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8月1日(土)

 命からがら今日も下る。
 途中新婚の看護士がカヤック中に溺れて亡くなったという、通称"ナースの瀬"なんていうのがあって、凹む。新婚でそんなふうに死ぬなんて、なんてかわいそうなんだ。まったくもって恐怖感あふれる四万十中流である。
 それでもなんとか今日は沈することなく、乗り切った。体力はもうスヘスヘになっていた。
 夕方、河原に上陸して、テントを設営しつつ、携帯の電源を入れると、不動産会社から、いつ戻るのか、早く東京に戻って欲しいという趣旨の伝言が入っていたような気がするが、残念ながらバッテリーももうほとんどなくなっており、再生中に、携帯が真っ黒になって死んでしまった。
 なので、これについては聞かなかった、いや、聞けなかったということで、今はまず生き抜くことに全精力を注ぎたい。なにしろ、山奥に出張なのだ。電波届かないのだ。時々届くけど。バッテリーもないのだ。

8月2日(日)

 カヌー最終日。
 江川崎を過ぎると、四万十川に吉野川が合流して、川幅も広がり、激しい瀬も見られなくなった。昨日までとは打って変わって楽チンな川下り。
 そうなのだ。私が求めていたのは、これなのだよ。セミの声を聴きながら、ゆるやかな流れの中を、のんびり下っていく。四万十川ってそういうもんじゃなかったのか。
 途中目黒川という細い清流でエビを捕まえたりして遊んだあと、これからが私の四万十川だ、と思ったらゴール。河口までのんびり下るつもりだったのに、のんびりコースの手前で終わりなのであった。んんん、ここから先を味わいたかったぞ。
 その後は車で下流の勝間というところにある沈下橋まで移動し、高さ7メートル以上あるという橋の上からみんなでダイブ。そして温泉に行って昼飯食って、中村駅で解散となった。
 期待していたのんびり川下りではなかったけれど、終わってみれば激しいスポーツをした後の爽快感が体に染みわたり、これはこれで面白かったのである。
 さて、みんなと駅で別れたあと、住宅購入問題もあることだし、いい加減に家に帰るかといえば、そうやすやすと帰るわけはないのであって、現在アイルランド留学中の海仲間で、今回四万十川のために日本に戻ってきた翻訳家のたっつぁん(女)とともに、バスに乗って竜串の爪白キャンプ場へ移動。せっかく高知まで来たのだ。わが人生最大の趣味であるシュノーケリングしないでどうするか。
 というわけで、依然として、山奥(海だけど)に出張中の私である。

8月3日(月)

