『死の島』福永武彦

●今回の書評担当者●あおい書店可児店 前川琴美

 この先何冊並べようと、福永武彦の『死の島』をこの手で並べることはないんだな、といつも思っていた。これ以上人間の喪失感をすくいとった小説はないのに! これほど高次な孤独を描いた人間の所業はないのに! 文字がみっしり詰まってるけど、それが何! 視覚的リーダビリティが何ぼのもんじゃい! 絶版なんて許せねぇ! という怒りの燠火(ホントは噴火レベル)を抱えて本屋に立ち続けた。だからこの本が新刊の入ったダンボール箱からある日出てきた時は心臓が止まるかと思った。この手にある。復刊して日本全国に流通した。やっと息が出来る。とても嬉しかった。

『死の島』のあらすじを書くのは大変難しい。作家志望の編集者相馬は二人の女を愛している。画家の素子と、彼女の同居人の綾子。二人の女が広島で服毒自殺を図ったと知らせを受け、急行列車に飛び乗る、というのがこの話の主軸である。

 いてもたってもいられない心境でページをめくると、相馬が書いた二人の女をモデルにした小説や、素子の内面世界の独白が細切れに挿入され、混乱する。6つ(!)の話が進行、しかも時系列がランダム。作品の中で迷子になるような前衛的展開に絶句してしまう。

 しかし、この作品の真髄はシンプル。素子の苦悩だ。トラウマをさらけ出せず、相馬も綾子も共に生きようと手を精一杯差し伸べていたのに、愛に応えることなく自らの狂気に堕ちてゆく様は、途轍もなく恐ろしい。自分の絵を「ただの滓よ。人生とも精神とも関わり合っちゃいない、屍体みたいなものよ」という素子と「あなたは生きていますよ」という相馬の接吻は重なったのに頓挫する。(あまりの相馬のヘタレっぷりに、命が懸かっていたのに、お主は! と放尿出来なくなるまで股間を蹴り上げてやりたい衝動に駆られる)また、心中を決行する前夜、裸を見せ合いたい、と懇願する綾子を素子は拒絶する。(命を懸けてさらけ出せ、今! と二人の服をはいでやりたくなる)「あなたのヌードを描いてみたいと思ったこともあった」と振り返る素子に「描けばよかったじゃないの」と燃えるような目で縋る綾子。しかし「人物は描けない」と言い放つ素子。過去形で語るな、薬を飲むまでは生きてっぞ! こんな孤独はあんまりだ、と心が引き絞られる。孤独は孤独のままなのか、二人共助かるのか、一人だけ死んでしまうのか、それとも二人共死んでしまうのか。歯ぎしり&地団駄! ラスト、ありえない手法で翻弄され、言葉にならない衝撃を体感するだろう。細胞が崩壊していくようなショック。乱丁であってほしいと涙がほとばしるはずだ。

『死の島』を作者が構想し始めたのは32歳。刊行されたのは53歳だ。どんだけメメントモリってるのだ! 深淵に半身を預けたまま生き続け、死を凝視し続けるエネルギー!「他人の死が自分の死であるような、他人の虚無が自分の虚無であるような」。それが「小説を書くという行為」だと相馬は悟り『死の島』を書き出す。絶望と再生を作家と共構築する読書。痛みををあなたと共に分かち合いたいと本があなたを待っている。

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あおい書店可児店 前川琴美
あおい書店可児店 前川琴美
毎日ママチャリで絶唱しながら通勤。たまに虫が口に入り、吐き出す間もなく飲 み下す。テヘ。それはカルシウム、アンチエイジングのサプリ。グロスに付いた虫はワンポイントチャームですが、開店までに一応チェック! 身・だ・し・な・み。 文芸本を返品するのが辛くて児童書担当に変えてもらって5年。