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6月1日(月)

 朝、仕事場に向かって歩いていると、ふとすれ違った女性からコパトーンのような匂いがし、東南アジアのビーチリゾートを思い出す。ああ、久々に行ってみたいなあと思っていたところ、ニュースで、エールフランスがブラジル沖で消息を絶ったことを知った。
 飛行機事故と聞くと、自分には直接関係ないのに、絶望的な気分になる。恐ろしい。恐ろしすぎる。落雷が原因ではないかと言われているようだ。落雷? 雷で飛行機は落ちるのか。以前マーシャル諸島へ行ったとき、雲の中を通過中に突然激しい衝撃があり、一瞬窓の外が真っ白に光ってドドドンと大きな音がした。私はシートでひとり失神しそうになっていたのだが、周囲はみな平然として、雷ですねえ、なんてのん気に言っていた。そうか、雷が落ちても飛行機は大丈夫なのか、とそのとき心強く思ったのであるが、ちっとも大丈夫じゃないんじゃないか! 
 私はもう今後一切飛行機に乗らなくてもいい。一生海外旅行しなくとも、人生は十分楽しいはずである。東南アジアのビーチリゾートなしでも私は強く生きていけるだろう。どうしてもというときは、船で行こう船で。

6月2日(火)

 久々に気持ちのいい朝。
 快晴とまではいかなかったが、雨で空気がきれいになって、窓から見るスットコランドはみずみずしく輝いていた。私は紅茶を飲みながら、窓辺に立って風景を楽しんだ。おお、素晴らしき哉スットコランド。
 次はサバンナみたいな景色のところに住みたい気がした。
 ちなみに朝はパンと紅茶と、フルーツにヨーグルトかけて食べるのが私の理想で、実際そうしている。ただそれでは日中腹が減るので、妻は最近、ごはんと味噌汁を奨励している。私は朝っぱらからごはんは重いよ、とか文句言いつつ、昼ごろになると力尽きてごはんにしておけばよかったと思うことも多い。ならば、いっそごはんと味噌汁食べて、紅茶を飲むというのはどうだろう。
 何かで読んだのだが、コーヒーと紅茶とどっちが好きかという質問に、紅茶と答えた人は草食系で、コーヒーは肉食系なのだそうだ。私は草食系らしい。上品で穏やかでさっぱりしているナイスな私、と解釈したい。
 
 ところで妻によると、昨日知り合いの奥さんに、中古車なんか買ったらダメよ、と言われたそうだ。その奥さんは、中古を買って1週間かそこらで、カーブを曲がろうとした瞬間にハンドルがとれたらしい。
 !!! 
 ハンドルがとれたって、ありえないだろそれ。私はいつも中古車ばかり乗ってきたので、多少の不具合には慣れているつもりだが、さすがにハンドルがとれたことはない。その奥さんは山道とか高速を走ってなくてよかった。高速でハンドルがとれたらどうすればいいか。考えるだに恐ろしい。

6月3日(水)

 朝から役所へ行って印鑑証明をもらい、さらに郵便局へ行って定額預金を解約して、自動車税の納税証明書やら昨日のうちにもらっておいた車庫証明などとともに中古車屋に持っていく。それだけで半日仕事のつもりでいたら、一時間半で済んでしまった。役所関係の手続きが入ると、つい半日空けてしまうが、おかげで用事が済んでもまるで働く気がしない。
 それで思わぬ時間が余ったので、急きょ電車に乗って、恵比寿にある東京都写真美術館へ行ってみることにした。「旅 第1部 東方へ」という写真展をやっていて、外国人が見た日本に興味がある私は、いずれ時間を見つけて行かねばと思っていたのだ。
 行ってみると展示が少なく、やや拍子抜けであった。それでも幕末から明治初期にかけての日本の風景には、わくわくした。まず驚くのは、道が広くて平らだということである。自動車もない時代に、ここまで広く平らである必要があったのか。現代の日本よりよほど幅員がとれている。さらに不思議に見えたのが川だった。堤防や土手がない。雨後の地べたを水が気まぐれに流れているような、そんな川が民家の間にあって、これでは少し雨が降るとあっという間に床下浸水するだろうと思う。こんな不思議な日常風景の中にこの身を置いてみたいものだ。
 せっかく都会に出てきたついでに、かつて少しだけ仕事場として利用したことがある恵比寿の事務所に顔を出した。現在の仕事場を借りる前、デザイナーとコピーライターが机を並べる広告制作事務所に間借りして、働こうとしたことがあるのだ。通勤時間がかかり過ぎるので、結局引き払って自宅近くにワンルームを借りたが、毎日ひとりで働いていると、誰かと机を並べておしゃべりできる事務所がうらやましい。フリーランスになって一番つらいのは、安定した収入とか何とかよりも、日常的に無駄話をする相手がいなくなってしまうことだ。アイデアは無駄話の中から生まれるという実利面だけでなく、とにかく何でもいいから誰かとしゃべることで気持ちが楽になったり前向きになったりすることがある。ひとりきりの仕事場ではそれがない。ひとことで言えば、寂しい。
 そうしてそこで住宅ローンの話とか世知辛い話をして、あとは本屋に寄って帰ってきた。買ったのは、谷川健一『白鳥伝説』(小学館ライブラリー)、亀山勝『安曇族と徐福』(龍鳳書房)、池上俊一訳『西洋中世奇譚集成 東方の驚異』(講談社学術文庫)など。

