第204回:上田岳弘さん

作家の読書道 第204回:上田岳弘さん

 デビュー作「太陽」の頃から、大きな時間の流れの中での人類の営みと、個々の人間の哀しみや郷愁を融合させた作品を発表し続け、『私の恋人』で三島由紀夫賞、そして今年『ニムロッド』で芥川賞を受賞した上田岳弘さん。5歳の頃から「本を書く人」になりたかった上田さんに影響を与えた本とは? 作家デビューを焦らなかった理由など、創作に対する姿勢も興味深いです。

その6「最近の執筆と作品」 (6/6)

  • 【第160回 芥川賞受賞作】ニムロッド
  • 『【第160回 芥川賞受賞作】ニムロッド』
    上田 岳弘
    講談社
    1,620円(税込)
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――デビュー以降、生活のリズムは変わりましたか。

上田:最終選考に1回残って以降、投稿時代から毎年2作ずつ書いていて、ずっとそのペースのままですね。デビュー以降ちょっと負荷が上がったかな、というくらい。朝5時に起きて5時半から7時半まで2時間書いて、出勤して、18時に終えて、夜はフリーです。ただ、『ニムロッド』は1週間丸々、会社にお休みをいただいてその間に初稿を仕上げました。毎日2時間ずつ書くという方法にちょっと飽きてきたので、1回連続した時間のなかで書いてみようと思ったんです。

――芥川賞の受賞記者会見で「芥川賞は対象となる作品の範囲が明確で競技性が高い」とおっしゃっていましたよね。

上田:範囲が明確というのは、芥川賞の候補になるにはこれくらいの枚数で、雑誌に掲載されていることが必要で...ということですよね。そういう意味での競技性。たとえば三島賞って雑誌から候補になるものもあれば単行本から候補になるものもあれば、評論が候補になることもある。だから狙おうと思っても狙えない賞なんですね。でも芥川賞は、「候補になるためはここに出さないといけない」というのが明確にある。そういう意味です。

――『ニムロッド』はこれまでの作品より「広く読まれるように書いた」とのことでしたが、それは競技を意識してのものだったのでしょうか。

上田:「賞が欲しい」というよりは、他に長篇も書いているなかで、芥川賞の候補になる可能性がある枚数で、もしも受賞した時にいろんな人に読んでもらう可能性があるものを書くのであれば、70代80代の人が「仮想通貨のあの話、ちょっと読んでみようか」となった時に「分からない」「独りよがり」と思われるのは悲しいので、そういう人にも届く書き方ができる筋肉を鍛えたいというのがありました。それに、それをやってみることが翻って、より構えの大きな作品を書く時に役立つだろうなと思いました。...というと、きれいな言い方をしたと思われそうですが(笑)。

――だからといって『ニムロッド』は、がらりと作風を変えるのではなく、これまでの作品と通じるテーマ性、世界観がありますよね。

上田:そうですね。これまで僕の小説は「分からなかったらいいです。でも僕はこういう表現がしたいんです」というふうな視点で書いたものがままあったんですけれど、ここ最近は深さは変わらないまま誰にも分かるように書くことに挑戦したい、という気持ちがありました。

――『ニムロッド』は主人公は会社でビットコインの採掘を任される中本哲史ですが、ビットコインの創設者の名前が実はサトシ・ナカモトという。

上田:サトシ・ナカモトという、明らかに日本人じゃない人が日本人だと言い張って匿名のまま作った仮想通貨に10兆円の価値が出るというのは面白い現象なので、そこは注目しました。

――中本の先輩の荷室がメールしてくる「駄目な飛行機コレクション」はネット上に実在しますよね。

上田:僕がネット上の「NAVERまとめ」でそれを発見したのが2016年くらいで、面白いものを書くなあと思っていたんです。そのなかでも印象に残ったのが、作中にも出てくる「桜花」という飛行機でした。あれもあれで大田正一さんという、サトシ・ナカモトみたいな提唱者がいて、でも飛行機は実用化されずに戦後すごく叩かれる。それで、彼は名前を捨てて生きていこうとする。そこがナカモト・サトシとすごく対照的に見え始めて、これは繋がったという感触がありました。その2つのメインモチーフと、あとは作品を重ねるごとに僕の中で残っていた「塔」というモチーフ、この3つで書けるはずだというのがあって書き始めたのが『ニムロッド』でした。

