ずっとずっと気持ちの底にわだかまっていた問題に、ついに決着をつけるときがきた。
今日は朝から素晴らしい快晴。
ウンボコ川の向こうに見える雑木林まで、家族を引きつれ散歩に出かけたのである。夜になると空を赤く染めるピカピカタウンの方角にある雑木林。地図を見てもほとんど空白になっている、あの空白の真実を見極めたい。
自宅からすぐのウンボコ川にかかる橋を渡っていくと、大きな樹があり、その周囲は畑になっていた。現在は均した土が見えており、むき出しのこげ茶色に覆われていた。このあたりは自宅からも見える部分だ。
問題はここからである。
その先へ歩いていくと、道はゆるやかに登りになって、さらに畑が続いていた。家庭菜園のようなものではなく、どれも本物の畑だ。ニンジンやブロッコリ、大根、キャベツなどが植わっている。
ニュータウン育ちの私は、畑のすぐ近所に住んでいることが何か不適切な、というか、身のほど知らずなことのように思え、かすかに落ち着かない。
そうやって野菜たちに威圧されながら、ますます雑木林に接近していくと、ちょうど林を抜ける登り坂が一本通っていて、どういうわけかスーツ姿のサラリーマンがわれわれの前をスタスタと歩いていた。こんなところでずいぶん場違いな格好に見える。どこへ行くのか気になったけれども、子どもが季節はずれの蝶を追って虫獲り網をふり回すので、野菜を傷つけないよう注意している間に、サラリーマンは林の奥に消えていた。
いよいよ雑木林に入り込むと、林は思いのほか薄っぺらく、すぐに反対側の空が透けて見えた。この位置からは空しか見えず、その先に何があるのか実に期待が高まった。
坂を登りきったところは、またしても広い畑だった。そして驚いたことに、その先の道路の向こう側に、ピカピカタウンの高級住宅が見えていた。
あれれ? もうピカピカタウン?
拍子抜けであった。本番はこれからだと思った矢先である。
私の目算では、ピカピカタウンまではまだまだ遠いはずだった。
おかしいじゃないか。じゃあ、いったい地図で見たあの空白はどこにいったのか。スットコランドとピカピカタウンの間に広がっていたあの真空地帯は。
そう考えて、私ははっと気づいたのである。つまり、今通り抜けてきた畑、そして自宅からも見える一面の畑こそが、その空白の正体ことだったことに。
そうだったのか......。
私は雑木林の裏に隠れたホビットの村に紛れ込むことを夢想していた。そこには、この世ならぬ不思議の世界が広がっている予定だったのに。
待ちに待った探検が、たったこれだけで終わりかよ......。
なるほど、さっきのサラリーマンは、つまりピカピカタウンに出かけていたわけである。ピカピカタウンには、駅もあるし、ショッピングモールもある。サラリーマンが通勤していてもおかしくない。
こんなに薄っぺらいのかスットコランド。雑木林もまるで書き割じゃないか。
と、がっかりしてふと横を向くと、スットコランドとピカピカタウンを分かつ、細長い畑の先に、白く冠雪した大きな山の頂が、堂々と立ち上がっているのが見えた。
「富士山だ」
と妻が言った。
「ほんとだ、富士山だ」
以前住んでいたマンションのベランダからも富士の頂は見えていた。しかし、それは手前の山の背後に隠れて、ほんの先っぽだけ頭を覗かせていたに過ぎず、富士山らしい円錐形が確認できるほどではなかった。
今見えている富士山は、中腹までその姿を晒し、紛れもないあの左右対称感をきっぱりと表明して、ずっとずっと昔からここにおりまっせ、とでもいうような超越したオーラを発している。
瞬間、私の中に、ある言葉が湧き上がってきた。
──武蔵野。
そうだったのだ。世にいう武蔵野とは、私の住んでいる場所のことだったのだ。そういえば、雑木林といい、さっきの畑といい、実に武蔵野感がある。
おお、スットコランドもピカピカタウンも全部武蔵野!