 夜中に、たっつぁんの知り合いの写真家、モハ氏がやってきた。
 聞けばモハ氏も私と同様、カースン・ネーピアさんと仕事しているらしい。奇遇だ。カースン・ネーピアさんは本当にいい人で、拙者ぜひあの人と仕事がしたいんです、とモハ氏は言うのだが、拙者って、いったいどういうキャラ設定なのか、そっちのほうが気になって、カースン・ネーピアさんについての話題は即座にどこかへ行ってしまった。
 さて、爪白キャンプ場の前には、なかなかのビーチが広がっていて、朝からさっそくシュノーケリングを開始する。空は真っ青。絶好の海日和だ。シュノーケルフィンやマスクなどは持ってきたのに、どういうわけか水着を持ってくるのを忘れたので、普段着のまま泳いだ。
 たっつぁんは、カヌーツアー中、河原上陸時に石で滑ってカヌーに激突し、肋骨が折れたかヒビ入ったくさいと言いつつ、ガシガシ泳いでいた。この女はトライアスロンにも出場しようかという猛者であり、肋骨骨折ぐらい屁でもないのだ。
 かつて私はここから少し離れた柏島というスポットでシュノーケリングし、その水中景観の見事さに、つまりサンゴの豊富さに感動したことがある。ところがあれから十年がたち、その間に柏島のサンゴはほぼ全滅したと聞いていた。なので、今回高知の海に生きたサンゴがどのぐらいあるのか、とても気になるところだったのだが、爪白の海中には、そこそこサンゴがあって、そのどれもが生きていた。素晴らしい!
 サンゴの白化現象の深刻さに比べれば、住宅購入など実にちっぽけな問題だ。不動産屋も銀行も、早く帰れとか金貸さないとか、何を小さいこと言っているか。グダグダ言ってないで、一度みんなで、海にプカプカ浮かんでみたらどうか。
 午後になると水が濁ってきたので、場所を変えることにした。モハ氏の車で海沿いに走って、樫西のキャンプ場に移動。今度もなかなか素敵なキャンプ場で、人も少なく、海まで断崖を降りて行かねばならないが、この海がまた透明度が高く、岩場も多くて、生き物豊富な気配がプンプン臭っていた。
 とりあえず、この日はテントを張って、晩飯食って明日のシュノーケリングに備える。もうこれでテント6泊目だ。こんなことしてるから銀行も私に金貸したくないのではないか、という気がしなくもないが、もう家なんか買えなくてもどうでもいいような気がしてきた。このままずっとテントでも生きていけそうな感じがする。
 夜空にかかる月を見上げながら、ああ、今オレは夏を満喫しているなあ、と思う。子供の頃に憧れた、どーんとでっかい夏とは、こんな夏のことなんだ。カヌーで激流を下り、時にはライフジャケットを着て体ひとつで濁流を下り、橋から飛び込み、海に潜って、不思議な生き物を探す。
 家よりまずそっちだろう、人生の優先順位は。

8月4日(火)

 今日は樫西の海をシュノーケリング。
 沖縄近海で台風8号が発生したとのことで、うねりが入って、海が濁りはじめていた。そこで、ビーチの目の前にある島の裏側へ向けて泳いでいった。少しでも沖に出れば透明度が高いのではないかと思ったのだ。そしたらこれがビンゴ! であった。水深20メートルぐらいに落ち込んでいるあたりから透明度がよくなり、鮮やかなソフトコーラルなども見られるようになって、大満足。うねりのせいで一ヶ所に留まってじっくりと生き物を観察できないのが難だったが、明るく透明な海に浮かんでいるのは、それだけで気持ちがいい。
 
 テントに戻ると、持参していた太陽電池がたっぷり充電していたようで、携帯が繋がった。そして不動産屋から、信用金庫のローンが通った旨、連絡が入っていた。
 いったいどこの世界の話だ、という気がした。
 ともあれ、そういうわけなので、夜にはモハ氏の車で中村駅まで送ってもらい、ここでモハ氏、たっつぁんと別れると、久々の宿をとり、海で使ったさまざまな道具を宅急便で自宅に送り返して、明日からひとり四国遍路である。
 まだ、帰らんのか、という意見もあろうが、四国遍路は仕事だからしょうがない。

8月5日(水)

 今回のお遍路は四万十川の河口手前にかかる四万十大橋から。
 今年の3月にドイツ人のばあさんとともに、ここまで歩いたのだ。この先、宇和島から今治までは5月に歩いたので、今回の目的地は宇和島である。そうすれば徳島の霊山寺から今治までの道を全踏破したことになる。
 中村からタクシーで四万十川大橋まで運んでもらい、前々回の続きを歩き始める。正直なところ、昨日までのような快晴だと、暑すぎて歩けないのではないかと恐れていた。夏の遍路は地獄だと聞いている。ところが実に好都合なことに、天気は下り坂で、どんよりと重たく曇り始めていた。今にも降りだしそうな空。
 おう、降れ降れ、どんどん降れ。
 カヌーでも海でも普段着で濡れまくったのである。濡れるのなんかちっとも怖くない。
 長いトンネルを抜け、大岐海岸という美しいビーチを歩き、今日の宿に着いたのが午後2時半だった。まだまだ歩けると思い、荷物を置いて、さらに先へ進む。行けるところまで行ったら、宿のご主人が車で迎えに来てくれるとのことだった。
 スタスタと足摺岬の金剛福寺に向かって歩いていく。が、歩き出した途端にポツポツ来たなと思ったら、いきなりの豪雨。
 晴れるより雨のほうがマシと思っていた私も、さすがの激しい雨に辟易した。
 体や服が濡れるのは構わないし、荷物は宿に置いてきたのでいいのだが、問題は靴だ。靴の中にドボドボ水が入り、靴下も足もぐっしょり濡れた。これは大問題で、そうすると、足がふやけてマメが大量発生することになる。いちおうスパッツも用意して靴に水が入り込まない工夫はしていたつもりだが、そんな小細工はまるで通用せず、2時間ぐらい雨の中を歩いたら、マメが一挙5つも出来たのである。
 歩くときは晴れないように祈っていたが、こんなことなら晴れたほうが、まだましだったかもしれない。

