1月1日(金)

 深夜に起きたら、新年だった。
 息子の所属するサッカークラブでは、初日の出を見に高尾山まで行くのが恒例になっているのらしい。今回私と息子のふたりで参加した。
 早朝4時ごろから高尾山を登る。参道は真っ暗で、こんな時間にどこのヒマ人が高尾山なんて登るかと思ったら、ごっそり人がいて、山頂近くになると渋滞していた。みんな毎年こんなことやってたのか。まったく知らずに寝ていたぞ。
 肝心の初日の出は、人ごみに紛れて、出る瞬間を見ることあたわず。肩車で息子にだけ見せた。私は初日の出などどうでもいい。昔から日の出や夕日にぐっときたことがないのだ。だって毎日やってるじゃないか。ちっとも珍しくないと思うのである。そういえば、平成元年の1月8日だったかな、まさに今日、昭和が平成に変わるという朝、平成の初日の出を見に行こうと前夜に友人宅に集まったときも、ふと気がつけばすっかり日が昇っていて、平成全開だった。
 朝日、夕日の時間帯は、太陽に背を向けて景色を見ているほうが、世界が茜色に染まってぐっとくるものがある。今日も、高尾山の山頂から、富士山を見ていた。清冽な空気の中に、それはくっきりと立ち上がっていて、惚れ惚れした。
 帰宅して一旦眠り、昼間にあらためて、新年だと感じ入る。
 だが「ゆく年くる年」なしでは、新年感を十全に味わうことはできなかった。日の出なんかじゃなく、なんかこうもっと、ああ、ついに年が明けたかあ、という感慨を味わいたい。それで近所の広場で凧を揚げてみたのだが、風がなくてちっとも揚がらなかった。

1月2日(土)

 1日過ぎても、まるで新年とは思われないので、あらためて初詣に行くことにした。
 思えば、初日の出は見たけれど、そのままお参りもせずに高尾山を下りてきたのである。やはりきちんとお参りするべきであった。そこで本日、母も連れ立って今一度家族で出かけた。息子は、もう行きたくないとぐずっていたが、そりゃそうだろう。実にその通りな意見だ。しかし父は行きたいのだ。
 そうしてリフトに乗って、薬王院まで歩き、お賽銭投げておみくじ引いてお団子食って帰ってきた。おみくじは今年は吉で、これまで苦しい日々が続いたが、これからはイケイケで、ウハウハであろう、などと書いてあった。しかし、私の長年の研究によれば、まるで信用できん。

1月3日(日)

 娘にせがまれ、車で30分ぐらいかかる広い広いグラウンドへ行って凧揚げ。今日は風があってよく揚がった。
 夕方から車に乗って、「カールじいさんの空飛ぶ家」を観にいく。
 映画は嫌いじゃないけれども、映画館が嫌いなので、あまり出かけないのだが、コマーシャルを見ると面白そうだったので、行ってみることにしたのだった。
 本編前の予告編だの何だのが長く、母は始まる前から寝てしまい、息子も退屈してフリースを被っていた。私もなんだか嫌になってしまい、本編に入る頃には殺伐とした気分になっていた。
 しかし映画は悪くなかった。妻、絶賛。だいたい家を風船で飛ばすという酔狂な発想がすでに○だし、宙に浮かんだ家と体をつないで引っ張って歩いているその絵が笑える。実写で役者がやれば、もっと笑えただろう。さらに私はカールじいさんの妻エリーの溌剌とした感じが気に入った。ちょっとしか出てこなかったけど。

1月4日(月)

 昨日、昔住んでいたマンションの郵便受けに、間違って年賀状が配達されていないか見に行ったところ、年賀状ではなくて、小さな宅配便が届いていた。差出人を見ると、見知らぬ名前で、見知らぬどころか日本人ですらなくて、内容物は石となっていた。
 石?
 いったいどこの何人が私に石を送ってくるのであるか。
 いきなり見知らぬ外国人から石送りつけられて、神は私にどうしろというのか。
 しかも日付を見ると、去年の11月頭である。かなり前に届いていたらしい。
 危険物かもしれないので、用心しいしい開けてみると、本当に石が入っていた。
 それもただの石ではない。実に石っぷりのいいというか、水石にして鑑賞したいぐらいのいい形の奇石であった。
 突然こんな得体の知れぬものを送ってくれたのは、私がベトナムでホンノンボなる盆栽を追いかけていたときに知り合った人の、日本に留学中の息子のようだった。息子は知らないが、父親には現地でインタビューなどしてお世話になったのである。そういえば、息子が日本に留学中で、東京の紫色のビルの近くに住んでいるとか何とか言っていた。それだけの情報で私に手紙を託そうとするので、困惑した記憶がある。あれは何年前のことだったか。
 ともあれその人が息子に石を送り、これを私に届けよと命じたらしい。
 ありがたい。ありがたいし、まさに今年は石拾いをやろうと思っていたのであり、実に幸先がいい。

