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勝手に目利き
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今井 義男の<<書評>>

「ビタミンF」
評価:A
親子の間に悩みの種は尽きない。気を使っても無視しても面倒は必ず起こる。 ゆめゆめ、何でうちの子だけが、などと考えないように。 大事なのはそのトラブルが自分たちの手に負えるか、否かの見極めだけだ。 夫婦間もまたしかり、波風が立って当たり前。年がら年中、 茶の間でべたべたしている家族なんて不気味でしょうがない。 全員が別々の方向を見ていたって一向に構わないし、ことさら干渉もしない。 それぐらいのスタンスで生活する方が気楽だが、世間ではそうもいかないらしい。 避けて通れない問題に直面して当惑する家族の物語が七編。 拍子抜けするものから、身につまされるものまで色とりどりで飽きさせない。 「セッちゃん」は読んでいてとてもつらく哀しかった。誰かが繕うことによって平衡 が保たれている風景は痛々しい。

【新潮社】
重松 清
本体 1,500円
2000/08
ISBN-4104075035

「せん−さく」(上下)
評価:E
今月のラインアップで最も期待したのがこの本だった。帯の推薦文と惹句がその理由 だ。<ネット>と<ひきこもり>。 出自の怪しげなトラウマやアダルト・チルドレンよりも身近で現実的なテーマである。 無自覚にネットに絡め取られるのも、他者との関わりから背を向けてひきこもるのも、 薬物依存のように後戻りがしにくそうで怖い。 後味の悪さは覚悟していた。予想通り最悪だった。ただし、別の意味で。 この作品から現代社会が孕む病理を読み取るのは少々困難である。 ネットの魔力など何も描かれてはいなかった。 ひきこもりに付きものの閉塞感やあせりさえも伝わって来ない。 それらの事象は、筋運びのための書割りにしか過ぎなかった。 羊頭を掲げて狗肉を売るとはこのことだ。

【幻冬舎】
永嶋恵美
本体 1,700円
2000/09
ISBN-4344000153

「師匠」
評価:AAA
正直に告白する。本の包みを解いた瞬間、未読候補の筆頭だった。どうしてもミステ リを優先してしまう ので『ビタミンF』と本書が残り、さてどちらを読むかと考えて重松清を選んだとき も、ペナントレース で巨人が優勝を決めた後の阪神−広島戦並みの興味しかなかった。元来私は上方落語 のマニアである。東 京落語はめったに聞かない。大阪には妙な真打制度がなく上下関係も東京ほど折り目 が正しくない。何か につけて適当な感じがいいのだ。そんなわけで、よりにもよって談志の弟子が書いた 小説かぁ、とため息 をついて読み始めたのである。作中、談志におもねたような文章が一行でも出てきた ら即座に本を閉じる つもりだった。前振りはここまで、以下結論。声を大にして言う。これはまぎれもな い傑作だ。落語ファ ンもそうでない人も「先立つ幸せ」と「はんちく同盟」の二編は必読。読書の神様並 びに編集部の皆様、 そして談四楼さん、すみませんでした。二度とこのような不遜な態度で本には触りま せん。そう言えば< と学会>方面にも談志門下が一人いた。稀にではあるが、やはりとんびは鷹を生むの だな。

【新潮社】
立川談四楼
本体 1,300円
2000/08
ISBN-4104247022

「川の深さは」
評価:B
無為な日々を送る中年男が、追われる若い男女につい手を貸してしまったために、国 家的規模の謀略に巻 き込まれる話。下手をすれば極東で紛争が勃発するぐらい危険な機密が根底にあり、 漏れ出した汚水はど す黒い奔流となって、三人を飲み込もうとする。面白い小説であることは間違いない 。肩入れしたくなる 登場人物も数人いるし、決して退屈はしなかった。が、途中で高揚した気分が何度か 冷めそうになったの も事実である。まだ風化していない現実の事件を模した記述は説明的で平板だ。<北 >の位置付けもカタ ログ通りで新鮮味がない。涼子が保を「最高傑作」と評した表現も安易過ぎる。後半 のアクションシーン ではアッシュ・リンクスやジョン・ランボーの影がちらついて仕方なかった。私だけ かもしれないが。

【講談社】
福井晴敏
本体 1,600円
2000/08
ISBN-4062102846

「新宿鮫 風化水脈」
評価:AA
この町の名は60年代半ば、永島慎二の作品で初めて知った。ジャズが流れる酒場、 風変わりな若者たち、 ハイミナールの錠剤、朝焼けのビル街を舞う鳩の群れ。実態はどうであれ、それが私 にとっての新宿だ。 当然ながら新宿にも歴史がある。町は目まぐるしく様変わりし、人は通り過ぎ、打ち 捨てられた情念は地 下の水脈で澱となって息をひそめる。そして時を経て水底から排出した瘴気は、声に ならなかった悲痛な 思いを白日にさらす。自動車窃盗団を追う鮫島が発見した四十年前の死体は、図らず もいまを生きる名も 無い人々の、噤んだ過去とはかない明日を交錯させた。属する世界が異なる鮫島と真 壁。この両者が我々 に突きつけるのは、常人が成し得ない覚悟した生である。この骨太な刑事小説は私の 身勝手な心象風景を 払拭した。今後、私の夢想する新宿には<フーテン>ではなく<新宿鮫>が回遊する ことになるだろう。

