに隠れて入店。娘の視線をかいくぐり店内を徘徊、正月大バーゲンの50%オフの中からプーマの真っ赤なジャージを見つけると息子はすぐさま私に渡してくる。どうやら私がお年玉をあげてなかったことがバレていたらしい。

 そうしてただいま息子がオタク化しているスパイクコーナーに行くと、そこには二足目半額の文字が記されており、突如息子はトレーニングシューズとランニングシューズを欲しがり、そして私もランニングシューズが履きつぶれて両つま先に穴が空いていたことを思い出し、ここで購入すべしとランニングシューズを選ぶ。

 二足目半額ならば三足目は半額の半額75%オフになるのではないかと期待を寄せてレジに向かうとそこには娘が立っていて、なんでお前らこんな山のように買い物してるんだという怒りをぐっと飲み込み営業スマイルを浮かべ、値札を素早く読み取り、あっという間にお会計完了となった。娘から初めて言われる「ありがとうございました」という言葉を胸に帰路につく。ちなみに三足目は通常価格らしく、偶数で買う必要があったらしい。

 それにしてもジャージとトレシューとランシューを手に入れた息子にずいぶんとお年玉を奮発してしまったもんだと薄くなった財布を眺めていたら、「父ちゃん、おれ半分出すよ」といってジジババからもらったお年玉から一万円をくれるのだった。父ちゃんありがたくて涙がでてくらあ。もはや私の子育ては卒業したといっても過言ではない。

 夕方、その息子と試靴をかねてランニングに出かける。彼は小学校一年生から中学三年生までほぼすべての余暇の時間をサッカーに費やしてきており、上手い下手は知ったこっちゃないがとにかくグラウンドを走り回ってきたのである。だから両足の筋肉は私以上にパンパンだったはずが夏に部活を引退し、くだらぬ受験勉強に勤んだ結果、たった5キロを過ぎたところで運動不足から両足を吊ってしまったではないか。その情けなさに本人が一番驚きつつ、涙目になってギブアップ宣言。ランニングコースの最も遠いところから肩を並べて歩いて帰る。令和の時代は偏差値よりも筋肉が大事な世の中になってほしいものだ。

 夜、平民金子『ごろごろ、神戸』(ぴあ)を読み進む。やはりこのエッセイは素晴らしい。

1月2日(木)

 10時に実家へ行き、両親を車に乗せ、いつの間にか練馬に中古のマンションを買っていた兄のところへ向かう。外環道が意外に混んでいたものの、浦和から1時間かからず到着。途中、大行列の洋菓子屋があり、大変気になるも本日はお預け。「おだふじ」というらしい。メモる。

 なんだか見晴らしのいいたいそう立派なマンションで、どう考えてもここが兄一家の終の棲家となるのだろう。そうなると春日部の実家は両親が死んだあとはどうなるのだろうか。まあたった30坪のなんでもない家だから、売ったところで兄弟で争うような財産になるわけでもないのだけれど、生まれ育った家というか場所がなんの縁もないところになるのは若干寂しい。おそらく兄もノスタルジーに浸りたいことがあると思うので、ここはひとつ私の書庫として使うのがベストなのではなかろうか。

 新年会では角上魚類で買っていった寿司が寿司の食べられない私以外に大人気で、私にはパックに詰められた8個入りのお稲荷さんが大人気であった。

 息子が塾から帰ってくるので早めに切り上げ、夕刻には両親を送り届ける。「車で行ってくれてありがとうね」とやたらに感謝されるも、私も車で行ったほうが楽だったので大いに胸を張る。interFMで「The Dave Fromm Show」を聴きながら帰宅。

 夜、娘を迎えに行きがてら、息子がジャージを買いたいというのでイオンに向かう。入る車よりも出る車が渋滞しているものの、まだ車はほぼ満車状態。ショッピングモール人気衰えておらず。

 そういえば何年か前に元日にイオンに来たら浅草寺に負けない人出で、しかもコンコースにはイオン神社というハリボテの神社と賽銭箱がおかれ、まさかと思いきや多くのひとがそこにお賽銭を投げ入れており、あのとき私は藤原新也にショッピングモールを漂流してほしいと思ったのだった。

 しかし賽銭を投げ入れられるほど信仰を集めたイオンには息子が気に入るジャージはなく、妻が欲しがっていたディファールの電気ケトルを買って娘を迎えにいく。娘のアルバイト先のスポーツショップは記録的な売上だったらしく、レジ担当の娘はへろへろ。

 平民金子『ごろごろ、神戸』(ぴあ)を読み始める。もしかするとこれは今年のベスト1かもしれない。

1月1日(水)

「本の雑誌」創刊45周年イヤー幕開け。私も入社23年となるわけで「本の雑誌」の歴史の中で半分以上関わっているというのに、いまだ自分の雑誌、自分の会社とは思えず。先代たちの功績、オリジナリティが大きすぎるのだろう。まあ何はともあれ45周年なのでいろいろと楽しい企画を構想しているところ。

 10時に実家へ車を走らせ、両親を連れて浅草寺へお参り。インバウンドの外国人に囲まれつつ賽銭を投げる。

 セキネで肉まん、やげん堀で一味と七味、舟和で芋ようかんを買って、ちょうどシャッターを開けていたつるやにてうな重。毎年のお決まりコース。うなぎを頬張りながら「美味しいねえ。来年もこうしてお参りに来られるかねえ」と両親が語り合うのも毎年のお決まり。いつまで本当にお決まりでいられるだろうか。

 そういえば昨夜息子と風呂に入りながら、この春高校受験を控えているため浅草に連れていけないことを謝ったら、息子が「いいんだよ、父ちゃんの一年に一度の親孝行だから」と返してきたのには驚いた。親孝行なんてわかっているのか。慌ててお湯をすくって顔につけてしまう。

 その息子のためにうな重のお弁当を買い求む。

 しばし実家でぼんやり過ごした後、帰宅。うららかな陽気の中、見沼代用水東縁を初ランニング20キロ。

 今村翔吾『八本目の槍』(新潮社)読了。豊臣秀吉の元に集まり、後に「賤ケ岳の七本槍」と呼ばれる武将たちの視点から連作短編形式で描かれる八本目の槍=石田三成。この著者は本当に人物造形が上手い。それぞれの武将に胸を熱くする。

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