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  天使の骨  天使の骨
  【集英社文庫】
  中山可穂
  本体 476円
  2001/8
  ISBN-4087473538
 

 
  石井 千湖
  評価:C
  久しぶりにテレビを見たら歌番組にフェイ・ウォンが出ていた。なんと刈り上げ頭になっていてびっくりした。ちょうど『天使の骨』を読んでいたところだったので、なんとなくミチルってこんな感じかなあと思ったりした。前作の『猫背の王子』で自業自得とはいえ大切なものを失ってしまったミチルの目にうじゃうじゃと天使が見えるようになる。白いワニや小法師が見えたほうが面白いんじゃないかと思うが、やはりここは「天使」じゃないといかんのだろう。耽美、耽美。しかし読んでいて恥ずかしい。ロマンティックは嫌いではないけれどあまりにも臆面もなく語られるとひいてしまう。それにしてもなんでまたミチルはこんなにもてるんだろうか。うらやましい。

 
  内山 沙貴
  評価:A
  よごれた血のつく羽を縮ませて、地面を歩く天使たち。その姿は薄汚く、どうしようもなく穢れてみじめで憐れさと悲しみを漂わせている。それは旅に出た頃のミチルそのものだった。人から命を分けてもらう芸術家の人生、その支えを失った彼女は行きつくあてもなく暗くて粘着質な重たい闇を見つづける。溜め息の出るような美しい動作、華やかな色彩、背筋が凍るような音楽に魅入られながら、悪魔のような抗いがたい夢を見る。そして突然に光の漏れるドアを開けた瞬間、ミチルの命はまた生命の光に満たされる。全身に光を浴びて。ひとつひとつのシーンが印象的で運命的で素敵な物語であった。

 
  大場 義行
  評価:A
  正直、主人公王子ミチルにくびったけ。前に課題になった「猫背の王子」からもう虜になっていたわけで、その為個人的な評価で申し訳ないが、問答無用でA評価。これは最高のキャラクターだと思う。天使が見えるという設定からして素晴らしい。天使がミチルの心の状態を表しているって、いいなあ。今回は世界各地を彷徨うミチルなわけだが、彼女のキャラクターだけでなく、各地の人々の言葉もまた個人的には心に響いた。「転んだら立ち上がれ、疲れたら休め」。人々のカッコつけないそのままの言葉が、各所に点在している。早くまた王子ミチルに出会いたい。とにかく続編を求む。

 
  操上 恭子
  評価:D
  前作『猫背の王子』ではあれほど魅力的だったミチルが、全然輝いていない。期待していただけに、失望も大きかった。本作でのミチルは、何もかも失ったどん底の状態にいる。生き甲斐も希望もプライドも全て失って、ただ醜く肥大した自意識だけを持て余している。でも、だからといって輝けないということではないと思うのだ。前作では「芝居の舞台」という設定をうまく利用していたが、今回はなんとも陳腐なヨーロッパ傷心一人旅。いくつかの出合いのエピソードも、いかにもありがち。そんな中で、ミチルが(過去のであれ現在のであれ)自分に正面から向き合うということは全然ない。二度と戻らない昔の仲間達をウジウジと想っているだけだ。作者は、もしかしたら、そういう人間の醜さを描きたかったのかも知れないが、それは私の読みたいものではない。

 
  小久保 哲也
  評価:B
  外国の風景の中に溶け込んでいる作品というのは、なかなか出会うことが少なくて、だから、そういう作品に出会うと、読みながら深く深呼吸をしてしまう。ヨーロッパを旅する主人公の周りには、たしかにその風景の匂いや音が感じられる。それも、作者が自分の感性で切り取って表現しているのではなく、ありのままに、そのままの姿で見せてくれる。主人公がいるその場所に、作者がいて、そうして読者もそこにいるのだ。主人公の旅がこれからも続いていくことを期待したい。

 
  佐久間 素子
  評価:D
  前作『猫背の王子』同様、主人公ミチルがどうも受けつけられない。何でまた、この女はこうも特権的な苦悩にまみれているのだろう。余裕のないストーリーに、余裕のないヒロイン。どっちも苦手だ。遊びがないから、とりつくしまがない。表現者ではない私の想像力不足ってことか? でも、わからないやつはわからんでいい的な傲慢なにおいもするんだよね(←言い訳)。ミチルがもっと愚かで情けなかったら、あるいは理解できるのかもしれない。ミチルの悩みが具体的な分、前作よりもリアルな感じで、その点は評価にプラス。また、疲れ果てた天使の群の幻影は出色。まがまがしくも哀しく、こればかりはちょっと無視できない。

 
  山田 岳
  評価:A
  「自分で自分を救えぬ者の前に(仏は)現れるというわけか?」(山岸凉子『日出処の天子』)劇団をうしなって生きるすべをなくした劇作家、王寺ミチルのまえには、仏さまのかわりに天使が現れる。ほとけさまが厩戸皇子を救うことがなかったように、天使はミチルを救ってはくれない。東京の踏切ではひとりだった天使だが、フランス、コート・ダ・ジュールの海岸では、隊列を組んで海にむかってすすむ。状況は、より悪くなっているということだ。ここで描かれている旅は、よくある自分探しのものではない。才能の神さまに見はなされ、自己実現の「楽園」を追放された者の、たましいの漂泊。生きる屍の放浪。そういう意味で、ミチルを救ったものがニースで見た演劇『ガラスの動物園』であり、主演女優、久美子のキスだったというのは、予定調和のキライがある(著者自身、あとがきで「たびのおわらせ方はむずかしい」と述べている)。とまれ、ある種の人にとっては、はげしく心ゆすぶられる作品。その他おおぜいにとっては、どうでもいいことかもしれないけど。いつもバタバタして、長電話につかまってばかりいる女性プロデューサー、こーゆー人、放送業界にもいるいるって、けっこう笑えた。

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