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今井 義男の<<書評>>

「ボルトブルース」
評価:AAA
スコセッシの『タクシー・ドライバー』で魔法使いと呼ばれるヴェテラン・ドライバーが『同じ仕事を何年もしていると仕事そのものが自分の人生みたいになってしまう』とデ・ニーロに話す場面があった。働くことが知らず知らず生きる目的になるというのは実感としてよくわかる。本来、仕事は目的ではなく生きるための手段のはずだが、私自身そんな心境に至ったことは一度もない。だから野崎たちの奮闘ぶりに、流れる汗のしずくに、高揚し共振していく気持ちが新鮮だった。どこかへ置き忘れたものを思い出させるような熱気がこの小説にはこもっている。生きる意味を考えるのはいつだって遅くないのだと、勇気も少し分けてもらった。この作家は書くべきテーマをしっかりと持っている。文章は歯切れよく、会話にもテンポがあり読みやすい。加えてキャスティングが絶妙である。特に<京大>が憎めない。いい別れは、いい友人がいてこそだ。いい友人に男も女もない。明け方近く読み終わったとき、私は彼らの新たな門出に一人祝杯を挙げた。
ボルトブルース 【角川書店】
秋山 鉄
本体 1900円
2001/2
ISBN-4048732757
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「われはフランソワ」
評価:AA
ジャンヌ・ダルクが焼かれた年に生まれ、司祭に育てられたフランソワ・ヴィヨンはパリ大学に通う学生の身ながら、盗みや殺しに手を染める一方で詩人としてオルレアン大公に仕えたりもする型破りな人物だ。悪事に深入りしタイトロープを好んで渡る男の生涯は安穏とはおよそ縁がない。だが度重なる窮地もことごとく悪運が味方し首の皮一枚で切り抜ける。したがって悔い改めたりはしない。洋の東西を問わず、王制国家の歩んだ歴史などというものは大体において血生ぐさく鼻持ちならないものだが、こんなに面白い話も埋もれているのか。それを発掘し磨き上げた作者の技量もしたたかである。流暢に詩をものするとはいえ泥棒は泥棒だ。こともあろうにその素性も知れぬ罪人の血が……これ以上は書けない。もし史実ならこの上ない快挙である。
われはフランソワ 【新潮社】
山之口 洋
本体 1800円
2001/2
ISBN-4104270024
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「敵討」
評価:B
リアリズムに徹した趣の異なる復讐物語が二編。実際はきっとこんなものだったんだろうな、と思わせる説得力はあるが、その分ものすごく地味な話である。ぜんぜん劇的ではない。考えてみれば移動手段も情報収集もままならない時代に、どこにいるかも分からない相手を捜すのだからその苦労たるや想像を絶する。残された家族は肩身が狭いし、下手すれば家名は断絶。金はかかるのに収入は先細り。捜し当てるまでは地べたを這いまわる焦燥と忍耐の日々である。そんな思いをしても報われる可能性は少ないときているから、いっそ諦めて手に職をつけた方がいいのではないかと助言の一つもしたくなる。まあ支配側に身をおく人間にはそれなりの試練もあってしかるべきだが。写実主義の本領は微に入り細を穿つ死体検分にもよく現れている。生身の人間を一刀両断に仕留める芸当なんて、なまなかな武士にはおいそれとはできなかったのだ。
敵討 【新潮社】
吉村昭
本体 1500円
2001/2
ISBN-4103242299
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「だれが「本」を殺すのか」
評価:A
