第205回:今村昌弘さん

作家の読書道 第205回:今村昌弘さん

2017年に鮎川哲也賞受賞作『屍人荘の殺人』でデビューした今村昌弘さん。意表を突くクローズドサークルの設定が話題となり、年末の各ミステリランキングで1位になり、本格ミステリ大賞も受賞。第2作となる『魔眼の匣の殺人』も期待を裏切らない内容で、今後の活躍が楽しみな新鋭です。でも意外にも、昔からミステリ作家を目指していたわけではなかったのだとか。ではどんな本が好きだったのか、そして作家を目指したきっかけは?

その4「働きながら投稿していたけれど...」 (4/6)

――では、その後の読書遍歴や小説を書くきっかけについては。

今村:大学4年の国家試験の時にはじめて小説を書き始めました。試験勉強が嫌になって、途中まではマインスイーパをずっとやっていたんですが(笑)、結局4マス残ったらどうしようもないと気づいたのでマインスイーパはやめて、小説を書いたりしていました。
 就職してからも、気晴らしのために書いていました。そうしたなかで、やっぱり自分は何かを作って人を楽しませることがしたいなと思ったんですよね。ただ、自分は音楽もやってこなかったし絵が描けるわけでもないから、できることは限られている。それで、ものすごく根本的な文章を書くということならなんとかできるかな、と思ったんです。
最初はファンタジーっぽいものを書きました。自分の好きなロボットが出てくるSFはちゃんと電気工学などの知識がある人じゃないと書けないだろうと感じていたし、ミステリは無理だろうと思っていて、結局自分の妄想で何かをカバーできるのはファンタジーやホラーだと思って。どんな原因で幽霊が出てくるかなんて、なんでもいいじゃないですか。そこに科学的な根拠を混ぜる必要はないので、自分でもカバーできるんじゃないかと思って書いていたんですが、なかなかうまくいきませんでした。

――新人賞に応募はしていたのですか。

今村:働きながらなので長篇が書けず、短編賞ばかり狙っていました。でも手あたり次第送るということはせずに、自分は軽いタッチの作品が合っていると思っていたので、ライトノベルの賞を調べて送っていました。

――就職はどのようなところに?

今村:最初に就職したのはある自動車会社でした。検診車でその自動車会社の各工場に行って、胸部写真を撮りまくる。同級生は検査課がある大病院に就職して、いろんなスキルを身に着けて何年後かに別の病院に行く、というのが通常なんですけれど、僕はそもそも仕事に対するモチベ―チョンが低かったので。でもそこは胸部写真とバリウム検査しかしないので、さすがにこの先が不安だと思い、ちょっとだけレベルを上げて整形外科クリニックに移りました。人の死を看取るとか、重病の人を受け入れるという病院に行きたいわけではないけれど、各部のレントゲンだけはちゃんと撮れるようになろうと思って。 

――投稿生活するなかで、どのように気持ちは変化していきましたか。

今村:もっと上手くなりたいと思いました。一度送って駄目だった作品を読み直しているうちに「ここが変だな」と分かるようになり、それを直していくという作業をするようになって。少しはましなものを書けるようになった時、電撃の短篇の賞で2次選考まで通過できて、はじめて選評をいただいたんです。今まで家族にも友人にも書いていることは言っていなかったので、人の評価をもらうのが初めてでした。それはファンタジーといっていいのやらなにやらという作品でしたが、わりと選評では「キャラクターがきちんと書き分けられている」とか「長篇を書く力があるんじゃないか」といってもらえ、キャラクラーの書き分けも高評価だったので、「自分はもうちょっと頑張ればいいものが書けるんじゃないか。労力を費やせるものがようやく見つかったんじゃないか」と思ったんです。
それで、いろんな作家さんの、自分が書きたい文章をスクラップにまとめてみたり、自分が使ったことのない単語を抜き出したりしながら執筆を続けていましたが、働きながらなのでどうしても時間がない。1年かけてようやく「これで送っていいかな」と思えるものが1作できる、というペースで。そんなことをしているうちに29歳になりました。
 大学時代の同級生は結構もう結婚もしていましたし、自分はようやく今、賭けてみたいものを見つけたけれど、この先もし結婚して家族を養うのに手一杯になったら、情熱を傾けることはできなくなる、と思って。昔と比べたら体力も落ちているし、頭もだんだん固くなっていく。このままでいたら、死ぬ間際に今のことを思いだして後悔するんじゃないかという気がしたんです。それに、クリニックでは少ない人数で一生懸命まわしていたんですが、医療法人になったタイミングでお給料が下がったんです。「一生懸命やってきたのに評価が下がるのか。それなら今やりたいことやらないと後悔する」と思い、辞めることにしました。ちょうど新しい人が入っていたこともあり「一人辞めても大丈夫そう」と思いましたし。
親とも相談して、3年間集中して頑張って、まったく結果を残せなかったらまた資格を使った仕事に戻る、ということにしました。職場も、給料は下げたものの理解があって、「あかんかったら戻ってきていいから」と言ってくれました。

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