1月5日(火)

 46歳になった。
 いまだ40代の心の準備ができていないというのに、46?
 義母から電話で、もう四捨五入すると50ですね、と茶化されたが、それは去年からである。
 なんだか、人生においてやっておきたいことは、そろそろ全部着手しておかないといかんという気持ちになり、何がやりたいのか、じっくり考えてみた。迷路のような家を建てたいとか、八犬伝のような小説を書きたいとか、細かいことはいくつかあったが、最終的にこれという一本がよくわからない。他のすべてを犠牲にしてでもこのひとつ、というのが。
 なんとなくだけど、結局仕事じゃなくて子育てなんじゃないか、という気もする。実に平凡なようでもあり、本能のようでもある。

1月6日(水)

城と隠物の戦国誌 (朝日選書)
『城と隠物の戦国誌 (朝日選書)』
藤木 久志
朝日新聞出版
1,365円(税込)
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 本屋巡りをするつもりで家を出て、まずは南阿佐ヶ谷の書原まで本を仕入れに行った。棚の前にいるだけでうれしくなり、しゃがんで物色しつつ、そのまま蟹のように横移動しようとしたところ、膝を棚にぶつけたのである。
 うがっ!
 激痛が走り、思わず店の中で四つん這いになって、うめいた。
 ちょっとぶつけただけでこの激痛。よほど見事なツボに入ったにちがいない。しばらく立ち上がることもできなかったのだった。そうして命からがら買ったのが、藤木久志『城と隠物の戦国誌』(朝日新聞出版)であった。
 その後店を出た後も、あまりの痛さに階段が横向きでしか下りられなくなり、本屋巡りの意欲はみるみる消失。まいったなあ、これから池袋とか御茶ノ水とか神保町とか回るつもりだったのに。
 こういうときは気持ちを切り替え、動かないでもいい何かをしようと、急遽映画を観に行くことにした。
 そうして話題の「アバター」を観たのである。
 平日の昼間だというのに満席であった。
 ストーリーが凡庸だろうことは予想がついていたが、幻想的な風景をぜひ3Dで観てみたかった。
 惑星パンドラのイメージは、実に観光旅行的というか、地球上の風物の寄せ集めといった味わいで、樹が高層ビル以上にでかいとか、クラゲみたいなものが空中に漂っているとか、海中でよく見るイバラカンザシが巨大化して地表にあるとか、原住民の儀式はバリ島のケチャみたいだったし、夜光性の植物の森はディズニーランドのエレクトリカルパレードみたいだし、あとは岩が宙に浮かんでいるといった程度の、新奇さに乏しいものばかりだった。翼竜に乗って戦うスタイルもファンタジー映画ではお馴染みだ。
 したがって何ひとつ斬新なイメージは入っていないのだが、それでも細やかに描写されていたので、楽しい旅行気分を味わうことができた。それだけと言えばそれだけであり、それが楽しいと言えば、そうだった。映画通は酷評しそうだけれども、私はそこそこ満足した。
 第2弾も予定されており、アバター2はおおよそこんなストーリーになる。
 あれから数年後、主人公ジェイクと、妻ナヴィには子供ができている。領土争いか恋愛問題かわからないが、部族間、もしくは部族内で揉め事があって、ゴタゴタしていると、ふたたび地球からおびただしい数の軍隊が攻めてくる。ゴタゴタの当事者たちも結託して応戦するが、健闘空しく、パンドラは蹂躙され、豊かな自然は失われ、まるで地球のような星になっていく。原住民は追い詰められ、ゲリラ戦となるも、強力な地球軍を前に、手も足も出ないといった状況。だが、パンドラ星の最奥、伝説の地にある神秘の石を持ち帰れば、世界をこの手に取り戻すことができる云々、そうしてジェイクの息子は伝説の地に向けて旅立つのだった、3へ続く。てな話にならないよう健闘を祈りたい。

1月7日(木)

