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 フォーカスな人たち
  【新潮文庫】
  井田真木子
  本体667円
  2001/4
  ISBN-4101259313
 

 
  石井 千湖
  評価:A
  私は他のひととは違う、と多かれ少なかれ誰もが思っているのではないか。しかし期待するほど他人は自分を<特別>とは見てくれない。「見られたい自分」と「他者から見た自分」にズレがあるのはあたりまえだ。そもそも自分だって真剣に他人の本質など見ようとはしていないのだから。『フォーカスな人たち』は<特別な私>であろうと足掻いたひとびとを写真のようにリアルに書いている。存在は有名でありながら浮かび上がるのは彼らの<私>の凡庸さである。誰かの視点があるかぎり写真と同様に文章は事実そのままではありえない。それにしても面白いアングルだ。太地喜和子の「あたしはいい女なのよ」というセリフの滑稽さとかなしさ。巨額の富を得ながら使い道がなかったという尾上縫の不可解。淡々とした文体なのに鬼気迫るものがある。圧倒された。

 
  大場 義行
  評価:D
  確かに黒木香はテレビで見た事あるし、細川元首相は知ってる。でも、なんだかなあ。ピンとこない。読ませるし、バブル時代がどんなものかがうっすらと見えた気もするし、読み物としては楽しめたが、どうしてもバブルの頃を懐かしむワケでも、その頃を中心にしているワケでもないので、それ以上でもそれ以下でもないとしかいいようがない。どうしてもバブルの時代は自分の時間軸に入っていない為か、実感が湧かないのだ。だから、ああ、こんな人いた気がするなあとしか思えなかった。なぜ年齢が私よりも上の人はバブルと特別視するのだろうか。

 
  操上 恭子
  評価:D
  フィクションを読む時には作者が創り出した世界を書かれているとおりに理解すればいいのだから簡単だが、ノンフォクションの場合は現実に対する作者の視点・世界観を共有しなければならないので難しい。作者の視点・世界観と自分のそれがシンクロしないと、まったく読み進めることができなくなってしまう。本書の場合は、80年代を象徴する5人の異能の人という題材自体は面白い。だが、この5人が表面的にどう見えるかという所に重点が置かれていて、あまり踏み込んだ分析をしていない。写真週刊誌の記事をもとに考察したという「彼らに似た人々」に関する部分は、単なる名前と出来事のワイドショー的、または週刊誌の広告的羅列でしかなく、まったく興味を持てなかった。

 
  小久保 哲也
  評価:C
  5人の有名人の名前がばばーんと載っているので、彼らに対する単純な好奇心を満たそうと読み始めると、とっても物足りない。というのも、この作品の意図はぜんぜん違うところにあるからだ。作者は、バブル時代というものを描きたかったのだ。そのひとつの視点として、バブル時代に生きた人々を描く。そして、その代表者が黒木香に代表される5人なのだ。だから、この作品の視点は、5人だけではなく、その他の様々な人の姿にも言及されていく。読んでいて物足りないと感じたのはそのせいだ。そう思って最初から読めば、もっと楽しめたかもしれない。帯と、作者のプロローグに騙された。

 
  佐久間 素子
  評価:C
  黒木香、村西とおる、太地喜和子、尾上縫、細川護煕。本書は、バブル時代に旬だった五人のルポである。彼らがいかに旬だったかではなく、旬の物が旬でなくなったとき、いかに決定的にずれてしまうかが描かれる。客観的で硬質なルポだが、その段差の色合いは五者五様で、著者の思いを映す。先日、新聞のいわゆる「ひと」欄で、細川氏がとりあげられていた。首相時代のことを「あれは本来の自分ではなかった」と相変わらずねぼけた発言をしておられた。段差に気づかぬまま、奇妙にゆがんだ世界のまま。文庫版エピローグで著者がいうように、バブルはまだ終わっていないのだと、ちょっと寒い思いがした。

 
  山田 岳
  評価:B
  うーん。好きキライがはっきりわかれんのとちゃいますか。黒木香、村西とおる、太地喜和子、尾上縫、細川護煕、それぞれの評伝は一級品やのんけど、いかがわしいのが、それぞれの前フリにつけてはる、おなじ時代を生きた「似たような人々」。そのすがたを写真週刊誌のバック・ナンバーからピック・アップしてはんねんけ’ど、いかがわしい人をとりあげると、文章までがいかがわしくなんのは、なんでやろ? 直接取材しはったもんと雑誌をぺらぺらめくって書かはったもんとの違いやろか。
 とまれ、黒木香と村西とおるの関係が世間でいわれてはるのと違うとか、太地喜和子が女優、太地喜和子を演じてはった、と看破するあたりは、さすがやねえ。

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