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11月15日(日)

 ずっとずっと気持ちの底にわだかまっていた問題に、ついに決着をつけるときがきた。
 今日は朝から素晴らしい快晴。
 ウンボコ川の向こうに見える雑木林まで、家族を引きつれ散歩に出かけたのである。夜になると空を赤く染めるピカピカタウンの方角にある雑木林。地図を見てもほとんど空白になっている、あの空白の真実を見極めたい。
 自宅からすぐのウンボコ川にかかる橋を渡っていくと、大きな樹があり、その周囲は畑になっていた。現在は均した土が見えており、むき出しのこげ茶色に覆われていた。このあたりは自宅からも見える部分だ。
 問題はここからである。
 その先へ歩いていくと、道はゆるやかに登りになって、さらに畑が続いていた。家庭菜園のようなものではなく、どれも本物の畑だ。ニンジンやブロッコリ、大根、キャベツなどが植わっている。
 ニュータウン育ちの私は、畑のすぐ近所に住んでいることが何か不適切な、というか、身のほど知らずなことのように思え、かすかに落ち着かない。
 そうやって野菜たちに威圧されながら、ますます雑木林に接近していくと、ちょうど林を抜ける登り坂が一本通っていて、どういうわけかスーツ姿のサラリーマンがわれわれの前をスタスタと歩いていた。こんなところでずいぶん場違いな格好に見える。どこへ行くのか気になったけれども、子どもが季節はずれの蝶を追って虫獲り網をふり回すので、野菜を傷つけないよう注意している間に、サラリーマンは林の奥に消えていた。
 いよいよ雑木林に入り込むと、林は思いのほか薄っぺらく、すぐに反対側の空が透けて見えた。この位置からは空しか見えず、その先に何があるのか実に期待が高まった。
 坂を登りきったところは、またしても広い畑だった。そして驚いたことに、その先の道路の向こう側に、ピカピカタウンの高級住宅が見えていた。
 あれれ? もうピカピカタウン?
 拍子抜けであった。本番はこれからだと思った矢先である。
 私の目算では、ピカピカタウンまではまだまだ遠いはずだった。
 おかしいじゃないか。じゃあ、いったい地図で見たあの空白はどこにいったのか。スットコランドとピカピカタウンの間に広がっていたあの真空地帯は。
 そう考えて、私ははっと気づいたのである。つまり、今通り抜けてきた畑、そして自宅からも見える一面の畑こそが、その空白の正体ことだったことに。
 そうだったのか......。
 私は雑木林の裏に隠れたホビットの村に紛れ込むことを夢想していた。そこには、この世ならぬ不思議の世界が広がっている予定だったのに。
 待ちに待った探検が、たったこれだけで終わりかよ......。
 なるほど、さっきのサラリーマンは、つまりピカピカタウンに出かけていたわけである。ピカピカタウンには、駅もあるし、ショッピングモールもある。サラリーマンが通勤していてもおかしくない。
 こんなに薄っぺらいのかスットコランド。雑木林もまるで書き割じゃないか。
 と、がっかりしてふと横を向くと、スットコランドとピカピカタウンを分かつ、細長い畑の先に、白く冠雪した大きな山の頂が、堂々と立ち上がっているのが見えた。
「富士山だ」
 と妻が言った。
「ほんとだ、富士山だ」
 以前住んでいたマンションのベランダからも富士の頂は見えていた。しかし、それは手前の山の背後に隠れて、ほんの先っぽだけ頭を覗かせていたに過ぎず、富士山らしい円錐形が確認できるほどではなかった。
 今見えている富士山は、中腹までその姿を晒し、紛れもないあの左右対称感をきっぱりと表明して、ずっとずっと昔からここにおりまっせ、とでもいうような超越したオーラを発している。
 瞬間、私の中に、ある言葉が湧き上がってきた。
 ──武蔵野。
 そうだったのだ。世にいう武蔵野とは、私の住んでいる場所のことだったのだ。そういえば、雑木林といい、さっきの畑といい、実に武蔵野感がある。
 おお、スットコランドもピカピカタウンも全部武蔵野!
 あの、広く平らで何もなく、常に風が吹きぬけ、枯れた風情の、時代劇でいうところの木枯らし紋次郎が歩いていそうな武蔵野の大地を、今私は踏みしめ、子どもは蝶を追って駆け回っている。
 私は武蔵野に家を買ったのか──。
 そう思うことで、何がしかの情感が胸に湧き上がってこないか期待したが、べつに何も湧いてこなかった。
 ただ、武蔵野だった。
 関西育ちの私には、武蔵野といわれてもとくに感動はないのだった。
 ただ、感動ではないけれども、なんとなくぼんやりと、枯れすすき、盆栽、石、というような老人的なものが、私を徐々に包囲しようとする足音が聞こえるようであった。私は自分でも知らないうちに、そういうものの真っ只中に家を買っていた。
 そうして、私は緩やかに、けれども決定的に何かに打ちすえられたような気分で、ポカポカの陽だまりの中に立ちすくんだ。
 武蔵野は言うのだ。
 あなたの人生は、もうとっくに後半戦に入っています、と。

