年別
月別
勝手に目利き
単行本班
▼年別一覧
├2008年
├2007年
├2006年
├2005年
├2004年
├2003年
├2002年
├2001年
└2000年
▼月別一覧
├2008年9月
├2008年8月
├2008年7月
├2008年6月
├2008年5月
├2008年4月
├2008年3月
├2008年2月
├2008年1月
├2007年12月
├2007年11月
├2007年10月
├2007年9月
├2007年8月
├2007年7月
├2007年6月
├2007年5月
├2007年4月
├2007年3月
├2007年2月
├2007年1月
├2006年12月
├2006年11月
├2006年10月
├2006年9月
├2006年8月
├2006年7月
├2006年6月
├2006年5月
├2006年4月
├2006年3月
├2006年2月
├2006年1月
├2005年12月
├2005年11月
├2005年10月
├2005年9月
├2005年8月
├2005年7月
├2005年6月
├2005年5月
├2005年4月
├2005年3月
├2005年2月
├2005年1月
├2004年12月
├2004年11月
├2004年10月
├2004年9月
├2004年8月
├2004年7月
├2004年6月
├2004年5月
├2004年4月
├2004年3月
├2004年2月
├2004年1月
├2003年12月
├2003年11月
├2003年10月
├2003年9月
├2003年8月
├2003年7月
├2003年6月
├2003年5月
├2003年4月
├2003年3月
├2003年2月
├2003年1月
├2002年12月
├2002年11月
├2002年10月
├2002年9月
├2002年8月
├2002年7月
├2002年6月
├2002年5月
├2002年4月
├2002年3月
├2002年2月
├2002年1月
├2001年12月
├2001年11月
├2001年10月
├2001年9月
├2001年8月
├2001年7月
├2001年6月
├2001年5月
├2001年4月
├2001年3月
├2001年2月
├2001年1月
├2000年12月
├2000年11月
├2000年10月
└2000年9月
▼勝手に目利き
├2008年9月
├2008年8月
├2008年7月
├2008年6月
├2008年5月
├2008年4月
├2008年3月
├2008年2月
├2008年1月
├2007年12月
├2007年11月
├2007年10月
├2007年9月
├2007年8月
├2007年7月
├2007年6月
├2007年5月
├2007年4月
├2007年3月
├2007年2月
├2007年1月
├2006年12月
├2006年11月
├2006年10月
├2006年9月
├2006年8月
├2006年7月
├2006年6月
├2006年5月
├2006年4月
├2006年3月
├2006年2月
├2006年1月
├2005年12月
├2005年11月
├2005年10月
├2005年9月
├2005年8月
├2005年7月
├2005年6月
├2005年5月
├2005年4月
├2005年3月
├2005年2月
├2005年1月
├2004年12月
├2004年11月
├2004年10月
├2004年9月
├2004年8月
├2004年7月
├2004年6月
├2004年5月
├2004年4月
├2004年3月
├2004年2月
├2004年1月
├2003年12月
├2003年11月
├2003年10月
├2003年9月
├2003年8月
├2003年7月
├2003年6月
├2003年5月
├2003年4月
├2003年3月
├2003年2月
├2003年1月
├2002年12月
├2002年11月
├2002年10月
├2002年9月
├2002年8月
├2002年7月
├2002年6月
├2002年5月
├2002年4月
├2002年3月
├2002年2月
├2002年1月
├2001年12月
├2001年11月
├2001年10月
├2001年9月
├2001年8月
├2001年7月
├2001年6月
├2001年5月
├2001年4月
├2001年3月
├2001年2月
├2001年1月
├2000年12月
├2000年11月
└2000年10月
文庫本班
▼年別一覧
├2008年
├2007年
├2006年
├2005年
├2004年
├2003年
├2002年
└2001年
▼月別一覧
├2008年12月
├2008年11月
├2008年10月
├2008年9月
├2008年8月
├2008年7月
├2008年6月
├2008年5月
├2008年4月
├2008年3月
├2008年2月
├2008年1月
├2007年12月
├2007年11月
├2007年10月
├2007年9月
├2007年8月
├2007年7月
├2007年6月
├2007年5月
├2007年4月
├2007年3月
├2007年2月
├2007年1月
├2006年12月
├2006年11月
├2006年10月
├2006年9月
├2006年8月
├2006年7月
├2006年6月
├2006年5月
├2006年4月
├2006年3月
├2006年2月
├2006年1月
├2005年12月
├2005年11月
├2005年10月
├2005年9月
├2005年8月
├2005年7月
├2005年6月
├2005年5月
├2005年4月
├2005年3月
├2005年2月
├2005年1月
├2004年12月
├2004年11月
├2004年10月
├2004年9月
├2004年8月
├2004年7月
├2004年6月
├2004年5月
├2004年4月
├2004年3月
├2004年2月
├2004年1月
├2003年12月
├2003年11月
├2003年10月
├2003年9月