8月6日(木)

 今日も朝から大雨。沖縄に台風が来ているらしい。
 そんななか足摺岬目指して歩いていく。昨夜どっぷり濡れた靴は、ちっとも乾いておらず、歩き出してからものの十分で靴下から何からびしょびしょになった。マメがますます増殖する気配を感じながら、黙々と歩く。すでにここしばらくなかったほどの痛みで、まともに歩けなくなってきていた。
 通常は1時間おきに休憩して、靴と靴下を脱ぎ、蒸れ防止のために裸足になるようにしているのだが、こうなってはそれも無意味だ。
 さすがに心が折れそうになってきた。
 おまけに、住宅購入とローン問題で、11日までには絶対自宅に帰れ、と妻からの指令が入っており、計算すると、宇和島まで歩くには、1日たりとも休んだり、距離を少なくしたりできないことになっている。雨であろうと何だろうと、とにかくガシガシ歩くしかないのだ。もはや休んでも足はどうにもならないので、ほとんど休まずに前進した。そうして大雨の中、個人的に一日の最長不倒距離である33キロを歩いて、瀕死の状態で宿に入った。

8月7日(金)

 ようやく天気は回復し、ときどき雲間から薄日が差すなかを、三十九番札延光寺に向かって歩く。しかし昨日までに出来たたくさんのマメが、歩行を阻む。
 午後になると空は晴れ渡り、今度はものすごい熱さ。瞬く間に靴も乾いた。全身に日焼け止めを塗りまくって、水分も取りまくって前進するが、頭が朦朧として、世界が陽炎のように見えはじめた。ボーっとして、今どこを歩いているのかわからなくなったりする。おかげで標識を見逃してしまい、必要のない遠回りをするハメになって、マメが痛いのに、まったく我ながら腹立たしい。
 しかも間の悪いことに、だんだんウンコしたくなってきたので、地図にあるスリーエフでトイレを借りようと思っていたら、潰れてなくなっていた。なんちゅうこっちゃ。
 攻め寄せる猛烈な下痢の波と戦いつつ、延光寺近くの宿に入ったときには、もはや四国遍路脱落寸前といった体であった。きつい。今回は実にきつい。
 ようやく下痢を撃破して、人心地つくと、携帯にZ社モーリスさんから電話があり、文庫『ときどき意味もなくずんずん歩く』また増刷の知らせが入っていた。実はニック・ステファノスさんから、事前に「もうすぐまた増刷の知らせが行くと思いますので、楽しみにしておいてください、くくく」という喪黒福造みたいな連絡が入っていたので、驚きはしなかったが、どうやらニックさんが裏で暗躍しているらしい。いろいろアコギな手を使っていることと思う。モーリスさんといい、ニックさんといい、まったく感謝の言葉もない。

8月8日(土)