6月4日(木)

 書評原稿を書き、午後から約一ヶ月ぶりのジョギング。
 前に走ったときは、桜が咲いたり、散って葉桜になった頃だったが、久々のジョギングコースは、すっかり緑濃くなって、川にも水が溢れ、少し走っただけでじっとりと湿気がまとわりつくようだった。一ヶ月ブランクがあったとはいえ、その間四国遍路で峠越えを何度もやったし、体力的にはさほど落ちていないはずと思ったら、今年2月に走りはじめたときよりタイムが落ちていて、うんざりする。ずいぶん走った気がするのに、すっかり元の木阿弥である。
 ふと、そういえば、スタート地点にあった桃の木は本当に桃だったのかと思い、見てみるとたしかに小さい実が成っていた。触るとさわさわした。これが最終的にはでっかいピンク色の桃になって、その後どうなるのか。誰かがもいで食べているのだろうか、それとも落ちて地面にへしゃげるのか、今年の秋に確かめたい。
 帰ってみるとロト6が当たっていなかった。のだが、これが実に惜しかった。6つの数字のうちひとつが当たり、あとの5つはどれもプラスマイナス1とか2とか最大でも3以内の違いだった。ぱっと見、字面がそっくりで、一瞬心がざわめいたほどだ。夜明けは近い。

6月5日(金)

 朝から曇って、これはもう梅雨だろうと思うのだが、梅雨入り宣言はいまだ出ていない。
 午前中になんとか書評を仕上げる。そうして午後から次の四国遍路の原稿に取りかかるつもりだったのだが、気がつくとMYST4をやっていた。発電用のダムが暴走して施設を破壊し、気がつけば原始の森みたいなところに放り込まれていた。森の中で木製の柵を見つけたが、どうやって通り抜けたものか、途方に暮れたのである。そうして気がつくと小1時間も森の中をさ迷っていた。おそるべし、MYSTの魔力。

6月6日(土)

 家族で回転寿司へ行く。寿司だけでなく、ハンバーグとかプリンとかいろんなものが回っていた。なんという、ぜいたくな世界だ。以前イオンのショッピングモールでワクワクしたときに次ぐぐらいの豪勢さだった。
 サッカーW杯アジア予選。日本はウズベキスタンに1対0で勝って、本線出場を決めた。岡崎選手のゴールへの執念に痺れた。コケようが弾かれようが絶対入れる。これだよ、これ。初出場のときの岡野のヘナチョコゴールとはわけが違う。こういうシュートが見たかったんだ。
 その後、魔が差して紀貫之『土佐日記』(角川ソフィア文庫)を読む。面白さがさっぱりわからなかった。

6月7日(日)

 近所のお父さん(B型)が、公園で流しそうめんをやりたいと言い出し、逸れに使う竹を切りに、つてを頼って近所の竹林へ出かけた。流しそうめんに別段興味はないのだが、なんとなくその情熱に引き摺られて、ついていく。そうして大人4人で竹を4本ほど切って、適当な長さに寸断し、さらに半分に割って節を抜いたり、節の詰まった部分は、節ごとに切ってお椀を作ったりした。滅多にしない力仕事で、へとへとになった。
 B型父さんは、この思いつきのために鉈を買ったらしい。奥さんが、どうせ一度しか使わないのにと、ぼやいていた。B型父さんの家には、他にも革製品を加工する道具だとか、電動でネジを打つ工具とか、あれこれと道具類があって、どれもこれも一度使ったきりだそうだ。すると妻が、うちもまったく同じだ、カヌーも何度か使っただけで人にあげてしまったとか、余計なことを言い出し、まったくB型はどうしようもないという結論に至っていた。実に恣意的だ。私は思わず、カヌーには4、5回乗ったぞ、一度しか使わなかったのは、テレマークスキーだ、と反論しそうになったが、火に油を注ぐだけだろうから、やめておく。
 ついこの間は、B型はちょっと頭が痛いと脳腫瘍じゃないかとか、胃が痛いとガンじゃないかとか、いちいち大袈裟、と馬鹿にしていた。健康診断恐怖症の身としては、返す言葉がなかった。A型やO型は健康診断が怖くないのか。
 
 千早茜『魚神』(集英社)を読む。変な髪形の表紙に惹かれた買った本である。小説すばる新人賞だというのだが、読んでみると、新人とは思えぬうまさであった。

6月8日(月)

 仕事場のガスをとめる。コンロは電気なので、お湯を使わなければガスはいらない。基本料金を節約するのだ。
 中野美代子『ザナドゥーへの道』(青土社)を読む。物語がどうこうというよりも、ここに登場する固有名詞、地名であり人名であり書物の名前といった固有名詞群にくらくらする。もったいないもったいないと思いながら、結局最後まで読んでしまって、もったいなかった。

6月9日(火)

