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今井 義男の<<書評>>

「模倣犯 The copy cat」
評価:B
この小説は初期の段階で犯人の手の内をすべて明かしている。となると、読者の興味は狡猾な殺人犯がいつどこでミスをするか、誰が犯人を特定するか、に絞られる。本書は多視点で描かれており、作者は全貌を俯瞰する読者の予想をかいくぐって、物語を収束させねばならない。下巻の読みどころはまさにその一点にあったのだが、少なからず不満の残る決着だった。もっともがっかりしたのは、憎むべき犯人の歪んだ優越感の瓦解する局面が、一切描写されていないことだ。<電話相談><建築家><携帯電話>など、未消化なアイテムもフラストレーションを募らせる。面白くなかったわけではない。寝食を忘れさせるパワーは驚異的だ。それだけに、作者のエネルギーが専ら人情面にのみ費やされ、ミステリを構成する細部にまで行き渡らなかったのが残念で仕方がないのである。
【小学館】
宮部みゆき
本体 1,900円
2001/4
(上)ISBN-409379264X
(下)ISBN-4093792658
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「異端の夏」
評価:C
不謹慎な<ボーイ・ミーツ・ガール>の発端は避暑地で起きた児童失踪事件である。男は我が身を責める女の姿に自身の過去を蘇らせ動揺する。そして、苦い思いを噛みしめながらも次第に女に惹かれていく。だが、女は息子の安否を気遣う母親であり、男は捜査する刑事だった。有力な手がかりもなく暗礁に乗り上げたかに見えた事件は、公開捜査に呼応するかのように動き出す。事件の成り行きもさることながら、老舗の画廊に渦巻く隠微な人間模様も目が離せない。少年の行方は杳として知れず、中盤の息詰まる展開は非の打ち所がなかった。しかし、この刑事の職業意識が私情に押し流され始めたとき、物語のたがは瞬時に四散してしまう。まだ事件も解決していないというのに……。ここにもまた<不自由な心>が二つ。
【講談社】
藤田宜永
本体 2200円
2001/3
ISBN-4062104660
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「邪魔」
評価:AAA
<持つ>ことと<失う>ことは表裏一体である。持った瞬間に失うことへの不安が生まれ、護ろうとする意識が働く。<護る>ことと引き替えに視界は日増しに狭まり、悲劇は音もなく始まる。夫の宿直中に起きた放火事件に端を発した、主婦・及川恭子の苦悩がまさしくそれである。平穏な家庭を死守しようと躍起になる恭子の自我が、実情と徐々にずれていく一部始終を、作者は実に細やかに浮き彫りにしていく。パート先での上下関係、市民運動組織、有機野菜を売りつける同僚など、恭子の日常にからむ横糸も実に多様だ。この生活感が、破局の予兆をいっそう際立たせている。生きる拠り所を失う恐怖は人の正気を激しく揺さぶる。<持たざる者>と思しき刑事・九野薫でさえ、その例外でなかったことが明らかになる結末は、やはり胸が痛む。人が保身のためにどこまで堕落できるか、現実を直視しない者が自己の内側にどのような幻想を培養してしまうのかを、この照魔境のような犯罪小説はつぶさに教えてくれる。
【講談社】
奥田英朗
本体 1900円
2001/4
ISBN-4062097966
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「カレーライフ」
評価:D
切実さが足りない。店舗を前もって父親が用意してくれているというお膳立てと、整いすぎた人物配置がその一因である。主人公がカレー屋を始めようとする動機も、それを決意するまでの経緯も現実感に乏しく、外国にいる従兄弟の協力を求めてアメリカ、インドと飛び回るカレー行脚には安易な印象しか残らなかった。行く先々での出会いと発見が小説の生命線だったのだろうが、この種の<探求物>に欠かせない知的興奮もいま一つである。例えば沖縄の食材やインドのスパイスに関する薀蓄は、どれも別に目新しいものではない。わざわざ現地に行かずとも調べられることばかりである。祖父のカレーにまつわる謎にしても、<黄金伝説>と称するにはあまりにスケールが小さすぎて拍子抜けした。
【集英社】
竹内真
本体 1900円
2001/3
ISBN-4087752828
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「ペニス」
評価:C
異常な小説である。異常者も当然出てくるが、サイコ・サスペンスではない。サスペンス的要素がゼロだからである。公園の管理人の所為は確かに常軌を逸してはいるが、残念なことに我々は、なに食わぬ顔で肉親のミイラや、嬰児の亡骸と同居する人間が、現出する時代に生きているのである。したがって、この小説に内包する狂気が衝撃度において、現実を凌駕するとは到底思えない。せっかくの変則的な構成も、私のおぼつかない読解力では頭を素通りするばかりだ。それとも形而下での解釈を拒絶するのが幻想文学の第一条件? ただ、とにかくドグラマグラな小説であることは間違いない。それより他にいいようがないのである。ちなみに本家では《外道祭文》のテンションが異様なまでに高かったが、本書ではアナウサギへの言及がなかなかにファナティックだ。
【双葉社】
津原泰水
本体 2,000円
2001/4
ISBN-4575234117
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「魔女」
評価:AA
