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  天切り松闇がたり 初湯千両  天切り松闇がたり 初湯千両
  【集英社】
  浅田次郎
  本体 1,500円
  2002/2
  ISBN-4087745600
 

 
  石井 英和
  評価:D
   昔気質の話手が牢中で語り聞かせる人情噺の数々。きっと「いい話」のテンコ盛りなんでしょう。その証拠に、作中、話の聞き手たちは口々に「いい話だ」と感嘆の声を挙げ続ける。その「いい話」も、「いい話だねえと感心する聞き手」も、どちらも著者のペンから生まれた訳だが。この自画自賛劇、ある種の暗示効果があるのでは?作中で「いい話だ」「ファンになっちまったぜ」と繰り返されるのを読むうち、「自分の読んでいるのは、素晴らしい物語なのだ」と読者も思い込んでしまう仕掛け。それとも純粋なる著者の自己陶酔なのか?まあ、小説作りのうまい作家なんでしょう。が、いかにも巧妙な作り物であり、人情噺のシステムをなぞるばかりで、「心」が無いように思える。その舞台が華麗な分、書き割り裏に吹き抜ける風のそらぞらしさに、なんだか心が冷えて仕方がないのだ。

 
  今井 義男
  評価:D
   盗人にも三分の理というが、優にその十倍は老盗人に語らせたものがこの連作集である。個人的にはこの偉そうなおっさんが義賊であろうが、根っからの悪党だろうがそんなことはどっちでもいい。いずれにせよ、お天道様に背を向けた泥棒風情ではないか。そんな輩をここまで持ち上げてどうする。中にはしんみりとした人情話もあるのだが、自慢げな話しぶりが癇に障って仕方がない。まるで、特定のタレントをやたらとおだてる、バラエティ番組のような見苦しさである。金持ちからしか盗まないと見得を切ったところで、その減らず口に入る物相飯の出所は庶民の血税なのだ。少しは悪びれるなり、かしこまるなりしたらどうかと私はいいたい。作者が作中人物の言葉を借りて、偏向的言説を弄するところも姑息である。

 
  唐木 幸子
  評価:B
   天切り松、という盗人稼業の爺様が、刑務所の中で囚人や看守や、時には署長たちを相手に昔話をするという、ストーリーテラー・シリーズものの第3巻。面白いと噂に聞いたことのあるシリーズだが、やっぱりこういう3巻目というのはいけない。どうしてもオリジナル第1巻にこそ、作者のとっておきのネタが仕込まれるし、2巻ではちょっと慣らした雰囲気で変化を付けられる。しかし3巻目はどうも・・・。エイリアンもダイ・ハードもランボーもそうだったよな、ってあれは映画か。何はともあれ、美味しいけれど残り物を食べている感じでかったるかったが、最終話の『銀二蔭盃』には泣けた。松蔵の親分、目細の安吉が格好良いのだ。特に、安吉と大親分の銀次が最果ての網走で互いにしか聞こえぬ口の動きで夜盗の会話を交わすシーンの張り詰め加減は、流石に浅田次郎だ。最後の最後になってBに昇格。

 
  阪本 直子
  評価:AAA
   一読、舌を巻きました。これぞまさしく名人芸。未読のシリーズだったんで少々心配だったんですが、大丈夫、いきなりこれから読んでも楽しめます。同じ境遇の方、安心してお読み下さい。
 留置場の風呂場で、雑居房で、その老人が昔話を始めると、やくざも詐欺犯も看守も署長も、皆わくわくして耳を傾ける。村田松蔵こと天きり松、稼業は盗っ人、「自慢じゃあねえが米買う銭を盗ったためしァ一度もねえ」という目細の安の一味。で、自分の武勇伝を語るのか、年寄りの自慢話かよ……と思ったらそうじゃないのだ。少年の頃に見聞きした、兄貴分や姉御達、かけがえのない友達、そして親分のこと。若い自分の胸にこたえた出来事を、江戸弁の名調子でとうとうと語るんだ。永井荷風に森鴎外、竹久夢二の豪華特別出演まであるんだぞ。
 ノワールも自分探しもいいけどさ。節度と含羞のある人間達の、すかっとした人情噺。やっぱり、こっちでしょう。

 
  谷家 幸子
  評価:B
  うまいなあ。
浅田次郎の小説やエッセイを読むと、いつも最初に思うのがそれだ。
とにかく文体に揺るぎがない。読みやすい。どこをとっても違和感を感じない文章というのは、プロの作家といえども、そうなかなかお目にかかれるものではない。
この作品でも、伝説の怪盗たる天切り松が同房の囚人や看守らに語って聞かせる昔語りの見事なリズム感、つい真似してみたくなる江戸っ子言葉の小気味よさ、全くもって鮮やかだ。
そして、お話の落としどころの絶妙。実在の人物、森鴎外が粋な役どころで配される「大楠公の太刀」、東京一の名妓と呼ばれた赤坂の小龍が保名を唄う場面では、思わずほろりとさせられる。
それでは、なぜA評価にしないのか。
それは、あざといほどにうますぎる「泣ける」展開に、捻くれ者たる私の血が、本能的に抗おうとするからだ。さりげないようでいて紛々と匂う説教臭も、気になりだすとどうしても引っかかる。
浅田次郎は「お笑い」系がベストだと思う。

 
  中川 大一
  評価:A
   この本に対するワルクチとしては、例えばこんなのが予想できる。「あざとい」「大衆的」「吉本新喜劇風」「お涙頂戴」……。確かに、こう善悪スパッと切り分けられると、複雑な小説に慣れた我々はつい居心地の悪さを感じてしまう。けど、舞台は大正。真実はともかく、ロマンや侠気が大手を振って歩いていたのさ、と言われりゃあ納得できましょう。第一、冒頭に挙げた類の批判は作者が先刻承知、この方向性は十分に意識してのものだろう。そのことは、「第三夜」に出てくる竹久夢二についての描写を読めばよく分かる。「やれ下衆だ下品だ、商業主義だ銭儲けだとぬかしやがったが、どっこいきれいきたねえは、お客がみんな知っている」――夢二に重ねられているのは浅田次郎の自画像。本書の強さはここにある。

 
  仲田 卓央
  評価:B
   本当はAを三つくらいつけてもいいぐらいに面白い。でも浅田次郎の小説にかぎっては、Aを付けるのはとても悔しい。だってこの人、上手すぎるんだもん。浅田次郎の小説を面白い!といってしまうと、なんだかハリウッドの超大作を観て、「すっごいおもしろかったですぅ〜」と言ってしまうセンスのないバカ、になったような気分になる。ああ、俺ってダメな人間。普段、『やっぱエンターテイメントが一番だよ』、とか『カッコつけてるのはイカンねえ』とか言ってるくせに、こと浅田次郎のエンターテイメントとなると、『面白いのは認めるけどさ、ちょっとあざといよ』、とか『やっぱり説教くさいよね、それも一昔前の価値観振り回してさ』、とか斜に構えたくなってしまうのだ。ここらへんで、自分の小ささに気付いて暗澹とする。世間に認められているものは誉めたくない。でも面白い。くそう。

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