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「不自由な心」
評価:B
身勝手で諦めの悪い男とその男に引きずられる女。女に去られ職を辞し末期癌の父親を看取る男。新しい生活を始めた女に未練を隠す矜持もなく、あろうことか相手の脳裏に生涯消えない刻印を打つ男が二人。そして、客観的に自己を見つめることができず、結果として女を不幸にするしか能のない男。‥‥辛気臭いことである。人はなにを好き好んで面倒なことに首を突っ込むのか。人生の問題は即物的なことにしかないのか。そうでなければ生きる意味がないとでもいうのか。<不自由な心>とは言いえて妙である。煩悩は百八つもあるのだから、恋のときめきを失っても余生を過ごせそうなものだが。男と女というのはまったくしょうがない生き物だ。一見あきれるほどシンプルで、その実おそろしく難解。まるで古代エジプトの象形文字である。それとも小さな子供の落書き?
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【角川書店】
白石一文
本体 1,700円
2001/1
ISBN-4048732668 |
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「そして粛清の扉を」
評価:AAA
逃げ場のない子供を追い詰める大人、なんのためらいもなく弱者を踏みにじる少年たち。世も末である。この物語では後者が殺戮の標的になる。舞台はもはや教育現場の体をなさない高校の一クラス。屠られる生徒は全員人間の屑である。沈着かつ怜悧な女教師の振る舞いは寸分の狂いもなく計算し尽くされており、教室内でのホロコーストは真の狙いを覆う絶妙な隠れ蓑になっている。空虚な異議を差し挟む隙を与えない人物像。刻一刻とデッド・リミットが近づくにつれ仕掛けが増していく巧妙なプロット。カタルシスとカタストロフィーを同次元で成立させてみせた結末。どれをとっても第一級のサスペンス小説である。どうせ反モラルを標榜するならここまで徹底的にやってもらいたいものだ。残虐さをあげつらう批判が噴出することだろうが、耳を傾けるには及ばない。いつの時代も子供に多大な影響を与えているのは小説やビデオではなく、我々大人が放置し増幅させた社会の歪みなのである。
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【新潮社】
黒武 洋
本体 1,700円
2001/1
ISBN-410443101X |
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「鬼子母神」
評価:C
おそらくこれを読んだ人の大半が「またか」という感想を抱くのではないかと思われる。どれほど手を変え品を変えてみたところで、読み手がそんな気持ちになった瞬間に、その作品はハンデを背負ったようなものである。作者はあまり一般的でない、精神の病を切り札のごとく振りかざしているが、フェアなやり方とはいえない。病理を異形と同一視する危険も生みかねない。もしかして出版界では、我々の知らない病気の数だけサイコ・ノヴェルを量産する密かな計画でもあるのだろうか。主人公の保健婦の陰湿さと、病状を知りながら平然と傍観者に徹する医者の姿には辟易した。本来裁かれるべき人間はこの二人ではなかったのか。このように胸につかえの残る小説であるが、裏を返せばそれだけ作者の術中にはまったと認めざるをえない。後味は読んでのお楽しみである。
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【幻冬舎】
安東能明
本体 1,600円
2001/2
ISBN-4344000528 |
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「Maze」
評価:C
ある条件下で人間が消失してしまう古代の迷路。そこへ調査に訪れた曰くありげな男たち。さてこの尋常ならざる建造物は人間の干渉に屈するのか、それとも解読しようと近寄る者が手もなく異界へ直行させられるのか。読了と同時に頭の中を疑問符が現れては消えた。迷路の存在理由について中盤で語られる仮説は格別意外ではないが、それなりに機智に富む解釈だったし、ひとひねり後に明かされる真実よりもよほど面白みもあった。提示された謎に合理的な謎解きを求める人にとっては、これでよかったのかもしれないが、私は肩透かしをくらわされたようでどこか物足りない。列挙された怪異現象の説明に整合性をもたせるあまりに、リドル・ストーリーとしてもいささか切れ味に欠ける結果となった。 |
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【双葉社】
恩田陸
本体 1,500円
2001/2
ISBN-4575234079 |
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「The Twelve Forces」
評価:A
国産の冒険物としては破格の面白さである。内容の掴みにくい装丁とか軽薄な目次で二の足を踏んでは絶対に後悔をするので惑わされないように。地球の命運を賭した壮大なスケールの話なのに、登場人物が緊張感を欠く人間ばっかりという、そのアンバランスさでとにかく先行きが読めない。下世話なギャグも満載だが、広げた大風呂敷にあまり不自然さが感じられないのは、細部の描写にも一切ぬかりがないからだろう。最大の見せ場、ジャングルでの戦闘シーンもテクノロジーを駆使した奇想天外な作戦であるにも関わらず、硝煙と血しぶきの臭いが漂ってきそうなほど臨場感がある。前作の『赤い雨』を読んだ限りではこんな作品を書くとは想像もできなかった。まだまだ引き出しがありそうで今後が楽しみである。冒頭の根本敬みたいな下手くそなイラストも読み進めるうちに笑えてくるから不思議だ。
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【角川書店】
戸梶圭太
本体 1,600円
2000/12
ISBN-4048732617 |
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「Rの家」
