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11月1日(日)

 B型父さんがモツ焼きを食べに来ないかというので、家族でお邪魔する。
 ちょうどマンションの横で花火大会があり、ドン、ドンという音がし始めたので、子どもたちと屋上に駆け上がった。
 花火は、頭上でパッと弾けたかと思うと、その後われわれをまるでからめとろうとするかのように、プツプツと糸をひいて前後左右に降ってきた。
 まさに真上で開くため、いったいどのぐらいの高さまで上がっているのか、距離がつかめない。火の粉が全天を覆い、ドームの中にいるようだった。
「すごーい!」
 妻大興奮。娘はあまりの音の大きさと、今にも降りかかりそうな火の粉に動揺し、私の腕の中で逃げようともがいた。
「やだ、こわい、こわい」
「大丈夫。火の粉はここまで落ちてこないから。近くに見えるけど、ずっと高いんだよ」
 ドーン、プツプツプツ......。
 こんな真下で花火を見たのは、初めてかもしれない。
 いいなあ、花火。
 ドーン、プツプツプツ......。
 大きな火の粉が落ちてきて、すぐそばに着地した。
 本当に落ちてきたがな。
 娘、ますます大暴れ。 

11月2日(月)

 ジェットコ仲間の市川さんから、芝刈りは実につらい、というメールがきた。その理由を整理すると、こうである。
 
 ・アイロンみたいなバリカンで刈るのだが、ほぼ四つんばいで庭の隅から
  隅までバリカンをかけるというのは、腰に多大なる負荷がかかる
 ・たまに小石の上に膝をついたりして痛い
 ・慎重に高さを揃えないとトラ刈りになるので、気を使う
 ・その刈った芝をクマデで集めるのがまたつらい。短く刈った芝はバネの
  ようにコシが強くなり、集めようとする反対側に、刈られた芝をピンピ
  ン跳ね飛ばす
 ・かといって、刈り落とした芝をそのままにしておくと、見栄えが悪い 
 
 結局「油断するとススキ、ぺんぺん草、スギナ、貧乏草みたいのがじゃんじゃん生えちゃって、4年くらいで芝生は挫折しました」とのこと。
 私は思うのだが、小さい頃から自然と親しむのは情操教育にとてもいいのではないだろうか。ぜひ子どもに芝刈りを体験させてやりたい。うちの子どもが飽きてきたら、遊びにきたよその子なんかにも定期的に体験させたい。

11月3日(火)

 昨日雨が降って、急に寒くなった。
 いよいよ冬が来るか。
 明日から関西と四国に行くので、その準備。

11月4日(水)

 新幹線で大阪へ。
 車内でイタロ・カルヴィーノ『パロマー』(岩波文庫)を読む。ときどき爆笑。
 関係ないが、車内放送でよくこんなことをいうので、そのたびにハッとする。
 We will soon make a brief stop at Nagoya.
 (われわれはもうすぐ名古屋で、ブリーフ停車するであろう)
 ブリーフ?
 ブリーフ停車って何だよ。パンツ履きかえるのか。
 お前ブリーフの意味も知らんのか、学校で何勉強してたんだ、と言われそうだが知らん。もしくは忘れた。今すぐ辞書で調べることもできるけれども、面白いので、このまま知らんで生きていこうと思う。
 ブリーフ停車って何なんだ......。
 ブリーフ×停車......。
 あるいはstopは停車じゃなくて、やめ、とか、中止とか、そういう意味なのか。トランクス派でよかった......ってそういう話か?
 真実というのは、ときに知らないほうが面白いのだった。

11月5日(木)

 関西大学で講演。テーマは「東アジアの思想と宗教」ということで、ベトナムの盆栽ホンノンボについて話した。
 広めの教室ぐらいで話すつもりでいたら、交響楽団がコンサートできるぐらいの大ホールだったので、聴いている人の顔も見えず、小さなギャグとか喋る気もなくなった。なぜ私がこんな場に呼ばれたのか、さっぱり謎だ。
 講演を終えて、控え室で教授の先生方と話したが、どうにも場違いな場所にいるようで落ち着かなかった。しかも意外なことに先生方にはずいぶん好評で、ますます何かの罠か、壮大なジョークの一部ではないかという気がした。
 まあ、いずれにせよ、このところずっとこの講演のことが気にかかっていたので、やっと終わって、肩の荷が下りた。
 前にも書いたけれど、最近の私はずっと地に足のつかない感じが抜けず、目先のやるべきことに気をとられて、どこに向かって走っているのか自分でも把握していないという混乱に表面下で巻き込まれており、外見上はこれまでと変わらなくても、内心では、どこかにアンカーを下ろさなければ、このままなし崩しの人生を送ってしまうという危機感を強く感じていた。そして、この講演が終わったら、投錨作業に着手しようと手ぐすねひいてこのときを待ち構えていたのだけれど、ぐるぐる回る頭の中は、すぐに作業にとりかかるどころか、まず船体を安定させることが先という混乱の体で、何ひとつ落ち着いて考えられない。
 しばらく四国で、クールダウンしてこようと思う。
 今や四国は、私にとってチャレンジの場でも、取材の場でもなく、疲労回復と頭の整理の場になってきた。

11月6日(金)

 四国遍路のため、JR予讃線の伊予三島へ向かう。
 実家にあった杖を持っていく。父が熊野で買ったものらしく、なんとなく放り置かれてあった。那智山なんて書かれた辛気臭い杖を置いておいてもしょうがないので、私が四国で使ってどこかの寺に収めてくるつもりだ。

11月7日(土)