デジタルだかなんだかいっても結局アナログ情報より永く残る物はないそうである。CD−ROMもMOもいずれ寿命が尽きる。だいいちソフトが保存されていてもハードがなくなればただの不燃ゴミである。互換性のないソフトや機器はいずれ淘汰される。デジタルは次代のデジタルに殺されるのが定めだ。それに比べて古文書の類や洞窟の落書きは、若い頃のスタン・ハンセンのように打たれ強い。誰も後世に残す努力などしていないのにちゃんと21世紀まで形を留めている。「本」の役割がデジタルに取って代わられるとは思わない。「本」が私たちに提供するのは情報だけではないからだ。印刷インクや紙の匂い、手触り、重み、装丁、書棚に並べる楽しみ、それらをひっくるめたものが「本」なのだ。「本」がなくなるようでは人類はおしまいだ。矛盾だらけの流通の仕組みには、あ然としたが意見をいう気も起こらない。業界で互いの首を絞めあって気温を華氏四五一度まで押し上げたいのならどうぞ御勝手に。エンド・ユーザーには「本」を見殺しにするしか術はないのだから。現代屈指のノンフィクション作家渾身のルポ。すべての活字中毒者必読。
だれが「本」を殺すのか 【プレジデント社】
佐野眞一
本体 1800円
2001/2
ISBN-4833417162
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「シーズン・チケット」
評価:A
貧しく、将来に望みのない少年たちが刹那的な日々を過ごすスタンダードな物語。複雑な思いが残る小説である。クスリ、暴力、犯罪と必修コースを律儀にクリアする二人組の日常を、まるで健全な少年小説の典型のように錯覚するのは、こちらの感性が日常化した少年犯罪の報道に麻痺したせいなのか、それともそういう要素をろ過しては小説が成り立たなくなってしまっているのか。サッカーの年間チケットに一途な夢を見るジェリーとスーウェルは悪ガキには違いないが、かといってどうしようもないレベルにはまだ達していない。ほんとうの悪党になる一歩手前の助走段階である。踏み止まれるか、加速するかは知りたくない。だから続編が書かれたとしても私は決して読まないだろう。道に迷い、日は落ち、ますます暗い森の奥に誘い込まれる少年たちの物語は、語り手を代えながら繰り返し新しい命が吹き込まれる。再び朝の光が彼らの足下に届くまで。
シーズン・チケット 【アーティストハウス】
ジョナサン・タロック
本体 1000円
2001/2
ISBN-4048973118
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「ラム氏のたくらみ」
評価:B
清廉潔白すぎるのも考えものだ。気弱で生真面目な人物に限って、恋心を持て余すと前後の見境がつかなくなる。初老の郵便局長ラム氏がストーカー呼ばわりされても反論できない行為を繰り返した挙句に、その立場にあるまじき行為にまで及んでしまったのも、すべて遅すぎた春のなせる業であった。無理もない。女性に対してのノウハウをなにひとつ身につけずに五十五年も生きてきたものだから、羽目の外し方も気の利いたくどき文句も知らないのである。これは他人事とは思えない。私も一歩間違えたらこんな人生を送っていた。罪のない結末にはほっとした。これぐらいの奇跡は大目に見たって罰は当たらないだろう。このじれったくもほほえましい恋物語は、異性に気後れする人々に向けた心からのエールだ。
ラム氏のたくらみ 【早川書房】
キャリー・ブラウン
本体 2400円
2001/2
ISBN- 415208331X
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「ベルリン1933」
評価:AAA
陰鬱な時代。市井に横溢する影はひたすら重く暗い。ファシズムの台頭する前夜、人心はすでに救いようもなく荒廃していた。国家が地獄に通じる扉に手をかけようとしていることを当時の人々が知る由もない。翻弄され、踏みにじられるのは常に底辺に生きる者であり、為政者に服はぬ者である。近代史のアウトラインを駆け足でなぞるだけの義務教育からは、窺い知ることのできない市民の苦しみが活字から溢れんばかりに迫り、本を置くことが幾度もためらわれた。しかもまだ序章である。やがて欧州全土を巻き込む戦火が愛くるしいミーツェや無邪気なムルケルにどんな苛酷な運命をもたらすのか。そして両親から引き離されたエンネの未来は……。これはどうあっても3部作すべてを読まずにはおれない。我が国とは対照的に真摯な態度で過去の教訓を見据える国民性とは裏腹に、ネオ・ナチが確固として存在するのが現実のドイツの姿である。だからこそ文学の担う意義はとてつもなく大きい。