 母、関西に帰る。
 
 3年前から足が熱い件、これまでいくつもの病院を転々としてきたが、さっぱり原因がわからない。心因性と言われればそうなのかもしれないが、気分は決して沈んでいるわけではないので、どうも腑に落ちない。仕事への集中力がそがれることもあり、いい加減決着をつけたく、このたび大きな病院で、あらためてMRIを撮ることにした。
 そして今日がその検査の日。以前一度撮って異常なしと言われているのだが、今回はさらに脳を含めた広範囲を撮影した。
 どうせまた何も見つからないんだろうと半ばあきらめ、半ば高をくくっていたら、なんということであろう、前回撮らなかった部分に、謎の影が発見されたのである。
 えええっ!
 詳しくはもう一度造影剤を入れて検査ということに。
 何か見つけるために、無理に頼んで調べてもらったわけで、そういう意味ではやっと見つかったという達成感を感じるべきなのかもしれないが、まさか本当に見つかるとは! 唐突に恐怖に襲われ、パニックになりそうだった。
 そうして帰宅し、不安で眠れないまま過ごした夜に考えたことは、人生やっておかなければならないことを整理して、さっそく取り掛かろうということで、つまるところガンガン書くしかない。書くことであんまり自分と向き合いたくないけど、私が死んでも子供が苦労しないぐらいに稼いでおかねばと思ったのだった。きっと仕事に熱中しないでいると、不安におびえるだけの人生になってしまうに違いない。

1月8日(金)

バガボンド(30)(モーニングKC)
『バガボンド(30)(モーニングKC)』
井上 雄彦
講談社
560円(税込)
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 造影剤を入れて再検査。
 このところ天気がよくて、助かった。曇天の日に検査なんかしたら、気分が陰鬱になって、検査結果まで悪くなりそうである。
 一夜明けて、落ち着いて考えるに、私は家を買っておいて本当によかった。難病になってからではローン組めないだろうし、死んだら全部チャラになるのはやはり心強い。あと、おみくじはまるで当てにならんということも考えた。
 MRIというのは、棺おけ並みの狭い筒の中に入って、ブブブブブブブとか、コンコンコンコンコンコンとかいう大きな音を延々聞いている検査で、じっと動かないでいるのは、実に気が滅入る。しかも動いてはいけないと思うと、鼻が痒かった。ときどき筒から引っ張り出されて、気分はどうですか、と聞かれるたびに、鼻掻いていいですか、と尋ねた私だ。
 検査の結果、影は良性のものだったらしくて大安心し、鼻もいっぱい掻いたが、良性とはいえそれが神経を圧迫して足に症状が出ているのではないか、と言われ、さらに詳しい専門医のところへ行けと言われたのである。
 
 自宅に戻りながら考えた。
 昨夜は、もう明日から人生のやるべきことに取り掛かろう、検査の結果がどうあれ、もっと一日一日大事に生きねば、そうだ、ぐずぐずしてはいられない、結果が出たら、まずは〈人生でやっておきたい10のこと〉をリストアップする作業から始めようと思ったが、さらに深く考えを掘り下げていったところ、人生でやるべきことって、ただとにかく生きることではないのだろうか、生きていればそれだけでいいんじゃないか、という悟りにも似た境地に至った。
 ということで、今日は「バガボンド」の30巻読んで寝たのだった。

1月9日(土)

 昨日、一昨日とほとんど仕事ができなかったので、今日は仕事場へ。
 いよいよフルパワーモードで働く2010年がはじまった、決戦の火蓋は切って落とされた、と満を持してパソコンに向かい電源を入れたところ、突然、甲高い警告音がして赤いランプが点滅した。なんなんだ、いったい。画面には何も映らない。パソコン、死んでるじゃないか。これはどういう神の思し召しであろうか。生きてさえいれば、仕事しなくてもいいという啓示だろうか。
 仕方がないので、予備のパソコンの電源を数ヶ月ぶりに入れることにした。すると、おお、そこには、久しく見なかったが、妙に心安らぐアイコンが。
 それは、人生に行き詰ったときに開く心の処方箋というか、あらゆる悩みがくだらないものに見えてくる奇跡の薬というか、まさに今足の熱感で悩んでいる私に必要な神の水というか、仏の慈悲というか、MYST4というか、まあMYST4は去年クリアしたので、次なるMYST5をインストールして、さっそく次なる心の治療を始めよ、という、そういう神の啓示的なものが感じられるアイコンであった。そういうことなら、生きてさえいればいい私は、心の治療を開始す......。
 働け!
 突然、点滅をくりかえす赤いランプの奥から、懐かしい声が聴こえた。

1月10日(日)

 Mさん一家とともに、車で一時間ほどのところにある公園へ、凧揚げとフィールドアスレチックをやりにいく。
 子供向けのアスレチックだから、大人から見れば楽勝感が漂っており、いいかこうやるんだ見てろ、と言ったのは、まあだいたい十年ぐらい前の私の残像で、実際にやってみたのは現在の私で、で結局どうやればいいの? と最後に言ったのが私の息子である。
 ほら見ろ、あのお兄ちゃんがやってるだろ、あんなふうにやればいいんだ。

