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11月29日(日)

 スットコ市民スタジアムで、息子のサッカー市民大会の決勝。
 決勝の相手は、強豪であり因縁のライバルでもある、ずそずわFC。
 ずそずわFCと息子の所属するうりゃうりゃSCは、これまでにも何度も対戦し、練習試合も何度もやって勝ったり負けたりしている。
 試合の流れはいつもだいたい同じで、全員がボールに群がってオフェンスもディフェンスもへったくれもないわがうりゃうりゃと、ディフェンスを3名固定して、パスを繋ぎ、コート全体を使って頭脳的なサッカーをするずそずわという、実に対照的な戦い。とはいえ、ずそずわもあまり広がってボールに寄せる人数が少ないとボール際の人数で優るうりゃうりゃに押し込まれてしまうので、自然うりゃうりゃに付き合う形で試合全体がラグビー状になっていく。
 それにしても、ちっともパスの練習をしないわがうりゃうりゃは、ボールが集団の外へ転がされると、全員でまたそっちへ殺到するという戦い方だから、走る距離は相対的に相手より長くなり、早く疲弊する。おまけに今回の市民スタジアムは本物のサッカーコートだったから、これまでのコートの倍以上あった。小学1年生が個人でドリブルだけで切り開いてゴールに肉薄するには広すぎて、最終的に1点取られて負けたのである。
 そりゃあ、いつまでも団子サッカーやってたら勝てないわな、と思うと同時に、ボールをとられても、かわされても、次から次へと選手が殺到していく波状攻撃を見ていると、そういう無骨さ不器用さが、どこまで通用するか見届けてみたい気もする。
 息子は点を取られたときから、試合が終わるまで、ずっと泣いていた。
 泣いてないで走れ、とは思いつつも、泣くほどの情熱があるならそれでいい、泣け泣け、もっと泣けと、親として胸を熱くしていたところ、その後の打ち上げパーティーになると、息子はカラオケマイクを決して手離さず、他の仲間を蹴り倒してまでアニメソングを熱唱していた。負けた苛立ちをぶつけていたのではなく、試合のことなど1ミリも覚えていないようであった。

11月30日(月)

 昨夜のパーティーの席で、なんとなくお父さんたちの輪に入れないまま、ひとり佇んでいたのだが、それを見ていた妻に、黙っていると顔が怖いと言われたのである。だから誰も話しかけてこないのよ、とか言う。
 はあ?
 私の顔が怖い?
 この愛くるしい天使のような私の顔が怖いはずないではないか、と半ば冗談、半ば本気で問い返したところ、いいや、あなたの顔は昔から怖いという。まさか。
 自分では、いつまでも童顔過ぎて、貫禄とか、人生の重みに欠けているんじゃないかぐらいに思って、眉間のしわで年輪を表現しようと練習していたぐらいであるのに、妻はそれを真っ向から否定する。
 くだらない話だったら話かけないでくれ、って顔してるのよ。
 彼女の言によると、私はいつも自分の興味のない話題になると、まるで相手にせず、自分の世界に閉じこもってしまうとのこと。パーティーの席でもそんな顔をしていたそうだ。
 そうなのだろうか?
 私としては、誰も話しかけてこないから寂しいぐらいの気持ちだったのだが、自分のほうから「話しかけるなオーラ」を発していたとは。
 だったら自分から話したらいいじゃないの、と妻は指摘するけれども、知らない人といきなり何を話していいのかよくわからないのである。
「子どものサッカーの話をすればいいでしょう」
「サッカーについて素人なんだよ」
「いいじゃない、素人でも。誰も深い話なんか期待してないわよ」
「そうなんだけど、知らないから話続かないし」
「いいじゃん、続かなくたって。話してれば、思ってもいなかった話になって盛り上がったりもするのよ」
 この年になって、そんなひきこもり中学生みたいな指導を受けるとは思わなかった。
「あなた、最近、あんまり人と会っていないでしょう」
「うん。たまに編集者に会うぐらい」
「そういうときってね、そうなるのよ」
「......」
「私も子どもができる前にそうだったから、よくわかる。そういうときって、だんだん人と話すのが億劫になってきて、下手に喋ると相手を傷つけたんじゃないかぐらいに悩んだりして、どんどん自分で勝手に疎外されていくみたいになるの。何でもいいから、話すればいいのよ。面白いとか役に立つとか、会話に何か期待するからだめなの。そうなると相手も話しかけにくいし、自分も話せなくなるの。編集者なんてみんな同業者でしょ。同業者とは話すネタもあるし、興味の方向も似てるからいいけど、それと同じレベルを他で期待しちゃうと無理なのよ」
「それならそれで無理に話さなくてもいいじゃんかよ」
「そうするとみんな離れていって、寂しくなるわけよ。それで寂しくて誰かと話したいんだけど、かえって硬くなってますます疎外されて、って悪循環になるわけ」
「......」
「そうなる前に、今のうちに喋っておいたほうがいいって。普段接点のない人と話さないと、世界が開けないわよ」
 んんん。べつに硬くなっていたつもりもないが、敢えて喋りたいとも思っていなかった。私は、ひきこもりの入口に立っていたのか。
 大きなお世話だ、どうだっていいぞ、と思う一方で、たしかにひとりで原稿を書いているばかりの生活は寂しいという正直な気持ちとで、なんとなくむにゃむにゃした。
 そうして今日仕事場に来て、この日記を書いたわけだが、書いてるうちにまたむにゃむにゃしてきて、昨日の夜に巻き戻して、もう一度やり直したいような気になってきた。
 やあ、みなさん、今日のサッカー惜しかったですね。
 ......ちがうな。唐突だし、不自然だ。
 どうすか、最近?
 って、いきなりそれも馴れ馴れしいし......。
 どっちにしても45歳の悩みじゃない気がするな。
 
