第208回:葉真中顕さん

作家の読書道 第208回:葉真中顕さん

日本ミステリー大賞を受賞したデビュー作『ロスト・ケア』でいきなり注目を浴び、今年は『凍てつく太陽』で大藪春彦賞と日本推理作家協会賞を受賞した葉真中顕さん。社会派と呼ばれる作品を中心に幅広く執筆、読書遍歴を聞けば、その作風がどのように形成されてきたかがよく分かります。デビュー前のブログ執筆や児童文学を発表した経緯のお話も。必読です。

その4「18歳で読めてよかった青春小説」 (4/8)

  • カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)
  • 『カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)』
    ドストエフスキー,卓也, 原
    新潮社
    1,045円(税込)
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  • 新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)
  • 『新装版 コインロッカー・ベイビーズ (講談社文庫)』
    村上 龍
    講談社
    1,012円(税込)
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  • 新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)
  • 『新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)』
    村上 龍
    講談社
    550円(税込)
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  • 愛してる (角川文庫)
  • 『愛してる (角川文庫)』
    鷺沢 萠
    KADOKAWA
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  • マリファナ・ハイ
  • 『マリファナ・ハイ』
    マリファナ・ハイ編集会
    電子本ピコ第三書館販売
    1,480円(税込)
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――どんどん興味の対象が広がっていきますね。

葉真中:そうやって読書の幅が広がっていくなかで、僕の中で大きかったのが、高校生の時にちょっと背伸びして大人が読む本を読もうということで手に取ったドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』。「すごい、俺は今、すごいものを読んでいる」と、これは本当に思った。当時、宗教とか哲学とかに興味を持ち始めた時でしたから。スメルジャコフって男が出てくるんですけれど、彼の言説っていうのが、これまで読んだエンターテインメントの悪役ともちょっと違う宗教的バックボーンがあってこその思想の分厚さがあって。それと同じ時期、受験勉強するふりして読んでいたのが村上龍さんの『コインロッカー・ベイビーズ』で、これもものすごい衝撃でした。頭をぶん殴られたような。村上龍はこの時に、当時出ている本を一通り読んだと思います。まだ当時、女性と付き合ったこともないくらいなんだけれど、セックスの話も沢山出てくるので、それも含めて大人の世界を知った気がしました。『限りなく透明に近いブルー』なんて乱交パーティの話だったりするんだけれど、「俺、もうこれくらいの小説は全然読むから」とか、『イビサ』を読んで「ああ、イビサ、俺もいつか行くよね」とか(笑)。そういう完全に駄目なサブカル読みをしつつも、村上龍を読んですごく開放感があったんですよね。それが18歳の時。あの時に青春小説の『69 sixty nine』を読めたのもすごく良かった。青春の当事者として読めたというか。たとえば今読んでも感動はあるかもしれないけれど、それはやっぱり懐かしむ形で読んだだろうし、もうちょっと早く読んでいたら「俺の未来にあるかもしれない話だ」と思ったかもしれない。けれど18歳で読んだ時は、本当に主人公のケンっていう子がどこかにいるんじゃないかっていう感覚があって。高校生の時に村上龍体験ができたというのは、僕の中では太いというか厚いということだったかなって、今思い出して、そう感じます。

――その頃、作家になりたいという意識はありましたか。

葉真中:そうですね。この頃は、なりたいと明確に思っていました。だってネタ帳を作っていましたから。「こんな小説を書いたら面白いかもしれない」っていう、キャラクター表をノートに書いたりとか。それも村上龍との出合いが大きかったからだと思います。やっぱり彼は早熟の天才でしょう。若くしてデビューして、デビュー作で芥川賞を獲って。その時に天才信仰を植え付けられたんですよ。当時の僕はまだ若者特有の万能感があったから、「俺も」って思ったわけです。芥川賞と直木賞の違いも知らないから、そういう文学賞があるなら両方獲ろうと(笑)。そして「笑っていいとも!」に出るんだ、と。

――あはは。芥川賞・直木賞の先に「いいとも」があるという(笑)。

葉真中:タモリさんと何を話すかも結構真面目に考えていました。高校生から大学生半ばくらいまではそうした万能感と閉塞感、両方がありました。遠いようで近い、そのふたつの感情が自分を支配していたような気がするんですよね。そういう意味では、村上龍さんは僕を悪くしたかもしれない。