 伊予三島から歩きはじめると、ふだんは杖など持たずに歩いているので、リズムが狂い、どういうわけかつい大股で歩いてしまって、腿の付け根が痛くなった。おまけに、昔腱鞘炎で痛めた右手首をまた痛めそうな気もして、いったい杖など何の役に立つのかと、訝しい思いがした。
 境目峠を越えて、ついに愛媛県を後にする。

11月8日(日)

 四国遍路で最も標高が高いところにある六十六番札所雲辺寺へ登る。
 へんろころがしと呼ばれる難所のなかでも五指に入る登山道だが、それほどきつくもなかった。むしろ歩きやすく美しい道で、歩いていて楽しかった。
 雲辺寺には、オタノミナスという、ナスの形をした石の彫り物があって、これに座ると願いが叶うそうである。アホらしいので、座って願掛けした。
 山を下り、六十八番、六十九番が同居する観音寺まで来ると、気分がこれまでと大きく違ってきたことに気づく。いよいよ香川県に入って、"旅の終わり感"が急速に胸に湧き上がってきたのである。ひたすら歩けば、ここから結願まで一週間もかからない計算だ。
 私は区切り打ちだから、よくここまで歩けたなあとは思わないけれど、それでも四国をぐるりと味わったという思いが心を満たして、寺に入ると祝福されているような気分になった。

11月9日(月)

 香川県は犬のウンコが多い。
 本当である。道を歩けばそこらじゅうにウンコが落ちている。
 犬の糞八十八ヶ所──というフレーズが浮かんだが、原稿では使えないだろう。香川県にケンカ売ってもしょうがない。
 ちなみに愛媛県は蜘蛛の巣が多かった。
 弘法大師生誕の地、善通寺に泊まる。

11月10日(火)

 朝の勤行に参加した後、次々と札所を打っていく。
 香川県は寺が密集していて、あっという間に朱印が貯まる。
 今回はここまで雨に降られず、マメが出来なくて助かった。しかし、今日昼過ぎになってついに雨。かなり強く降ってきたので、歩くのを止め、電車で高松に出て宿を取った。
 遍路道は、善通寺から先、ほぼ電車に沿って歩くようになっていて、止めようと思えばどこでも止められる。それはつまり、高松を拠点にして、電車通勤でお遍路できるということである。そうすれば重たい荷物は宿に置いて、軽荷で歩けるから便利だ。高松の先も、JRはないが琴電が通っているから、八十七番まで通勤可能である。
 ところで、今回の四国では、自分の今置かれている状況をじっくり見つめなおすつもりだったのだが、歩き出すと、どうしても歩くことに集中というか、それを楽しんでしまって、自分全体のことに考えが及ばない。

11月11日(水)

 今日も一日雨が降り続くようなので、お遍路はお休みにした。
 足摺で大雨のなか歩いてマメだらけになって以来、雨即やめ、というサーモスタットのような回路ができてきた。
 そんなわけで時間が余ったので、小学生の頃住んでいた土地を見に行くことにした。
 私は幼稚園のときと、小学生のときと、合計3度高松に住んだことがある。どれも一年程度の短い生活だったが、小学2年の夏から3年の夏まで住んだ家のことをかすかに覚えている。
 実は大人になってから一度来て、当時住んでいた家がなくなって駐車場になっているのを確認したことがあるのだが、今回はさらにトンネルの記憶を確かめに行こうと考えた。
 トンネルの記憶というのは、その町は背後が山になってその中腹にトンネルが開いていて、小学生の私はそのトンネルの向こうに行ってみたくて、中を覗き込んだのである。するとトンネルの出口に池が見えたのだ。
 おそらく私はトンネルの先へ行くことを禁じられていたのだろう、そのぶん、トンネルの向こうはどんな世界なのだろうという憧憬が、そのとき見えた池の記憶と強く結びついて、今でも高松といえばその池を思い出す。
 なので今回、お遍路のついでに、そのトンネルを潜り抜け、あのナルニア王国の池、あるいはホグワーツでも壺中天でもいいが、その池を訪ねてみようと考えた。かつて憧れたトンネルの向こうは、果たしてどんな場所だったのか。
 雨の中、山の中腹まで歩いて登り、そこに穿たれたトンネルの前に立つと、トンネルは途中でカーブしていて、出口なんか見えなかった。
 トンネルを覗いたら出口の向こうに池が見えたという記憶は、デタラメであった。あるいは小学生の私はトンネルに侵入し、出口まで歩いたのだろうか。
 入っていくと、カーブの先に出口が見えたが、そこでも池なんかさっぱり見えなかった。
 こうなるともう、あの記憶は、後に摺りこまれたウソの情報ということになる。人間の記憶は実に当てにならん。
 それでもなんとなく先へ進んでみようと、トンネルを通り抜けた私が、その先で見たものは! ってほど大袈裟な話でもないが、この後の詳細は、四国遍路連載のネタとして、そっちで書くことにする。

11月12日(木)

 一昨日電車に乗った駅まで戻り、そこからお遍路を再開。
 五色台という山を登る。ここには祟りで有名な崇徳天皇のお墓がある。
 山を降りるとき、年配の女性に出会い、ヒマワリの種をもらった。これを手のひらにのせてじっと立っていると、小鳥が食べにくるというので、やってみる。
 すぐにスズメぐらいの大きさの、青と茶色の体をした小鳥が飛んできて、手にカシッと捉まった。その瞬間、小鳥どころかペットも飼ったことのない私なのに、あまりのかわいさに心震えた。
 小鳥は、すぐに種をさらっていかず、まず首をかしげ、周囲に気を配る様子を見せて、手の上に留まっていた。私が手をぎゅっと握れば簡単につかまってしまうという事実には、まるで頓着していない様子で、一呼吸おいてからやっと種をくわえて飛び立った。その、短いけれども、たしかに感じられる一瞬の停泊が、小鳥の真骨頂という気がした。
「なんていう鳥なんですか」
「ヤマガラです」
 飛び立った後も、私の手にカシッと捉まったヤマガラの脚のあどけなさが、しばらく胸に残った。