1月11日(月)

 子供を見ていて不思議に思うことがある。私は小学4年以前の記憶がほとんどない。その記憶の不明瞭さは、人類の歴史における縄文時代並みのわからなさで、当時の人間(私)が何考えてたのかさっぱり不明である。たぶん自意識のない動物のようなものだったのだろう。
 そう思って息子を見ると、動物にしては、話す内容も、内容のくだらなさは別にして、明快であり、まったく記憶に残らないにしては、とても具体的な会話を交わしている。大人になれば、現在のさまざまな出来事は大方忘れてしまうはずだが、これだけ自覚的に喋っていながら、その記憶がほぼ全部なくなるということが信じられない。その忘却力のすごさたるや老人以上ではないか。この明快に会話している主体は、いったいどこへ行ってしまうのか。
 去年も参加したスットコ市民フットサル大会の応援。

1月12日(火)

 いかにも寒々しいみぞれが降り、午後には冷たい雪にかわって、すべてが嫌に。

1月13日(水)

 風騒ぐ。
 強い風のせいで、雪だった昨日より、晴れている今日のほうが寒い。手袋をして仕事場に出かけた。
 牧場の牛や羊も、吹きさらしでさぞ寒さに凍えているだろうと思えば、とくにそういう感じはなく、レンジでチンした餅のように地面に型崩れしたまま黙々と草を食んでいた。
 冬の青空は、牧歌的で幸せだ。気候的にはたいして変わらないのだろうが、年末の空より、正月明けの空のほうが、明るくて希望に満ちた感じがする。今年は「ゆく年くる年」を見なかったおかげで、年が切り替わった実感が乏しかったのだが、しみじみ空を眺めていると、ああ、これはたしかに年末じゃなくて正月の空だという、そんな味わいが感じられた。
 仕事場に行って、四国を書く。

1月14日(木)

勝間さん、努力で幸せになれますか
『勝間さん、努力で幸せになれますか』
勝間 和代,香山 リカ
朝日新聞出版
1,050円(税込)
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 突然、長く連絡を絶っていたかつての会社員時代の同僚I君から、機内誌を見ましたよと電話があり、久々に飲みに行った(といっても私はウーロン茶)。新大久保の韓国料理屋で鍋を食べたのである。
 それで今度、3週間ぐらい韓国旅行に行きませんかと突然言われる。
 I君は、数年前まで韓国に留学していて、韓国びいきなのである。あまりに唐突だが、魅力的な提案だ。私も韓国は一度じっくり旅行してみたいと思っていた。I君が一緒なら、通訳もいらず、とても楽チンそうであり、なおかつ私個人では行けない場所に行けるかもしれないのであって、ぜひ実現させたい。
 ただ、つい考えてしまうのは、それも原稿書いて本にできないかということで、そういうところが自分の面倒くさいところである。
 
 新宿に出たついでに買った本。
 トニー・ロビンソン『最悪の仕事の歴史』(原書房)
 ジャイルズ・ミルトン『奴隷になったイギリス人の物語』(アスペクト)
 川村博忠『江戸幕府の日本地図』(歴史文化ライブラリー)
 ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』(岩波文庫)
 トルストイ『戦争と平和(1)』(新潮文庫)
 勝間和代、香山リカ『勝間さん、努力で幸せになれますか』(朝日新聞出版)
 
 勝間、香山対談は、帰りの電車で一気に読んでしまった。どこまでも堂々巡りで、話の階層が噛み合っていない感じがした。

1月15日(金)

 最近、このスットコランド日記が陰気である。というようなご意見を、数人からいただく。自分でもそう思う。理由は単純だ。
 今、私が滅法陰気だからである。
 夕方になると足が熱くて陰気になり、昼間は体力の衰えが身に染みて陰気になり、朝は家が寒くて陰気になっている。日々陰々滅々として、私が世界の気温を冷やしているんじゃないかと思うぐらいだ。毎日立つ霜柱も私のせいかもしれない。このまま地球温暖化防止に役立てればと思う。
 陰気になっているせいで、好奇心も磨耗している。これが一番よくない。
 アレがやりたい、これがやりたい、こうなりたい、こうしたい、といった類の欲望が矮小化し、熱い風呂に入ってじっとしていたい、家でボーッとDVDでも観ていたい、子供を膝に抱っこしていたい、などといった室内充足型の半ひきこもり人間になってきた。
 大きな目標を掲げて、よし、明日からこれをやるぞ! という展開は、現在の私にはほとんど期待できない。そんなことができるぐらいなら、もっと溌剌とした日記を書いているだろう。
 これまでならば、こんなことではいかん、こういうときは有酸素運動だと、ジョギングしたりしていた私だけれど、ジョギングはほとほと趣味じゃないことが判明した。他にやりたいスポーツもとくにない。陰気きわまりない私である。
 では、どうすればいいか。
 すると、妻が言うのだ。
 外出したら? 
 おお、外出!
 まさに外出が欠けていたではないか。このところの私は必要最小限の外出しかしていない。仕事か、買い物か、子供の付き添い程度である。それがいけなかったのかもしれん。そうではなくて、意味もなく外出しなければ私は呼吸できなくなる構造なのだ。なにしろ外出作家だからな。
 ということで、妻のお墨付きも得たので、今後意味もなく外出することにする。

