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今井 義男の<<書評>>

「ライオンハート」
評価:A
私は了見の狭い人間であるが、許容できるジャンルの間口はそれ以上に狭い。時空を越えたラヴ・ストーリーというだけでもうお手上げだ。その上に登場するのが異邦人エドワードとエリザベス‥‥覇権主義の象徴みたいな名前である。悪趣味だ。げんなりする。そこで深呼吸をし、これまでに新刊採点を通じてさんざん思い知らされた食わず嫌いの愚かさを反芻しつつ我慢して読み続けたら、半端ではない面白さの小説なのだった。雨に打たれながら一人の少女が群集をかき分ける。ふいに呼びかけられてとまどう青年。最初の出会いと別れの場面はあまりに唐突ではかなく、私の雑念を吹き飛ばすに十分だった。美しい映像が湧くように後追いをする色彩豊かな文章と、えもいわれぬ既視感にひとたび身をゆだねると、たちまち物語の螺旋に吸い寄せられた。各章の扉に配された絵画とその時代背景も効果的で味わい深く、余韻を残したラストも申し分ない。
【新潮社】
恩田陸
本体 1,700円
2000/12
ISBN-4103971037
 

「春風ぞ吹く 代書屋五郎太参る」
評価:A
頼まれもしないのに応援したくなる人物は確かにいる。村椿五郎太はまさにそういう男である。殊に恰好よくない武士というところが私の読書欲をくすぐる。脇役も性格がよく書き分けられていて存在感があり、物語の隅々をなおざりにしない作者のバランス感覚が窺える。日本的な美意識に裏打ちされた師と弟子の微妙な距離感も羨ましい限りだ。役職に就けない下級武士も文茶屋に出入りする町人たちも天晴れに生きている。現代と比較して江戸や明治の方がよかったなどとは口が裂けてもいいたくはないが、このような環境でなら多少後戻りしてもいい。とりあえず貧しくても、事がいっかな思い通りにならなくても、である。ほのぼのとしていながら、やがてしんみりと酔える極上の小市民小説。<大河な時代物>が苦手な人にお薦め。それから時代物を読まない人たちにも。
【新潮社】
宇江佐真理
本体 1,500円
2000/12
ISBN-4104422010
 

「リセット」
評価:AAA
まさかこんなによく似た設定の小説を立て続けに読むことになるとは。しかも双方甲乙つけがたい出来ときては、この上なく贅沢をしたというしかない。日向に流れる穏やかな水を思わせる文章が美しい。眩暈のような既視感がある。なんだかもう一冊とあまり代わり映えのしない感想を繰り返しているが、ほんとうはまったく違うのである。一方は古いヨーロッパ映画を観ているような錯視であり、こちらは遠い日々の記憶や体験、その残滓が妙にはっきりと疼くのだ。それはたまたま私が芦屋浜や六甲山に少年期の思い入れがあるせいだけではない。つつましく清廉な慕情に胸が痛み、一篇の詩、一枚の絵札が心を揺さぶるのは、私たちが歳を経るごとに削除したはずのファイルがまだ意識の奥深くで保存されているからだ。こんな気持ちを面映い懐古趣味と簡単に切り捨ててはいけないような気がする。きっと一度失ってしまったら取り返しがつかないから、セキュリティがかけられているのだ。狭い台所でホットケーキを焦がしたとき、黄金色の麦の穂がざわざわ揺れたとき、感動で体中に鳥肌が立った。今年のベスト1作品に早くも行き当たった予感がする。偶然とはいえ恩田作品にとっては不運なセレクトだった。
【新潮社】
北村薫
本体 1,800円
2001/1
ISBN-4104066044
 

「死は炎のごとく」
評価:A
いまにして顧みれば、時代そのものが熱にうかされていた。この頃、世界は米・ソによる二極対決の原理に染まっており、両陣営が自らの振りまく幻想に酔いしれてもいた。その図式を具現化していたのがインドシナ半島であり、朝鮮半島だった。この激烈な小説のモデルは74年の《文世光事件》である。北でもなく南でもない<在日>の青年が、祖国の統一を阻む独裁政権に天誅を加えるのは自分しかない、と決起に至るまでの足取りが克明に活写される。圧制者をその手で討たんとする者は、民族の英雄となるか有象無象のテロリストとして葬られるしか道はない。我々は文世光の放った弾丸の行方も、事の顛末も知っている。しかしそのために緊迫感が損なわれることは微塵もない。肥大化していく青年の自意識に、熱く息苦しかった時代の空気がまざまざと蘇える。どんなに強固な個人の意志も、より巨大な国家権力の前では<無>に等しいという基本原則はいまも揺るぎはなく、隘路に陥ったアジアの現実を再確認させられた。風穴を開ける方法論は依然としてどこにもない。
【毎日新聞社】
梁石日
本体 1,800円
2001/1
ISBN-4620106216
 

「恋わずらい」
評価:D
『仮に自分が海だとする。ある日なにやら透明な物体が漂ってくる。大抵のものはやがて朽ちて分解するのだが、石油を原料にしたこの物体はいつまでもその形態を保ったまま沈殿し、海である自分にはこの体内に生じた違和感をどうにもできない』うろ覚えだが、二十代の頃に購読していた《ニュー・ミュージック・マガジン》誌上で《シショーネン》のアルバムを評した北中正和さんの文章である。聖月、冴子、サキ、とひたすら逢瀬を重ねる修二の遍歴を読み終えたときにふと思い出した。それにしても仕事をしない作家だ。この種の作品に心を動かされることは今後もないだろう。海底のビニール袋のように私には吸収も排出もできそうにないからだ。だからといってこの小説の価値を貶めるつもりはない。単に私と相性が悪かっただけのことである。そんな出会いだって当然ある。
【朝日新聞社】
高橋三千綱
本体 1,800円
2001/1
ISBN-4022575565
 