 今週は、おもに四国遍路を書いている。
 四国遍路の連載は月2回で1回10枚。できることなら、1日に2回分、すなわち20枚書いてしまいたいと思っているのだが、書けたためしがない。
 ここで、どうして書けないか検証してみたい。
 まず朝、子どもたちの登校時間に起きて食事をとり、家を出るのがだいたい9時すぎである。本当はもっと早く出たいのであるが、通勤途中にあるスーパーの開店時間が9時半で、そこで昼のおかずを買おうと思うと、どうしてもそんな時間になる。たまに妻がおかずを作ってくれるので、そんな日は少し早く出る。そうして9時半過ぎに仕事場に到着。すぐに仕事に取り掛かるのだが、まず前日分のこの日記を書く。それからゲラチェックだの何だのこまごました仕事をやる。朝一番の頭の冴えているときに、そんなこまごました仕事をするのはもったいないが、性格的に細かいものほど後回しにできない。さっさと済ませて、あとは原稿に集中するだけという状況を作りたい。
 それで昼をはさんで黙々と原稿を書き進めるわけだけれど、ちょうど10枚書きあがりそうな午後3時4時頃になって、ああ、もうちょっとで終わるなあと思っていると、どういうわけか今日は上本町から近鉄電車に乗っていた。最後尾のデッキが広い部屋のようになっていて、今日はそこでのんびり本を読んでいた。ときおり車掌が通るだけで、車内の喧騒がウソのようだ。と思ったら、途中駅でデッキだけ切り離され、電車本体が私を置いて出発してしまって慌てたのである。車掌に泣きつくと、本当に切符持ってるんですかと疑われ、ポケットを探ろうとすると、あろうことか私はパンツ一丁だった。そうだ、財布も携帯も切符もチノパンも全部電車の中に置いたままだ。私はなごもうと思ってパンツ一丁でデッキに出てきたのだった。実際、私は仕事場でも家でも夏はだいたいパンツ一丁なので、ついついその癖が出てしまった。
 そうして近鉄に乗って仕事場に戻ってくるのが午後6時前後で、それからなんとか1回分10枚だけはフィニッシュして自宅へ戻る。夕食をとり、子どもを風呂に入れ、寝かしつけると、夜9時半ぐらい。メールチェックして、何かと雑事をこなし、10時半。ここで、よっしゃ、今から仕事の続きだ! となれば美しいのであるが、夜になると足が熱くなる私は、この時間おおいに不快で気力が減退しており、好きな本を読む気すら起きない。テレビを観る気力もない。仕方ないので、たとえば今日などは、四国で拾った石とか、以前石拾いツアーに参加して拾った石をジップロックに分類する作業をしていた。
 深夜1時頃就寝。南無阿弥陀仏。

6月10日(水)

 どうやら関東も梅雨に入ったみたいだ。
 ジュンク堂書店新宿店で京阪神関連本のフェアをやるので、おすすめ本を5冊選べと打診される。3冊はすぐに浮かんだ。もちろんひとつは『勝手に関西世界遺産』(朝日新聞出版)だ。あの連載は200回以上続いたが、77回分が本になったきり、そのあとが刊行されていない。普通のガイドブックではとりあげられていない超マニアックなネタ満載だったから、全部出せばいいのに実に惜しい。単行本が売れないなら、いきなり文庫でもいいから、ど〜んと出してはどうなのか。そしてど〜んと私に印税が入ってはどうなのか。実に惜しい。
 仕事の合間に、休憩がてら近所のスーパーまで水を買いに出た。プリングルスのピクルス味というのが売っていたので、興味本位で買ったところ、おそろしくまずくて、まずくてまずくて、あまりのまずさに笑ってしまった。2点。

6月11日(木)

 輪郭のはっきりした黒くて重たい雲を見るのが好きだ。どしゃぶりであってもおかしくないぐらいの禍々しさなのに、まだ降ってこないというとき、世界は魔法の王国になる。せっかく梅雨なんだから、そんな雲が空でぐろんぐろんのたくって、昼間とは思えないようなロード・オブ・ザ・リングな時を演出してもらいたいものだが、現実にそんな気象現象はないのかも。
 今、なぜかシルクロードへ行きたい。

6月12日(金)