 今日の行程は、四十番札所観自在寺までの30キロ弱。
 マメは痛いし、太陽はギラギラ照りつけるし、これほど楽しくないお遍路は、最初に徳島市内を歩いたとき以来だ。
 松尾峠という標高にして300メートルの、これまでに越えてきた峠に比べれば取るに足らない楽勝ルートが、予想外にきつかった。どうやらマメのせいだけではなく、私は疲れているらしかった。
 そうだろうそうだろう。カヌーで四万十川を下り、その後海でシュノーケルして遊び、その間ずっとテントで泊まっていたのだから、体に疲れが溜まって当然だ。とはいえ、野宿しながら四国を通しで一周歩いている人もいるのだから、このぐらいで根をあげるわけにはいかない。
 そう思ってなんとか松尾峠を越え、観自在寺を打って、近くのホテルに投宿。あと1日半歩けば、宇和島だ。
 マメにはいつの間にか血が滲んでいた。

8月9日(日)

 朝起きてみると、愛媛県南予地方に、大雨洪水雷警報が発令されていた。
 なんでも先日の台風8号に引き続き、南海上に熱帯低気圧が発生し、これが台風に発展しそうな勢いで、こちらに向かってきているらしい。昨夕から徐々に天候が悪化し、朝目覚めて外を見ると、激しい雨になっていた。
 即座に本日の停滞を決定。これ以上靴を濡らしながら歩けば、マメは足全体に広がって、通常の歩行さえ困難になるにちがいない。こういうときは無理せず停滞だ。と即座に判断したはいいが、そうなると、妻の指令通り11日に帰るには、明日一日で宇和島までの40キロを歩く必要がある。んんん、40キロも歩けるだろうか。
 すでに気力は十二分に萎えており、宇和島到達は諦めたような気持ちである。

8月10日(月)

 依然として雨。大雨洪水警報もいまだ解除されていない。それどころか熱帯低気圧は台風に進化し、ますます日本の太平洋岸に肉薄中とのことである。靴さえ濡れず、マメさえなければチャレンジしないこともないが、すでに私の気持ちは大きく下降しており、宇和島をあと40キロに控えてギブアップすることを決断した。
 んんん、無念。
 これまで目標とした町までたどり着かなかったことはなかった。マメが出来ても、なんとか歩き切ってきたのである。それがあと40キロというところで、撤退とは。なんという屈辱だ。
 そうして「南レク御荘公園前」というバス停からバスに乗って、松山でJRに乗り換え、岡山から新幹線で東京に帰った。
 もはやヘトヘトに疲れており、食事を作るどころか、めし屋に出かけるのもしんどいので、コーンフレークと牛乳を買って、それを食べたら、泥のように眠った。

8月11日(火)

 朝5時すぎだったか、地震で目が覚める。
 東名高速で路面が崩れ、通行止めになったらしい。新幹線も大幅な遅れが出ている。昨日のうちに戻っておいてよかったのかもしれない。
 今日もまだたっぷり疲れが残っており、不動産屋に、山奥の出張から帰宅した旨電話を入れ、届いていた書類にひと通り目を通すと、あとはまたしても泥のように眠った。

8月12日(水)

 不動産屋と信用金庫に行って、ローンの契約。
 いまだ頭の中がもわもわして、現実界に戻れていない気分。そのせいか、マンションの駐車場を出るところで、先日買ったばかりのシエスタの側面をガードレールに擦ってしまった。運転に支障はないが、ずいぶん目立つ摺り傷が出来てしまい、がっかりする。一生で最も出費がかさむと言っても過言ではないこの時期に、車擦るか。
 ただ、がっかりするのも、案外体力がいるものなので、今は疲れている分、がっかり度も薄かった。元気ハツラツな時じゃなくてよかった。
 そうして薄靄のかかったような頭の中で、どうやら私は家を買うことになったらしい、という事実がチカチカ点滅するのだが、まったく何の感動もない。金があるから買ったのではない。貯金がなくなりそうなので、そうなる前に買ったのである。ついにわが家を手に入れたというような達成感とは、まるで無縁なのだった。

8月13日(木)