――ニムロッドはバベルの塔を提唱した人の名前でもあるという。「塔」というモチーフはご自身の中で自然と残っていった感じですか。

上田:高校生くらいの時にたまに、ぼんやりと塔の上で2人が何か喋っているような妄想がふわっと浮かぶことがあったんですね。それをちょいちょい小説に出すようにしていたら、結構書評でそこに注目する人が増えていて、「ああ、このモチーフには何かあるのかな」と掘っていって『塔と重力』を書いたんです。このあいだ書き終えた「キュー」までは塔のイメージを引きずっています。

――なにか、上田さんの作品には、どうしても届かないものを希求するような感触がありますよね。

上田:そうですね。そういうのって誰にもありそうな気がする。多くの人の中に、手が届かないものを求めてしまう心性があって、たぶん僕が小説を書くこと自体も、その心性が大きい気がします。「すごいものを書けそうだけれども、届かない」みたいな。それでも届けたいな、という心性は僕の中で大事なものです。それが男女関係に落とし込まれると恋愛になるし、今回の『ニムロッド』の小説家志望の先輩みたいに「デビューできない」というのもあるだろうし、駄目な飛行機やバベルの塔もそうですけれど、「届かない」「完成しない」というものが、善きにつけ悪しきにつけ、僕の中では駆動装置になっていますね。

――人間の営みがいつか終わってしまうというようなイメージも常に作品の中にありますが、それもその心性によったものでしょうか。

上田:それは、「終わってほしくない」という小学生的な願いもあるし、このままいくと人間の「これを絶対やりたいんだ」というようなモチベーションが減っていく気がするなかで、「どうすればモチベーションを作り出せるのか」ということを考えながら書いているところがありますね。つまり、「完成」と「終わり」は似ているんです。届くかどうか分からない完成を目指しているけれども、それは終わりを目指していることにも似ていて、そこは切ないなと思うんですよね。

――ところで、上田さんは純文学に触れて「こっちだな」と思ったとのことでしたが、上田さんにとって純文学ってどういうものだと思いますか。

上田:僕は「型」だと思っていて。要は書きにくい場所、困難な場所でどう書き続けるかという。

――その「場所」ってどういう意味でしょう。状況ということでしょうか。

上田:そうですね。デビューしていない状況で書き続けるとか、サリンジャーみたいに誰にも読んでもらえないと確定しているけれど書き続けるとか、そういう困難さですね。そう思うのはなぜかというと、なぜ書くのかということとなぜ生きるのかってことは、僕にはニアリーイコールな感じがするからです。どちらも、理由なんて分からないじゃないですか。それでもやるんだっていうところの「困難な場所」を求めるのが純文学なのかなという気はしていて。
『ニムロッド』だとリアリズム縛りで書いてみるとか、次の「キュー」では『新潮』と「Yahoo!Japan」で組んでもらって、同時連載という形で、ものすごく速いペースで長篇を書くことに挑戦したりとか。そういうことをやっています。自己満足かもしれないけれど。でも、だからこそ出てくるものって、あるんですよね。

――「キュー」はあらかじめ長篇を書こうということだったんですね。

上田:600枚規模のものを書きたいと両社に言って、「分かりました」と言ってもらって、で、730枚くらい書いたので、削って単行本では700枚くらいになるんじゃないかなって気がしています。

――さきほど「塔」のモチーフは「キュー」までということでしたが、今後は、これまでのモチーフを深め、広げていくわけではないのですか。

上田:とりあえず「キュー」がラストです。スピンオフみたいなものは書こうと思っていますが。まだ具体的なことは公にできないんですが、今、また違うものも書いていく予定があります。

(了)