11月13日(金)

 ついに徒歩で高松に到着した。高松まで来れば、この後八十八番の結願まではあと2日の行程だが、ここで帰ることにする。実は途中歩いていない区間が愛媛県に40キロほどあり、まずそこを歩いてから戻ってこようと思うのである。未練を残してゴールしたくない。
 帰りの新幹線で、前田司郎『愛でもない青春でもない旅立たない』(講談社文庫)を読む。ラストがカタストロフ的に終わるところはありがちだったが、その前まではとてもよかった。内容も共感できるけれど、なにより文章の肌触りが心地いい。現実の温度が、過不足なく表現されている。
 
 ところで朝妻からメールがあり、昨夜のうちに庭の芝生が誰かに荒らされていたとのこと。わが家の狭い庭は、門がないので、自由に中に入ってこれるようになっており、悪戯しようと思えば誰でもできる。実に腹立たしい思いで帰宅すると、たしかに芝が妙な感じになっていた。
 いくつかの芝生マットが端からめくれ、そのうちの何ヶ所かに土の山ができている。
 ただ、悪戯というには不自然なところがあった。
 めくれた芝生は、完全にひっくり返っているわけではなく、芝自体が反り返ったかのようで、土の山は、どこからか持ってきてここに捨てられたというより、芝の下から造山運動のように盛り上がってきたかに見える。
 悪戯ならもっと徹底的にやるだろうし、マットもひっくり返すか、穴だらけにする気がする。わざわざ土を持ってくるのも妙だ。何か捨てるなら、もっとゴミのようなものを捨てるだろう。
「これは自然現象だよ」
「どうして? こんな土の山がなんでできるの?」
「なぜかはわからんが、芝生の下から土が盛り上がってきたんだ」
「モグラ?」
 モグラが土をどうするか知らないが、そういう動物の仕業ではなく、昭和新山のような、大地の作用に思える。
「わからんけど、悪戯じゃない。何かがここで起こったんだ」
 今の段階では、犯人は"自然"というしかない。
 にしても、果たしてこれはいったいどういう現象なのか。悪戯じゃなくて安心したけれど、そのうち巨大な山が盛り上がって、家ごとめくれあがったりしないのだろうか。
 ちなみに、もしこのまま地面がモコモコ盛り上がり、そのまま火山が出来たとしたら、その火山は私のものということになるのか。マイ火山も、ちょっといい気がする。

11月14日(土)

 朝起きて庭を見ると、別の場所に新たな土の山ができそうになっていた。
 芝生の下の土が盛り上がってきているのは明らかだ。
 しょうがないので、踏んで元に戻す。そういう処置でいいのかどうか。
 私が思うに、これは水はけと関係がある。このところの長雨で、土中に水が溜まり、表土がたっぷり水を含んで膨張したのではないか。
 だとすれば、今後も雨のたびに同じような事態が続くことは避けられない。一度土を掘り返し、腐葉土などを入れて改良しなければ問題は解決しないだろう。そういえば、ある程度そういう作業を行なった西側の庭は、土の山はあまり出来ていないから、やはり悪戯でもモグラでもなく、庭自体の造山運動だと思われる。
 
 関西から母来る。

11月15日(日)