 いまだ帰省中の妻からの指令により、朝から引越し業者を呼んで、見積もりを出してもらう。前から思っていたのだが、引越し業者の値引き合戦はすさまじいものがある。私は、あちらさんはいくらと言ってますが、みたいな形で値引きを強要するような駆け引きが、なんとも心苦しく、もう言い値で十分安いんだから、それで決めようと思うのだが、妻に確認の電話を入れると、もう1社呼べ、と言われ、丁重にお引取り願って別の業者を呼ぶと、ますます値段が低くて、これでいいじゃないかと思ったら、さらにもう1社呼べとの指令。3社目はさらに値が下がって、信じられないような金額で落ち着いた。あまりに安いので、気の毒なぐらいである。先の2社に断りの電話を入れるのも、大変申し訳ない気分だった。そういう値引き交渉とか賃上げ交渉の類が、実に苦手だ。こう見えても、私は善良で気弱な一市民なのである。

8月14日(金)

 引越し業者からダンボールがどっさり届く。こんなにいっぱい箱詰めして、引越し当日までこのマンションの中で暮らせるのだろうか。部屋中がダンボールで埋め尽くされそうな気がする。
 そういえば、先日の地震で、崩れてきた本に埋もれて死んだ人がいたらしい。実に身につまされる。今まで本に埋もれて死ぬなら本望とか、冗談でそんな話はしてきたけれども、実際にそうやって死んだという話は聞いたことがなかった。人は本の下敷きになって本当に死ぬらしい。冗談ではない。新しい家では本棚を重ねないで使うことにしよう。

8月15日(土)

 カヌーとシュノーケルと四国遍路とローンと引越しのダンドリで、ここしばらくちっとも原稿を書いていなかったが、今日は久々に仕事場へ行って原稿を書いた。
 いまだ頭の中は、四国でいっぱいである。

8月16日(日)

 快晴。
 朝、仕事場へ出かけるため、隣の公園の中を通過すると、セミの大合唱に包まれる。まるで敵のいかなる攻撃もはね返す強力なセミシールドの中に入り込んだ気分。セミシールドは、常に木々の枝や梢から補完され、次々と空間に見えない膜を塗り重ねながら、地面に浸透していく。
 これこそ、夏だ。
 シーシーシーシーというクマゼミの鳴き声が、たっつぁんは、「よっしゃよっしゃよっしゃよっしゃ......」に聴こえると言っていた。そう思って聴いてみると、たしかに「よっしゃよっしゃよっしゃよっしゃ」と鳴いている。
 この公園を歩いて仕事場に行くのも後わずかだと思い、しばらく木陰にたたずんで、セミシールドの圧倒的な夏感を味わった。

8月17日(月)

 9秒58?
 ほんまかいな。
 ベルリン世界陸上でウサイン・ボルトがまた世界新を出した。人間がこんなタイムで100mを走るなんて、常識では考えられない。
 ということは、常識のほうが間違っていたということである。案外人間はこんなタイムで走るものなのだ。思うに、アフリカの発展途上国などを探してみれば、ちゃんとスパイクを履いてトラックを走ると、このぐらいのタイムで走れる人間がまだまだいるに違いない。
 ウサイン・ボルトは氷山の一角なのである。
 
 夜は新宿で高野さんや編集の人たちとともに飲む。
 私は、高野さんや内澤さんとともに、エンタメノンフ世界の住人という位置づけにいつの間にかなっていて、3人で今度トークショーをすると、エンタメノンフ三銃士などと銘打たれてたりするのだが、自分自身ではエンタメノンフ界に組み込まれることに、微妙な違和感というか、気恥ずかしさのようなものがある。
 自分は本当はその世界の住人ではないのではないか。
 エンタメはいいとしても、ノンフィクションかと訊かれると、どうも、はいそうです、と答えられそうにない。ノンフィクションといえば、隠された真実に迫るとか、実情を暴くとか、何かを告発するとか、そういう深みのようなものが不可欠な気がするが、私はとくに真実に迫る気はなく、自分の気分で書いているので、そうなるとそれは単なるエッセイの範疇を超えていないのではあるまいか。
 べつに卑下しているわけでも、逆にオレの器はもっと大きいなどと言いたいわけでもなく、ごくフラットにそう思うのである。
 そういう話を高野さんにすると、宮田さんの作品は十分エンタメノンフです、と断言された。そうなのかなあ。
 まあジャンル分けに、そんな厳密さを求めてもしょうがないんだが。
 