├2003年8月
├2003年7月
├2003年6月
├2003年5月
├2003年4月
├2003年3月
├2003年2月
├2003年1月
├2002年12月
├2002年11月
├2002年10月
├2002年9月
├2002年8月
├2002年7月
├2002年6月
├2002年5月
├2002年4月
├2002年3月
├2002年2月
├2002年1月
├2001年12月
├2001年11月
├2001年10月
├2001年9月
├2001年8月
├2001年7月
├2001年6月
├2001年5月
├2001年4月
├2001年3月
├2001年2月
└2001年1月
▼勝手に目利き
├2008年12月
├2008年11月
├2008年10月
├2008年9月
├2008年8月
├2008年7月
├2008年6月
├2008年5月
├2008年4月
├2008年3月
├2008年2月
├2008年1月
├2007年12月
├2007年11月
├2007年10月
├2007年9月
├2007年8月
├2007年7月
├2007年6月
├2007年5月
├2007年4月
├2007年3月
├2007年2月
├2007年1月
├2006年12月
├2006年11月
├2006年10月
├2006年9月
├2006年8月
├2006年7月
├2006年6月
├2006年5月
├2006年4月
├2006年3月
├2006年2月
├2006年1月
├2005年12月
├2005年11月
├2005年10月
├2005年9月
├2005年8月
├2005年7月
├2005年6月
├2005年5月
├2005年4月
├2005年3月
├2005年2月
├2005年1月
├2004年12月
├2004年11月
├2004年10月
├2004年9月
├2004年8月
├2004年7月
├2004年6月
├2004年5月
├2004年4月
├2004年3月
├2004年2月
├2004年1月
├2003年12月
├2003年11月
├2003年10月
├2003年9月
├2003年8月
├2003年7月
├2003年6月
├2003年5月
├2003年4月
├2003年3月
├2003年2月
├2003年1月
├2002年12月
├2002年11月
├2002年10月
├2002年9月
├2002年8月
├2002年7月
├2002年6月
├2002年5月
├2002年4月
├2002年3月
├2002年2月
├2002年1月
├2001年12月
├2001年11月
├2001年10月
├2001年9月
├2001年8月
├2001年7月
├2001年6月
└2001年5月
>> Amazon.co.jp
>> 本やタウン
未確認家族
【新潮社】
戸梶圭太
本体 1,500円
2001/10
ISBN-4106027690
石井 英和
評価:A
今日の末世的な状況を象徴するような呆れ果てた性格設定の登場人物たちが、自ら招き寄せたグロテスクな破滅へ向かって転げ落ちて行く、救いも何もない話。なのに、読み進む事の、この妙な心地よさは何だろう?車をヤケクソで疾走させているような、捨て鉢な快感のトリコとなり、一気に読みおえてしまった。「悪い偶然の積み重ね」というドタバタ・コメディの手法を駆使した展開なのだが、提示されるのは哄笑の向こうの暗い絶望ばかり。それをこんな風に面白がってしまうのは、私も十分、今日風に病んでいることの証明なのだろうか。もし私が、もう少しマシな良心を持ち合わせていたら、「世界への呪詛ばかりで塗り固められた不愉快な作品である」とでもコメントしたのだろうか。などといっても、楽しんで読みおえてしまった今となっては、もう遅いのだが。
今井 義男
評価:A
この異様な疾走感。加速する狂気。黒い昂揚。戸梶圭太ワールド全開である。やはり旬の作家が書く文章は勢いが違う。この際不道徳などという月並みな評価はよそうではないか。そんなもの虫歯の穴埋めにもならないのである。顔をしかめて読むぐらいなら、さっさと別の本に乗り換えた方がいい。読者が本を選ぶごとく、本もまた読者を選ぶ。そもそも小説には作家のアイデンティティーに見合った反社会物質が含有されているものだが、戸梶圭太の作品にはそれがまったく感じられない。作者の体臭がしない分、一度もつまづくことなく、波状的に積み上げられた非業の数々も軽快に読める。真のフィクションとは本来そうあるべきなのだ。
唐木 幸子
評価:A
いやはや凄かった。何がって、男も女も老いも若きも渦のようになって交し合う増悪と執念、ののしりのぶつけ合いは、もう思いっきりで遠慮会釈がない。特に、歯も磨かない電波系の大枝浩子が最高にこわい。彼女が遂に完全に異次元に飛んで、最後の死闘の戦闘服に身を固めて出撃していく姿は、もう、絶対に私のところへは来るなよ、という恐ろしさだ。それをおろおろと呼び止める母親の、「おまえ、顔に何かついているよ」という呼び掛けが哀しい。私はこの類のモラル無視の小説にはAは余りつける気になれないのだが、この作品には唸った。AAとAの間くらいの感じだ。これまでAAをつけた作品(宮部みゆきの『模倣犯』やパタースンの『子供の眼』、キングの『骨の袋』)を思い出して、あの押し寄せる大作感はないので、かろうじてAにしたけれど。八方にはじけ飛ぶような登場人物の行動が、やがてある家庭に集約されてプロローグの混乱へとフラッシュバックする。実は全てが計算され尽くしたストーリーだったのだ。作家の底力を感じる。よし、この著者の他の作品も読んでみよう。
阪本 直子
評価:E
うーむ。
上手い書き手だ。それは無条件に認めます。しかし。
その、上手い書きっぷりでもって、こういう話を書かれるとねえ……はっきりいってツラいんですよ。
首都圏の通勤地獄。子供を殴る親。目に入るもの全てに苛立って「死ね」「殺すぞ」「無価値人間」と毒づき続ける“普通の”大人達。それがどんどん壊れて狂って殺し殺されてゆくさまを、作者は、ひょっとしてマジメに書いてやしないか?