あの、広く平らで何もなく、常に風が吹きぬけ、枯れた風情の、時代劇でいうところの木枯らし紋次郎が歩いていそうな武蔵野の大地を、今私は踏みしめ、子どもは蝶を追って駆け回っている。
私は武蔵野に家を買ったのか──。
そう思うことで、何がしかの情感が胸に湧き上がってこないか期待したが、べつに何も湧いてこなかった。
ただ、武蔵野だった。
関西育ちの私には、武蔵野といわれてもとくに感動はないのだった。
ただ、感動ではないけれども、なんとなくぼんやりと、枯れすすき、盆栽、石、というような老人的なものが、私を徐々に包囲しようとする足音が聞こえるようであった。私は自分でも知らないうちに、そういうものの真っ只中に家を買っていた。
そうして、私は緩やかに、けれども決定的に何かに打ちすえられたような気分で、ポカポカの陽だまりの中に立ちすくんだ。
武蔵野は言うのだ。
あなたの人生は、もうとっくに後半戦に入っています、と。
今日は朝から素晴らしい快晴。
ウンボコ川の向こうに見える雑木林まで、家族を引きつれ散歩に出かけたのである。夜になると空を赤く染めるピカピカタウンの方角にある雑木林。地図を見てもほとんど空白になっている、あの空白の真実を見極めたい。
自宅からすぐのウンボコ川にかかる橋を渡っていくと、大きな樹があり、その周囲は畑になっていた。現在は均した土が見えており、むき出しのこげ茶色に覆われていた。このあたりは自宅からも見える部分だ。
問題はここからである。
その先へ歩いていくと、道はゆるやかに登りになって、さらに畑が続いていた。家庭菜園のようなものではなく、どれも本物の畑だ。ニンジンやブロッコリ、大根、キャベツなどが植わっている。
ニュータウン育ちの私は、畑のすぐ近所に住んでいることが何か不適切な、というか、身のほど知らずなことのように思え、かすかに落ち着かない。
そうやって野菜たちに威圧されながら、ますます雑木林に接近していくと、ちょうど林を抜ける登り坂が一本通っていて、どういうわけかスーツ姿のサラリーマンがわれわれの前をスタスタと歩いていた。こんなところでずいぶん場違いな格好に見える。どこへ行くのか気になったけれども、子どもが季節はずれの蝶を追って虫獲り網をふり回すので、野菜を傷つけないよう注意している間に、サラリーマンは林の奥に消えていた。
いよいよ雑木林に入り込むと、林は思いのほか薄っぺらく、すぐに反対側の空が透けて見えた。この位置からは空しか見えず、その先に何があるのか実に期待が高まった。
坂を登りきったところは、またしても広い畑だった。そして驚いたことに、その先の道路の向こう側に、ピカピカタウンの高級住宅が見えていた。
あれれ? もうピカピカタウン?
拍子抜けであった。本番はこれからだと思った矢先である。
私の目算では、ピカピカタウンまではまだまだ遠いはずだった。
おかしいじゃないか。じゃあ、いったい地図で見たあの空白はどこにいったのか。スットコランドとピカピカタウンの間に広がっていたあの真空地帯は。
そう考えて、私ははっと気づいたのである。つまり、今通り抜けてきた畑、そして自宅からも見える一面の畑こそが、その空白の正体ことだったことに。
そうだったのか......。
私は雑木林の裏に隠れたホビットの村に紛れ込むことを夢想していた。そこには、この世ならぬ不思議の世界が広がっている予定だったのに。
待ちに待った探検が、たったこれだけで終わりかよ......。
なるほど、さっきのサラリーマンは、つまりピカピカタウンに出かけていたわけである。ピカピカタウンには、駅もあるし、ショッピングモールもある。サラリーマンが通勤していてもおかしくない。
こんなに薄っぺらいのかスットコランド。雑木林もまるで書き割じゃないか。
と、がっかりしてふと横を向くと、スットコランドとピカピカタウンを分かつ、細長い畑の先に、白く冠雪した大きな山の頂が、堂々と立ち上がっているのが見えた。
「富士山だ」
と妻が言った。
「ほんとだ、富士山だ」
以前住んでいたマンションのベランダからも富士の頂は見えていた。しかし、それは手前の山の背後に隠れて、ほんの先っぽだけ頭を覗かせていたに過ぎず、富士山らしい円錐形が確認できるほどではなかった。
今見えている富士山は、中腹までその姿を晒し、紛れもないあの左右対称感をきっぱりと表明して、ずっとずっと昔からここにおりまっせ、とでもいうような超越したオーラを発している。
瞬間、私の中に、ある言葉が湧き上がってきた。
──武蔵野。
そうだったのだ。世にいう武蔵野とは、私の住んでいる場所のことだったのだ。そういえば、雑木林といい、さっきの畑といい、実に武蔵野感がある。
おお、スットコランドもピカピカタウンも全部武蔵野!
あの、広く平らで何もなく、常に風が吹きぬけ、枯れた風情の、時代劇でいうところの木枯らし紋次郎が歩いていそうな武蔵野の大地を、今私は踏みしめ、子どもは蝶を追って駆け回っている。
私は武蔵野に家を買ったのか──。
そう思うことで、何がしかの情感が胸に湧き上がってこないか期待したが、べつに何も湧いてこなかった。
ただ、武蔵野だった。
関西育ちの私には、武蔵野といわれてもとくに感動はないのだった。
ただ、感動ではないけれども、なんとなくぼんやりと、枯れすすき、盆栽、石、というような老人的なものが、私を徐々に包囲しようとする足音が聞こえるようであった。私は自分でも知らないうちに、そういうものの真っ只中に家を買っていた。
そうして、私は緩やかに、けれども決定的に何かに打ちすえられたような気分で、ポカポカの陽だまりの中に立ちすくんだ。
武蔵野は言うのだ。
あなたの人生は、もうとっくに後半戦に入っています、と。