 V社編集のテレメンテイコさんと、ニック・ステファノスさんとともに、秩父へ石拾いに行く。
 いったいどういうイベントかというと、V社の連載企画として石拾いを私が提案したのである。それで、実際どんな感じになるのか、テレメンテイコさんも私もさっぱりイメージがわかないので、とにかく一度行ってみようと思ったのだった。
 そこにどうしてニックさんがついてきたのかは謎。「いやあ、宮田さんは目を離すとすぐ仕事断ったり、この企画は辞めたいとか言い出すから、見張りに来たんです」というような意味のことを言っていた。何を言うか。
 ちなみに秩父を選んだのは、荒川で石を拾うだけでなく、人面石だけを集めた珍石館もいっしょに訪ねるためである。人面石と聞くだけでアホアホなオーラがあり、そんなものを真面目に集めている人にはぜひ会ってみたい。
 珍石館は、訪ねてみると鍵が閉まっていたが、すぐにお爺さんが出てきて開けてくれた。入ると、のっけから変な石が並んでいておかしい。いきなり亀の甲羅に似た大きな石に座らされ、記念撮影を強要される。竿と籠を渡され、浦島太郎気分である。
 さらに2階にあがって驚いた。
 まさに人面石のオンパレード。1000個も展示されていて、どれもこれも本当に顔に見える。ときどき札がついていて、研ナオコ、五木ひろし、宮澤喜一など芸能人や政治家などの名前が書かれており、それが実に見事に感じをつかんでいるので、おかしかった。よくぞこれだけ集めたものだと思うが、これ以外にまだ1250個ありますとのこと。すべて自分で集めたわけではなく、子どもが売りに来たりもしたそうだ。このおっちゃんに人面石持って行けば小遣いくれるってんで、河原で人面石を探したのだろう。
 お爺さんはそのうち棚の中から、人面石でなくてチンポコ型の石も取り出して見せ、見事な形でしょうと自慢した。
 さらに、大きな木片なんかも取り出して、これは中に蜂の巣ができて、それを熊が手でガリガリほじくったところに、またそこを塞ぐように樹皮が蔽いかけて出来たわけ、とか言ってそれは女性器の形である。思わず、人面石の博物館じゃなかったんか! とツッコミそうになった。石ですらないじゃないか。
 しかし、私財を投じてこんな得体の知れない博物館を作ってしまうのは趣深い。下ネタもしこんで、しょうがない風情を醸し出すところなど、実に正統派の趣味人である。お金儲けに長けた人間や、有能なビジネスエリートではこうはいかないと思った。
 税務署から、このコレクションは売るなと言われたと、お爺さんは得意げに語っていた。そのかわり相続税はとらないからと。そういうと、まるで税務署がこのコレクションの価値を認め、相続税支払いのために一部を売りに出すことのないよう計らってくれたかのように聞えるが、実際は税務署もこのわけのわからぬコレクションの資産価値を計算したくなかったのだろう。人面石の相場なんて知るかあ! ってことだ。売ってしまうと値段がついて次年度は資産として計算しなければならなくなるため、税務署側であらかじめ予防線を引いたのにちがいない。
 んんん、素晴らしい。人間このお爺さんのように、世間の価値観など顧みず、生きざままるごとネタぐらいに生きていけたら最高である。先達として参考にしたい。
 
 珍石館のあと、われわれは荒川の河原へ降りて、石を拾った。人面石ではなく、普通の石だ。石を拾ってどうするかといえば、どうもしない。金になりそうな石を拾うわけでもない。ただなんとなく、いい感じの石、握って手に心地いいとか、色がきれいとか、珍しい形とか、なんでもいいから、河原にしゃがみこんで好きな石を拾うのだ。そうして小一時間も拾うと、お気に入りの石を手にして、お互いほめたりくさしたりしつつ、河原を後にした。ただそれだけ。誰でも経験があると思うが、ただそれだけなんだけど、ひとたびしゃがんでしまうと延々石を拾ってしまうところが石の面白さであり、なおかつその石自体に市場価値がまったくないところも素敵だと思うのである。

6月13日(土)

 息子のサッカー練習試合の応援にいく。
 先日W杯本大会出場を決めたときもだったが、日本代表の試合をテレビで見ていると、よくキリンビールのCMが流れ、そこでかかる♪ワンワラワラ エ♪とかなんとかアフリカの言葉みたいな歌詞の曲があって、かっこいい。背景は子どもが大勢サッカーをしてる映像だったり、日本代表選手の映像だったりするのだが、そのニック・ウッド「パッション」という曲をダウンロードでして、今日撮影した息子の試合の写真をパソコンでスライドショーにしながら聴いてみたところ、いたく感動した。全員ボールに集まってラグビーみたいな試合なのに、まるで日本代表選手の子供時代のように見えるから不思議だ。いやあ、昔はこんなヘタっぴだったのに、今じゃ日本代表だもんなあ、なんて空想したりした。実際は今現在ヘタっぴ進行形である。
 この「ワンワラワラ エ」は、実際はアフリカの言葉でも何でもなく、適当につくったものだと知って驚く。いかにもどこかにありそうだという意味と、そんなデタラメ語で歌つくっていいのかという意味の、両方で。

6月14日(日)

 今日も息子のサッカー新人戦。
 一眼レフに望遠レンズを装着し、自分の息子も何も関係なく、連写モードでどしゃどしゃ撮影する。2試合で2GBのSDカードを使い切るぐらい、どしゃどしゃ撮り、帰ってそれをパソコンでコマ送りで見ながら、また♪ワンワラワラ エ♪した。連写だから昨日よりさらに疾走感が増して、みんなみんな日本代表になったような気がし、泣きそうになった。

6月15日(月)

 曇天が続く。
 おとといと昨日の感動で、すっかり頭がからっぽになり、仕事場に来て、自分が今何をすべきなのか、なかなか思い出せなかった。ニック・ウッドおそるべし。
 グレゴリ青山『もっさい中学生』(メディアファクトリー)を読んで感動する。お笑い漫画と思わせておいて、ぐぐっといい話になるところが、やられたっ、て感じである。

6月16日(火)

 この夏は四国遍路ついでに四万十川をカヤックで下ろうと思い、海仲間とともにツアーに申し込んだ。自由気ままに行きたい気もするが、食料の買出しとか料理とかカヤックのレンタルとか運搬とか実に邪魔くさいので、ツアーでいいだろツアーで、ってことになった。
 モーリスさんから電話があり、『ときどき意味もなくずんずん歩く』がまたしても増刷とのこと。んん? 売れているのか。本当なのか? とんと実感はないが、うれしい。生活費の足しになる。

6月17日(水)