例えば筒井康隆や小林信彦がこれを書いたとするならば、何人死のうが何が起ころうが大爆笑できて、しかも背筋がすうっと冷たくなる怖さがあったのでは、と思う訳です。
モラル・ゼロのクライム・ノヴェル、を売り文句にするなら、むしろもっととんでもなく凄まじい悪の話ならよかったのにな。これって、現代の都会でいかにも実際に簡単に起こりそうなことなんだもの。
メシがまずくなる小説はいやです。
谷家 幸子
評価:E
ノワール流行りの昨今ですが、正直言って私、どういうものが「ノワール」であるのか、いまだ一向に理解できません。そしてまた、「ノワール」がわからず、「ノワール」が嫌いな人間は、ある種の方々にとってはどうやら感性が低いとみなされがちであるらしいことも薄々感じていて、やや不愉快な心持ちが致します。いやまあ、いんだけどさ、別に人がどう言おうと。
などと、いきなりケツをまくったような物言いになってしまったのだが、どうなんでしょう、やっぱり世間(どこの?)では、こういう作品を「ノワール」と呼んでいるように思うのだが、私は間違っているのだろうか。
「誘拐ラプソディー」とは一転、ここではとことん邪悪な人間しか登場しない。その邪悪さも、粘着質に事細かに描き出され、ストーリーの救いのなさとともに読後感は最悪だ。
はっきり言って二度と手に取りたいとは思わない。しかし、ここまで言っておきながら何なのだが、何かひっかかる。ちょっと、とらわれる。そして、自分がなぜこんなにこれを嫌だと思うかが、全然うまく説明できないもどかしさが、私とこの作品の接点なのかもしれないと思う。
中川 大一
評価:B
はじめに言っとくけど、本書に高い評価をつけたのは、現代家族の病理を鋭く抉ってる! からじゃあないぞ。帯の文句や装幀からは何となくそんな雰囲気が漂ってるけど、だまされちゃいけません。例えば、新堂冬樹の『カリスマ』(2001年4月の課題図書)を思い出してほしい。あれも、社会を蝕む宗教の魔に挑んだ力作! ではなかった。では、両作には何が書いてあるのか? 答は、ギャグ。お笑い小説なのだ。ならば評価は、「どれほど笑ったか」によってなされねばなるまい。この本は、残虐な描写が続く重い小説のように見えるけど、実際にはあっという間に読める快作だ。再び、ならば。親が子を殺めるシーンはいただけません。だって、それって全然笑えないじゃんか。
仲田 卓央
評価:C
社会のモラルに反しているからという理由でその作品が劣っている、と考えるのは馬鹿そのものである。しかし、その小説に描かれていることが世の中のモラルに反しているということだけで、それが優れた作品になりうるかというと、当たり前のことだがそうでもない。「モラル・ゼロ」を謳ったこの小説に描かれていることはグロテスクなだけで「モラル・ゼロ」ではない。戸梶圭太は、このコミカルでグロテスクな世界でしか描けなかったものを描くべきだったのに、そこで描かれているものといったら本質的にはガード下で酔っ払うオヤジの愚痴と変わりがない。グロのためのグロになっていて、残念。しかし、オヤジの愚痴と同じように奇妙なリアリティーがあって、そこは少し怖い。
戻る