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   武揚伝
  【中央公論新社】
  佐々木譲
  本体 各2,200
  2001/8
  ISBN-4120031691
  ISBN-4120031705
 

 
  今井 義男
  評価:AAA
  榎本武揚はヒーローの乱立した幕末においてそれほど目立たない存在である。五稜郭近辺でも、戦死した土方歳三の方が有名なぐらいだ。光の当てようで歴史の解釈などいかようにも変化するのが世の習いとはいえ、陰険卑劣な勝義邦、優柔不断で統率力のない徳川慶喜など、これまでとは違った人物像に胸がすく。竜馬に至っては勝のパシリ扱いである。それにひきかえ武揚の周辺に集まる人材のなんと魅力的なことか。うたかたの夢と帰した共和国ではあるが、彼らの残した熱き思いはたるみきった我々の魂を否応なく揺さぶる。函館攻防戦のさなか、オランダから持ち帰った『海律全書』を巡る官軍総参謀・黒田了介とのやりとりには感激した。立場こそ違え黒田も真正の武士だった。偶然とは続くもので、本書を読み終えてすぐに新聞で榎本武揚関連の連載記事に出会い、テレビの旅番組で折れ曲がった開陽丸のスクリューシャフトや引き上げられた遺留品などを見ることができた。もしあのとき開陽丸が沈まなかったら、もしストーンウォール号への奇襲が成功していたら、もし蝦夷地独立を列強が追認していたら……。歴史に<IF>はない。が、そう思わせてやまない無念さがこの物語にはある。

 
  石井 英和
  評価:A
  とにかく、時代物の小説を読んで、ここまで心を熱くしたのは初めてだ。なにより「読み物」として優れていると思う。まず、歴史の転換期を舞台にした時代小説としては定番かと思われる、志高く勤勉で涼やかな魂を持った主人公が設定される。が、その後に展開されるのは、彼の立志伝ではない。転換期に彼が夢見た理想と、その崩壊の過程が描かれて行く。その理想はまた、主人公に仮託した著者自身の時代への想いなのだろう。その想いは、武揚という格好の人物を得て、人間の崇高さと愚劣さが交錯する、見事に熱い物語に結実した。下巻に至っての、主人公の「共和国の夢」が冷厳な現実を前に音をたてて崩壊する、その過程の描写が哀しい。繰り返し語られ、高く掲げられるほどに、どんどん現実から離反して行く「理想」というものの宿命をもまた、描いてしまっているからだ。

 
  中川 大一
  評価:A
  日本という国家が姿を現す刹那の未明。榎本武揚は、真っ白なキャンバスに太筆でぐいっと線を引くように、開国まもない列島の輪郭を描いてゆく。その最北にあるのが、蝦夷ガ島だ。上巻は、青春小説出世篇。才ある若者が克己し奮励して頭角をあらわす。先進の文化を、砂漠が水を吸うように我がものとしていく。ああ、こっちの上昇志向を刺激する。下巻は、冒険小説海洋篇。新政府樹立により朝敵となった幕閣たちは、船団で北へ向かう。「自分たちは、過去によって奪われたものを、未来に取り返すのだ」。ああ、こっちの闘争本能を刺激する。圧巻は、新総裁に選ばれた武揚が五稜郭で初めて行う演説。新天地建設を訴える大音声の語りに、主人公の人生を伴走してきた読者もまた、拳を突き上げたくなってくるのだ。

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