年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班
輓馬
輓馬
【文藝春秋】
鳴海 章
定価620円(税込)
2005/11
ISBN-4167679639
商品を購入するボタン
 >> Amazon.co.jp
 >> 本やタウン

  北嶋 美由紀
  評価:★★★
 故郷(北海道)を捨て、都会で20年を過ごした弟と、故郷で地道に生き抜いてきた兄との物語である。恵まれない子供時代を送った矢崎学は商社マンから会社を興し、一時は成功するが、派手な生活ゆえに一億円近い借金にまみれ、離婚、無一文の状態で兄の元へ転がり込んでくる。厩舎を持つ兄に会う前にレースに賭ける学を細かく描写する第一章は学の性格や馬とレースの基礎知識を教えてくれる。ひたすら見栄を張っていた都会生活を省みながらの馬中心の厩舎での生活。体はきつくても人とふれあい、様々な人生の一端を見ることで学は心にゆとりが持てるようになり、変化してゆく。一人の客としてレースを見ていた第一章と調教する側から見ている終章との対比がその変化をよく表している。そして、ようやく自分を取り戻した学がむかえるラストや朴訥な兄との交流も全面ハッピーでないところがよい。背後にデンと構える北海道の大自然も見えてくるようだった。

  久保田 泉
  評価:
 この小説を読んでいる間、実に自然な、好感のもてる清々しい文章だなと思いつつ読んだ。主人公は事業に失敗して借金取りに追われる男、矢崎学。学が捨てた故郷北海道の長兄が営む矢崎厩舎に転がり込む。長兄は一家の大黒柱として、末の弟の学を大学までやり、自分は婚期を逃したままだから、学は恩をあだで返すようなものだ。学は田舎を嫌い、都会で金と見栄に振り回された挙句、落ちぶれて故郷に逃げたのだ。そして兄とのわだかまりも、厩舎で働くうちに互いに消えていく。個性的な厩舎の人々や、なぜか自分を認めてくれた馬のウンリュウとの出会いの中で、未来に希望も持ち始める。こうやってあらすじを追うと、一人の男が挫折から自分らしく生き始める、という通俗的な話に思えるが、この小説は実に初々しいのだ。文中、長兄が「馬はよ、曇りのない鏡さ」というセリフがある。鳴海章の書く小説もまさにそう。今後が楽しみな、地に足が着いた作家だとも思った。

  林 あゆ美
  評価:★★★★
 事業に失敗し家庭も壊れ、借金だけを山のようにこさえて行くあては――。離れて暮らしてからはほとんど頼ったこともない、輓馬の調教師をしている北海道の兄のところだった。
 輓馬は2、3度見たことがある。物語でも描写されている通り、一直線200mのコースを重い荷物を載せた馬が障害物を2つ越える。がっしりした馬がゆっくりゆっくり進む。はじめ見たときは、あまりのゆっくりさにこれでもりあがれるのかと思ったが、自分でも馬券を買うと、おのずともりあがり大声で馬を応援した。この輓馬の裏で調教師たちが過酷な世話をしていることを、遅まきながら本書を読んで知った。その地味で過酷な仕事を、矢崎は兄のもとに居候するかわりに手伝うのだが、馬に妙になつかれる。そして馬と生活するうちに矢崎の内面に変化がおとずれる。大きな変化に見えるそれが、自然な流れの中の小さな変化にも見えてくる。人が変わるのは、変わろうと思った時ではないかもしれない。私もまたあの輓馬を見ることがあるだろうか。

  手島 洋
  評価:★★★
 東京で事業に失敗し、妻と別れ借金取りに追われる男。故郷の北海道に戻り、兄が厩舎で働く輓曳(ばんえい)競馬に向かう。結局、競馬で持ち金すべてを無くしてしまい、しかたなく兄を頼ることになるが、厩舎の仕事を手伝わされるうちに主人公の気持ちにはだんだんと変化があらわれてくる。
 競馬にまったく興味のない私にも輓曳競馬がどんなものかなんとなく分かるくらい細かいところまで説明が行き届いている。話の展開もわかりやすく破綻がない。ふだん小説を読まない競馬好きの男性にぜひお勧めしたい。読んでいて一番気になったのは、丹波という競馬好きの男が今までどんな人生をたどってきたのか。競馬場に行くのが一番の幸せで何十年も通い続けているという人はどこの競馬場にでもいるんでしょう。しかし、それにくらべると、彼に負けない波瀾万丈の人生をおくってきたはずの主人公、矢崎はちょっと軽すぎる。まあ、借金しても立ち直っていく人はそんな感じなのかもしれないですけど。

  山田 絵理
  評価:★★★★★
 競馬についてはまったくわからないが、1トン近い橇を付けて障害のあるコースを走る「輓曳競馬」というレースの存在を、本書で始めて知った。
 派手な話ではない。冬の寒さの厳しい帯広を舞台にした、重厚で力強い物語である。事業に失敗し多額の借金を抱えた矢崎という男が、厩舎で調教師として働く兄をふらりと訪ねる。そこでは野暮で実直な男たちが、馬を愛し、ただ黙々と働いていた。矢崎はそこでしばらく過ごすうちに、彼らの生き様やレースで懸命に橇を曳く馬に触発され、熱い想いが胸を去来する。彼の身を再び勇気が満たし始めたとき、私の胸にも熱いものがひたひたと流れてこんでくるのを、抑えることができなかった。
 男たちを描く作者の筆力がすばらしい。東京で華やかに生きてきた矢崎と、北海道で地道に歩んできた兄との対比、そして厩舎で働く男たちの人間模様がずっと強く印象に残る。そんな男たちがひどく格好よく見え、うらやましくなった。

  吉田 崇
  評価:★★★
 全てをなくした男が、北海道の小さな厩舎に逃げ込み、その中で暮らすうちに、見失っていた物をたぐり寄せ始める……。創作メモ風に紹介すれば、こんな作品。脇を固める人々はそれなりにホントっぽくて、ストーリーの流れも、プロっぽく破綻はなく、非常に安心して楽しめる作品になっているとは言え、ふっふっふ、こんなエンディングじゃ、納得できないのだよ、と、僕は誰かに向かってほくそ笑む。
 どうも、今一つ、主人公がクリアになんなくて、だから、周りの人物達がヘンに実在感があるだけに、だから逆に物語にのめり込めないのだ。つまり、主人公の設定は曖昧なままに、周辺から詰めて書かれていったが故に、ラストまで主人公はお人形さんのままなのではないかと、僕は思うのだ、と言うか、思わせてしまったのがこの作品の弱い所。
 簡単に変化する心は、また簡単に変化する訳で、その時にも逃げ込むところがあるわけではないだろうよ、と主人公に言いたくなるのは僕だけだろうか?