 飲み会の前に、新宿のジュンク堂に立寄ると、私の『スットコランド日記』発売記念で、「タマキングの偏愛に満ちた読書生活」と題して、『スットコランド日記』の中に登場するさまざまな本をひとつの棚にまとめて売っていた。うれしい反面、そんなことに棚使って、大丈夫なのか心配になった。村上春樹の選ぶアメリカ文学とか、椎名誠が偏愛する旅の本とかならわかるが、タマキングとか言っても誰も知らないだろう。
 この棚に反応する人がいるかどうか、しばらく遠目に見張っていると、初老の男性がひとり立ち止まり、胡散臭げな目つきで、じっと睨んでいるのを発見した。私はそれがシャドー星人が変身した姿であることを一発で見破り、背後からエメリウム光線を浴びせようとしたが、間一髪逃げられた。

8月18日(火)

 朝から業者と打ち合わせたり、役所に行ったり、引越しに向けて、お前は誰だというぐらい働いた。仕事でもこんなに働いたことはない。

8月19日(水)

 今日も、信用金庫に行ったり、また役所に行ったり、あちこちの業者に電話したりして、お前は断じて宮田珠己ではないというぐらい働いた。
 そんななか『スットコランド日記』についてのインタビューを受ける。

8月20日(木)

 帰省中の家族戻る。
 引越し関連業務であまりに忙しく、今日一日何をやったのかまるで記憶がない。私はフリー稼業だから、この忙しさに仕事返上で対応しているが、会社勤めで家を買ったりしたら、みなどうしているのか。

8月21日(金)

 妻はこのWEB連載を読んだことがなく、『スットコランド日記』が刊行されてようやく手にとって読んだらしいのだが、いきなり本日、
「まるで自分が家族思いのマイホームパパみたいに書いてるじゃん」
 と厳しい目で詰め寄ってきた。
「ん? 家族思いだろが!」
「どこが?」
「毎日夕食には帰ってくるし、子どもを風呂に入れてるし、土日は子どもと遊んでるではないか。今どきそんなに長い時間、家族と過ごしてるサラリーマンは、絶滅危惧種に指定されてNPOが保護してる個体だけだぞ」
「しょっちゅう旅行行ってるくせに」
「仕事だっちゅうに」
「仕事でカヌー?」
「ん? まあ......あれは出張と言っても過言ではないのではないかな......」
「銀行の人から再三電話かかってきて、ご主人とどうしたら連絡取れますか、今どこにおられますか、って慌ててたから、思わず、今カヌーに乗ってるので電話に出られないと思いますって答えたわよ」
「......」
「銀行の人、カヌーですか? って絶句してたわ」
「......」
 だってせっかく夏に四国に行くなら四万十川でカヌーしたいじゃないか......っていうか妻おぬし、何を正直に答えとるか! そんなこと言うから、住宅融資断られたんと違うんかあ!

8月22日(土)

 建設会社の人から、新しい家の現場説明を受ける。
 私はどうやらこの家に住むらしい。そんなことを思いつつ、感慨に浸ろうとしていると、妻が、
「建設会社の人、誰かに似てると思ったら、シュワルツェネッガーだ」という。
 どうでもいいぞ。
 どうでもいいが、たしかに似ていた。
 ターミネーターは、夏休みを千葉の海で過ごしたそうだ。いい色に日焼けしていた。
 そうして「アイルビーバック(また顔出します)」と言って、帰っていった。

8月23日(日)

