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1月24日(日)

 高松からスタスタ歩いて屋島寺に登り、屋島を下ると、今度は五剣山の八栗寺に登り、さらに海沿いを歩いて志度寺を打ち、その後もどんどん歩いて87番札所の長尾寺まで進んだ。ついに87/88まで来た。
 途中、歩き遍路にはほとんど会わなかったが、長尾寺に、でかいザックを背負った若者がひとりいて、話しかけてみると韓国人だった。韓国からわざわざ歩き遍路に来たらしい。ハングル文字で書かれた四国遍路ガイドブックを持っており、少し日本語を話す。外国人観光客好きの血が疼き、何か役に立ちたいという衝動に駆られたが、とくに提供できる耳寄り情報がなかった。

1月25日(月)

 いよいよ長尾寺から88番札所の大窪寺に向けて歩き出す。
 本来のへんろ道は、緩やかな登りの車道だが、どういうわけか歩き遍路は、大窪寺の背後から女体山を越える場合が多いらしい。旧へんろ道に比べてハードな道であり、時間的にもメリットがないので、いったい何を好き好んで、と思うけれど、私も女体山越えを選んだ。やはり最後だから、ひと苦労して充実したいのである。そもそも女体山て名前が、ぜひ乗っかってみたい気がするではないか。
 だが、この山道が思っていたよりきつかった。登山と思えば何ほどでもないが、ここまでに四国で登ったいくつもの山や峠のなかでは、屈指のしんどさかもしれない。最後は両手を使って這うように登り切り、女体を征服した。
 そうしてついに88番を打ち、結願。
 ここで、多くの遍路は金剛杖や菅笠を納めるわけだが、どういうわけか菅笠を納めようとすると露骨に嫌な顔をされ、納め料1000円と言われる。金取るなんて知らなかった。まあ、みんながみんな納めたら燃やすだけでも膨大な量だから、粗大ゴミの引き取り料金みたいなものか。それにしても1000円は高い。いかにも、面倒くせえなあ、という表情の納経所のおっさんを見ながら、最後の最後に実に嫌な気分になったのである。
 境内には昨日の韓国人も先に到着していた。お互いに祝福しあう。
「私、は、去年11月に会社を辞め、ました。それで何しようかと思てたとき、韓国に四国の本2冊あります。これだ、と思いました」
 こうして、四国遍路は終わった。けれど、ここで終わると四国を一周したことにはならないので、私はさらに、始点に戻るまで歩くつもりだ。

1月26日(火)

 高校時代の同級生がトイレを新築したというので、座ってみた。金属製で朱色に塗られていた。同級生は、この色は違うやろと文句を言っていた。思えば金属製では尻がとても冷たいはずだが、まったくそんなことはなかったから、夢では熱は感じないということがわかる。
 そうして、朝からまた1番に向けて歩き出した。
 88ヶ所全部回ったという達成感があまり湧いてこないのは、区切りながら歩いたからかもしれない。通しで歩けばきつかろうが、区切って歩くとたいしてきつくなかった。一方で、一度お遍路すると、また来たくなるという気持ちはよくわかる。後から思うと、黙々と歩いている間、自分がかけがえのない充実の中にあったような気がし、この充実感をまた味わいたいと思うのだろう。
 18キロぐらい歩いて、10番札所に出た。見覚えのある小さな交差点にたどりつき、おお、ここは! と懐かしんだ。ここに戻るまで約1年半かかったことになる。
 ここからさらに、へんろ道を逆向きに1番まで歩くつもりだったが、ここで一周が完成したと思うと、みるみるうちに、後はどうだっていい気持ちがわき起こって、1番まで行ってもらうはずだった締めの朱印を、途中の6番でさっさともらってしまって、これでいいや、と思ったのだった。
 ちなみに6番の安楽寺は、山号を温泉山という。
 温泉山安楽寺、なんというお気楽な名前であろうか。実に私にぴったりという気がする。思えば、私はこれから新たに温泉の連載を始める予定である。橋渡しもばっちりではないか。
 お遍路の次は、温泉だ!
 と気持ちはもう次のネタに向かっていた。

1月27日(水)