【毎日新聞社】
大沢在昌
本体 1,700円
2000/08
ISBN-4620106151

「フォー・ユア・プレジャー」
評価:A
ミステリに何を求めるか。それによってこの作品の評価は分かれる。謎のスケールは 小さい。ハードボイ ルドにしては今ひとつ物語に深みがないような気も。ではつまらなかったのか、と問 われればそうではな い。昨今流行の<魔都・新宿物>にあるまじき軽さである。その点だけでもすごい。 主人公の花咲は類を 見ない好人物だ。にこにこ保育園スタッフ一同の奮闘ぶりも賞賛に値する。思わず寄 付したくなった。知 人もこぼしていたが保育の実情は本当に大変なのだ。花咲が命を賭けて園を守るなら 、私も末永く応援す ることに決めた。借金完済を目指して前進あるのみだ。瑣末なことだが、そこかしこ に挿まれる洒落た台 詞回しが無粋な私には据わりが悪かった。それと、誰の責任でもないが、私は『走れ メロス』が大嫌いだ。

【講談社】
柴田よしき
本体 1,800円
2000/08
ISBN-4062097974

「悪魔の涙」
評価:B
不特定多数や建造物を標的にして身代金を要求するケースはこれまでにもある。四八 頁まではその手のタ イムテーブルにのっとった進行だった。ところが四九頁を境に事態は思わぬ方向へ捩 れ始める。詳しくは 書かない。他の採点員の方々がバラさないことを祈る。協力を要請された元FBI文 書研究室捜査官パー カーが、唯一の手がかりである手書きの脅迫状から、背後に隠された情報を解き明か していく過程は鳥肌 ものだ。筆跡や紙片を分析するマニュアルはおそらく事実に基づいていると思うが、 まさに驚異である。 脅迫状はワープロで打つか印刷物の切り貼りに限る。殺人機械<ディガー>のキャラ クターも秀逸。これ 一作だけで消えてしまうのは‥‥カチッ‥‥惜しい。本作を手にされる際には、登場 人物の言動にくれぐ れもご注意を。

【文春文庫】
ジェフリー・ディヴァー
本体 848円
2000/09
ISBN-4167218712

「水の棺の少年」(上下)
評価:A
ゴシックサスペンスのお手本のような小説。学園を改革しようとする新任の校長ホー ソンと、変化を嫌う 教師たちとの対立はミステリ風味抜きでも十分に読ませる。孤立無援で様々な悪意と 向き合うホーソンを 支えるのは、彼自身が抱える深い懊悩と、彼の理念に共感する語学教師のケート。日 毎にエスカレートす る卑劣な嫌がらせが、臨床心理士の不可解な自殺を契機に、抜き差しならぬ状況に一 挙になだれ込んでい く。このあたりの展開がスリリングで見事だ。日付が変わろうが猫が餌をねだろうが 、ページを繰る手は もう止まらない。傷ついた子供たちに寄せるホーソンの慈愛に満ちた眼差しは、全編 を通じて一貫してお り強く感銘を受けた。それに引き換え、私利私欲にまみれた連中の浅ましさときたら 、頭のいかれたシリ アル・キラー以下だ。

【ハヤカワ文庫】
スティーヴン・ドビンズ
本体 680円
2000/08
ISBN-4150409579
ISBN-4150409587

「少年たちの密室」
評価:C
可もなく不可もない、小ぢんまりときれいにまとまったミステリ。身もふたもない言 い方だが、致命的な 破綻がない代わりに驚愕の結末もない。犯人、動機、手口のいずれを取り上げても凡 庸そのもので、最後 まで隠し続けた転落事故の真相も、意外でも何でもなかった。謎の部分が多少弱くて もプロットで読ませ る作品は枚挙にいとまがない。この小説の場合も、閉じ込められた一人一人の心理を 丹念に描写すること で十分面白くできたはずなのに。もったいないことをする。パズルストーリーの真の 醍醐味は、読み手が 構築した論理を作中人物によってもののみごとにひっくり返される快感にこそあるの であって、結末で辻 褄が合えばそれでいい、というものではない。

【講談社ノベルス】
古処誠二
本体 820円
2000/09
ISBN-4061821474

「この世の果て」
評価:D
困った。こんなに重厚な小説なのに素直にほめられない。ヒッチハイクがトラブルの 発端となりがちなロ ード・ノヴェル自体がそもそもあまり好きではなく、おまけに出てくるのが砂漠の嵐 症候群に苦しむ帰還 兵、カルト教団の信者、ネイティブ・アメリカン、といかにも重たげなのばかりで胃 にもたれる。さすが はアメリカ。<役者>がそろっている。そのせいもあるが、作者の視点がどの辺に据 えられているのか非 常に気になった。行き場を失ったジョーが逃避行の果てにたどり着いた境地がこの程 度だとしたら、何に も解決したことにならないだろう。大人はそれでいいかもしれないが、子供に未来は あるのか。自然とと もに人間らしく生きるためには、それすら切り捨てろ、とでも言うつもりなのかな。

【扶桑社ミステリー】
クレイグ・ホールデン
本体 838円
2000/08
ISBN-4594029574

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