 先日、読者の方から私の体の不調は「むずむず脚症候群」ではないかとアドバイスいただいたので、専門の病院に診てもらいに行った。といっても、何か検査をして、その数値でわかるというものでもないから、とりあえず薬をもらって様子見である。
 ついでに銀行に行って通帳記入すると、文庫解説の原稿料も、機内誌の西伊豆特集の原稿料も、読売新聞の空想書店の原稿料も全部入っていて、稀に見る豊かな内容だった。どうせ中古車納品までの命ではあるが、しばしの幸福に浸りたい。
 風が気持ちいい日だったので、夜中にベランダに出て風を浴びた。真夜中のスットコランドは、黒々と闇に沈んで、キャンプの夜を思い出す。

6月18日(木)

 今日も曇天。
 降りそうでなかなか降らない。どうせならどかっと降って、その後さっぱり晴れてみたらどうなんだ。
 もしやと思い、久々に四国の早明浦ダムの貯水量をチェックしてみると、現在37・6%で、順調に減りつつあるようだ。順調に、とか言っていいのか、という問題はあるが、これからしばらく目が離せなくなりそうである。

6月19日(金)

 久々に晴れ間が広がり、小学校の参観日ということで、仕事場へ向かう前に立ち寄った。
 子供のクラスだけでなく、学校のどこを見てもいいということで、何の気なしに図書室へ行ってみたところ、棚を端から見ていくうちに、おおおおおお! と思わず声が出た。
 そこには、私が小学校3、4年のときにハマって、むさぼるように読んだ、岩崎書店のこどもSFシリーズがほぼ全巻揃っているではないか!
 相当古くてボロボロに痛んでいたが、挿絵を見る限り、まさにこれは私が読んだのと同じもの。私はこのシリーズで読書の喜びに目覚めたと言っても過言ではないのだ。
 去年岩崎書店の編集の方にお会いしたときに、SFシリーズには小学生の頃大変お世話になりましたと話したところ、当時のシリーズはとっくに絶版になっていると知らされ、かわりに今刊行されている後継シリーズの本を何冊かいただいた。しかし、それはもう挿絵も題目もすっかり変わってしまっていて、寂しい気持ちになったのだが、今、その往時の懐かしいシリーズに再び出会ったのである。思わず授業中の息子を呼び出し、ついでに担任の先生にも来てもらって、このシリーズはですね...って一席ぶちそうになった。しかしそこはじっと我慢し、一冊一冊手にとっては、ああ、あったあった、これこれ、このイラスト! なんてひとりで盛り上がったのである。たとえば「おちてきた月」という本があって、挿絵は長新太。まさにこの本の挿絵は長新太しか考えられない気がする。また当時私が一番惹かれていたのは「黒い宇宙船」という話で、どんな話だったか今ではさっぱり思い出せないが、「黒い宇宙船」というタイトルを見ただけで、こみあげてくるものがあった。
 そうしてしばし時間を忘れ、頭の中は懐かしさと興奮でいっぱいになって、そのまま息子の授業もほとんど見ないで帰ってきた。
 できることなら、私も小学校に通って、あのシリーズをもう一度全巻読んでみたい。

6月20日(土)

 小学校の学校参観は今日もやっていて、そういうことならと、また図書室へ出かけていった。そうしてこどもSFシリーズをさらに詳しく1ページ1ページ眺めて、おお、このイラストは真鍋博じゃないかあ! とかひとり興奮していた。
 あの頃、SFシリーズは、私にとって血沸き肉踊るというようなものではなかった。むしろもっとクリーンで静謐で、カプセルの中のような穏やかな世界に感じていた。そのあと、私はドリトル先生シリーズへ興味を移していったが、ドリトル先生シリーズも、今で言うならカプセルホテルか病室のような静けさで私を魅了した。なぜあれほどにぎやかだったり、スリリングだったりする物語が、穏やかで静かなものに感じられたのか、今思うと不思議である。なんとなくだが、あの静けさは、村上春樹作品に通じる静けさだったように思う。
 せっかく来たので、少しだけ教室をのぞくと、工作の時間だったようで、てるてる坊主のようなものを作っている息子が見えた。

6月21日(日)

 午前中は、子供を連れて温水プールへ行き、午後からは図書館へ行って恒例の絵本20冊。
 絵本はもう数百冊は借りたと思う。いい絵本にたくさん出会ったけれど、いちいちタイトルを控えていなかった。こんなにたくさん読むことになるなら、最初から読書ノートでもつけておけばきっと面白かった。惜しい。
 ついでにカメラ屋に寄って、取材用に、円偏光フィルターを購入。

6月22日(月)

 通勤時に通り抜ける公園に、おばけのような樹があると思ったら、ケヤキと書いた札がかかっていた。
 ケヤキ? 
 ケヤキの樹はそこらじゅうにあるけど、ちっともこんな感じじゃない。この樹だけ異様に葉が密集して、それが重く垂れ下がりジュラ紀にアロサウルスが食ってる樹みたいなのだ。
 確認のため葉っぱを近くのケヤキと比較してみると、たしかに同じだった。ということは、葉のつき方がおかしいのだ。ドレッドヘアみたいにボトボトになっている。印象的で得体が知れず、しばらく眺めていた。この樹にいったい何が起こったのだろう。
 仕事場へ行くと、クーラーがついたままだった。あ痛たたた。よりによって週末に。

6月23日(火)