 昨夜というか今朝、世界陸上の4×100メートルリレーだけは観ようと、がんばって起きていたのだが、不眠症のくせにこういうときに限ってどうしても眠くなり、午前3時にダウン。終わってみれば、べつに見たくもない織田裕二の顔ばかり何時間も観ただけの夜更しであった。

8月24日(月)

 引越しのため、本の整理をしている。これがちっとも終わらない。本ありすぎ。
 なるべく捨てるなり、売るなりして、本を減らそうと画策しているものの、なかなか思い入れがあるものばかりで捨てられない。そんななか、あるジャンルの本だけは、急速に興味が失せて、捨てまくっている。かつては思い入れたっぷりだった本たちなのに、最近はどういうわけかちっとも食指が動かない。そのジャンルとは、「廃墟」である。
 廃墟は辛気臭い。というか、そんなもん最初からわかりきったことであり、その辛気臭さを超えて愛してこその廃墟趣味といえるのだが、いつの間にか廃墟にピンとこなくなっている自分がいた。今回、廃墟関連本や写真集は、まとめて処分することになりそうだ。
 あるいはこれは、近親憎悪というやつかもしれない。きっと自分自身が廃墟化しているのだ。

8月25日(火)

 ついに本日、正式に家を買った。信用金庫へ行ってン千万もの借金と、土地建物代金の支払い。通帳に一瞬、目もくらむような金額が印字されたかと思うと、次の瞬間には、それらははるか海の彼方、ニライカナイの方角へ消え去っていった。すべては紙の上の話で、大きな買い物をしたんだなあという感慨とか、そういうものはまったく湧いてこず。
 ある友人が、家を買ったとき、ストレスで円形脱毛症になったと言っていたが、私としてはむしろ、これまでの家賃よりローンの月払い分のほうが安いので、ホッとした気分のほうが強い。計算上は70過ぎてもローンを払い続けなければならないため、老後の収入をどう確保するのかという問題があるが、たぶん70前に死ぬだろうから、全然心配していない。それどころか、依然として、迷路のような家を建てるという夢も捨てていないのだ。
 午後は、カーテンレールなどの工事立会い。

8月26日(水)

 引越し準備。ほぼ徹夜。
 日記を書くひまがない。

8月27日(木)

 引越し。
 ほぼ10年ぶりの引越しである。長年住んだマンションを引き払うわけだからそれなりの感慨が湧いてきてもよさそうなものだが、朝8時から引越し業者がやってきて、そそくさと荷物を運び出しはじめたので、まだ梱包していない荷物のダンボール詰めに追われて、感慨にふけっているひまもなかった。あっという間に、ダンボールの悉くを持っていかれて、まだ残っている荷物を詰めている私の後ろで、早くしてくださいと言わんばかりに立ち尽くされたりして、引越し業者効率良すぎ。
 まったく目を見張らんばかりの働きぶりだ。半日で私の1か月分ぐらい働いていた。私なら1箱持つのに精一杯の、本がいっぱい詰まったダンボールを、彼らは一度に2箱軽々と運ぶ。私も毎日これぐらい働いたら、自分の人生、きっと何事かを成すにちがいないという気がした。
 最後に、スットコランドのスットコランドたる眺めを一瞥すると、掃除は妻に任せ、私は引越し業者を迎え撃つべく、そそくさと新居へ向けて出発。
 新居でも荷物はどかどかどかっと運び込まれ、これはどこですか、この箱はどこに、これここでいいですか、というめまぐるしい質問に対応しているうちに、ここにサインしてくださいと言われ、言われるままにサインすると、引越し業者は竜巻のように消え去っていった。
 これが仕事というものだと、家が変わったことより、そのことが強く印象に残った一日だった

8月28日(金)