 ずっとずっと気持ちの底にわだかまっていた問題に、ついに決着をつけるときがきた。
 今日は朝から素晴らしい快晴。
 ウンボコ川の向こうに見える雑木林まで、家族を引きつれ散歩に出かけたのである。夜になると空を赤く染めるピカピカタウンの方角にある雑木林。地図を見てもほとんど空白になっている、あの空白の真実を見極めたい。
 自宅からすぐのウンボコ川にかかる橋を渡っていくと、大きな樹があり、その周囲は畑になっていた。現在は均した土が見えており、むき出しのこげ茶色に覆われていた。このあたりは自宅からも見える部分だ。
 問題はここからである。
 その先へ歩いていくと、道はゆるやかに登りになって、さらに畑が続いていた。家庭菜園のようなものではなく、どれも本物の畑だ。ニンジンやブロッコリ、大根、キャベツなどが植わっている。
 ニュータウン育ちの私は、畑のすぐ近所に住んでいることが何か不適切な、というか、身のほど知らずなことのように思え、かすかに落ち着かない。
 そうやって野菜たちに威圧されながら、ますます雑木林に接近していくと、ちょうど林を抜ける登り坂が一本通っていて、どういうわけかスーツ姿のサラリーマンがわれわれの前をスタスタと歩いていた。こんなところでずいぶん場違いな格好に見える。どこへ行くのか気になったけれども、子どもが季節はずれの蝶を追って虫獲り網をふり回すので、野菜を傷つけないよう注意している間に、サラリーマンは林の奥に消えていた。
 いよいよ雑木林に入り込むと、林は思いのほか薄っぺらく、すぐに反対側の空が透けて見えた。この位置からは空しか見えず、その先に何があるのか実に期待が高まった。
 坂を登りきったところは、またしても広い畑だった。そして驚いたことに、その先の道路の向こう側に、ピカピカタウンの高級住宅が見えていた。
 あれれ? もうピカピカタウン?
 拍子抜けであった。本番はこれからだと思った矢先である。
 私の目算では、ピカピカタウンまではまだまだ遠いはずだった。
 おかしいじゃないか。じゃあ、いったい地図で見たあの空白はどこにいったのか。スットコランドとピカピカタウンの間に広がっていたあの真空地帯は。
 そう考えて、私ははっと気づいたのである。つまり、今通り抜けてきた畑、そして自宅からも見える一面の畑こそが、その空白の正体ことだったことに。
 そうだったのか......。
 私は雑木林の裏に隠れたホビットの村に紛れ込むことを夢想していた。そこには、この世ならぬ不思議の世界が広がっている予定だったのに。
 待ちに待った探検が、たったこれだけで終わりかよ......。
 なるほど、さっきのサラリーマンは、つまりピカピカタウンに出かけていたわけである。ピカピカタウンには、駅もあるし、ショッピングモールもある。サラリーマンが通勤していてもおかしくない。
 こんなに薄っぺらいのかスットコランド。雑木林もまるで書き割じゃないか。
 と、がっかりしてふと横を向くと、スットコランドとピカピカタウンを分かつ、細長い畑の先に、白く冠雪した大きな山の頂が、堂々と立ち上がっているのが見えた。
「富士山だ」
 と妻が言った。
「ほんとだ、富士山だ」
 以前住んでいたマンションのベランダからも富士の頂は見えていた。しかし、それは手前の山の背後に隠れて、ほんの先っぽだけ頭を覗かせていたに過ぎず、富士山らしい円錐形が確認できるほどではなかった。
 今見えている富士山は、中腹までその姿を晒し、紛れもないあの左右対称感をきっぱりと表明して、ずっとずっと昔からここにおりまっせ、とでもいうような超越したオーラを発している。
 瞬間、私の中に、ある言葉が湧き上がってきた。
 ──武蔵野。
 そうだったのだ。世にいう武蔵野とは、私の住んでいる場所のことだったのだ。そういえば、雑木林といい、さっきの畑といい、実に武蔵野感がある。
 おお、スットコランドもピカピカタウンも全部武蔵野!
 あの、広く平らで何もなく、常に風が吹きぬけ、枯れた風情の、時代劇でいうところの木枯らし紋次郎が歩いていそうな武蔵野の大地を、今私は踏みしめ、子どもは蝶を追って駆け回っている。
 私は武蔵野に家を買ったのか──。
 そう思うことで、何がしかの情感が胸に湧き上がってこないか期待したが、べつに何も湧いてこなかった。
 ただ、武蔵野だった。
 関西育ちの私には、武蔵野といわれてもとくに感動はないのだった。
 ただ、感動ではないけれども、なんとなくぼんやりと、枯れすすき、盆栽、石、というような老人的なものが、私を徐々に包囲しようとする足音が聞こえるようであった。私は自分でも知らないうちに、そういうものの真っ只中に家を買っていた。
 そうして、私は緩やかに、けれども決定的に何かに打ちすえられたような気分で、ポカポカの陽だまりの中に立ちすくんだ。
 武蔵野は言うのだ。
 あなたの人生は、もうとっくに後半戦に入っています、と。

11月16日(月)

村上春樹 イエローページ〈3〉 (幻冬舎文庫)
『村上春樹 イエローページ〈3〉 (幻冬舎文庫)』
加藤 典洋
幻冬舎
800円(税込)
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 加藤典洋『村上春樹イエローページ3』(幻冬舎文庫)を読む。
 加藤典洋の批評は実に冴えている。思わず『小説の未来』(朝日新聞社)も読んでしまった。
 ただ、なるほどなるほどと読み進んだ挙句の果てに、どういうわけか著者が村上春樹を絶賛すればするほど、それに反して文学というものに疑問符がついてくるのはなぜだろうか。
 うまく言えないのだが、だったらみんな文学辞めてNPOとかで働いたら? と思ってしまうのである。常日頃から、物書きなんて虚業ではないかという思いが心から消えないのと関係があるかもしれない。

11月17日(火)

 この頃同じような夢をよく見る。
 大きな建物のなかで災害に遭う夢だ。それは火災だったり、何かの襲撃だったりするが、とにかく早く逃げなければ大変なことになるぞと、妙に冷静な頭で考えている。
 これはいったいどういう無意識によるものだろうか。
 数年前まで、卒業できない夢をしょっちゅう見ていた。何かにかまけていて、突然単位が足りないことに卒業間際になって気づき、ゲ、留年決定じゃないか! と慌てふためく夢。そうして目が覚めて、そうだ、もうオレは学生じゃなくて、とっくに社会人なのだと安心するのである。
 さらにその前によく見たのは、空を飛ぶ夢だった。
 自転車ごと空に浮き上がったり、練習の末ようやく少し体が浮かんで喜んだり、といった夢をくり返し見た。
 どれもなんとなくそれを見る必然性というか、原因があった気がする。夢判断でどうなるのかは知らないけれど、単純に考えて、空を飛ぶのは、自由への憧れとか、オレは何でもできるという自信だったりしそうだし、卒業できないのは、自分はまだ修行が足りないという自己否定とか、ちゃんと学ぶべきことを学ばないまま社会に出てきてしまったという焦りや不安の表明ではないかと思う。
 そして今は、大きな建物で災害に遭う夢。
 私なりに分析すれば、それはこれまで築いてきた土台の上にあぐらをかいていると危険だ、というシグナルではないだろうか。今いる建物を捨てて、別の場所へ移動せよという無意識からのメッセージでは?
 空を飛ぶ→卒業できない→大きな建物で災害に遭う
 は、つまり、
 自信→焦燥→変化の要請
 と、まあ、そう単純化していいのかわからないけれども、私にはそんな自己認識のように感じられるのである。

11月18日(水)