1月16日(土)

 娘を連れて自転車で、サインクリングに出かけた。
 娘はまだそんなに遠出はできないが、ピカピカタウンに出て西へ進み、ウンボコ川の上流に出て、川沿いに走って戻る。
 それだけでは物足りないので、壊れたパソコンを修理に出しに行き、さらに絵本も借りに行ったりして、少しでも外出した。
 その程度の外出で何が変わるわけでもないが、できるだけ回遊することが大事である。
 四国遍路も暖かくなってからにしようと思っていたが、さっさと行くことにしたい。
 
 ※というわけで、次回更新は遅れます。あしからず、ご了承ください。

1月17日(日)

 息子のフットサル大会の応援。
 夜、テレビを点けると、エイベックスの社長松浦氏のドキュメンタリーをやっていた。浜崎あゆみのツアーの打ち上げを、紫色にライティングされたレストランバーみたいな場所でやっており、ああ、今でもこんな場所があるのかと思い、それがまるで浮世離れして見えて、空々しく、嫌悪感を覚えた。まだこんなことやってんのかと。
 照明が紫色だなんて、どうしようもない気がした。

1月18日(月)

 X社のイザベラさんから連絡があって、新連載の企画が通ったとのこと。
 私が提案していた企画は、ある種の温泉紀行で、これまで温泉など一切関心がなく、それどころか風呂さえも面倒くさかった私が、どうして突然温泉なのかといえば、自分でもその変化には驚き呆れているのだけれども、端的に言えば、老人化したのである。最近、熱い風呂がうれしい。
 だが今さら温泉なんて、書き尽くされているだろう。そこで、私の個人的な趣味で、一定の基準を満たす温泉だけ巡ることにした。ありそうでなかったタイプの温泉紀行になりそうな気がしている。個人的に期待度大だが、それはそれとしてとりあえずさっさと温泉に入りたい。
 
 散髪。
 倹約のため、だらだらと髪を伸ばしっぱなしにしていたが、髪が長くなればなるほど、隙間の地肌が目立ってみっともないので、一気に短くした。徐々に小田和正みたいな頭になってほしい。

1月19日(火)

 映画館へ行って、「かいじゅうたちのいるところ」を観る。
 今年に入ってすでに、映画館で3本も映画を観た。私には珍しいことだ。「かいじゅうたちのいるところ」はかいじゅうの表情や動きが秀逸で、それを観ているだけで面白かった。主人公の少年が寂しさから無闇に暴れる描写は、大袈裟なようにも思ったが、子どもが出来てみると納得できる。子どもは無闇に凶暴なものである。
 それはそうと、映画の中で、かいじゅうが秘密の場所にホンノンボを作っていた。ホンノンボは、密かに世界中で流行しているのだ。間違いない。

 エンタメノンフ飲み会で、高野さん、内澤さん、ニックさんと飲む。
 ニックさんは、宮田さんは絵本を描くべきですと言い、内澤さんは、ノンフィクションの脳と小説の脳は同時に並存できないから、小説を書きたいなら、今書いてるもの全部やめて、その分、赤帽でもして生活費稼ぎながら書け、と言い、高野さんは、もっと旅行しなきゃだめだよ宮田さん、と言い、どれもこれも妻とだいたい同じ意見なのだった。
 客観的に、私はそういう状況なのらしい。

1月20日(水)