表題が比喩か、真正の魔女を指しているかはあえて秘す。就職浪人・広也のかつての恋人千秋が焼死する。テレビキャスターである姉の命令で、放火殺人の可能性を探る広也の前に現れる思いがけない事実は、千秋の隠された哀しい素顔を物語るものだった。彼女の短かった半生に、呪術的要素が投げかける翳りは濃く、切ない。現在でも<魔女>が無意味な記号ではないことと、他人と分かり合う難しさ。私はそれを思い知った。非業の死が呼び水となって人間の陰陽が暴き出される小説だが、少しも陰惨さはなく、たゆたう空気は晴朗として澄んでいる。それはひとえに、広也を取り巻く屈託のない人間関係と、老人の描写に顕著な、丹精を凝らした人物造形によるところが大きい。倒木によって呼び込まれた日差しが新たな発芽をうながすように、開けた未来を予感させる広也と千秋の妹・みかんの交流が清清しい。
【文藝春秋】
樋口有介
本体 1905円
2001/4
ISBN-4163199802
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「片想い」
評価:AA
私は届いた本のカバーや帯はすぐ外すことにしているので、てっきり恋愛小説だと早合点してしまったのだが、題名に込められた意味は思いのほか深刻だった。アメフト・チームの元女子マネ・美月が自身の<秘密>と殺人を告白するところから、ただならぬ様相を帯びたミステリは幕を開ける。読者はその後姿を消した美月の足取りを、元クオーターバックの西脇と辿るうちに、底の見えない淵を覗き込むことになるだろう。古来、日本は保守的なムラ社会であり、突出した個性は異端として排除され、ひっそりと物陰で息を潜める生き方を余儀なくされる。仲間を思いやる西脇の行動は、まだ治癒していない傷口を白日にさらすようで、先を読むのがとてもつらかった。現世は苦界そのもののように思えてくる。彼女たちの行為に審判を下すのは酷だ。本書はマイノリティの尊厳にどう向き合うかを、一人一人の胸に真正面から問いかけている。
【文藝春秋】
東野圭吾
本体 1714円
2001/3
ISBN-4163198806
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「ロスト・ガールズ」
評価:D
二人の少女が消え、二人が所属するクラブの顧問が逮捕される。その教師の言動は誰が見ても普通ではなく限りなく怪しいし、弁護に赴いたクレインはコカイン中毒である。<死体なき殺人事件>の出だしは前途に波乱を含み、上々だった。調査の結果、検察の論拠を覆す証言を得るが、被告の人間像は依然つかみどころがないまま緩々と話は進む。やがて弁護士につきまとう悪夢が、現実なのか幻覚なのか境界線が判然としなくなり、次第にホラー色が濃厚に。ん? ひょっとすると、これは私の好きなヒョーツバーグの『堕ちる天使』系ミステリかと期待していたら、はしごを外されるような結末が……。ほとんど動きのないプロットに唯一の仕掛けが『バスカヴィル家』並の古色蒼然とした怪異だけでは、とても間が持たないのではないか。思わせぶりな言い回しに終始するなら、もっとひねってもらわないと。
【早川書房】
アンドリュー・バイパー
本体 2000円
2001/3
ISBN-4152083379
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「レディたちのフィンバーズ・ホテル」
評価:A
このアンソロジーは掘り出し物である。まず形式が面白い。七人の女性作家による、架空のホテルを舞台にした競作集だが、他の作品のパーツを織り込みながらというところがミソである。この設定が最大限に効果を発揮するのが、老いた元女優の銀幕への執着が、エネルギッシュに爆発しまくるペントハウス編である。本欄3月分テキストの『世界の終わりの物語』に入れてもおかしくない怪作だ。まったくとんでもない婆さんがいたものである。このあと起こったであろう混乱は想像するだに楽しい。娘を訪ねてきた父の老醜が哀感を誘う102号室編。幼い頃に手放した息子との再会を前に過去がフラッシュバックする中年女性を描いた105号室編も忘れがたい。国内でも井上雅彦あたりにこんな企画を実現してもらえないだろうか。ホラーやミステリ部門なら絶対受けると思うのだが。作家は苦心するだろうけれど。
【東京創元社】
ダーモット・ボルジャー編
本体 1900円
2001/3
ISBN-4488016332
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「父の輝くほほえみの光で」
評価:A
弱者や少数派は差別される。女性と異民族は少数派でなくても、やはり抑圧の対象になる。女性の少数派か弱者、または異民族の少数派か弱者なら、通常の二乗分不利益を被る理屈になり、少数派で弱者で女性、あるいは少数派で弱者で異民族なら三乗分、少数派で弱者で異民族で女性なら……という風に考えていると、自分が広場恐怖症になったような気分になって、たちどころに眩暈が起こりそうになる。私にはムンド(黒人とアメリカ先住民の混血種族)の傷痍軍人マヌエリートと、小人症の白人女性イレーネの言葉を自分の娘たちに伝えることと、アリス・ウォーカーが小説を書かなくてもいい時代が来るのを祈るぐらいのことしかできない。《WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD》とJ・レノンが歌っても、なにも変わらなかった。我々の暮らす世界が天井桟敷だったなら少しは気が楽だったろうに。
【集英社】
アリス・ウォーカー
本体 2300円
2001/3
ISBN-4087733440
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