 幼稚園の秋祭。
 実行委員になっている妻の要請により、仕事を休み、ペンギンの着ぐるみを着て参加した。他に、牛や、スティッチなんかも来ていた。
 着ぐるみ好きの私としては、本音を言えば、被り物で顔全体を隠し、ゼスチャーだけで人生の悲哀を表現してみたかったが、顔が見えない着ぐるみだと、怖がる子どももいるとのことで、顔出しでの登場となった。
 園内をしっぽふりふり練り歩いてみると、即座に園児が殺到し、さまざまな方向からライダーキックや浣腸をくらう。
 たてまえ上は、
「ペンギンさんが遊びに来てくれましたよ〜」
 というようなかわいい世界が展開されていたのだが、現実には暴力の見本市であった。牛はしっぽを引きちぎられ、ステッィチは顔面にボールをぶつけられ、ペンギンたる私は、ペンギンの顔が描かれた帽子を奪われたりして、散々な目に遭ったのである。まれに、ペンギンさんだあ、とかいって抱きついてくる女の子もいるのだが、そうやって脚にしがみつかれると、かえって男子の暴力に抵抗できなくなるので、難儀であった。逃げても逃げても園児が迫ってきた。
 牛は、祭りのあと、近所のスイミングスクールで普段着でいたところ、突然やってきた子どもに「あいつ、幼稚園に来てたやつだ!」と指差され、まるで変質者を見るかのような周囲の視線にさらされたという。
 幼稚園児おそるべし。
 もし来年も参加することになったら、あらかじめ体を鍛え、並みいる暴力園児たちを撃破すべし。
 
 夕方から飛行機で松山へ。

11月19日(木)

 機内誌の取材で、しまなみ海道へ向かう。
 四国遍路で訪れ、とても気に入ったので、取り上げることにしたのである。
 予約しておいた空港のレンタカーを借りに行くと、車はピンクのマーチだった。レンタカー屋の店員が、この色でよかったでしょうか、と恐縮していたが、つまりそれは、私の名前を見て女だと勘違いしていたのだろう。ちっとも構わいませんと答え、さっそく今治方面へ向かう。いいおっさんがピンクのマーチに乗るなんて、むしろ素敵じゃないかと思う。
 今日取材するのは、来島海峡の急流観潮船。
 先日四国遍路の途中に寄って、客が私ひとりだったために乗れなかった船だ。ちょうど潮が満ちる時間帯で流れが強く、海が川のようになっていた。渦もいくつか出来ていて見応えがあったが、もっと潮が強いと、場所によって、海面が盛り上がって山のようになることもあるというから、そういう得体の知れない光景はぜひ見てみたかったと思った。
 その後、ピンクのマーチで展望台に行ってみたりして観光。

11月20日(金)

放っておいても明日は来る― 就職しないで生きる9つの方法
『放っておいても明日は来る― 就職しないで生きる9つの方法』
高野 秀行,二村 聡,下関 崇子,井手 裕一,金澤 聖太,モモコモーション,黒田 信一,野々山 富雄,姜 炳赫
本の雑誌社
1,470円(税込)
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田舎暮らしはじめました うちの家賃は5千円
『田舎暮らしはじめました うちの家賃は5千円』
グレゴリ青山
メディアファクトリー
998円(税込)
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徳川家康 トクチョンカガン 上
『徳川家康 トクチョンカガン 上』
荒山 徹
実業之日本社
1,575円(税込)
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 今日は、もうひとつの観光船、能島の潮流体験船に乗る。
 こないだの四国遍路で乗ったものだ。あまりに面白かったので、もう1回乗りにきた。
 昨日の来島と船自体は似ているが、面白さでいえば、個人的にはこちらのほうが上。というのも、船頭さんの操船テクニックとサービス精神が、卓越しているのである。
 流れが激しい場所には敢えて侵入するし、渦の中でエンジンを切って船がどうなるか流されてみたり、海に段差ができて、そこが滝壺みたいになっていればとりあえず滝壺に突っ込んでみるとか、まさに痒い好奇心に手が届く操船っぷりで、安全第一とか神経質なこと言わないところが素晴らしい。いや、もちろん安全だからやってるんだろうけど。
 それはよかったんだが、船頭さんのしてくれた話に私は沈鬱な気持ちになった。なんでも船頭さんが子どもだった頃に比べて、海の水位は2メートル以上上昇しているというのである。昔はもっと岩が露出して危険だったし、もっともっと砂浜があった。それが今ではどの岩も水面下に沈み、砂浜もほとんど見られなくなった。大潮なんかのときに岩壁の上を海水が洗うことなど昔はなかったよ、と船頭さんは言うのだ。
 数年前までよく通っていた三浦半島のシーカヤック・フィッターのインストラクターさんも、ちょっと前まであった砂浜が、最近は海に沈んだまま干潮になっても露出しないと言っていた。明らかに海の水位はあがっているのである。
 まあ、海の水位なんて上がったり下がったりするもんやけんね、と船頭さんは平気そうに語っていたが、私にはそれが温暖化によるカタストロフの前兆のようにも感じられて、ひたひたと心の底が不安に浸されていくようであった。
 
 羽田空港から大渋滞のなか帰宅すると、自宅に本がたくさん届いていた。
 高野さんの『放っておいても明日は来る』(本の雑誌社)、グレゴリ青山『田舎暮らしはじめました』(メディアファクトリー)などの新刊のほか、ニックさんが荒山徹『徳川家康』(実業之日本社)を送ってくれた。
 まずアスクルこと『放っておいても明日は来る』を一気読みし、次いで『田舎暮らしはじめました』も読んでしまった。どちらも自分の実生活と引き比べつつ読み、いちいち共感した。感想を強引にひとことでまとめるとすれば、仕事も住居も、もっと人生行き当たりばったりでいいんじゃないの、ということになるわけだが、わが身をふり返ると、自分はこれまでわりと自由に生きてきたようで、案外枠にハマってるように感じられ、おかげで夜中だというのに悶々となった。
 おまけにこの日記も、最近は全体になんとなくトーンが沈みがちになっているような気がし、それは自分自身のトーンが今沈みがちだからなんだろうけど、そんな自分でいることがもったいないように思えてきて、ここは一発どーんと自分の殻を破るような......、とにかくどーんと......、何したらいいんだ。