 いよいよ最後の四国へ。
 今回で結願する予定である。数えてみると、もう8回目の区切り遍路になる。最近は少々飽きがきていたものの、それでも行かないより行ったほうが楽しい。
 新幹線で岡山に出て、そこから高知県の宿毛まで特急に乗る。岡山までの新幹線より、岡山から宿毛までのほうが時間がかかった。早朝に家を出たのに、宿毛に着いた時点でもう夜の6時を回っていた。
 宿毛のバス停でバスを待っていると、大寒だというのに、なま暖かい海風が吹いて、まるで南の島に旅に来たかのようだった。ああ、自分は今こんなところにいる、と思い、バックパック担いで各地をうろついていた時代を追体験するようで、懐かしい気持ちになった。バス停には私ひとりしかおらず、駅周辺にはひと気なく閑散として、ますます心寂しい旅の気分。乗客は結局ふたりだけだった。
 今日の宿は、「南レク御荘公園」というバス停から歩いていける民宿。去年の夏、引越しのゴタゴタと台風の影響で、ここから宇和島までの区間を歩くことが出来なかったのだ。この区間を制覇してから、結願へ向かいたい。
 もともとは歩きにこだわらないつもりで、むしろこだわったら負けぐらいに考えていた四国遍路も、案の定全部歩くことになりそうである。というか今では、ここまできたら全部歩きたいという気持ちに侵されており、こだわりから自由になるのは本当に難しいことがわかる。
 全部歩いたら負けだと思っているのに、結局全部歩こうとしているのだ。実に不自由な自分である。
 
 今はお遍路のオフシーズンなので、民宿の客は私ひとりだった。

1月21日(木)

 朝7時半に歩き出すと、昨日の暖かさのせいなのか、それとももともとこの時期なのか、そこここで蝋梅が咲いていた。
 国道56号線を北上。昼過ぎには津島に着いて、宿に入る。もっと歩けたが、一気に宇和島まで行くには遠いので、ここでいい。
 今日は同宿人がひとりおり、お遍路しながら郵便局の消印を集めて歩いている青年だった。小さな郵便局でも簡易局でも片っ端から入って、50円切手を買い、ノートに貼って、そこに消印をもらうのだそうだ。そうやってチビチビ進むから、お遍路のほうはなかなか進まない。ファンクラブに入っているアイドルのコンサートに鹿児島まで行ってからここに来たと言い、なんで鹿児島なのか、ときくと、都会のコンサートは即刻完売で、電話してもチケットが取れないのだとのこと。なんだか、いろいろ忙しそうだ。でも、ひとつの旅で3つもやることがあって、充実している。
 消印のコレクションノートを見せてもらうと、切手がほとんどキティちゃんだった。

1月22日(金)

 小さな峠をひとつ越え、宇和島まで歩く。
 このあたりは、ほぼ国道に沿って歩くので、どんどん嫌になった。そういえば、去年の5月だったか、宇和島から出発したときも、同じことを思った。おかげで宇和島の印象はずいぶん悪い。
 国道なんてどこだって走っているわけで、たまたまへんろ道が国道だっただけで心象悪くされて、宇和島もかわいそうに。

1月23日(土)

富士日記〈上〉 (中公文庫)
『富士日記〈上〉 (中公文庫)』
武田 百合子
中央公論社
980円(税込)
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 昨日、宇和島の未踏破区間を歩き終えたので、高松へ移動。
 電車の中で、何度も中途挫折している武田百合子『富士日記(上)』(中公文庫)を読んだ。私はこの本の面白さがさっぱりわからず、何度読んでも挫折するのだが、しかし少しは面白くないこともないので、ついまた手に取るのである。そうして今回辛抱強く読んでいくと、だんだん面白いような気がしてきた。日記文学とは、そういうものなのかもしれない。
 日記にところどころ夫武田泰淳の文章も混じっていて、それを読むと、実にわざとらしく、あざとく、文学っぽく書こうと狙っている感じが見え見えなので、武田百合子の気ままな文章を結果的に光らせている。武田泰淳は「富士」「森と湖のまつり」「めまいのする散歩」などを読んだことがあるが、どれも同じように、わざとらしく、いかにもそれっぽく書いてみせようという文学者の魂胆がありありと感じられて、たいした作家とは思えなかった。
『富士日記(上)』は、読み慣れてくるにつれ、だいぶ面白くなってきて、今度(中)も買ってみようかという気持ちになった。

1月24日(日)

 高松からスタスタ歩いて屋島寺に登り、屋島を下ると、今度は五剣山の八栗寺に登り、さらに海沿いを歩いて志度寺を打ち、その後もどんどん歩いて87番札所の長尾寺まで進んだ。ついに87/88まで来た。
 途中、歩き遍路にはほとんど会わなかったが、長尾寺に、でかいザックを背負った若者がひとりいて、話しかけてみると韓国人だった。韓国からわざわざ歩き遍路に来たらしい。ハングル文字で書かれた四国遍路ガイドブックを持っており、少し日本語を話す。外国人観光客好きの血が疼き、何か役に立ちたいという衝動に駆られたが、とくに提供できる耳寄り情報がなかった。