 ところで週刊現代に書いたノンフィクションの書評、『江戸うつろ舟ミステリー』は去年の本だった。編集部からダメ出しされる。

12月1日(火)

 昨夜モーリスさんから、またしても『ときどき意味もなくずんずん歩く』増刷の知らせ。そのうえ、それにつられて『わたしの旅に何をする』も増刷になったそうだ。うれしい。おかげで今年の年収は、31歳で会社を辞めた際の年収を、ついにフリー14年目にして初めて上回ることができそうである。
 おおお、自己新記録!
 すかさずこれまでの14年間の年収をグラフ化して悦に入った。 
 にしても14年もかかったか......んんん、苦節14年......苦節のうちのほとんどは、旅行とか外出とか昼寝だったが、とにかく苦節14年......。
 情けないというか、何と言っていいかわからんが、これで苦節にもピリオドが打たれるかというと全然そんなことはなく、来年も再来年も苦節の予定である。新記録だからといって安心できないのは、サラリーマンと違うフリーの身、来年これと同等、またはそれ以上の収入が確保できる保証はどこにもないからである。

12月2日(水)

 なんとなく病院へ行って、インフルエンザの予防接種を受ける。新型が猛威を振るっており、できればそっちを打ったほうがいいぐらいの情勢であるが、それはまだ順番待ちとのことで、季節性のほうを打たれた。
 インフルエンザワクチンは、子どもができてからは、例年打っているけれども、これがなかなか侮れない代物で、打ったその日は頭がなんとなく茫洋として、仕事にならない。仕事にならない以上、仕方がないので、またしても本屋巡りに出かけることにした。
 阿佐ヶ谷の書原へ行き、新宿のブックファーストを見て、どかどか仕入れた。今年はあまり本が読めなかったから、今になって反動がきているらしい。買ったのは、
 トム・ジョーンズ『拳闘士の休息』(河出文庫)
 ユージン・カプラン『奇妙でセクシーな海の生きものたち』(インターシフト)
 川上未映子『世界クッキー』(文藝春秋)
 ホンマタカシ『たのしい写真』(平凡社)
 沢山美果子『江戸の捨て子たち』(歴史文化ライブラリー)
『小堀遠州』(別冊太陽)
 などなど。
 