 今朝早く、私は、船に乗って安芸の宮島に上陸しようとしていた。
 湾内には、歴代の多くの鳥居が傾いだり、朽ちたり、半ばで折れたりして、埋没しており、そんななか現在の鳥居は、湾のかなり奥まった位置に移設されていた。周囲には熱帯の植物が生い茂り、派手な原色の鳥や、色とりどりの大きな花が咲き乱れて、まるで『高丘親王航海記』に出てくるジャヤヴァルマン一世の後宮へ向かっている場面であるかのようだった。空には日が高く昇り、体がジリジリ焼かれて暑い。とても暑い。熱帯地方なだけあって、あんまり暑いので目が覚めた。
 新しい家には、いまだカーテンがついていない。東向きの部屋に寝ている私は、朝っぱらから直射日光のなかに横たわっていた。
 ところでありがたいことに、ニック・ステファノスさんが、はるばる引越しの手伝いに来てくれた。のかと思ったら、ふと目を離したすきに、息子の持っているJリーグカードをとりあげ、これは悪い奴、これは裏切り者、これは敵、などと分類して、息子を洗脳していた。

8月29日(土)

 本日、かつてご近所だったB型父さんに、キャンプ行きませんかと誘われ、心ぐらぐらに揺れていたのだが、ぐっとこらえてダンボールの開梱作業。午後からは仕事場へ。
 引っ越しても、仕事場は変わらない。
 今回の引越しは、崖の上に立つマンションから、崖下のスットコランド真っ只中へ引っ越したような形で、これまでと住所はそれほど変わらない。どこかの地方都市にでも引っ越そうかと、あれこれ悩んだ挙句、結局は子どものことを考えて近所になった。それに、もし遠い場所に引っ越すと、いきなり家を買ったりできないから、まずは賃貸ということになるはずで、そんなことしていると貯金はますますなくなって将来頭金が出せなくなるから、いっそ買う方向で検討した結果、勝手知ったるスットコランド圏内で引越しということになったのである。
 ここで思い切ってギリシャに移住とか、そんなことでもすれば作家っぽいのであろうが、ギリシャにとくに用がなかった。
 新しい家から、仕事場までは、これまでと同じぐらいの距離。コンビニやスーパーやレンタルビデオ屋を経由して通勤していた今までと違い、田んぼや牧場を経由して歩いていく。計ってみると、これまでとまったく同じ時間で到着した。
 結局、引越しはしたけれど、心機一転という感じはあんまりしないのであった。
 この連載のタイトルも、スットコランド日記のまま変更なしである。

8月30日(日)

 久々に息子のサッカーの応援に出かける。
 息子はスットコ小学校から、ウンボコ小学校に転校になったが、所属するサッカーチームは変わらない。
 今日は衆議院選挙の投票日で、民主党が自民党を破って政権交代するのではないか予測され、歴史的な選挙になりそうである。こういう選挙には是非参加したいものだと思ったが、サッカーの後、さっそく投票に行ったかというと、行ったのはホームセンターで、物干し竿とかホース、脚立などを買ったのだった。できれば私の部屋のカーテンも買いたかったが、そこまで手が回らず。 
 

8月31日(月)

 新しい家の2階の窓から、一本の大きな樹が見える。
 以前のマンションからのような広大な景色はもう見えないけれど、家のすぐそばにはウンボコ川が流れていて、その川の対岸に大きな樹があって、少しは心和ませられる。そしてその脇に車の通れない細い道が、ゆるやかに登りながら続いていて、その先にこんもりとした林も見える。
 私は部屋の片付け作業をしながら、ときどき手を止め、窓からその林の丘を眺めては、あの向こうには何があるのだろうと思いを馳せた。地図を見ると、そのずっと向こうは、ピカピカタウンと呼ばれる新興住宅地がある。だが、ピカピカタウンまでは少し距離があって、林の向こう、ピカピカタウンの手前には、広大な土地があるのである。
 そこには何があるのだろう。地図ではほとんど空白になっている。いまどき地図上で空白になっている土地だなんて、まったく正体不明じゃないか。
 そのうち探検したい。
  
 夜、窓を開け放して寝ていると、ウンボコ川の瀬音が聴こえてきた。
 こないだまで住んでいたマンションの、あの広大な景色はもう見えないが、ここもなかなか悪くないんじゃないかと思った。
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