1月25日(月)

 いよいよ長尾寺から88番札所の大窪寺に向けて歩き出す。
 本来のへんろ道は、緩やかな登りの車道だが、どういうわけか歩き遍路は、大窪寺の背後から女体山を越える場合が多いらしい。旧へんろ道に比べてハードな道であり、時間的にもメリットがないので、いったい何を好き好んで、と思うけれど、私も女体山越えを選んだ。やはり最後だから、ひと苦労して充実したいのである。そもそも女体山て名前が、ぜひ乗っかってみたい気がするではないか。
 だが、この山道が思っていたよりきつかった。登山と思えば何ほどでもないが、ここまでに四国で登ったいくつもの山や峠のなかでは、屈指のしんどさかもしれない。最後は両手を使って這うように登り切り、女体を征服した。
 そうしてついに88番を打ち、結願。
 ここで、多くの遍路は金剛杖や菅笠を納めるわけだが、どういうわけか菅笠を納めようとすると露骨に嫌な顔をされ、納め料1000円と言われる。金取るなんて知らなかった。まあ、みんながみんな納めたら燃やすだけでも膨大な量だから、粗大ゴミの引き取り料金みたいなものか。それにしても1000円は高い。いかにも、面倒くせえなあ、という表情の納経所のおっさんを見ながら、最後の最後に実に嫌な気分になったのである。
 境内には昨日の韓国人も先に到着していた。お互いに祝福しあう。
「私、は、去年11月に会社を辞め、ました。それで何しようかと思てたとき、韓国に四国の本2冊あります。これだ、と思いました」
 こうして、四国遍路は終わった。けれど、ここで終わると四国を一周したことにはならないので、私はさらに、始点に戻るまで歩くつもりだ。

1月26日(火)

 高校時代の同級生がトイレを新築したというので、座ってみた。金属製で朱色に塗られていた。同級生は、この色は違うやろと文句を言っていた。思えば金属製では尻がとても冷たいはずだが、まったくそんなことはなかったから、夢では熱は感じないということがわかる。
 そうして、朝からまた1番に向けて歩き出した。
 88ヶ所全部回ったという達成感があまり湧いてこないのは、区切りながら歩いたからかもしれない。通しで歩けばきつかろうが、区切って歩くとたいしてきつくなかった。一方で、一度お遍路すると、また来たくなるという気持ちはよくわかる。後から思うと、黙々と歩いている間、自分がかけがえのない充実の中にあったような気がし、この充実感をまた味わいたいと思うのだろう。
 18キロぐらい歩いて、10番札所に出た。見覚えのある小さな交差点にたどりつき、おお、ここは! と懐かしんだ。ここに戻るまで約1年半かかったことになる。
 ここからさらに、へんろ道を逆向きに1番まで歩くつもりだったが、ここで一周が完成したと思うと、みるみるうちに、後はどうだっていい気持ちがわき起こって、1番まで行ってもらうはずだった締めの朱印を、途中の6番でさっさともらってしまって、これでいいや、と思ったのだった。
 ちなみに6番の安楽寺は、山号を温泉山という。
 温泉山安楽寺、なんというお気楽な名前であろうか。実に私にぴったりという気がする。思えば、私はこれから新たに温泉の連載を始める予定である。橋渡しもばっちりではないか。
 お遍路の次は、温泉だ!
 と気持ちはもう次のネタに向かっていた。

1月27日(水)

 宿で聞くと、88番札所の納経所は、感じ悪いことで有名らしい。そうだろうな。そうだと思った。
 一応、今日も朝から歩き出す。
 5番札所の地蔵寺に五百羅漢があり、前回ここを通ったときに観て、なかなか壮観だったので、あらためて寄ってみた。拝観者はほとんどおらず、受付のおばさんが、ヒマにあかせて、コーヒーを接待してくれた。
「歩き遍路でここへ寄られる方は、一割以下ですね。みなさん急いでおられるので。そこまで来て通り過ぎていかれます」
 もったいない。この五百羅漢はユーモラスで楽しいので、観たほうがいいと思う。
 5番を出て歩いていくと、3番札所金泉寺の前にJRの駅があり、もう少し歩けば1番だけれども、もうさっぱりどうでもいいので、電車に乗って徳島へ出て、そこからバスと新幹線を乗り継いで家に帰った。
 四国遍路ならびに、徒歩での四国一周終了。パチパチパチ。

1月28日(木)