評価:B
なんの義務も果たさずひたすら怠惰に日々を過ごすことができたら、と考えてはみたものの大した展望は見えてこない。放埓にもある種の才能が欠かせないのである。つまりRの家は普通の神経をもっていたらそうは簡単に踏み込めない領域ということだ。この家に出入りする人間は明らかに我々とは違う時間軸を生きている。親と子について、男と女について、そこで語られるなにもかもが現実から遠く遊離している。それは傍目に羨ましくもあり、腹立たしくもある。腹立たしさがあることを自分で認めるのもさらに腹立たしい。それくらいこの小説は読む者の心をかき乱す。だから私は彼らの内の誰とも関わりになりたくない。ただ一人<家>を拒絶し、手の込んだ失踪を遂げた順子だけが近しい存在のように思えてくる。彼女の心境も全然まともではないが。
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【マガジンハウス】
打海文三
本体 1,800円
2001/1
ISBN-4838712839 |
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「歴史を考えるヒント」
評価:AA
我が国の歴史がどうも社会の授業で習うような単純なことではなかったらしいと、薄々感づき始めたのは中学2年の折に白土三平の『カムイ伝』を読んでからである。農民も武士もそれぞれに細かい階層があり、山窩、非人、忍び、修験者など四民では到底括ることのできない人々の存在がそれを如実に裏付けていた。だが、いにしえの因習であったはずの身分差別が遠い過去の亡霊ではなく、今も牢固として生き長らえている事実を確信したのは高校1年の夏である。かつて『カムイ伝』を回し読みしていた友人が、左手首の神経組織と静脈を切断した。被差別部落出身者だった。日本の教育システムは馬鹿げた偏見よりも無力である。歴史を学ぶのに愛国心も贖罪意識もいらない。そんなことと歴史の勉強とはなんの関係もない。粉飾も隠蔽も不要だ。史実をありのままに受け入れれば自ずと進むべき方向は示される。歴史から目を背けて未来を見誤る愚鈍な国に夜明けは永遠に訪れない。 |
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【新潮選書】
網野善彦
本体 1,100円
2001/1
ISBN-4106005972 |
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「バーバリー・レーン28番地」
評価:B
屈折していなければ市民権が剥奪されるのか、と疑いたくなるほど屈折した人間ばかりが登場する。まず25歳の娘を子供扱いする過干渉な母親と、自立と家出の区別もつかない娘のジャブに出足を止められ、続々と現れる快楽主義者の波状的なワン・ツーにスタミナを消耗し、後半ラウンドではほとんどタオル寸前にまで追い込まれていた。こんな連中にはとてもついていけない。70年代ですでにこれだからアンクル・サムの先取り精神が止まるところをしらないのも頷ける。なにより驚いたのは自傷癖のあるジャンキーが<命の電話>のボランティアをしていることだ。この<最後のヒッピー>ヴィンセントの脆弱な個性はヒト科に属する生き物の象徴である。なにかに縋らねば生きられない彼らを嘲笑する権利は誰にもない。我々はかくも愚かで弱々しい。 |
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【ソニー・マガジンズ】
アーミステッド・モーピン
本体 1,600円
2001/1
ISBN-4789716465 |
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「夢でなければ」
評価:A
昏睡状態から孤独なドッペルゲンガーとなった女性を救うために若い建築家が東奔西走する。設定がいきなりだからさぞかし奇を衒った物語だろうと思ったらさにあらず。生を全うする過程で次代へ語り継がねばならない大切なことが、極めて率直に描かれている。全体に真面目すぎるのであえて気になったことを少しだけ。まだ死んでもいないのに幽霊呼ばわりは失礼だ。それとも<生霊>という概念が原作では抜け落ちているのだろうか。それにこの主人公、他人思いにもほどがある。勝手に現れておいてやつぎばやに質問をまくしたてる女性の性格も難点。私ならそれだけでさっさと逃げ出している。建築家の母、母の死後も屋敷を守り通した男、共同経営者の友人、退職を控えた刑事、女性の上司でもある医師、一人残らず善人である。善人たちによるやや善意過剰な小説などと皮肉るなかれ。なにもこの世の闇を抽出することだけが作家に課せられた使命ではない。
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【早川書房】
マルク・レヴィ
本体 1,600円
2001/1
ISBN-4152083271 |
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「世界の終わりの物語」
評価:A
私はこと短編ミステリに関しては極端な拝外主義者である。ポー、ドイルに始まり、チェスタトン、アイリッシュ、スレッサー、ブラウン、ダール‥‥綺羅、星のごとくに輝く達人たちによってもたらされたミステリの黄金時代に一時期ひときわ特異な彗星群が現れた。それらは<黒い哄笑>と命名され毎夜妖しい光を放ち続けた。いまではテリィ・サザーンやローラン・トポールの名がわずかに記憶に残るぐらいで、ジャンルとしてはすでに消滅してしまった感がある。この奇跡的な短編集は細々とではあるが、毒と悪意を多量に含有したあのガスの尾がまだ枯渇していなかったことを物語っている。純然たるミステリではないが、磨きのかかった冷酷な語り口はさすがに上手い。これで打ち止めとはいえ、十代の頃読んでいた作家の新刊が新世紀になって読めたのは望外の喜びである。
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【扶桑社】
パトリシア・ハイスミス
本体 1,429円
2001/1
ISBN-4594030602
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