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勝手に目利き
単行本班
文庫本班




2006年7月

このページは新刊採点員たちが、課題図書
とは別に勝手に読んだ本の書評をご紹介します。


松井ゆかり

松井ゆかりの 【勝手に目利き】

気になる部分 『気になる部分』
岸本佐知子 (著)/ 白水uブックス
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 翻訳家岸本佐知子さんは「こんなにおもしろいのになぜブレイクしないのだろう?」と思うエッセイストの筆頭だ(長らく第1位の座を争っていた数学者藤原正彦先生は、最近見事ベストセラー作家となられた)。
 初めて岸本さんのエッセイを読んだのは朝日新聞の読書欄(「ベストセラー快読」)で、そのあまりのおもしろさに図書館で著作を探し、どうしても手元に置いておきたくなって単行本を購入し、どうしてもっとエッセイ集が出版されないのかと嘆き(翻訳書はあまたあるのに)、朝日新聞社にねじ込む手段はないものかと夢想していた私にとって、既刊とはいえ『気になる部分』Uブックス版の発売は朗報であった。ボーナストラック(これまた私の好きな川上弘美さんについて書かれている。ワンダホー)も付いているではないか。ひとりでも多くの方の目に留まり、腹を抱えていただきたいと願う次第である。


浅谷佳秀

浅谷佳秀の 【勝手に目利き】

青猫家族輾転録 『青猫家族輾転録』
伊井直行 (著)/ 新潮社
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 伊井直行は寡作だが、その作品にはどれも鮮烈かつ独特な味わいがあり、私にとって目の離せない作家の一人である。この本はその彼の久々の新刊だが、どこか現実離れした色彩の濃かったこれまでの作品よりも、ぐっとリアリズムに傾斜している。
 これは、50歳になった主人公の「僕」が半生を振り返る物語だ。主人公のたどってきた道は波乱万丈とまでは言わなくとも、相当に起伏に富んでいる。「僕」は勤務先の中堅商社で信頼していた先輩に裏切られてリストラに遭い、会社を立ち上げる。その自分を裏切った先輩は癌になり余命いくばくも無い。家庭の方では、一人娘が高校で不登校になり、16歳で妊娠する。そうした現実と向き合っている「僕」の脳裏をふと巡るのは、30年前に亡くなった叔父さんがかつて語った、イギリスでの人妻との奇妙でエロチックな体験だったり、「僕」自身の少年時代の恋だったり。こうした記憶のエピソードを挟んで、物語は現実から引き離されたり、引き戻されたりしながら、いつ壊れるかわからないプジョー204でガタガタと走るように進む。
「ここはまだ終わりではない」という「僕」の感慨が胸に迫る。そこはかとない不安と孤独の影、そして希望と。