大ベテラン編集者に動乱の時代を生き抜く知恵を借りる

文=杉江松恋

 ゆえあって結城昌治のことを調べねばならないと思っているところに重金敦之『編集者の食と酒と』が刊行されているのに気づき、慌てて購入した。重金は元朝日新聞社の編集者で、在籍期間の約八割を「週刊朝日」に属して過ごした。結城昌治の担当編集者として『白昼堂々』『志ん生一代』を書かせたのは重金である。
『編集者の食と酒と』という題名からグルメエッセイのたぐいを想像する方は多いと思われるが、必ずしもそれに特化した本というわけではなく、編集業という仕事の全般について書かれた本である。編集者といえども勤め人だから日々の業績は上げねばならない。そうした生きていくために必須となる糧を食、編集者という職を続けていく上での誉れとなる勲章を酒と言い表しているように私には読めた。編集者は衣「食」足りて初めて礼節を知り、そうした余裕のある者のみが勝利の美「酒」を味わうことができるというわけだ。
 複数の媒体に発表した文章をまとめたエッセイ集で、後半には編集業について考えるよすがとなる本の書評が収められている。俎上にあげられた本を上げてみると、野坂昭如『文壇』(文春文庫)・柳原一日『文人の素顔 緑風閣の一日』(講談社)・峯島正行『さらば銀座文壇酒場』(青蛙房)のように作家の素顔について綴られた本や、加藤丈夫『「漫画少年」物語 編集者・加藤謙一列伝』(都市出版)・大村彦次郎『時代小説盛衰史』(筑摩書房)・植田康夫『雑誌は見ていた。 戦後ジャーナリズムの興亡』(水曜社)のように一つのジャンルや業界の興亡史を描いたものもあって、さまざまである。ときに元編集者ならではの厳しさが覗くのがおもしろく、ブログで連載されて話題になった綿貫智人『リストラなう!』(新潮社)については、以下のように分析している。元同業者だけに、遠慮会釈のない指摘だ。

 ----当初は会社存続のために「身を捨てる」という正義感から決断したようだが、退職が近づくにつれ、「会社からリストラされる」という「被害者意識」が見えてくる。退職後の進路を明確に決めていないから、自分の決断を正当化するためには、自己を美化し自己陶酔に耽るほかない。それだけ追いつめられていったということだろう。


 前半は出版界を賑わわせている話題を取り上げて論じる内容になっていて、通して読むと文芸編集者やジャーナリストへの指南書となるのがおもしろい。特に「編集者の仕事 編集者と作家の距離は、遠くて近いのか、それとも近くて遠いのか」と題された章では、池島信平『雑誌記者』(中公文庫)、校條剛『スーパー編集長のシステム小説術』(ポプラ社)、柳田邦夫『書き言葉のシェルパ それでも君はジャーナリストになるか!』(晩聲社)などといった本を教科書として上げ、編集者としての心構えを説いている。重金はもと文芸編集者だから、作家との交際のみで本が出来上がり、読者の手元に届くわけではないということを熟知している。関連領域に触れた章として、挿画家の地位について書いた「さし絵画家と小説家との一途な暗闘」,装丁家の仕事について触れた「装丁は本の「包装」ではなく「皮膚」だ」、書店員に注目した「読者と最前線で顔を合わせる書店員たち」などの文章があり、興味深い。
「直木賞と本屋大賞」という文学賞の舞台裏について書いた章では、直木賞には嫌われたが本屋大賞は獲得した佐藤多佳子『一瞬の風になれ』を題材として両賞の違いを分析、メディアとしての小説が時代からずれ始めている可能性にも言及している。以下、引用する。

 ----『一瞬の風になれ』は、武者小路実篤や相田みつをの色紙のような「分かりやすさ」(どうしても、ある種のいかがわしさを伴うのだが)にもたれかかる「長編イソップ物語」のような感じを(引用者注:直木賞の選考委員には)与えるのではないか。支持者は嫉妬や怨嗟、羨望、欺瞞、惑溺といった(引用者注:作者が作品からは意図的に省略した)情念が現実には存在することを理解している。受賞作に現実味が欠けているのは、百も承知なのだ。(中略)また青春時代の情念の葛藤などのテーマは今の時代、漫画やテレビのメディアの方が進んでいて、小説(文学)を読むはるか以前に「通過儀礼」を果たしているのではないか。となると小説は後発のカタルシス・メディアとなり、「癒し」のためのツールとして作用する時代なのかもしれない。


 こうした具合に、今の時代に通用する文芸書作りはどういうもので、編集者としてはどこに矜持を抱くべきかということが追い求められている。先達の知恵を借りるつもりで読むと、いろいろと発見があるはずだ。

(杉江松恋)

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