 ところで最寄り駅から自宅へ帰るさらなる近道を発見した。
 先日バッティングセンターの脇を抜け、畑を通り、坂を下って石仏で曲がる道を発見したばかりだが、今回はさらに意表を突く道だ。というのは、駅からいったん家と反対方向へ歩くのである。
 反対方向へほんの50メートルほど歩いた後、住宅街に分け入っていくと、線路に架かる橋があり、それを越えたところが畑なのだった。その畑はバッティングセンターの畑の延長で、そこにちょうど通り抜ける道があり、同様に坂を下ると、小学校の門前に出て、そこまでくればうちの家は、ほんの1分の距離なのである。これを通れば、前回の道よりさらに1分の短縮になる。もうこれ以上の近道はないだろう。
 最初に家と反対方向へ歩き出すところがみそで、先日の発見に気をよくして地図を眺めていて発見したのだった。
 ちょうど夕暮れ時で、畑の先に富士山が見えた。
 富士山の手前にはバッティングセンターに隣接するゴルフの打ちっ放しがそびえており、畑のなかに突如立ち上がる、緑の大きな鳥かごのようなその姿は、あまりに周囲と場違いであった。おかげで、夕焼けがウルトラセブン的な得体の知れぬ風情になっていた。

12月3日(木)

 雨。
 編集者の堀内さんが亡くなられ、鎌倉まで通夜に出かける。
 新江ノ島水族館に、深海で採取された鉄の殻を持つ貝スケーリーフットが展示されているので、寄ってから行った。
 スケーリーフットは手のひらで転がせる程度の小さな巻貝だが、硫化鉄の貝殻は真っ黒く、その開口部を覆うように小さな鉄のスカートが無数に生えている。スカートで本体を覆うことにより文字通り鉄壁の防御機能を獲得したのだ。生き物なのに見るからに軍事的な趣きがあり、密かにミサイルのひとつやふたつ搭載していてもおかしくないように思われた。というように難攻不落、無敵のスケーリーフットだが、磁石にはくっつくそうだから、たとえばチョウチンアンコウの先っぽに磁石がついているみたいな新種の魚がいれば一網打尽であろう。
 生きた姿は見られず、見れたのは貝殻だけで、中身は2日前に死んでしまったとのことだった。喪服で着てきてちょうどよかったのかもしれない。せっかく水族館に来たのでエイやミズダコ、クラゲ、カエルアンコウなどをしみじみ観賞してから通夜へ向かった。
 堀内さんとは、これまで2度ほど食事をして、仕事もこれからというところだった。初対面のとき、会うなり、宮田さんはもっと旅以外の本を書かなきゃだめ、と言われたのを覚えている。
 彼女をよく知る高野さんによれば、かなりの敏腕編集者であったというから、一度一緒に本を作ってみたかった。残念である。

12月4日(金)

 秋晴れ。
 もう冬のはずだが、どうみても秋晴れ。
 仕事場へ向かう牧場横の坂道で、舞い落ちる赤や黄色の葉を目でなぞっていくと、その先に、昨日の雨で大気中の埃が洗い流されたのだろう、青空が澄みわたっていて、その完璧な青さを見ているうちに、堀内さんのことなど思い出し、漠然と今が人生のゴールのような気がした。
 まだ子どもも小さいのに、この先自分の身には、今まで以上に大きなことは何も起こらない、そしてだんだん静かに年老いて死んでいくのだと、そんな感じが浸透し、それはそれで人生だと思ったりした。
 帰りはものすごく大きな月。

12月5日(土)

 雨。
 毎日、天気が交互に変わる。
 娘のお遊戯会を見に行き、その後、幼稚園のお父さんたちと飲み会。また妻に、黙っていると顔が怖いと言われそうで、べらべら喋ってみたが、とくに達成感はなかった。
 ところで、不思議だったのは、お父さんたちを見ても、彼らが日頃仕事をしている姿がまったく目に浮かばなかったことである。みな、ただの父親で、仕事なんかしていないように見える。それどころか彼らは平日の昼間、この世に存在していないのではないかとさえ感じたほどだ。ペロリンガ星人にすり替わっているのかもしれない。
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