ベルリン1933 【理論社】
クラウス・コルドン
本体 2400円
2001/2
ISBN-4652071957
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「お言葉ですが…〈5〉キライなことば勢揃い」
評価:A
頑固な人、それもとくに日本語にこだわる人が好きだ。我々のように無学な者はこういう人がいてくれなかったら、<本当のところ>がわからなくなってしまう。言葉は生き物だから、時代の流れと共に変化していくのはやむを得ない。だが、もともとの意味を曲解したまま、変形していくのは気持ちが悪いし落ち着かない。それに誤った日本語を使い続けていたことにある日突然気づいたとき、焦りや恥ずかしさよりも嬉しさの方がはるかに大きいのだ。なんせ恥を撒き散らすのをそこで食い止めることができるのである。そんな理屈抜きにしてもこの肩の凝らないエッセイ集は楽しめる。なかでも<ミイラ>と<白兵>についての話は殊のほか興味深い。<=>を連発する東大教授も笑わせてくれる。ところで、関西では相手のことを<自分>というが、自分のことも<自分>という。それでもちゃんと会話が成立するのだから言葉とは不思議だ。
お言葉ですが…〈5〉キライなことば勢揃い 【文藝春秋】
高島俊男
本体 1762円
2001/2
ISBN-416357090X
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「シシド 小説・日活撮影所」
評価:D
小説と銘打たれている以上、これは<事実>に装飾を施したものと受け取って構わないのだろう。それなら話は簡単だ。シシド氏にはスターになれなかった一俳優のあがきや恨みつらみを、包み隠さず吐き出す覚悟が決定的に欠けている。恰好悪さとか醜さを端折って、自身の半生を美化する意図が透けて見える私小説に一体なんの意味があるのか。作中の表現を借りていえばこの作品は『作り手の自己満足一杯の私小説』以外のなにものでもない。芸能人が書く本の価値は、潔さにあると私は思う。それはたとえ代作者の手によるものだったとしても変わらないし、自分で書いたのならなおさらだ。ただ、脚注には本文よりも興味深いことが少なくない。むしろそちらの方に重きを置くべきだったのではないだろうか。視点の不安定なところとカタカナ表記を多用しすぎるのも気になった。

シシド 小説・日活撮影所 【新潮社】
宍戸錠
本体 1500円
2001/2
ISBN-4104443018
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「カリスマ」(上・下)
評価:E
カルトを善悪の二元論で切り捨てることはたやすい。多分世情にも反しないだろう。だが絶対に忘れてはならない。松本サリン事件で日本中がこぞって被害者の一人を犯人に仕立て上げようとしたことや、地下鉄サリン事件の際に大多数の通勤・通学客が、蹲る被害者をまたいで通り過ぎたこと。そして全国に連鎖した集団ヒステリーじみた排斥運動のことを。オウムは<こちら側>に孕む闇をも炙り出した。カルトは紛れもなくその闇から生まれるのだ。その検証もなしに興味本位に<彼ら>を語るのは不当なことだ。前置きが長くなった。本作は洗脳に至るプロセスと洗脳集団からの救出劇を、両側から描いた小説である。カルトと一般社会に共通項はない。接点はおろか共存すらできない。ゆえに交じり合うときに生じるすさまじい消耗戦は十分書くに値するシリアスなテーマである……と、やや気合を入れすぎて読んだためか、あまりの脱線ぶりに途中で腰が砕けそうになった。こんなに重い素材をよくぞここまで……。ストーリーも文章表現も私などの理解の及ぶところではなかった。
カリスマ 【徳間書店】
新堂冬樹
本体 1600円
2001/3
ISBN-4198613192(上)
ISBN-4198613206(下)
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