11月21日(土)

 実家に帰る母を駅まで送る。
 その際、狭い道でUターンしようとして、電柱にシエスタを擦り、ゴゴゴという音がした。
 引越し前に、マンションの駐車場を出ようとして左の後輪あたりを擦ったが、今度は右の後輪である。注意力が散漫になっているのか、運動能力が落ちているのか、実にがっかりだ。
 まあ、これまで産廃寸前のボロい車しか所有したことがないことに加えて、車なんてボロいほうがかっこいいとさえ感じている深層心理にも一因があるような気がするが、ともあれ、左右に縞模様がついただけで、運転にまったく支障はなく、このままでも私はいっこうに構わないと思ったところが、妻は修理に出せと言う。
 なん、擦り傷ぐらいで修理していては、中古車を買った意味がないというか、中古車の沽券にかかわるというか、車というのはこうやって少しずつ味わいが熟成されていくものであり、なんといっても修理代が惜しいじゃないか、いいんだよ、このままで。
 すると妻は、その惜しい気持ちをバネに今後擦らなくするためにも修理しなさい、と禅問答のようなことを言うのだった。

11月22日(日)

 息子のサッカー見物。
 目下、スットコ市民サッカー大会が開催されており、今日は準々決勝と準決勝であった。息子の所属するうりゃうりゃSCは、ともに無失点で順当に勝ち進み、来週スットコ市民スタジアムで行われる決勝に進出した。
 はじめの頃は、自分の息子ばかり見ていた私だったが、最近は、チームメイトの顔もみな覚えてしまい、みんなみんなガンバレという気分で応援するようになってきた。だんだんチーム全員自分の息子のような気がしてきたのである。このままいくと、応援に来ているお母さんたち全員、みんな自分の妻みたいな気持ちになりそうで恐ろしい。実際、時々よく知らないお母さんに、冷ややかな妻目線で見下されている気がすることもある。

11月23日(月)

 わが家の玄関脇に幅30センチ、長さ2メートルほどの花壇がある。これまで芝生にかまけて、放ったらかしてあったが、先日近所の花屋に行って、妻がチューリップの球根を買い、私もダスティーミラーの苗を買ったので、それらを植えることにした。
 ダスティーミラーは、霜が一面にびっしり降りたような、見ようによってはトナカイの角のような白い葉の、なんだか植物らしからぬ姿に、前々から惹かれていた。どうせならそういうちょっと異次元的なものを植えてみたいではないか。
 そうしてチューリップとダスティーミラーと、その間に、さらに息子が散歩で拾ってきたサツマイモの切れ端を植え、花壇が整った。実にチグハグなラインナップという感じもするが、まあみんな自分さえよければどうだっていいのである。
 ところで芝生のほうは、今もランダムな造山運動が続いている。
 雨が降ると、どこかのマットがめくれあがり下から土がモコモコ出てくるので、そのたびにそこを踏んで、平らにしている。気になるのは、マットの下に土がなくなって、ところどころスカスカになってきていることだ。
 ここはいったん表面の芝生を取り除けて、土を掘り返し、腐葉土など入れて土質を改良してから、あらためて芝を張るのが真の園芸家の対処の仕方かと思うが、真の園芸家ではない私と妻は、
「なるようになるんじゃないの」
「そうだな。なるようになるなら安心だ」
 と、無能な会社役員のように問題解決を先送りにしているのだった。

 シエスタをついに修理に出す。

11月24日(火)

江戸「うつろ舟」ミステリー
『江戸「うつろ舟」ミステリー』
加門 正一
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ヴォイニッチ写本の謎
『ヴォイニッチ写本の謎』
ゲリー ケネディ,ロブ チャーチル
青土社
2,940円(税込)
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>> Amazon.co.jp
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「週刊現代」より、今年のベストノンフィクション本を3冊選んで欲しいとの依頼がきたが、これが思い浮かばない。
 今年は実に本を読まなかった。例年100冊ちょっとは読んでいたと思うが、今年はその半分ぐらいではなかろうか。そんななかからベスト3といっても、たいしたベスト3ではないようにも思うし、そもそも読んだのが今年の本ばかりとは限らないから、今年のノンフィクションとなると、読んだ数自体が3冊ぐらいかもしれない。
 そういえば、高野さんが「本の雑誌」上で絶賛していたゲリー・ケネディ、ロブ・チャーチル『ヴォイニッチ写本の謎』(青土社)と、これも「本の雑誌」で取り上げられていた加門正一『江戸うつろ舟ミステリー』(楽工社)をアマゾンで購入してある。ちょうど今この『江戸うつろ舟ミステリー』を読んでいるところだが、なかなか面白いのでこれをお薦めしよう。『ヴォイニッチ写本の謎』のほうも写本の挿絵が面白く、読むのを楽しみにしているが、「週刊現代」の締め切りは今週土曜日ということなので間に合わないかもしれない。しかし、人が薦めていたものを薦めるのも、ちょっと情けない。自分で探せよ、と自分につっこむ。
 思えば最近はアマゾンで本を買うことが多くなっていて、非常に由々しき問題である。買うと決まっている本を買うときはそれでもいいが、それだけでは、いまだ知られざる(私に)面白い本に出会う機会がない。アマゾンでも知らない本をお薦めしてはくれるものの、その程度では私の読書世界はほとんど広がらないのである。
 いかん!
 もっと書店に足を運ばなければ。 

11月25日(水)

 仕事場に隣接する書店に足を運んでみると、10日前に潰れていた。絶句。
 さらに、前に住んでいたマンションの近くにあったスーパーが、1月で閉店だそうである。
 おお、みんな、大丈夫か!