11月16日(月)

村上春樹 イエローページ〈3〉 (幻冬舎文庫)
『村上春樹 イエローページ〈3〉 (幻冬舎文庫)』
加藤 典洋
幻冬舎
800円(税込)
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 加藤典洋『村上春樹イエローページ3』(幻冬舎文庫)を読む。
 加藤典洋の批評は実に冴えている。思わず『小説の未来』(朝日新聞社)も読んでしまった。
 ただ、なるほどなるほどと読み進んだ挙句の果てに、どういうわけか著者が村上春樹を絶賛すればするほど、それに反して文学というものに疑問符がついてくるのはなぜだろうか。
 うまく言えないのだが、だったらみんな文学辞めてNPOとかで働いたら? と思ってしまうのである。常日頃から、物書きなんて虚業ではないかという思いが心から消えないのと関係があるかもしれない。

11月17日(火)

 この頃同じような夢をよく見る。
 大きな建物のなかで災害に遭う夢だ。それは火災だったり、何かの襲撃だったりするが、とにかく早く逃げなければ大変なことになるぞと、妙に冷静な頭で考えている。
 これはいったいどういう無意識によるものだろうか。
 数年前まで、卒業できない夢をしょっちゅう見ていた。何かにかまけていて、突然単位が足りないことに卒業間際になって気づき、ゲ、留年決定じゃないか! と慌てふためく夢。そうして目が覚めて、そうだ、もうオレは学生じゃなくて、とっくに社会人なのだと安心するのである。
 さらにその前によく見たのは、空を飛ぶ夢だった。
 自転車ごと空に浮き上がったり、練習の末ようやく少し体が浮かんで喜んだり、といった夢をくり返し見た。
 どれもなんとなくそれを見る必然性というか、原因があった気がする。夢判断でどうなるのかは知らないけれど、単純に考えて、空を飛ぶのは、自由への憧れとか、オレは何でもできるという自信だったりしそうだし、卒業できないのは、自分はまだ修行が足りないという自己否定とか、ちゃんと学ぶべきことを学ばないまま社会に出てきてしまったという焦りや不安の表明ではないかと思う。
 そして今は、大きな建物で災害に遭う夢。
 私なりに分析すれば、それはこれまで築いてきた土台の上にあぐらをかいていると危険だ、というシグナルではないだろうか。今いる建物を捨てて、別の場所へ移動せよという無意識からのメッセージでは?
 空を飛ぶ→卒業できない→大きな建物で災害に遭う
 は、つまり、
 自信→焦燥→変化の要請
 と、まあ、そう単純化していいのかわからないけれども、私にはそんな自己認識のように感じられるのである。

11月18日(水)

 幼稚園の秋祭。
 実行委員になっている妻の要請により、仕事を休み、ペンギンの着ぐるみを着て参加した。他に、牛や、スティッチなんかも来ていた。
 着ぐるみ好きの私としては、本音を言えば、被り物で顔全体を隠し、ゼスチャーだけで人生の悲哀を表現してみたかったが、顔が見えない着ぐるみだと、怖がる子どももいるとのことで、顔出しでの登場となった。
 園内をしっぽふりふり練り歩いてみると、即座に園児が殺到し、さまざまな方向からライダーキックや浣腸をくらう。
 たてまえ上は、
「ペンギンさんが遊びに来てくれましたよ〜」
 というようなかわいい世界が展開されていたのだが、現実には暴力の見本市であった。牛はしっぽを引きちぎられ、ステッィチは顔面にボールをぶつけられ、ペンギンたる私は、ペンギンの顔が描かれた帽子を奪われたりして、散々な目に遭ったのである。まれに、ペンギンさんだあ、とかいって抱きついてくる女の子もいるのだが、そうやって脚にしがみつかれると、かえって男子の暴力に抵抗できなくなるので、難儀であった。逃げても逃げても園児が迫ってきた。
 牛は、祭りのあと、近所のスイミングスクールで普段着でいたところ、突然やってきた子どもに「あいつ、幼稚園に来てたやつだ!」と指差され、まるで変質者を見るかのような周囲の視線にさらされたという。
 幼稚園児おそるべし。
 もし来年も参加することになったら、あらかじめ体を鍛え、並みいる暴力園児たちを撃破すべし。
 
 夕方から飛行機で松山へ。

11月19日(木)

 機内誌の取材で、しまなみ海道へ向かう。
 四国遍路で訪れ、とても気に入ったので、取り上げることにしたのである。
 予約しておいた空港のレンタカーを借りに行くと、車はピンクのマーチだった。レンタカー屋の店員が、この色でよかったでしょうか、と恐縮していたが、つまりそれは、私の名前を見て女だと勘違いしていたのだろう。ちっとも構わいませんと答え、さっそく今治方面へ向かう。いいおっさんがピンクのマーチに乗るなんて、むしろ素敵じゃないかと思う。
 今日取材するのは、来島海峡の急流観潮船。
 先日四国遍路の途中に寄って、客が私ひとりだったために乗れなかった船だ。ちょうど潮が満ちる時間帯で流れが強く、海が川のようになっていた。渦もいくつか出来ていて見応えがあったが、もっと潮が強いと、場所によって、海面が盛り上がって山のようになることもあるというから、そういう得体の知れない光景はぜひ見てみたかったと思った。
 その後、ピンクのマーチで展望台に行ってみたりして観光。

