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わたしを離さないで
わたしを離さないで
カズオ・イシグロ (著)
【早川書房】
定価1890円(税込)
2006年4月
ISBN-4152087196
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清水 裕美子
  評価:★★★★★

 冒頭、主人公・キャスの職業の自己紹介から始まる。介護人、提供者、その語感にまずやられてしまう。これは面白そうだ。
 ヘールシャムという全寮制の育成施設で育った子供達の物語。記憶を紐解きながらキャスことキャシーの心の動きが淡々と描かれる。物事を大げさに語る親友ルース、感情を爆発させてしまうトミー。友達との遊び、宝物、先生の愛情を得ることが全ての子供時代。そして徐々に本当のことは「教わっているようで、教わっていない」彼らの運命が明らかになる。
 読後やり切れなくて、石田衣良の公開対談の質問コーナーでつい手を上げて聞いてしまった。「先生の小説には1話に1回、必ず暴力と身体を傷つける表現があるのはなぜですか?」石田さんの答えは「それはリアリティを持たせるため五感に訴えることが必要だから」。そうか、構成要素としての「痛み」なのかと腑に落ちた。この本では、恐怖、痛み、喪失、絶望が「描かれない」。それがこんなにも強烈だなんて。
 読後感:一眠りして目覚めるとヘールシャムが刻まれていることに気づく

  島田 美里
  評価:★★★★★

 責任をとってほしいと思うくらい、途方に暮れる読後感だった。磨りガラス越しに見た景色がぼんやりと美しく見えるみたいに、本当は恐ろしい世界を、穏やかな語り口が、カムフラージュしているのだ。
 キャシーが長年続けている「介護人」とは、何の介護で、キャシーの親友であるルースとトミーは「提供者」と呼ばれるが、何を提供するのか? そして、この3人が子どもの頃にともに過ごした「ヘールシャム」とは、何の施設なのか? それがわかったとき、とんでもなくショックを受けた。まさかこんな非人道的な社会構造が背景にあるとは思わなかった。
 後になって思えば、キャシーの穏やかな語り口の裏にあるのは、安らぎではなく、諦めだったのだ。どんなに不幸でも人は希望を持つことができるが、その最後の砦を奪われたら、もう諦めるしかない。
 不思議と涙は出なかった。重すぎて、カタルシスを覚えて泣くのも憚られた。死ななくてもいい人が死んでいく。戦争と同じだと思った。今も、深い悲しみが心の中で沈殿したまま、浄化されないままでいる。

  佐久間 素子
  評価:★★★★★

 さまざまな謎を抱え込んだ物語は、ミステリともいえるし、SF的でもある。全貌をつかみたくて、読者はページをめくらずにはいられない。謎がとけたところで、この広大な世界のまんなかで呆然と立ちすくむしかないくせに。この風景は「世界の終わり」に、ずいぶん近いような気がする。
 キャシーは、提供者を世話する優秀な介護者である。かつての仲間を世話しながら、キャシーはヘールシャムという全寮制の施設で過ごした幼少時代を回想する。奇妙なルールをもつヘールシャムだが、子どもにとってはそれが全世界だ。親しい友人と、気になる男の子、なつかしい日々。穏やかな口調で、克明にたどられる過去は決して特異なものではない。彼らと我々は何も違わない。でも、謎が明らかになったとき、たじろぐ読者を置いて、当事者である彼らは、その特異な運命にむかって行ってしまうのだ。全人生をかけて培われたあきらめの深さに、たった数時間の読書行為がおいつくはずもなく、ただかなしみにとらわれて、未消化のまま、私は為すすべもない。再読すると思います

  延命 ゆり子
  評価:★★★★★

 はじめは純文学かと思ったのだ。ノスタルジックな風情。イギリスの全寮制の寄宿舎。幼すぎる友情と恋愛。ところがすぐに気がつく。この小説、どこかがおかしい。壮大な謎が隠されているのだ。介護者と提供者という特殊な言葉。熱を帯びている美術の授業。外の人たちとはとてつもなく違っているというこの子供達とは一体何なのか。
 その謎解きもさることながら、それにしても何だろうこの押し寄せる不安感。自分が何者なのかわからずに戸惑う若者たち。愛する人を思うせつない気持ちと、叶えられない願い。普遍的なテーマを扱いながら、今まで見たこともない領域へ読者を連れてゆく。不安な感情が伝染して、その無常観に、哀しすぎる運命に、報われない自分探しに、心がザワつくのを止められない。
 どうしてこの人たちはこんなに哀しすぎる運命を受け入れられるの?どうして泣き叫ばないの? ただのSF。なのにどうしてこんなに激しい感情が生まれるの?
 はじめの予感はやはり間違ってはいなかった。こんなにも心を揺さぶられ、感情が引き込まれる小説。これは純文学でしかありえない。そう思う。

  新冨 麻衣子
  評価:★★★★★

 これは謎の施設<ヘールシャム>とそこで育った子供たちをめぐる、長く哀しい物語だ。親を知らない子供だけの隔離された施設の謎。先生たちが意図的にもしくは無意識にもらす<真実>はあとあとまで生徒たちの心をかき乱す。その謎に翻弄されながらも、この小説は様々な側面をみせる。
 <第一部>はいわゆる学園モノ的な、等身大の少年少女の人間関係が、<第二部>では大人になりかけた子供たちの、残酷さも併せ持つ恋愛模様とそれぞれの選択が、そして<第三部>では絶望のなかで一縷の希望を求め続ける人間の姿が、どこまでも丁寧に描かれる。
 まるで短編のように、いろんなものをそぎ落としたような小説であるにも関わらず、幅広い読者を引き込むだけのエンタメ性も備えた、素晴らしい作品だと思う。ものすごく哀しい物語なんだけど、それだけにここに描かれる希望は力強くて純粋だ。キャシーの記憶は、わたしも忘れたくない。ボロボロ泣ける小説ではないけど、わたしの心がたくさん泣いた。そういう小説でした。
 とりあえず現時点での本年度ナンバーワン!!!!!

  細野 淳
  評価:★★★★★

 主人公は、介護人という仕事をしているキャシーという人物。提供者をケアすることが仕事だ。でも、提供者や介護人という存在が、一体どのようなものなのか、はじめの段階ではよく分からない。読み進めるにしたがって、ひょっとしてこんなことをする人なのではないか、という疑問が起こり、やがてそれが確信に変わっていく。小説に出てくる人物たちの実態が、段々と明らかになってゆくのだ。
 キャシーが幼い頃から今に到るまでの思い出を順番に語っていく形式で、物語は進んでいく。少女時代をすごしたヘールシャムという場所での出来事から始まり、そこを出てコテージで集団生活をしていた頃のこと、そしてキャシーが介護人として働くことになってからの話、という具合。
 小説の骨格を成している構成自体には、今日の倫理に関わる問題が多分に収められている。読みながら、そのような問題ももちろん考えてしまうが、それ以上に特に印象的だったのは、自分たちの運命を知りながらも、必死に生きてゆこうとする人間の姿。残酷な物語ではあるけれども、主人公たちのそのような姿には、純粋さが溢れているのだ。