11月26日(木)

 最近、髪の毛が光を浴びて白く輝くようになってきた。
「お父さん、白髪生えてるよ」
「白髪じゃないよ。光が当たって反射してるんだ」
「光当たってないよ」
「当たってるよ。ほら、窓から月の光が入ってきてるだろう」
「カーテン閉めても、ほら、白いままだよ」
「台所の電気がついているからね」
「白髪じゃん」
 科学的な思考のできない子どもを持って、父は残念である。
 さらに、朝、顔を洗っていたときに、流しにたくさんの毛が落ちていて驚いた。
 放射能の影響ではないか。
 先日庭土を掘り返したときに、陶器の破片だの謎のビニール袋だのいろんなガラクタが出てきたが、あのなかに放射性物質が混じっていたものと思われる。 
 
 関係ないが、意味もなく地図を見ていたら、ふと淡路島が鼻に見えた。それ以後、鼻にしか見えず。

11月27日(金)

大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇
『大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇』
前田 司郎
幻冬舎
1,680円(税込)
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船旅デート
『船旅デート』
イカロス出版
1,800円(税込)
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TOKYO一坪遺産
『TOKYO一坪遺産』
坂口 恭平
春秋社
1,680円(税込)
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 突然、いてもたってもいられない気分になり、都心の本屋めぐりに出かける。
 最近、家の近所や四国には出かけていても、都会にはほとんど足を踏み入れておらず、混雑嫌いの私も、さすがに都会の華やかな空気が吸いたくなってきた。といっても、主に華やかな本屋の空気なんだが。
 まる一日うろうろするつもりでまずは池袋へ。そこらじゅうで本屋が潰れたり出来たりしているので、最近はどこにいい本屋があるのかよくわからなくなってきた。ずっと昔、池袋のリブロがとてもよかった記憶があるんだけれど、いつの間にか普通のデカい本屋になっていて、少々物足りなく感じた。しかし、それからまた何年か経っており、変わっているかもしれない。ひょっとしてなくなっていたらどうしよう、などと思いつつ久々の池袋。リブロとジュンク堂を堪能。
 私が本屋へ行くとまず訪れるのは人文系の棚で、文化人類学、民俗学、歴史、地理あたりをうろつき、ついで理工系で生物、地学、天文、建築をチェックし、それから地方出版があれば一応見、紀行の棚へ移動、まれに芸術の棚にハマるときもあったりするが、後半は文庫・新書でたっぷり時間をとったあと(主にちくま文庫と平凡社ライブラリーと講談社学術文庫)、ざっと文芸新刊と雑誌のコーナーを流す。
 池袋の後、炎の営業日誌で紹介されていた茗荷谷のブックスアイに行くつもりで、ニックさんにメールして場所を尋ねると、あそこは文芸系が充実した書店なので宮田さんには千駄木の往来堂をお薦めしますと言われ、急遽千駄木へ。千駄木って千駄ヶ谷のそばかと思っていたら、全然違うのであった。
 往来堂の棚は、ニックさんがお薦めしてくれただけあって、私の琴線に触れるものだったけれど、書店自体が想像していたより小さく、こういう面白い棚のある大きい店はもうないのかと、とても寂しい思いがした。
 それから今度は神保町へ移り、まずは三省堂から東京堂、その他ちょこちょこと回り、御茶ノ水や東京の丸善にも行きたいところだったけれど、時間も遅くなってきたので、一番通い慣れている新宿へ戻る。ここでもジュンク堂と紀伊國屋を見て、結局、全体で15冊ほど買ったのだった。
 子安宣邦『平田篤胤の世界』(ぺりかん社)
 入間田宣夫『中世武士団の自己認識』(三弥井書店)
 庄野順三『自分の羽根』(講談社文芸文庫)
 前田司郎『大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇』(幻冬舎)
 町田康『東京飄然』(中公文庫)
 『船旅デート』(イカロス出版)
 坂口恭平『TOKYO一坪遺産』(春秋社)
 などなど。
『大木家のたのしい旅行』は、こないだ前田司郎を読んで面白かったから。
『船旅デート』はまさに最近、観光船に興味が向いているところなので。
『TOKYO一坪遺産』は、新宿ジュンク堂で立体読書という魅力的なイラストパネルが何枚か掲示されていて思わず見入ってしまい、勢いで買ったら、これが私好みの本だった。さっそく「週刊現代」のベストノンフィクションでお薦めすることにする。でもこれ、ノンフィクションなのか、散歩エッセイじゃないのか、という疑問もなくはないけれど、面白かったからいいだろう。
 ともあれ、この本の立体読書に出てくる小説のうち、まだ知らないものをひと通り読んでみたくなった。
 久々の本屋巡りで気分が一新した。
 たとえ何も買わなくても、時々はこうして本屋を巡らねば。そうしないと私は、どんどん武蔵野老人化してしまうだろう。
 とか言いつつ、気がつくと武蔵野老人の筆頭たる庄野順三のエッセイを買っている私だ。これはこれで今後の人生の参考にしたい。

11月28日(土)

 朝から息子と近所の原っぱでドッヂボール。
 この日記は、30日の月曜に書いているんだが、この日ドッヂボール以外何をしたか、さっぱり思い出せん。放射能で記憶力も低下している。
 ああ、そうだ、そういえば、修理に出していたシエスタが戻ってきた。

11月29日(日)