 家の給湯が、寒い朝に凍ってしまうので、先日業者を呼んで、給水管、配水管を断熱材で二重にぐるぐる巻きにしてもらったのだが、それでも凍る。
 同時に建てられ、同じ器具を使っている隣や後ろの建売り住宅では、ちっとも凍らないというので、器具そのものが不良品なのではないかと思い、今日、ガス会社の人に見てもらった。しかし器具はおかしくないとのこと。一戸だけ凍るのはよくあることで、建物の位置や風向きなどによって一戸一戸条件はまるで異なるそうである。
 ということは、うちは近所で一番寒い家ということになるのか。そういえば、西側の庭に高さ10センチ近い霜柱がよく立つが、近所でそこまでの霜柱は見たことがない。そもそも隣の家の庭にも、霜柱はほとんど立たないのである。
 うちだけツンドラ?
 たしか正月に高尾山へ初詣に行ったとき、参道脇の霜柱を見て、高尾山もまだまだだな、うちの霜柱のほうがでかい、と得意な気分になったことがあった。しかし、得意がってる場合ではなかった。標高にして、うちより500メートルは高いだろう高尾山に勝ってどうするか。
 
 昨夜四国から帰宅した際、息子に社交辞令で「学校はどうだ」と聞いたところ、「毎日腕立て伏せしてる。こんなに筋肉固くなったんだよ」と自慢げに力こぶをつくるので、「そうかそうか、すごいなあ」と褒めてやったのだが、今日妻と話していると、私が留守の間に授業参観があり、息子は算数の授業中に、ひとりだけ床で腕立て伏せしていたという。その後、悪びれる様子もなく、見て、こんなにやったよ、と毎日回数を記録しているノートを見せたのだそうだ。妻は呆れて果てて、笑うしかなかったそうだ。

1月29日(金)

 少しずつ、日が伸びてきていてうれしい。
 今朝は霜柱もなく、空は穏やかに晴れわたって、絶好の外出日和だったが、そういえばおとといぐらいまで外出していたような気もし、しばらくパソコンとか原稿とか見てない気もするので、黙々と仕事場へ出かけた。
 牧場の横を通ると、牛がスフィンクスのような形で、気持ちよさそうにこっちを見ていた。正面から牛を見ると、思いのほか耳がでかく、アニメやイラストでキャラクター化して描かれる牛の耳は小さすぎると思った。現実には、顔の横に羽根といってもいいぐらいの大きさでついている。顔だけなら、きっと空を飛ぶだろう。
 その後、仕事場の机でパソコンに向かいながら、窓の外を見ると、あまりにいい天気でいてもたってもいられない気がした。が、そういえば再来週に山陰地方の温泉へ行く予定が入っているような気もするので、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで書いたのが、この日記である。

1月30日(土)

 うりゃうりゃSCの親子サッカーという催しがあり、小学1年生チームと親チームで対決した。5分ハーフぐらいで勘弁してほしかったが、10分ハーフで4セットもさせられ、おおいに消耗した。
 試合後、息子に「お父さん、無闇に思い切り蹴りすぎ」とダメ出しされ、なんか腹立つ。

1月31日(日)

 スットコ市民フットサル大会の観戦。息子のチームはベスト8まで勝ち進んでおり、本日ベスト4行きを賭けて、試合に臨んだ。
 このあたりになるとどこと当たっても強豪ばかりで、実力は互角。ちっとも点が入らず試合は0対0のまま後半にもつれこんだ。息子のいつもながらの精彩を欠いた動きに、くうううう、イライラする、とっととPK戦になって負けてしまいやがれ! と逆説的に応援していたところ、終盤になって不意に息子が活性化し、終了20秒前に、とても本人の仕業とは思えない強烈なシュートを放ってゴール。目が点になった。それが決勝点となり、試合終了のホイッスルが鳴ったときには、涙がこみあげてきて、止まらなかったのだった。他の親たちや妻にまでも祝福されつつ、笑われる。
 
 娘がどうしてもピアノを習いたいと主張するので、レッスンを受けさせることにし、今日電子ピアノを買いに行った。楽器など何ひとつ弾けない私は、このタイプはピアノの音が6種類選べるとか営業されて、何のことかさっぱりわからなかった。ピアノの音が6種類って、どういうこっちゃ? ハープシコードとかオルガンの音も出るってことかと思えば、そうではなくて全部ピアノの音だという。わからん。ピアノの音はひとつじゃないのか。6種類のなかで一番いい音がひとつあれば、それでいいんじゃないのか。
 んー、それはつまりあれか、かっぱえびせんに、塩味とかバーベキュー味があるようなものか。