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弥勒
【講談社文庫】
篠田節子
本体 914円
2001/10
ISBN-4062732785
石井 千湖
評価:A
読み終わった後しばし茫然自失してしまった。主人公の永岡は元学芸員で今は新聞社の事業部で美術展を企画する仕事をしている。芸術に興味があるものならば憧れの職業だ。華やかで美しい有名人の妻もいる。前半で語られる永岡のあまりにも「俗」な生活とその後ヒマラヤの小国で巻き込まれる過酷な現実とのギャップがすごい。次々と展開される残虐なシーンはなまじのホラー小説を読むよりよっぽど怖い。高邁な理想をもっていても結局は人間は愚かで弱いものだ。自分たちだけが正しい、と思うことは救いようのない悲劇につながる。日本もこんなことにならないといいのだけれど。
大場 義行
評価:A
うちのばあさんの話は結末がいつも違った。寿下無なんて最後にはインドの王様(世界一名前が長い)になったりもした。こんなわくわくする話を聞かされて、寝ていたものだ。この話は全くそれと同じ。全く着地点をを見定めずに、飛び上がり、そして予想外のポケットに落ちる楽しさ。寝る前のお話的面白さがあった。冷めた都会の夫婦に始まり、仏教美術に進み、クーデター、そして弥勒へ。こんな展開ありなのかなあ、絶対に先を考えていないよ、なんて思いながらも、とにかく夢中になって読んでしまった。たぶん、誰もが読み始めれば止まらない、怒濤のような寝物語だと思う。しかしほんとはどうなんだろう。先の事を考えて書いていたのかなあ。気になる。
小久保 哲也
評価:A
おかれている人の立場によって、もちろん見える世界や感じ方はそれぞれなのだ。それは頭では十分にわかっているつもりなのだけれど、それでもなかなか消化しきれない。この作品を読み進んでいくと、ひとつの国、ひとつの社会が、どんどんと違った姿を現わしていく。もちろん万人に幸せなシステムなどないのだろうが、それでも深く考え込んでしまう。宗教、思想、報道。果して私たちが知っている世界は、どこまでが本当の姿なのだろうか?今の時期、まさに読まれるべき作品のひとつではないかと思う。
佐久間 素子
評価:A
情けも容赦もありゃしない。物語は圧倒的な筆力で、常識や感傷をのみこんで滔々と流れ、そして唐突に終わってしまう。混沌とした場所におきざりにされ、ぐらぐらしはじめた世界を抱えて、しばし、途方にくれるほかない。架空の小国パスキムの政変にまきこまれた永岡を通じて、あらゆる価値観が粉々にされた後、そんな希望なら無い方がましの、五十六億七千万年後の救済に思いを馳せる。それは、不確かな価値観や、愚かな人間よりは、あるいは真実に近いというのか。それにしても、何と残酷な。おもしろいというにはあまりにも重いのだが、一気読み必至の剛速球。しかも、どまんなか。気力体力を蓄えて臨まれたい。
山田 岳
評価:A
「あんたもジャーナリストのはしくれなら、アフガニスタンに行ってきたらどうなの?」ある酒の席で女は評者にこともなげに言った。やれやれ。現地のことは何も知らず、言葉も話せない、まして戦争状態にある地域に、使命感だけでのこのこと出かけたらどうなるか。待っているのは<地獄>ばかりだ。主人公の永岡はヒマラヤの小国、パスキムの、独自の仏教美術を守りたいと、革命・騒乱のさなかに出かける。そこは<国民を幸せにするために>知識人も宗教も文化も技術も否定されたキリング・フィールドだった。永岡はたちまち革命軍に捕らえられ、収容所での強制労働と強制結婚を迫られる。農業政策の失敗で人々は餓え、現地で妻となったサンモも妊娠時の栄養失調で死んでいく。ずるずると現地での生活に飲み込まれていった永岡も、彼女の死に、ついに脱出を決意する。国境をまぢかにして、地雷を踏んでしまった永岡。彼を救った老人は「赤い観音様」の化身なのか。<それでも人は宗教を必要とするのか><真に仏と出会うためには地獄をかいくぐらなければならないのか>長い修業のあとに<悟り>が開けるように、長く重苦しい描写のあとに、著者のかかげるテーマが忽然と姿をあらわすのだった。
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