 スットコ市民スタジアムで、息子のサッカー市民大会の決勝。
 決勝の相手は、強豪であり因縁のライバルでもある、ずそずわFC。
 ずそずわFCと息子の所属するうりゃうりゃSCは、これまでにも何度も対戦し、練習試合も何度もやって勝ったり負けたりしている。
 試合の流れはいつもだいたい同じで、全員がボールに群がってオフェンスもディフェンスもへったくれもないわがうりゃうりゃと、ディフェンスを3名固定して、パスを繋ぎ、コート全体を使って頭脳的なサッカーをするずそずわという、実に対照的な戦い。とはいえ、ずそずわもあまり広がってボールに寄せる人数が少ないとボール際の人数で優るうりゃうりゃに押し込まれてしまうので、自然うりゃうりゃに付き合う形で試合全体がラグビー状になっていく。
 それにしても、ちっともパスの練習をしないわがうりゃうりゃは、ボールが集団の外へ転がされると、全員でまたそっちへ殺到するという戦い方だから、走る距離は相対的に相手より長くなり、早く疲弊する。おまけに今回の市民スタジアムは本物のサッカーコートだったから、これまでのコートの倍以上あった。小学1年生が個人でドリブルだけで切り開いてゴールに肉薄するには広すぎて、最終的に1点取られて負けたのである。
 そりゃあ、いつまでも団子サッカーやってたら勝てないわな、と思うと同時に、ボールをとられても、かわされても、次から次へと選手が殺到していく波状攻撃を見ていると、そういう無骨さ不器用さが、どこまで通用するか見届けてみたい気もする。
 息子は点を取られたときから、試合が終わるまで、ずっと泣いていた。
 泣いてないで走れ、とは思いつつも、泣くほどの情熱があるならそれでいい、泣け泣け、もっと泣けと、親として胸を熱くしていたところ、その後の打ち上げパーティーになると、息子はカラオケマイクを決して手離さず、他の仲間を蹴り倒してまでアニメソングを熱唱していた。負けた苛立ちをぶつけていたのではなく、試合のことなど1ミリも覚えていないようであった。

11月30日(月)

 昨夜のパーティーの席で、なんとなくお父さんたちの輪に入れないまま、ひとり佇んでいたのだが、それを見ていた妻に、黙っていると顔が怖いと言われたのである。だから誰も話しかけてこないのよ、とか言う。
 はあ?
 私の顔が怖い?
 この愛くるしい天使のような私の顔が怖いはずないではないか、と半ば冗談、半ば本気で問い返したところ、いいや、あなたの顔は昔から怖いという。まさか。
 自分では、いつまでも童顔過ぎて、貫禄とか、人生の重みに欠けているんじゃないかぐらいに思って、眉間のしわで年輪を表現しようと練習していたぐらいであるのに、妻はそれを真っ向から否定する。
 くだらない話だったら話かけないでくれ、って顔してるのよ。
 彼女の言によると、私はいつも自分の興味のない話題になると、まるで相手にせず、自分の世界に閉じこもってしまうとのこと。パーティーの席でもそんな顔をしていたそうだ。
 そうなのだろうか?
 私としては、誰も話しかけてこないから寂しいぐらいの気持ちだったのだが、自分のほうから「話しかけるなオーラ」を発していたとは。
 だったら自分から話したらいいじゃないの、と妻は指摘するけれども、知らない人といきなり何を話していいのかよくわからないのである。
「子どものサッカーの話をすればいいでしょう」
「サッカーについて素人なんだよ」
「いいじゃない、素人でも。誰も深い話なんか期待してないわよ」
「そうなんだけど、知らないから話続かないし」
「いいじゃん、続かなくたって。話してれば、思ってもいなかった話になって盛り上がったりもするのよ」
 この年になって、そんなひきこもり中学生みたいな指導を受けるとは思わなかった。
「あなた、最近、あんまり人と会っていないでしょう」
「うん。たまに編集者に会うぐらい」
「そういうときってね、そうなるのよ」
「......」
「私も子どもができる前にそうだったから、よくわかる。そういうときって、だんだん人と話すのが億劫になってきて、下手に喋ると相手を傷つけたんじゃないかぐらいに悩んだりして、どんどん自分で勝手に疎外されていくみたいになるの。何でもいいから、話すればいいのよ。面白いとか役に立つとか、会話に何か期待するからだめなの。そうなると相手も話しかけにくいし、自分も話せなくなるの。編集者なんてみんな同業者でしょ。同業者とは話すネタもあるし、興味の方向も似てるからいいけど、それと同じレベルを他で期待しちゃうと無理なのよ」
「それならそれで無理に話さなくてもいいじゃんかよ」
「そうするとみんな離れていって、寂しくなるわけよ。それで寂しくて誰かと話したいんだけど、かえって硬くなってますます疎外されて、って悪循環になるわけ」
「......」
「そうなる前に、今のうちに喋っておいたほうがいいって。普段接点のない人と話さないと、世界が開けないわよ」
 んんん。べつに硬くなっていたつもりもないが、敢えて喋りたいとも思っていなかった。私は、ひきこもりの入口に立っていたのか。
 大きなお世話だ、どうだっていいぞ、と思う一方で、たしかにひとりで原稿を書いているばかりの生活は寂しいという正直な気持ちとで、なんとなくむにゃむにゃした。
 そうして今日仕事場に来て、この日記を書いたわけだが、書いてるうちにまたむにゃむにゃしてきて、昨日の夜に巻き戻して、もう一度やり直したいような気になってきた。
 やあ、みなさん、今日のサッカー惜しかったですね。
 ......ちがうな。唐突だし、不自然だ。
 どうすか、最近?
 って、いきなりそれも馴れ馴れしいし......。
 どっちにしても45歳の悩みじゃない気がするな。
 
 ところで週刊現代に書いたノンフィクションの書評、『江戸うつろ舟ミステリー』は去年の本だった。編集部からダメ出しされる。
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