「オーデュボンの祈り」
評価:B
鎖国状態に置かれた島での殺人。第一の被害者は人語を解し未来を見通せるはずの案山子。このヘンな設定にうまく乗せられて、途中からすっかり謎解き小説だったことを忘れていた。ちゃんと、あちこちに伏線も張り巡らせてあったのだ。リアリティなどなくても科学的でなくても、ミステリやホラーは面白ければそれでいい。だから、つまらない登場人物ばかりの退屈なパズラーより、個性的な案山子が出てくる奇矯な話の方がいいに決まっている。それほどに<優午>は、死なせるには惜しい案山子である。物静かで寂寥感漂うたたずまいは、60年代に永島慎二の描いた案山子に匹敵する。頭部に施した呪術的なメカニズムも奇抜でよい。もう少し展開がひねくれていたら《奇妙な味》の当確ラインに届いていた。私の好きなリョコウバトのことがふんだんに触れられていたことも嬉しかった。
【新潮社】
伊坂幸太郎
本体 1,700円
2000/12
ISBN-4106027674
 

「偽日本国」
評価:E
個人的に強く惹かれる場所がある。沖縄もそのひとつである。主要な登場人物が沖縄出身の若い夫婦でただならぬ過去を背負っている。米軍基地が落とした影だ。読む側につい力が入ってしまうのも致し方あるまい。その意気込みに何度も急ブレーキをかけてくれたのが、非常に癖のある文体である。これは賛否が分かれることだろうが、私は著しく興を殺がれた。行動でストーリーをぐいぐい引っ張っているはずの本来の主役、マッちゃん夫妻にも失望した。いろんな事件が次々に起こるわりには現場の逼迫感が伝わってこない。冒頭の監禁だけでも現代の病理を抉るのは可能なのに、ほんの一過性の出来事ぐらいにしか感じられないのである。物語はマッちゃんの人となりを中心に<生体の冷却保存>から<満州国>まで盛りだくさんな事象が引き合いに出される。それらはちょうどテレビ画面をリモコンで操作するごとく希薄な印象であった。
【幻冬舎】
伊藤俊也
本体 1,800円
2001/1
ISBN-4344000420
 

「ハード・タイム」
評価:C
あまり稼業が儲かってなさそうな点は好感が持てた。ミステリ業界には浮世離れした探偵が結構いる。車の修理代に汲々としたり、本筋以外のルーティン・ワークに足を止められたりと細部もきちんと描かれていて、超人的なヒロインでないのがよい。人気シリーズに相応しく交友関係も嫌味がない。2段組みでこの厚みでもV・Iの活躍に喝采を送る固定ファンには納得できるのだろう。ただし一見の客として正直な感想を述べると少々展開が遅い。事件も地味だし敵対する相手にもさほど凄みがない。したがってラストスパートでも胸のすくような反撃とまではいかない。これがいつもの作風であるのなら私が四の五のいう必要はこれっぽっちもないが。この作品での収穫はアメリカの刑務所環境には男女の差別がないという事実を知ったことだ。つまり金輪際人間扱いされない場所なのだった。
【早川書房】
サラ・パレツキー
本体 2,000円
2000/12
ISBN-4152083085
 

「ステーション」
評価:D
まるで社会の副教材のような変わった版型の本だ。生涯鉄道を愛しつづけた従兄弟と姉の過ごした日々を、従兄弟の残した一冊の写真集とその余白に書き込まれたメモとともに辿るという趣向である。アメリカ国民なら古びた挿画が失った原風景を想起させて感激に包まれるのかもしれない。実際あちらでは絶賛されたとある。東洋人の私でもラッセルの気持ちならまだわからないでもない。が、アンナという女性についてはとうとう理解できずじまいだった。記述者である弟もどうも好きになれない。断片的な文章は読みづらく、大国に生まれ育った人物の大雑把な戦争観もところどころに顔を出す。せっかくの絵も小さすぎるし、デジタル処理したデザイン・ワークも不似合いである。トリック・アートの画集として出版されていたら、もっと違った受け止め方ができたのに。もったいない。
【角川書店】
マイケル・フラナガン
本体 2,600円
2000/12
ISBN-4047913596
 

「ぶらんこ乗り」
評価:AA
ある日、祖母が差し出したのは弟の書き溜めたノートだった。弟は幼い頃、喉を雹に打たれて以来、人前で声を発することをやめ、樹上のぶらんこで寝起きするようになった。夜な夜な訪う動物たちの不思議な聞き書きを綴ったのがそのノートである。姉の<私>から見れば果てしなく非日常の世界に弟は生きていた。弟の内面を見つめていたつもりの姉の視線がようやく真の焦点を結んだとき、ぶらんこに乗った弟は手の届かない場所まで舞い上がっていた。砂糖菓子のように危なっかしく、ガラス細工のように透き通った佳品である。毅然とした祖母の生き方にも強く共感した。この本は最後までとっておいた。タイトルの響きがそうさせたのだ。児童文学に向き合うのはこわい。自身の磨耗した感性をさらけ出されるのではないか、という強迫観念にかられる。今日まで無為に歳を重ねた付けを清算させられるような焦りをも伴う。読むと敗北感に苛まれるのが常である。でも、こんないい本が読めてよかった。
【理論社】
いしいしんじ
本体 1,500円
2000/12
ISBN-4652071922
 

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