第223回:中山七里さん

作家の読書道 第223回:中山七里さん

今年作家デビュー10周年を迎えた中山七里さん。話題作を次々と世に送り出すエンターテインナーの読書遍歴とは? 大変な読書量のその一部をご紹介するとともに、10代の頃に創作を始めたもののその後20年間書かなかった理由やデビューの経緯などのお話も。とにかく、その記憶力の良さと生活&執筆スタイルにも驚かされます。

その3「きっかけは島田荘司さんのサイン会」 (3/5)

  • 新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)
  • 『新装版 限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)』
    村上 龍
    講談社
    550円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • さよならドビュッシー (宝島社文庫)
  • 『さよならドビュッシー (宝島社文庫)』
    中山 七里
    宝島社
    618円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

――社会人になってからも、本を読んで、映画を観て、という生活は変わらず。

中山:社会人になってからは、自分の住まいを決める時にはまずは映画館の近くというのが条件でした。それで、会社に行って、映画に行って、本を読むという生活でした。
 その頃はクリスティーもクイーンもいなくなっちゃって。でも日本で綾辻さんをはじめとして新本格の方たちの波が来たので、僕らミステリーファンにしてみたら酒と薔薇の日々ですよ、本当に。その頃くらいから、「週刊文春」のミステリーベスト10などでフランスミステリーがちょこちょこ出始めたんですね。ポール・アルテとか。それから、個人的に一番うれしかったのは、アメリカのミステリーも結構面白いものがあったこと。マイケル・スレイドの『カットスロート』とか。

――ところで、相当な蔵書数なのではないですか。

中山:読んで、すぐ捨てます。サイン本とか「これだけは」というものは取っておくんですけれど。市場在庫が減らないと重版がかからないから、古書店には売りません。
 本の内容は憶えていますから。だって普通、見聞きしたものって忘れないじゃないですか。僕、小説を書く時も取材したことがなくて、これまでに見聞きしたことだけで書いていますから。

――え、見聞きしたこと、忘れますよ...(笑)。では作品に出てくる音楽的知識も、医学的知識も、法律の知識も全部、憶えていたものだけで書かれているのですか。

中山:はい。だって医学的知識はずっと前に法医学の分厚い本を買ってずーっと読んでいましたし。映画も観たものは全部、コマ割りで憶えていますし。
 たとえば村上龍さんがご自身で監督された『限りなく透明に近いブルー』の映画はDVDになっていないんですが、あれは挿入歌でいろんな人が洋楽をカバーしているんです。僕はどこのシーンで井上陽水の挿入歌が入って、どの歌を小椋佳が歌って、どの歌が山下達郎が歌っているか、全部憶えていたんです。それを幻冬舎の人に話したら龍さんの耳に入って、「文庫解説を書いてくれ」と言われて仕事が増えました(笑)。

――そこまでよく憶えていますねえ。

中山:その頃はビデオがなかったので、観終わったらもう二度と観ることはできないっていう心構えで観たから、憶えちゃったんでしょうね。本と映画だけはよく憶えていて、その他には記憶力を使わなかったんです。

――会社員時代、残業は多くなかったのですか。そこまで読んだり観たりする時間はあったのでしょうか。

中山:残業150~160時間かな。「24時間働けますよ」っていう時代でしたからね。どこの会社でも残業は当たり前。自分で勝手に土日も出勤していましたから。土日に出勤して、ある程度終えたらまた本を読んで映画観てっていう。その頃も睡眠時間は1日2~3時間だったんじゃないかな。

――ええー、どうやって生きてるんですか。

中山:今でもだいたい、睡眠時間は2時間ですよ。まあ、会社員時代のほうが溜めて寝るっていうのができましたけれど、今はその余裕はないです。

――(絶句)...さて、25年書かなかった小説執筆を再開したきっかけといいますと。

中山:2006年に島田荘司さんが『UFO大通り』という本を出されて、大阪の今はなきブックファースト梅田店でサイン会をしたんです。僕はちょうど大阪に単身赴任していたので、その時にはじめて作家のサイン会に行って島田さんにお会いして、魔が差して、その日のうちにノートパソコンを買って小説を書き始めました。その時に書いた小説が、『このミステリーがすごい!』大賞で最終選考までいったんですよ。
 島田荘司さんは鮎川賞の選考委員でしたし、今でも「島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」などでいろんな新人を出してらして、そういう人たちのことを「島田チルドレン」というんですけれど、僕はそれでいうと認知されない子どもなんです(笑)。

――その時に最終選考に残った作品というのが『魔女は甦る』で、のちに書籍化されましたよね。そして2年後に『さよならドビュッシー』で第8回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞して、48歳で小説家デビューされるという。サイン会に行って「魔が差した」というのはどういうことだったのですか。

中山:「今小説書かなかったら二度と書かないな」と思ったんです。その頃単身赴任で住んでいたのが、歓楽街のど真ん中みたいなところだったんです。一歩マンションの外に出たらもう誘惑だらけで、夜は部屋の中に閉じこもっていたほうが安心ってところがあって、それでずーっと書くことができる環境でもありました。で、パッと書いた時に170枚のホラーみたいな話ができて、いろんな新人賞を調べると『このミス』が1月31日の締切だったので、応募規定枚数に合わせて300枚くらい書き足して。なので、本当に書きたかったことは最初の170枚で、後は付け足しだったんですよね。それを最終選考委員の大森望さんにけちょんけちょんに言われてました(笑)。結局は、後で幻冬舎から本になりましたけれど。だから、今まで書いた本で商業出版されていないものってひとつもないんです。あ、厳密にいうと1本だけあります。趣味で書いているものがあって、それはどこにも出していません。

――それはミステリーですか。

中山:海洋冒険SFです。好きなんですよ。でも、今そういうものを出しても売れないって分かっているから。もう600枚を超えているんですけれど。
 巨大鯨と戦う話です。それにシーシェパードとか、各国の貿易と政治経済が絡んできてっていう話で、自分で書いていても面白いなあって思います。でも絶対、出しません。趣味だから。ずっと小説を書いていると、箸休めが欲しくなるんですよ。箸休めで小説を書いているんです。
 それに、今、中山七里のSFと言ったところで、誰も買いやしませんよ。デビューしてからのポリシーなんですけれど、オファーをいただいたものをきっちりと形にして、とにかくそれを黒字にするのが僕のスタンスですから。ひょっとしたら売れないかもしれない、っていうものを出すつもりはこれっぽちもないです。

» その4「大切なのはスタートダッシュ」へ