11月20日(金)

放っておいても明日は来る― 就職しないで生きる9つの方法
『放っておいても明日は来る― 就職しないで生きる9つの方法』
高野 秀行,二村 聡,下関 崇子,井手 裕一,金澤 聖太,モモコモーション,黒田 信一,野々山 富雄,姜 炳赫
本の雑誌社
1,470円(税込)
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田舎暮らしはじめました うちの家賃は5千円
『田舎暮らしはじめました うちの家賃は5千円』
グレゴリ青山
メディアファクトリー
998円(税込)
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>> 本やタウン
徳川家康 トクチョンカガン 上
『徳川家康 トクチョンカガン 上』
荒山 徹
実業之日本社
1,575円(税込)
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 今日は、もうひとつの観光船、能島の潮流体験船に乗る。
 こないだの四国遍路で乗ったものだ。あまりに面白かったので、もう1回乗りにきた。
 昨日の来島と船自体は似ているが、面白さでいえば、個人的にはこちらのほうが上。というのも、船頭さんの操船テクニックとサービス精神が、卓越しているのである。
 流れが激しい場所には敢えて侵入するし、渦の中でエンジンを切って船がどうなるか流されてみたり、海に段差ができて、そこが滝壺みたいになっていればとりあえず滝壺に突っ込んでみるとか、まさに痒い好奇心に手が届く操船っぷりで、安全第一とか神経質なこと言わないところが素晴らしい。いや、もちろん安全だからやってるんだろうけど。
 それはよかったんだが、船頭さんのしてくれた話に私は沈鬱な気持ちになった。なんでも船頭さんが子どもだった頃に比べて、海の水位は2メートル以上上昇しているというのである。昔はもっと岩が露出して危険だったし、もっともっと砂浜があった。それが今ではどの岩も水面下に沈み、砂浜もほとんど見られなくなった。大潮なんかのときに岩壁の上を海水が洗うことなど昔はなかったよ、と船頭さんは言うのだ。
 数年前までよく通っていた三浦半島のシーカヤック・フィッターのインストラクターさんも、ちょっと前まであった砂浜が、最近は海に沈んだまま干潮になっても露出しないと言っていた。明らかに海の水位はあがっているのである。
 まあ、海の水位なんて上がったり下がったりするもんやけんね、と船頭さんは平気そうに語っていたが、私にはそれが温暖化によるカタストロフの前兆のようにも感じられて、ひたひたと心の底が不安に浸されていくようであった。
 
 羽田空港から大渋滞のなか帰宅すると、自宅に本がたくさん届いていた。
 高野さんの『放っておいても明日は来る』(本の雑誌社)、グレゴリ青山『田舎暮らしはじめました』(メディアファクトリー)などの新刊のほか、ニックさんが荒山徹『徳川家康』(実業之日本社)を送ってくれた。
 まずアスクルこと『放っておいても明日は来る』を一気読みし、次いで『田舎暮らしはじめました』も読んでしまった。どちらも自分の実生活と引き比べつつ読み、いちいち共感した。感想を強引にひとことでまとめるとすれば、仕事も住居も、もっと人生行き当たりばったりでいいんじゃないの、ということになるわけだが、わが身をふり返ると、自分はこれまでわりと自由に生きてきたようで、案外枠にハマってるように感じられ、おかげで夜中だというのに悶々となった。
 おまけにこの日記も、最近は全体になんとなくトーンが沈みがちになっているような気がし、それは自分自身のトーンが今沈みがちだからなんだろうけど、そんな自分でいることがもったいないように思えてきて、ここは一発どーんと自分の殻を破るような......、とにかくどーんと......、何したらいいんだ。

11月21日(土)

 実家に帰る母を駅まで送る。
 その際、狭い道でUターンしようとして、電柱にシエスタを擦り、ゴゴゴという音がした。
 引越し前に、マンションの駐車場を出ようとして左の後輪あたりを擦ったが、今度は右の後輪である。注意力が散漫になっているのか、運動能力が落ちているのか、実にがっかりだ。
 まあ、これまで産廃寸前のボロい車しか所有したことがないことに加えて、車なんてボロいほうがかっこいいとさえ感じている深層心理にも一因があるような気がするが、ともあれ、左右に縞模様がついただけで、運転にまったく支障はなく、このままでも私はいっこうに構わないと思ったところが、妻は修理に出せと言う。
 なん、擦り傷ぐらいで修理していては、中古車を買った意味がないというか、中古車の沽券にかかわるというか、車というのはこうやって少しずつ味わいが熟成されていくものであり、なんといっても修理代が惜しいじゃないか、いいんだよ、このままで。
 すると妻は、その惜しい気持ちをバネに今後擦らなくするためにも修理しなさい、と禅問答のようなことを言うのだった。
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