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  セイジ  セイジ
  【筑摩書房】
  辻内智貴
  本体 1,400円
  2002/2
  ISBN-4480803645
 

 
  石井 英和
  評価:E
   なんだか70年代の日本で流行った青春映画みたいだなあ。夜毎「仲間」の集まる飲み屋があり、人生に対してレイジ−になっている哲学ごっこのアニキがおり、訳ありの年上の人妻がおり、ヒッチハイクやら徒歩やら、この場合は自転車だが、そんな方法で流れてきてなんとなく居ついてしまう若者の日々あり、無為に過ぎ行く青春あり、意味ありげな人生論あり、世相講談あり、死あり。そして安易な「救済」の夢。当時の映画と違うのは、酔って怒鳴ったり殴り合ったりする場面がないことぐらいだ。映画ばかりじゃない、こんな小説もずいぶん読んだような気がするぞ。今では語る人もいないが。もはや破産を宣告されて久しい、そんな「伝統」に連なる物語だ。幾たびも先人が歩き、どこへも通じないと判明して久しい道をまた、あえて辿る事にどんな意味があるというのだろうか?

 
  今井 義男
  評価:AAA
   夏休みの自転車旅行。たまたま立ち寄った店になんとなく居着く若者。そこで出会うのは気のいい人間ばかり。いまどきとは思えない物語である。人にも街にも類型的な作りばかりが目につく。だが、信じられないことに、そのステレオタイプな住人たちの会話に引き込まれ、耳を傾ける自分がいる。ふと我に返ると、ゆったりと刻む田舎街の時の流れに、身も心もゆだねていた。午睡にも似た浮遊感に私の神経がすっかり弛緩してしまったとき、予兆もなく事件は起こる。尋常でない惨劇に街の空気は一変し、人々の上に重くのしかかる。そして世捨て人のセイジが奇跡を。…カミはいてもいい。頑迷固陋な無神論者の私でさえそう思った。併収の『竜二』は中年になっても夢を食って生きているような旧友と、それを苦々しく思う実直な兄との、兄弟愛を描いた清々しい作品である。二編に共通しているのは、主人公の視線がさりげなく、押し付けがましさが全然ないことと、記憶の中にある<音楽>が呼び覚まされることだ。

 
  唐木 幸子
  評価:A
   こういう本に出会うと、私は新刊採点をさせて貰って良かったなあ、とつくづく思う。自分ではまず手に取って買っては読まないだろうからだ。私が通常の読書に求める娯楽性はないし、浅田次郎のような手練の文章とストーリーを楽しむときのような安心感もない。しかし、あちらこちらにキラリと光り輝く言葉がふと置かれていてハっとさせられるのだ。ここいらで感動させようという意図のない純粋な文学性ってこういうものなのかな、と感じた。太宰治、というのとはちょっと違うんじゃないかという気がする。この著者の個性は、もっと違う種類の清冽さだ。『竜二』の後半で、母親が死ぬシーン。その顔は、「臨終を確かめた医師が暫く見つめ続けたほど、おだやかに、澄んでいた」と書かれている。死ぬときはかくありたいと、こんなに感じさせてくれた文章は今まで他にない。

 
  阪本 直子
  評価:EE
   中編が2編。タイトルはどっちも主人公の名前。つかず離れず程度の距離で近くにいた人間が彼について語るという構成も同じ。そして、語られるその人物像もだ。
 所謂まともな職業人ではなく、 “世間”の尺度でいえば只の無能者、しかし真実を口にし行動で表すことの出来る男……。
 という、書く側にとっては切実な、しかし読む側にとっては正直「又か」な設定だ。主人公の“純粋さ”を引き立てる敵役は“一般世間の卑小さ”という、この構図もありきたり。しかも作者の認識が甘い。頭の中でこしらえた敵は余りにもスケールが小さ過ぎて、勝ったところで何の自慢にもならない。観念的な少年が、勝手に世の中を狭く捉えて判った気になって、勝手に批判してるっていうかね。しかもこの作者はもう少年じゃないんだ。
 作者に読んで欲しい人達がいる。田辺聖子。島村洋子。羅川真里茂。西原理恵子。大島弓子。獣木野生(伸たまき)。あ、全員女性だな。