 今読んでいる、池上俊一訳『西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇』(講談社学術文庫)が面白い。どこどこの聖なる教会は、あまりに神聖なので、肉を置きっぱなしにしておいてもハエがたからない、とか真面目に書いてある。アホだ。実にアホで愉快。
 そういえば昔、世間を騒がせた某カルト教団の広報誌か何かに、尊師は雨の中を歩いてもまったく濡れませんでした、とか書いてあったのを思い出す。あれも同じ思考回路だろう。昔話ならアホで済むが、現代となると迷惑である。
 きっとそういうことを言い出す人は、自分のねつ造話に感動し、まるで手柄であるかのように吹聴しているうちに、しまいには自分で作ったことも忘れて、すごい奇跡が起こったものだと涙を流したりしているのだろう。つまるところ不思議のカプセルに入ってしまったのだ。
 不思議のカプセルは半透明だから外が見えるが、音と匂いは遮断され、中で自分の思考が反響するのである。カプセルの中にいる限り、自分は安全な気がしてしまう。なにしろカプセルの中にはハエも雨も入ってこない。
 だけど、カプセルだから持ち運びに便利になって、本人はどこかへ連れ去られてしまうのだった。そうして、ウルトラセブンのカプセル怪獣みたいに、時々取り出されて都合のいいように使われてしまうのだ。まったくどうしようもない。どうしようもないけれども、問題は、人には時々、この不思議のカプセルに無性に入りたくなるぐらい凹むことがあるということである。実に参った話だ。
 ともあれ『西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇』は、大当たりだった。次の書評連載で取り上げたい。

6月24日(水)

 昨夜は湿度が90%ぐらいあり、布団が臭ったので、今年はじめてクーラーをつけて寝た。するとずいぶん早く眠りにつくことができ、朝5時過ぎに目覚めてしまった。
 外では、久々にきっぱりとした雨が降っていて、小雨でごまかされるよりずっと気持ちがいいと思い、布団のなかで、みんなが起き出してくるまで雨音を聴きながら気持ちよくまどろんでいた。よし、これからオレはガンガン働いて豊かになるぞ、と実に充実した前向きな気分だったのだが、朝飯食って仕事場に到着した頃には、早起きのせいですっかり眠くなっていた。
 思えば、朝飯の時間まで布団の中で気力を貯めていたのが、痛恨のミスだった。気力は次々湧いてきたが、それを貯めるタンクが予想以上に小さく、すぐに溢れて垂れ流しになっていたのである。こんなことなら、すぐに起きて仕事をすればよかった。
 教訓:気力は貯めないで、その場で使え。

6月25日(木)

 朝から飛行機に乗って、青森県下北半島にある仏ヶ浦を取材に行く。
 仏ヶ浦は、青森では有名な観光地だが、交通の便が悪く、恐山までは行っても、その先の仏ヶ浦までは行かない人も多いようだ。仏ヶ浦よりさらに北の大間崎のほうが、むしろ道路状態がいいようで、つまるところ仏ヶ浦こそが真の本州の最果てとも言える。おかげで何だかんだで到着は夕方だった。
 仏ヶ浦の風景は、この世のものとは思えぬ「猿の惑星」的な感じで面白く、さらに海は青く透明で、個人的にかなり気に入った。
 夜は民宿に泊まり、仕事で来たというと、電源開発の方? と聞かれた。
 違いますと答えたのだが、地方の田舎の民宿に泊まると、よく電源開発の社員と間違われる。日本の僻地には、電源開発の人が徘徊しまくっているのかもしれない。
 考えてみると、私はもともと工学部の土木科出身なので、そういう人生もありえた。そこで、布団に入ってから、卒業してから今までの人生は実は全部夢で、本当は電源開発に就職して、今出張でここに来ている、と空想してみた。
 すると、何にせよ結局こういう場所に仕事で来るのが自分の人生の主要局面だったような、どっちの人生でもべつに変わらなかったような気がした。

6月26日(金)