 宿で聞くと、88番札所の納経所は、感じ悪いことで有名らしい。そうだろうな。そうだと思った。
 一応、今日も朝から歩き出す。
 5番札所の地蔵寺に五百羅漢があり、前回ここを通ったときに観て、なかなか壮観だったので、あらためて寄ってみた。拝観者はほとんどおらず、受付のおばさんが、ヒマにあかせて、コーヒーを接待してくれた。
「歩き遍路でここへ寄られる方は、一割以下ですね。みなさん急いでおられるので。そこまで来て通り過ぎていかれます」
 もったいない。この五百羅漢はユーモラスで楽しいので、観たほうがいいと思う。
 5番を出て歩いていくと、3番札所金泉寺の前にJRの駅があり、もう少し歩けば1番だけれども、もうさっぱりどうでもいいので、電車に乗って徳島へ出て、そこからバスと新幹線を乗り継いで家に帰った。
 四国遍路ならびに、徒歩での四国一周終了。パチパチパチ。

1月28日(木)

 家の給湯が、寒い朝に凍ってしまうので、先日業者を呼んで、給水管、配水管を断熱材で二重にぐるぐる巻きにしてもらったのだが、それでも凍る。
 同時に建てられ、同じ器具を使っている隣や後ろの建売り住宅では、ちっとも凍らないというので、器具そのものが不良品なのではないかと思い、今日、ガス会社の人に見てもらった。しかし器具はおかしくないとのこと。一戸だけ凍るのはよくあることで、建物の位置や風向きなどによって一戸一戸条件はまるで異なるそうである。
 ということは、うちは近所で一番寒い家ということになるのか。そういえば、西側の庭に高さ10センチ近い霜柱がよく立つが、近所でそこまでの霜柱は見たことがない。そもそも隣の家の庭にも、霜柱はほとんど立たないのである。
 うちだけツンドラ?
 たしか正月に高尾山へ初詣に行ったとき、参道脇の霜柱を見て、高尾山もまだまだだな、うちの霜柱のほうがでかい、と得意な気分になったことがあった。しかし、得意がってる場合ではなかった。標高にして、うちより500メートルは高いだろう高尾山に勝ってどうするか。
 
 昨夜四国から帰宅した際、息子に社交辞令で「学校はどうだ」と聞いたところ、「毎日腕立て伏せしてる。こんなに筋肉固くなったんだよ」と自慢げに力こぶをつくるので、「そうかそうか、すごいなあ」と褒めてやったのだが、今日妻と話していると、私が留守の間に授業参観があり、息子は算数の授業中に、ひとりだけ床で腕立て伏せしていたという。その後、悪びれる様子もなく、見て、こんなにやったよ、と毎日回数を記録しているノートを見せたのだそうだ。妻は呆れて果てて、笑うしかなかったそうだ。

1月29日(金)

 少しずつ、日が伸びてきていてうれしい。
 今朝は霜柱もなく、空は穏やかに晴れわたって、絶好の外出日和だったが、そういえばおとといぐらいまで外出していたような気もし、しばらくパソコンとか原稿とか見てない気もするので、黙々と仕事場へ出かけた。
 牧場の横を通ると、牛がスフィンクスのような形で、気持ちよさそうにこっちを見ていた。正面から牛を見ると、思いのほか耳がでかく、アニメやイラストでキャラクター化して描かれる牛の耳は小さすぎると思った。現実には、顔の横に羽根といってもいいぐらいの大きさでついている。顔だけなら、きっと空を飛ぶだろう。
 その後、仕事場の机でパソコンに向かいながら、窓の外を見ると、あまりにいい天気でいてもたってもいられない気がした。が、そういえば再来週に山陰地方の温泉へ行く予定が入っているような気もするので、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで書いたのが、この日記である。

1月30日(土)

 うりゃうりゃSCの親子サッカーという催しがあり、小学1年生チームと親チームで対決した。5分ハーフぐらいで勘弁してほしかったが、10分ハーフで4セットもさせられ、おおいに消耗した。
 試合後、息子に「お父さん、無闇に思い切り蹴りすぎ」とダメ出しされ、なんか腹立つ。
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