――大学では何学部に進まれたのですか。

葉真中:教育学部なんですよ。大学では映画研究会と文学同人会に入りました。大学でまさにいろんなことが自由になって、それからもう人と無理に付き合うことはしなくなりました。スポーツとかキャンプとかに誘われても「行かない」ってできるようになったのが大学くらい。一人でご飯を食べるのが全然平気になったのも、この頃か、高校生の後半くらいからかな。完全に孤独が好きなわけじゃないんです、寂しいこともあるし人と遊ぶけれども、独りでいるのも好きだという。
大学時代が人生で一番本を読んだ時期なのは間違いないです。読書の幅も高校生の時以上に広がりました。それまであんまり食指が動かなかった、大きな事件が起こらないタイプの小説なんかも人に薦められて読むようになって、「あ、これも面白いんだな」と。
特に、鷺沢萠さんの小説がすごく好きになりました。きっかけはたぶん『愛してる』という短編集。大きな事件が起きない、激しくない話でも、ここまで人の心を揺さぶる文章があるんだなっていうのを教えてくれたのが鷺沢さんです。鷺沢さん、在日コリアンの話も書いていますよね。僕は小学生時代に在日コリアンの友達がいたんです。でも子供の頃はよく分かってなかった。彼が「俺、日本人じゃないんだよね」って言ったことがあって、その言葉の意味が、大学生くらいになって分かりました。授業でも教わるようになるし、大学では在日コリアンのグループみたいなものもあったし、多様な在り方があるんだなって気づきはじめたのがこの頃。ちょっと遅いのかもしれないですけれどね。
僕は1994年に大学に入学して、95年に地下鉄サリン事件があって。当時はまだバブルの残り香があって、でもとてつもない社会の閉塞感があって、その頃に自分の人生の中でも一番多感な時期を過ごしたから、結構この頃に読んだもの、触れたものっていうのは今でも憶えているっていうか。ちょっとね、黒歴史的なところも少なくないのですが。

――黒歴史ですか?

葉真中:サブカル趣味が最初のうちはよかったんですよ。よかったというか。面白サブカル本ってあるんですよね。『大映テレビの研究』とか『マンガ地獄変』とか。そこからさっきいった中野の「大予言」なんかで、ちょっとニューエイジのものに興味が出てきて。別にやってはないですけれど『マリファナ・ハイ』という非常に有名な本とか、『パラダイム・ブック』っていう、「これから世界は変わるんだぜ」っていう感じのことが書かれてある本とかを読んだりして。オウム事件が起きた時に、「俺はあそこにいたかもしれない」ってちょっと思ったわけですよね。「これはもしかして危ない方向なのか」と思いつつ。
さすがにこの頃になると『ノストラダムスの大予言』なんかは「これおかしいんじゃねえの」って気づいて(笑)、『MMR』とかも完全にネタ化していて。だけど1999年が近づくにつれてオカルト商法みたいなものがすごく世の中に出回っていて。それをしり目に現代書館の「フォー・ビギナーズ」という、主に人文系の思想家とかのムック本シリーズを読み漁ったり、「別冊宝島」の『いまどきの神サマ』って宗教の本とかを読んで、知識を溜め込んではいるんだけど、どこかまだビリーバーであることを抜けられていない感じの大学生でした。
それが、95年に『トンデモ本の世界』という本が出版されて、「あ、笑ってよかったんだ」って(笑)。信じないで笑い飛ばしてよかったんだって。これは本当にエポックメイキングでした。ちなみに僕、学部は理系だったんですよ。物理なんです。だから学問的にはオカルトを信じようもないところにきていたんですよ。だけど、どこかにあれを信じている自分を否定しきれていないところがあって。たとえば「生まれ変わりってあるんじゃないか」という気持ちがなかなか抜けなかったりして、でも『トンデモ本の世界』を読んで「いや、笑おうよ」って。本当にゲラゲラ笑いながら読んでいたんですけれど、長年抱えていた呪いが解けたような感覚がありました。と学会の変遷もいろいろありますが、でも当時、20代の学生だった僕にとっては、感謝の読書体験だったかなと思っています。あの本で懐疑主義というものを知って「疑うって悪いことじゃないんだ」っていう当たり前のこと、本に書いてあることにも嘘があるんだってことを「そう思っていいんだ」と思えました。

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