 昨日は仏ヶ浦を車で攻略したが、今日は船に乗って海から上陸。
 地元の方の案内で、満潮時には行けない浜へ磯伝いに行ってみたり、空いた時間に、潮溜まりにイトマキヒトデを多数発見したりして、面白く過ごした。
 午後は、三沢空港へ向けてレンタカーを走らせる。
 せっかく来たついでに大間崎に寄ったり、小川原湖に寄ったりして、五時間ぐらいかけ空港に到着。いったい誰が乗るんだと思っていた三沢から羽田行きの飛行機に、スーツを着たサラリーマンがどっさり乗っていて驚いた。六ヶ所村が近いから、原発関連か石油備蓄基地関係の人だろうか。あるいはそれこそ電源開発の社員だろうか。
 それが引き金になって、私の頭の中にエネルギー問題が渦巻きはじめ、やがて太陽光発電に思考が飛んで、気がつくといつしか、電気自動車が主流になり、ガソリン車が法律で規制されるような時代がくると、暴走族はどうするだろうか、という問題について考えていた。
 電気自動車は排気音がない。爆音をたてて暴走しようとしても、ちっとも音がしないのである。直線道路でぐわんぐわん蛇行しても、無音。うおりゃおりゃあって深夜の団地をねりまわっても、無音。低速でぐおんぐおんふかそうと思っても、無音だ。暴走する側としては、何のこっちゃと思うだろう。
 クラクションや音楽をかけて、うるさくはできるが、やはり暴走の快感は排気が重要なわけで、それを補うためには、暴走族も変質せざるを得ないのではないか。もちろん大音量で音楽はかけるにしても、ありあまるエネルギーを、ブオンブオンと排気できない以上、そのエネルギーは違う行為に必ず向かうはずだ。何か乱暴な行為によって、それを発散させたい。そのとき彼らは何をするか。
 曲乗りかな。
 みんなで屋根に乗って、アクロバテッィクなポーズをするとか。
 おりゃおりゃあ、てめえら、この超絶演技を見てさらせ! なんていって扇を振ったりして、それはもう山車だ。そのうち屋根に梯子かけて出初式みたいなことになるのではないか、などなど。
 だが、そんなことより、と私の思考はさらに飛んで、無音の電気自動車は、歩行者にとって危険だという問題について、今度は考えはじめた。
 曲がりくねった道や、視界の悪い交差点では、人は車の接近を音で察知するものである。だが、電気自動車になるとそれができなくなる。業界でも、常に小さな音をたてるとか方策を検討しているようだが、せっかく静かになったものを、また音というのも芸がない。もっと別の方法はないか。だがたとえば、臭いだと遠くまで届かないし、光は昼間だとわからない。
 影はどうだろう。
 車が接近すると同時に、巨大な影が空を覆うのである。一天にわかにかき曇り、不気味な黒雲みたいな影がぐおんぐおん渦巻きはじめたと思ったら、電気自動車が来るぞ、という合図である。
 んんん、だけどそれだと、交通量の多い道はいつも真っ暗闇になってしまう。
 ごく普通に考えて、先に誰かが来て知らせてくれるのが一番いいのではあるまいか。ならば、車が来る一足先に、何かがやってきたらどうか。
 それ自体が危険では意味がないので、ぶつかっても問題ないような、ホログラム映像みたいなものがいい。ドライバーは、好きなホログラムを選んで車の前を走らせるのだ。実物と間違わないよう、ちょっと存在感の薄い半透明の、ポケモンとか、バニーちゃんとか、興福寺阿修羅像とかが、「くるよくるよくるよ」とか言いながら道を走ってくるわけである。何を走らせるかは、携帯の着信音みたいなもので、個人のアイデンティティにもなってくるだろう。それはもういろんなホログラムが街中を走り回るはずだ。「くるよくるよくるよくるよくるよくるよ」って、これはなかなか楽しい気がする。
 アイドルなんてそこらじゅう走り回るだろうな。なかには自分の映像を走らせる人もいそうだ。案外、車と同じ映像がデフォルトになったりするのか。
 自分なら何を走らせるかな。コンシボリガイ(←ウミウシの一種)か。 
 そんなことをあれこれ考えているうちに、無事、羽田に到着した。
 今だから言うが、すべては飛行機を乗り切るための、脳の強制的無駄遣いだったのだ。われながら見事な作戦で生還した。よかったよかった。

6月27日(土)

 昼にざるそばを食べる。めんつゆがなくなりそうだったので、大切に水で割ったのだが、よく見ると賞味期限が2006年だった。案外大丈夫なものね、とこともなげに妻は言っていた。他に言ういうことはないのか。

6月28日(日)