 
  谷家 幸子
  評価:C-
  「純粋であるがゆえに、不器用な生き方しかできない男たち」(帯の惹句)。
最近、あちこちで見かけるこの手の言説、私はそのたびに、何故か言い様のない恥ずかしさを感じる。別に、私が恥ずかしがる必要はどこにもないのだが、やっぱり恥ずかしい。
純粋とはなんだ?純粋であればそれでいいのか?純粋でない人は駄目なのか?
世渡り上手、器用貧乏などという言葉もある。確かに「器用な生き方」の分は悪い。ごつごつとあちらこちらにぶつかりながら、効率悪く進んでゆく「不器用な生き方」の方が、物語として興味深いとは言えるかもしれない。
しかし、そうした「不器用な生き方」のほうが素晴らしいかのような、「器用な生き方」は味気なくつまらないかのような物言いは、はっきり言って反吐が出る。(作者が直接的にそう書いているわけではない。これは世間一般で言われがちな、という意味。しかし、その空気が下地にあるからこそ、こういうお話が成立するのだ。)
不器用な生き方が悪いと言っているのではもちろんない。だが、世の中そんな人ばかりじゃ動かない。器用な人がいて、いろいろなことがきちんと機能しているからこそ、のんびりと不器用な生き方ができるのだ。不器用な生き方を否定する必要もないが、ことさらに賞賛するのはどうかと思う。
不器用な男の典型として描かれる「セイジ」と「竜二」、その「純粋」さに、もうお腹はいっぱいだ。胸焼けがする。(ただ、「セイジ」の方は、これが純粋なのかどうか、ちょっと首を捻る。神様とまで言われてもなあ。)
ただし、私にとって厄介なことに、文体はとても好きなのだ。なので、評価はその分だけワンランクアップ。

 
  中川 大一
  評価:D
   「セイジ」と「竜二」の二本立て。一本目の主人公セイジは、一言でいうなら反吐が出そうな野郎だ。一応ドライブインのマスターだが、ろくすっぽ働いちゃいない。始終そこらをぶらついては、「人間とは何か」についてあれこれ考えをこねくり回す。つまり、店のオーナーや客にぶら下がって生きてるわけだ。まったく結構なご身分だぜ。それはいいとしても、世間に背を向けてるのが得意らしく、スーツ男や化粧女を面罵してみせる。てめえの方が偉いと思ってるんだろう。後段、この男がとる極めて奇天烈な行動が、傷ついた少女を救うんだって。もー、アホらしゅうて君とはやっとれんわ! と、威勢よく啖呵を切ってはみたものの、「竜二」は割とよかった。ううッ、俺の評価って相変わらず煮え切らないなあ。

 
  仲田 卓央
  評価:A
   『太宰治賞作家による奇蹟と感動の物語』なんてことが書いてあるので、すっかり太宰治賞受賞の作品かと思ったら、違った。どうやら最終選考に残って高い評価を得ながらも、受賞しなかった作品らしい。ここで言いたいのは、こんな素晴らしい作品を外すなんて、選考委員もセンスねえよなあ、みたいなことではない。ただ、この作品が形になっていること、この作品と出会えたことが素直に嬉しい。文章のリズムと言葉の選びには妙な不用意さ、もしくは癖があって、個人的には決して好きではない文体である。ストーリーの展開も、唐突といえば唐突かもしれない。しかしこの小説には、なにか物凄く剥き出しになっているものがあって、それが胸に突き刺さる。どちらかというと明るい話ではないし、やる気の出る話でもないが、それでも素晴らしい物語である。また注目したい作家が増えてしまった。

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