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  白い声  白い声
  【新潮社】
  伊集院静
  本体 1,500円/1,400円
  2002/2
  ISBN-4103824050
  ISBN-4103824069
 

 
  石井 英和
  評価:D
   一度だけパソコンのマウス云々という表現が出てくるものの、実に時代離れのした世界。少女はぬいぐるみの代わりに木彫りの人形を抱き、作家は原稿用紙に小説を書き、人々は携帯を使えばいいのに電話ボックスを求めて町をさまよう。ヒロインは非常に古いタイプの少女マンガに出てくるような星を目に浮かべた「清き乙女」であり、その相手がデビュー作以後小説を書けずに荒れる男、というのも相当なアナクロ。提示されるテーマも、なにやらカビの生えたような。著者は恐らく、昭和30年代あたりで世界観を完成し完結させ、そのまま時の流れに眼を閉ざして来た人なのだろう。そんな世界観に元ずいて書かれた小説を「ここに我々が見失った真実がある」などとは言えまい。たとえ歴史小説であろうと、自分の生きる時代の空気を吸いつつ書かれなくては意味はないのだから。

 
  今井 義男
  評価:AAA
   《宗教は人にどんなことでもさせる》誰だったか忘れたが正鵠を射る言葉だ。かつて文学でカトリックに復讐を試みて時代の寵児ともてはやされた野嶋は、世間から忘れ去られたいまも枯渇した才能にすがりつこうとしている。野嶋に関わる者はまるで試練のように振り回され、傷つき疲弊する。結局は野嶋を見捨てる愛人啓子も編集者片岡もそうだ。その野嶋との出会いに神の啓示を見た少女玲奈は、ひとり身を賭して煉獄で苦しむ野嶋に手を差し延べる。人間のクズさ加減にも種々あるが、神の名のもとにエゴを剥き出しにして恥じない、玲奈の父はひときわ醜悪である。この世に汚れのない魂が存在するとしたら、二人の道行きの果てに我々が目にするものがそれである。どす黒い血とともに吐き出された憎悪と懊悩。そして新しい命。信仰は人になにを喪わせ、なにを与えるのか。物語の終章、光と風の中でつぶやく玲奈のモノローグは清廉ゆえに力強い。

 
  唐木 幸子
  評価:A
   これまで目利きコーナーにその著書を挙げて2回も賞賛の書評を書いたように、私は伊集院静氏の初期からの大ファンだ。高木の家の英雄、と思い出すだけで感動蘇るし、エッセイの一編々々に忘れられないフレーズもある。短編がこれがまた良くて、『あづま橋』の中で、女の浮浪者が出てくる『蛍ぶくろ』なんか良かったなあ。最近ではアホー鳥での西原理恵子とのジョイントが秀逸だった・・・という中にあっては、伊集院静氏の著書の内で、週刊誌に連載された長編恋愛物はどちらかというと好きなほうではない。特に氏が描く女性像で、本書の玲奈のような聖女だけは、なんでこんな風に書くの、と思ってしまう。こういう行動を取る女性はいるけれど、その心の中はこうではない、と私はほぼ断言したいからだ。でも喀血のシーンや、作家・野鴨をかくまう桶谷と編集者の片岡をヤクザが襲う臨場感などは凄い。同じ女性でも、この桶谷の妻の描かれようには、聖女はふっとんでしまう強靭さがある。こうでなくては。やはり贔屓としては、A以外はつけられない。

 
  阪本 直子
  評価:E
   冒頭部分で既に、悪い予感はしたのだよな。敬虔なカソリックの夫婦に、誰もが驚き讃える美しい娘が生まれる。美貌、無垢、霊的な幻覚。ある日山道で彼女を助けた男は……。
 これだけでもう、その後の展開は読まずとも判る。すさんだ中年男と清浄な美少女という設定がそもそも新味に欠けるし、しかも、ありがちだけど引き込まれるという出来ばえでもない。まず登場人物が魅力なし。どうしてこうも無神経で鈍感な奴ばかりな訳? ヒロインの頭にあるのは好きな男のことだけで、親の心配も悲しみも全然歯牙にもかけてない。しかもその男は全くのクズ。クズなんだけど魅力的、周囲を不幸にする男、を狙ったのは判ります。でも成功してないよ。こいつに関わった奴がどんな目にあおうが、縁を切らないあんたがバカだ、としか思えんぞ。脇役陣も印象希薄。幾つもあるエピソードはどれも平板で散漫で説明的。

 
  仲田 卓央
  評価:D
   なんだか、物凄い違和感がある。伊集院静は生きることの本質、のようなものに相当近い場所にいる小説家だと勝手に思っていたので、この作品も当然期待して読んだ。ところが。敬虔なカソリック信者の女と、神を憎みながら生きる男が恋に落ちる。まあ、いいでしょう。女がすごい美人で、男は陰のある男。ありがちですが、まあ、いいでしょう。しかし、この二人を始めとする登場人物に全くリアリティーが感じられないのだ。単に私自身の世界が狭くて、『敬虔な信仰を持っている女子高生』や『金に困ったあげく自分の女を街角に立たせる男』、『作家のために献身的な努力をしている定年直前の編集者』といった人種を知らないから、リアリティーを感じないのかもしれない。それならそれでいい。私に小説を読む目がないなら、それでもいい。この作品が、伊集院静が「終って」しまったことの証明にならないのなら、私は幸せである。

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