 今日も息子のサッカーの練習試合。
 息子の所属するチーム、うりゃうりゃSCのコーチたちは、仕事は別にちゃんとあり、ほとんどボランティアも同然なのだそうで、それで毎週毎週子供たちを教えているという。私などは、毎週息子がサッカーの練習に行ってしまうのでキャンプにも行けない、とボヤいているぐらいなのに、コーチたちは今度の週末は家族でどこかへ行こうとか、そういうことは考えないのだろうか。実に頭が下がる思いである。
 今日の対戦相手は、ずそずわFCと、ズンドコ市の強豪でぞいますFC。
 ずそずわFCとは、今年2月に行われたスットコ市のフットサル大会幼児の部の決勝であたり、そのときはうりゃうりゃSCが勝って優勝したのだったが、5月の練習試合では、負けたのである。すなわち両者はライバルというわけだ。どのクラブにも学年ごとにチームがあるが、例年、うりゃうりゃSCと、ずそずわFCは、低学年の段階ではライバル関係にある。
 ところが、高学年になると、だんだん差がついて、ずそずわFCはスットコ市の常勝チーム、すなわちFIFAスットコランキング小学生の部1位となるのに対し、息子の所属するうりゃうりゃSCは、ベスト8に残ったり残らなかったりする程度のランクに凋落していく。
 たしかに、試合前の練習風景を見ると、ずそずわFCや、ズンドコ市のでぞいますFC(昨年のスットコ、ズンドコ他数市にまたがる一大大会の覇者で、さらなる強豪)と、うりゃうりゃSCではずいぶん違っていて、ずそずわ、でぞいますは、小学一年生にしてパスやセンタリングの練習をしているが、うりゃうりゃは、シュートやドリブルといった個人技しか練習していない。しかも鬼ごっこしたりして、どこか遊びの延長のようなうりゃうりゃに比べて、他の2チームは、コーチの叱責や、怒号が飛び交うほど練習然としている。
 試合になると、その差はさらにはっきりする。
 全員がボールに殺到してだんごになる、うりゃうりゃSCに比べ、DFに数人を残し、まだまだ未熟ながらもチームとして機能させようという、ずそずわFC、でぞいますFCとでは、戦い方の洗練度に差がある。
 小学1年生の現段階では、さほど結果に影響がないものの、それでも当然のごとく、うりゃうりゃSCはカウンターばかり食らっていた。DFが誰もいないから、一度抜かれると、全員で走って戻るしかないのである。FWもDFもへったくれもなく、ゴールキーパーも相手のゴール前まで出てシュートしまくっているし、さらに自分のチームのメンバーとボールを奪い合ったりもしていて、チームとしては実にまとまりが悪い、というか全然機能していない。結果も、2試合とも1点差で惜敗した。チーム力のついてくる高学年になれば、さらにはっきりした差が出てくるだろう。
 のびのびやらせるという方針は理解できるものの、うりゃうりゃSCでも、少しはパスを教えたらどうなんだ、少しずつチームとしての練習を盛り込んでいくべきではないのか、などと私は思うのだが、聞けば、低学年ではパスやセンタリングの練習はさせない、というのが、うりゃうりゃSCのコーチたちの方針らしい。
 うりゃうりゃSCには、中学生のチームがないので、子供たちは、スットコ市ベスト16とか8とか、良くてベスト4ぐらいの実績で、チームを卒業していく。フットサル幼児の部ではこれまでにも何度か優勝しているうりゃうりゃSCなのに、せっかくのポテンシャルが惜しい、惜し過ぎるのではないか、と私は思っていた。
 ところが、である。
 うりゃうりゃSCで育った中学生以上の子供を持つ親の話によると、彼らはそこから先で輝くのだそうである。チーム力の高いクラブで育った子供たちは、才能のある選手にボールを集める癖がつく。一部の才能ある選手は伸びるが、他は自分の役割をそつなくこなすことばかりに長けてしまい、その枠のなかに収まってしまうという。
 一方、うりゃうりゃSCでは、誰にもパスしないわがままな選手ばかり育つ。パスしないどころか、試合中、味方にボールを奪われないよう、仲間同士フェイントかけたりしている連中だ。
 私は特にサッカーに詳しいわけではないが、サッカーで本当に必要な能力はどっちなのか、おおよそ想像はつく。
「One for All.All for One」みたいなきれいごと言ってるから、決定力不足なんじゃないか。
 大切なのは、「One for me.All for me」
 うりゃうりゃSCのコーチたちは、教え子がどこかのチームで徐々に頭角を現しはじめる頃、新しく入ってきた小学1年生たちに、今日もまたパスを教えない。うりゃうりゃSCが、FIFAスットコランキング小学生の部1位になることは、これからもないだろう。もちろんコーチたちが、巣立っていった教え子の活躍を目にすることもなく、指導者として、小学生チームを優勝に導いた、という賞賛を得ることもおそらくない。
 真に頭が下がるとは、このことなのだった。

6月29日(月)

 わが家に先日中古車屋で買ったシエスタが来る日。
 ETCの車載器が、なかなか手に入らず遅れていた。
 これまで乗っていたスプリンターカリブは、廃車になる。どうせ廃車だけど多少は掃除したりして準備していると、それなりに感慨深く、思わず、世話になったなあといった気持ちで感謝する。そうして金を下ろしに行き、カリブに乗って中古車屋へ行くと、シエスタが待っていた。
 中古車といってもそれは他人が言うことで、シエスタは私にとっては新しい車、つまり新車である。そういうのは新車とは言わないという意見もあろうが、問答無用。
 車内も広くなり、スライドドアだし、エアバッグはあるし、カーナビやETCまでついている。実に快適。
 個人的には、とくにカーナビがうれしい。
 これまでわが家のカーナビはダンボールであった。出発前に、ダンボール紙に地図を描いて持ち込むのである。
 普通の地図だと、運転しながらさっと見ることができない。ページをめくるのも大変だし、そのページを見つけても、膝の上で広げていたら、わき見運転になる。
 必要な分岐点を紙に描いて、それ1枚で事足りるようにと思ったのだけれど、やっぱり膝元に置くのでは危ない。とくに首都高速などで、停車もできず、迅速な車線変更が求められるときに、どっちなんだ、と焦っても、ぺなぺなする地図をしゃきっとさせようとする動作に時間がかかる。
 そこで、その地図をダンボールに描くようにし、左手でさっと持ち上げて、一瞬サイドミラーでも見る要領で確認するようにしたところ、ダンボールだから、ぺなぺな垂れ下がったりせず大変有効だった。使い慣れてくると、そのうちコンマ何秒で確認できるようになり、以来、私の車にはダンボールの首都高路線図は標準装備となっていたのである。
 だが、このたびそれも任務終了ということか。
 新しいナビは、中古車屋でまけろまけろとゴネていたら、まけないけどかわりにこれつけます、といってくれたもので、高級品だけど、10年前ぐらいのものである。さっそく走ってみたところ、近所の道がいくつも載っていなかった。高速道路なんかもずいぶん変わっているだろう。
 そうか。そういうことなら、高性能ダンボールナビは、しばらく捨てないでおいて、様子を見ることにしたい。

6月30日(火)

『西洋中世奇譚集成 東方の驚異』池上俊一訳(講談社学術文庫)読了。先に読んだ『皇帝の閑暇』と合わせて、現段階での今年のベスト1か。
 仏ヶ浦の原稿を書いた。
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